紗良がこの家に来てすぐのことだった。織井家の奥の間で、綾子の父は紗良の名前が書かれた表彰状を手に上機嫌だった。
「今年度の最優秀に紗良の守布が選ばれた! まさかこの若さで『織姫』の称号を得るとは。よくやったな、紗良」
「ありがとうございます」
褒められているのにニコリともしない紗良に、綾子は腹が立って仕方がなかった。
綾子は幼い頃から織姫の称号を得るのを目標に機織りの研鑽をしてきた。それなのに、綾子の守布は一次選考で真っ先に落選し、たった一歳上の紗良が史上最年少の織姫に選ばれたのだ。
「綾子、あまり気を落とすな。女学校に通いながら、これだけ織れるのだってすごいんだよ」
綾子の父はそう慰めてくれた。けれど、腹が立つのは自分が選ばれなかったからではなく、紗良がちっとも嬉しそうにしないことにだった。
織姫は綾子だけでなく、機織りをする女性なら誰もが欲しがる栄誉ある称号だ。なのに紗良は仏頂面のままで、欲しがっても得られなかった自分が馬鹿にされている気がした。綾子は、布を抱えて俯く紗良をキッと睨んだ。
紗良は嬉しい時だけでなく、悲しい顔もしない。
少し前に綾子が可愛がっていたペットの小鳥が逃げてしまい、わんわん声をあげるほど泣いてしまったことがあった。両親や使用人は一緒になって悲しみ、綾子を慰めてくれたのに、紗良は能面のような顔から変化がなく、嫌な気持ちになった。長いこと飼っていた小鳥で、かつては紗良も可愛がっていたのに。
(感情が凍りついているみたい)
それなら怒りはするのかと苛立ちそうな言葉を投げつけても、引っ叩いても、やはり変わらず無表情のまま。なにを考えているのかわからない紗良が以前とは別人のようで薄気味悪く、綾子は冷たくするようになった。
紗良の両親が生きていた頃、ひとりっ子の綾子が紗良を姉のように慕っていたことなど、もう忘れたい記憶でしかなかった。
綾子は一向に上達しない機織りもだんだん嫌になっていった。コツコツ機織りをするより、女学校の帰りに友達と寄り道や買い物をする方がずっと楽しいと気づいてしまったのだ。
最初は紗良に経糸を張らせ、機織りする時間を短縮させたが、そのうちに織るだけの単調な作業にも飽きてしまい、機織り自体をサボるようになった。
しかし、守布は毎月提出のノルマがある。女学校に通っている綾子は最低一反、できれば二反織るようにと言われていた。
さすがに一反も提出できなければ、綾子に甘い父でも叱るのは間違いない。提出できる守布がない綾子は、紗良の織った守布を奪って提出した。
すると、綾子は上達したと褒められ、紗良はノルマに足りていないと叱られていた。
(いい気味!)
叱られる紗良だけでなく、気づきもしない父の姿に胸がスッとするのを感じた。
それからは機織り自体、やらなくなってしまった。
どうせ紗良がたくさん織るのだし、そこから二反奪ってしまえばいい。
使用人の麦野も使って、紗良が逆らわないようにした。
麦野はそれまで使用人の中でも一番下の立場でこき使われていたせいか、憂さを晴らすかのように喜んで紗良をいたぶった。
綾子の母はそもそも紗良を引き取ることに反対していて、綾子がいじめ出す前から紗良を使用人のように扱っている。次第に他の使用人も、綾子や綾子の母の機嫌を損なわないよう、紗良に冷たくするようになっていった。
綾子の父は忙しく、紗良への待遇を気づく気配もない。
なにをされても表情ひとつ変えない紗良に、まるで顔が凍りついているように見えると『氷の織姫』というあだ名がつけられたのも、織姫という称号の価値が地に落ちた気がして綾子は気分がよかった。
それなのに、またしても紗良のせいで思い通りにはならなかった。
傷がある男との縁談なんて嫌だと紗良に押しつけたまではよかった。
元々あちらが希望したのは綾子だから、どうせ破談になるだろう。紗良の泣きっ面が拝めるかもしれないと、それだけを楽しみにしていた綾子だったが、客間の襖を開けた瞬間、夜刀の姿に見惚れていた。
切れ長の目に、スッと通った鼻筋。端整な顔立ちは作り物のようでとにかく美しい。
やはり彼には自分の方がふさわしい。紗良を押しのけて三つ指をつき、自分が嫁ぐと宣言した。差し出した手を夜刀が握ってくれると信じて疑わなかった。
しかし夜刀が取ったのは、紗良の手だった。
「は……?」
(紗良が選ばれる? あたしじゃなくて……?)
両親も庇ってくれず、あげくに綾子は手首を強く掴まれ、痛い思いをしただけで自室に戻らされたのだ。
『どうして』という感情は、すぐに『許せない』に変わった。
鏡には娘盛りの美しい自分が映っている。華やかな椿の着物は冬物で一番のお気に入りで、誰よりも似合っているのに、地味で陰気な能面女が選ばれるなんて許せない。
腹の底から湧いてくる怒りに任せ、綾子は壁を蹴り、鏡台に物を投げつけ、床を踏み鳴らした。それでも気がおさまらない。
「絶対に許さない……! 潰してやるっ……!」
ふと呟き、綾子はハッとした。
そうだ。紗良の幸せなんて、潰してしまえばいいんだ。
それに、紗良が結婚してしまっては、これまでのように守布を奪えない。結婚なんてさせるわけにはいかない。
「そうだわ……守布を……!」
不意に妙案が思い浮かび、目前がパァッと開けた気がした。
「紗良なんて、一生うちで飼い殺しにされればいいのよ……」
綾子は込み上げる気持ちを抑えきれず、クスクスと笑い声をあげた。
「今年度の最優秀に紗良の守布が選ばれた! まさかこの若さで『織姫』の称号を得るとは。よくやったな、紗良」
「ありがとうございます」
褒められているのにニコリともしない紗良に、綾子は腹が立って仕方がなかった。
綾子は幼い頃から織姫の称号を得るのを目標に機織りの研鑽をしてきた。それなのに、綾子の守布は一次選考で真っ先に落選し、たった一歳上の紗良が史上最年少の織姫に選ばれたのだ。
「綾子、あまり気を落とすな。女学校に通いながら、これだけ織れるのだってすごいんだよ」
綾子の父はそう慰めてくれた。けれど、腹が立つのは自分が選ばれなかったからではなく、紗良がちっとも嬉しそうにしないことにだった。
織姫は綾子だけでなく、機織りをする女性なら誰もが欲しがる栄誉ある称号だ。なのに紗良は仏頂面のままで、欲しがっても得られなかった自分が馬鹿にされている気がした。綾子は、布を抱えて俯く紗良をキッと睨んだ。
紗良は嬉しい時だけでなく、悲しい顔もしない。
少し前に綾子が可愛がっていたペットの小鳥が逃げてしまい、わんわん声をあげるほど泣いてしまったことがあった。両親や使用人は一緒になって悲しみ、綾子を慰めてくれたのに、紗良は能面のような顔から変化がなく、嫌な気持ちになった。長いこと飼っていた小鳥で、かつては紗良も可愛がっていたのに。
(感情が凍りついているみたい)
それなら怒りはするのかと苛立ちそうな言葉を投げつけても、引っ叩いても、やはり変わらず無表情のまま。なにを考えているのかわからない紗良が以前とは別人のようで薄気味悪く、綾子は冷たくするようになった。
紗良の両親が生きていた頃、ひとりっ子の綾子が紗良を姉のように慕っていたことなど、もう忘れたい記憶でしかなかった。
綾子は一向に上達しない機織りもだんだん嫌になっていった。コツコツ機織りをするより、女学校の帰りに友達と寄り道や買い物をする方がずっと楽しいと気づいてしまったのだ。
最初は紗良に経糸を張らせ、機織りする時間を短縮させたが、そのうちに織るだけの単調な作業にも飽きてしまい、機織り自体をサボるようになった。
しかし、守布は毎月提出のノルマがある。女学校に通っている綾子は最低一反、できれば二反織るようにと言われていた。
さすがに一反も提出できなければ、綾子に甘い父でも叱るのは間違いない。提出できる守布がない綾子は、紗良の織った守布を奪って提出した。
すると、綾子は上達したと褒められ、紗良はノルマに足りていないと叱られていた。
(いい気味!)
叱られる紗良だけでなく、気づきもしない父の姿に胸がスッとするのを感じた。
それからは機織り自体、やらなくなってしまった。
どうせ紗良がたくさん織るのだし、そこから二反奪ってしまえばいい。
使用人の麦野も使って、紗良が逆らわないようにした。
麦野はそれまで使用人の中でも一番下の立場でこき使われていたせいか、憂さを晴らすかのように喜んで紗良をいたぶった。
綾子の母はそもそも紗良を引き取ることに反対していて、綾子がいじめ出す前から紗良を使用人のように扱っている。次第に他の使用人も、綾子や綾子の母の機嫌を損なわないよう、紗良に冷たくするようになっていった。
綾子の父は忙しく、紗良への待遇を気づく気配もない。
なにをされても表情ひとつ変えない紗良に、まるで顔が凍りついているように見えると『氷の織姫』というあだ名がつけられたのも、織姫という称号の価値が地に落ちた気がして綾子は気分がよかった。
それなのに、またしても紗良のせいで思い通りにはならなかった。
傷がある男との縁談なんて嫌だと紗良に押しつけたまではよかった。
元々あちらが希望したのは綾子だから、どうせ破談になるだろう。紗良の泣きっ面が拝めるかもしれないと、それだけを楽しみにしていた綾子だったが、客間の襖を開けた瞬間、夜刀の姿に見惚れていた。
切れ長の目に、スッと通った鼻筋。端整な顔立ちは作り物のようでとにかく美しい。
やはり彼には自分の方がふさわしい。紗良を押しのけて三つ指をつき、自分が嫁ぐと宣言した。差し出した手を夜刀が握ってくれると信じて疑わなかった。
しかし夜刀が取ったのは、紗良の手だった。
「は……?」
(紗良が選ばれる? あたしじゃなくて……?)
両親も庇ってくれず、あげくに綾子は手首を強く掴まれ、痛い思いをしただけで自室に戻らされたのだ。
『どうして』という感情は、すぐに『許せない』に変わった。
鏡には娘盛りの美しい自分が映っている。華やかな椿の着物は冬物で一番のお気に入りで、誰よりも似合っているのに、地味で陰気な能面女が選ばれるなんて許せない。
腹の底から湧いてくる怒りに任せ、綾子は壁を蹴り、鏡台に物を投げつけ、床を踏み鳴らした。それでも気がおさまらない。
「絶対に許さない……! 潰してやるっ……!」
ふと呟き、綾子はハッとした。
そうだ。紗良の幸せなんて、潰してしまえばいいんだ。
それに、紗良が結婚してしまっては、これまでのように守布を奪えない。結婚なんてさせるわけにはいかない。
「そうだわ……守布を……!」
不意に妙案が思い浮かび、目前がパァッと開けた気がした。
「紗良なんて、一生うちで飼い殺しにされればいいのよ……」
綾子は込み上げる気持ちを抑えきれず、クスクスと笑い声をあげた。
