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 タンタン、シャーッと、紗良が操る織機が美しい音を奏でていた。

 踏み木を踏んで、経糸(たていと)を開いた隙間に()を使って緯糸(よこいと)を通し、(おさ)を手前に打ち込む。これをひたすら繰り返すことで織物ができあがる。

 紗良は真剣な眼差しで手足を動かし続けていた。

 織れば織るほど、まるで肉体が織機と一体になったかのような不思議な高揚感があった。夢中で踏み込み手を動かすと、みるみるうちに純白の守布が織り上がっていく。

 守布はじんわりとした虹色の光沢を帯び、薄暗い機織り小屋でも美しく輝いていた。

 この守布は、ただ美しいだけの布ではない。軽く薄い布でありながら防御力が非常に高く、恐ろしい力を持つ妖魔の攻撃からも身を守る効果があることから、葦原皇国では妖魔討伐隊の軍服に使われている。

 守布を織れるのは織女神の加護を持つ血筋の女性のみで、全国で百人にも満たない。

 その数少ないひとりにして、頂点に立つ『織姫』の称号を持つ存在が紗良なのだった。

 ドンドンッと戸を激しく(たた)かれる音にハッと我に返り、紗良は手を止めた。

 「ちょっとぉ、呼んでるんだけど、聞こえなかったの?」

 乱暴に戸を開けて機織り小屋に入ってきたのは、ひとつ年下の従姉妹(いとこ)(あや)()だった。

 両親の死から三年。紗良は本家である、母方の伯父の家に引き取られていた。

 伯父は織女神の加護を有する織井家の当主で、『織井村』の長でもある。

 村ぐるみで桑を育てて養蚕をし、選び抜かれた絹糸で織られた守布は通常より高品質なことで有名だった。

 紗良を引き取ったのも、(めい)だからではなく守布を織らせるためだ。それを示すように、ひとり娘の綾子は紗良を義理の姉どころか従姉妹としても扱ってくれなかった。

 「ご、ごめんなさい。織機の音で聞こえなくて……」

 「あんたって、言い訳だけは上手よね。ま、今回だけは許してあげる」

 そうは言いつつも、不機嫌丸出しの表情だ。

 綾子は艶やかな黒髪と、はっきりした顔立ちの美少女だが、今は眉の角度がキツく上がっている。

 伯父夫婦は綾子に甘い。皇都でも有数のお嬢様学校に通い、屋敷の使用人もすべて綾子の言いなりだった。機嫌を損なった使用人は解雇されるだけでなく、最悪の場合はその家族ごと村八分にされるのだという。

 それを思い出し、紗良は(おび)えるように肩を丸めた。追い出されても行く場所がないのだ。

 「ったく、寒い小屋ね……こんなところにいられないわ」

 綾子はブルッと震え、寒そうに手を擦り合わせる。

 一月半ばの機織り小屋は、まるで氷室のように冷えきっていた。母屋と違い、暖房器具などない。あったとしても、紗良には使わせてもらえないだろう。

 「じゃあ、今月も二反もらっていくわ。さてと、温かい紅茶でも飲もうっと」

 綾子は、機織り小屋の片隅に置かれていた三反の守布のうち二反を抱える。すべて紗良が織った守布だった。

 「ま、待って、綾子ちゃん」

 「は?」

 咄嗟(とっさ)に止めた紗良を、綾子はギロッと(にら)んだ。

 「()れ馴れしい呼び方しないで。孤児のあんたを引き取って食わせてやってるのは、あたしのお父様でしょう。お父様の大事なあたしに、そんな口の利き方をしていいと思ってるわけ?」

 綾子の顔には不愉快だとはっきり書いてある。

 幼い頃は一緒に機織りの練習をした仲だったが、今の綾子に、姉のように慕ってくれた以前の面影はどこにもなかった。

 「ご、ごめんなさい。……綾子さん」

 紗良は首をすくめて言い直す。

 「で、でも、今三反しかなくて、二反も持っていかれると困るんです。年末年始は織る時間があまり取れなくて……」

 毎月十五日には、ノルマとして三反以上の守布を伯父に納める必要があった。

 紗良は一日に六時間ほど機織りをすれば月平均四反を織れるのだが、数日前まで使用人たちが正月休みを取っており、その間の家事を一手に引き受けていた。それで今月はノルマにギリギリの三反しか織れていないのだ。綾子に二反も持っていかれると、足りなくなってしまう。

 必死に説明した紗良を綾子は鼻で笑う。

 「だからなに? それしか織れていないのは自分の都合じゃないの。あたしはあんたと違って学校に通うのに忙しいんだから、あんたがあたしの分を用意するのは当然でしょう」

 「でもこのところずっとですし、少しくらい自分で織った方が……」

 「うるさいわねっ!」

 バシッと音がして、頬がじぃんと痛む。綾子に叩かれたのだ。

 「あたしがどれだけ織ろうが、あんたには関係ないでしょう! 織姫の称号があるからって、このあたしに意見していいと思ってるの?」

 「……ごめんなさい」

 叩かれた頬を手で押さえた。

 綾子はそんな紗良を見て、不愉快そうに眉をひそめた。

 「あんた、なにしても表情ひとつ変わらなくて薄気味悪いわね。だから氷の織姫って呼ばれるのよ。まったく、あんたみたいのがいるなんて織井家の恥ね」

 紗良は口をつぐむ。なにをされても、喜怒哀楽のどれも顔に出ない。

 「あーやだやだ、辛気臭い。どうせ氷の織姫は心まで凍てついて、人間の感情なんてないんでしょう? いいえ、あんたなんて氷の能面女でじゅうぶんだわ。違うのなら怒ってみなさいよ。泣くのでもいいわ。そうだ、泣いたらこの布返してあげる。ほらほら、泣きなさいよ!」

 そこまで言われても、紗良の表情は変わらない。ただ深く俯き、両手を握りしめた。

 ふん、と綾子はつまらなそうにそっぽを向く。

 「話は終わり。お父様に告げ口したら承知しないから」

 そのまま振り返らずに、綾子は機織り小屋から出ていった。

 守布の提出は明日だ。徹夜をすれば今織っている分を完成させられるだろうが、それでも合計二反。伯父から叱られるのは目に見えていた。

 けれど、やらずにいてもなにも変わらない。紗良はノロノロと織機に戻り、杼を手にして重いため息をつく。

 先ほどまでの織機と一体になったような心地よさは、もう感じなかった。