定期考査が終わると、まもなく夏休みに入る。
俺は三年生だから、部活は八月で引退だ。由良が言っていたレシピ考案の発表会は同月後半にあり、それが最後の活動日ということになる。
それまでに学校の調理室を使える日もあるけれど、出欠は任意となっていて、もともと部員数も幽霊部員を含めて十人程度ということもあり、顔を出すやつは少なかった。
部としての課題はそれまでに夏野菜を使ったレシピを十品分考案すること。そして実際それを試作し、レポートにまとめつつ、発表会の日にはそのうちの一品を調理室で作ることになっている。顧問を含む部員でそれを実食、その日にそのまま引退式という流れだ。ちなみに三年生(俺を含めて三人、うち一人は幽霊部員だが)は受験生ということもあり、五品でいいということになっている。
まぁ、どのみち考案とは名ばかりの、既存レシピのアレンジ対決という形にはなるのだけれど。
「ちーちゃんはもうレシピ考えた?」
「あー、俺はもう普段作ってるやつを適当に……」
「ゴーヤチャンプルーとか?」
「そう、あと揚げびたしとか」
「アゲビタシ……」
夏休みに入ると、由良は平日のほとんどをじいちゃんの喫茶店で過ごすようになっていた。昼飯はそのまま店で食って(昼飯代は父親が置いていってくれているらしい)、夕方までいつものテーブルで読書をしたり勉強したりしている。俺の手が空いているときは、俺と一緒に。
「揚げ浸し……って、野菜を揚げるってこと?」
「他になにがあるんだよ」
昼飯どきがすぎ、店も暇になる時間帯だった。じいちゃんはばあちゃんの様子を見に行っていて不在。ばあちゃんの入っている施設まではここから自転車で十五分ほどのところにあって、じいちゃんはばあちゃんがそこに入所してから、週に二、三回は必ず顔を出すようにしていた。俺がいないときは店を閉めているけれど、いまは夏休みで俺がいるから開けたままにしている。まぁ、どのみち客はこないだろうけど。
「あとは今日の昼飯に出した野菜の黒酢あんかけ……」
「あれおいしかった! 苦手なピーマンもなんか甘く感じた」
「ああ、あれも揚げてあるからな。軽くだけど」
「それでてかてかしてたんだ」
それは黒酢あんがかかってたからっていうのもあると思うが。
思いながらも、「そーそー」と俺は適当に流す。
机の上には数学と英語の勉強道具。俺がいま広げているのは英語の方だ。三年になってしっかり取り組むようになってから楽しくなってきた長文問題。その正面で、由良は真っ白なレポート用紙とにらめっこをしていた。
「他には……?」
「他は……」
俺は持っていたシャーペンで大事だと思うところに線を引き、それからその端を口元に当てた。
ちょうどその時期だから、夏野菜を使った料理はこの店でも提供している。材料はご近所さんから分けてもらった家庭菜園の野菜を使うことも多いため、その日その日で日替わりランチのメニューは違ったりもする。
俺は少し考えてから、頭に浮かんだ料理名――最近自分で作ったそれを口にする。
「そうめんを使った夏野菜のカッペリーニ、ミニトマトのカプレーゼ……優斗大好きウィンナーたっぷりラタトゥイユ――そのへんはお前が使っていいぞ」
「え、ほんと? っていうか、待って待って、呪文みたいで覚えらんない」
メモろうとしていた手を止めて、由良が俺を見返してくる。
「カ……カッペリーニって、昨日食べさせてもらった冷製パスタみたいなやつだよね?」
「そう」
この店のランチは俺が作っていることもある。店主であるじいちゃんはもともと料理がうまくて、俺にいろいろ教えてくれたのもじいちゃんだった。
「そうめん余ってるしな。またなにか作れるものがあれば……」
「あれって、なに入ってたっけ。トマトとツナはわかったんだけど……、あ、あとアボカド?」
目の前のレポート用紙に、由良が思い出した順に書き出して行く。それを目で追って、俺は「きゅうり」と付け足した。
「え、きゅうり入ってたの?」
由良がきょとんと顔を上げる。俺は頷き、自分の手元に視線を戻した。残り少なくなっていた問題を解きながら、その答えを口にする。
「すりおろしてソースに入れてあった」
「そうだったの?! いや、たしかにきゅうりっぽい香りがするなぁとは思ってたんだけど……」
「ほんとかよ」
「ほんとだよ。でも、やっぱり気のせいかなぁって」
「おまえきゅうり苦手だもんな」
きらいなものには敏感ってのは末弟を見ていてもよくわかる。
俺が笑み混じりに呼気を揺らすと、由良は一瞬間を置いてから、
「でも、ちーちゃんの料理なら食べられるよ」
今回みたいに。と、ふたたび向き合ったレポート用紙に〝きゅうり、かっこすりおろす〟と書き込みながら、嬉しそうに微笑んだ。
「……そりゃよかった」
俺はちらりとその顔をみやり、やり終えた問題の答え合わせに移る。
なんていうか、優斗を見ているみたいだと思った。先日作ったチャンプルーも、優斗の嫌いなゴーヤをこれでもかというくらいに薄く切って、かつ茹ですぎくらいに茹でたもので作っていた。そこまですれば、優斗だけでなく他の弟たちも文句も言わず――むしろおいしいと言って食べてくれる。ゴーヤの苦みが好きな俺からすると正直物足りなかったが、嫌いな物でもおいしく食べてくれるならその方がいい。
「そしたら、あと四つ……」
「他に苦手な野菜ってなにがあったか?」
「苦手な野菜……オクラとか?」
「あー」
以前天ぷらにして出したときに、微妙な顔をしていたことを思い出す。それでも黙って食べていたけれど、実は苦手だったのか。
「……? っていうか、お前昔は好きだったよな? じいちゃんが作るごま和えとかクソ食ってたじゃねぇか」
だから迷わず出したのもあった。俺が目線を上げると、由良はばつが悪いようにわずかに眉を下げた。
「そう、うん。あれはほんとおいしかったよ。大好きだったし。好きすぎて家でもよく作ってもらってた。でも多分、それが原因で……」
「食いすぎて嫌いになったってやつか」
「多分……?」
嫌いっていうより、もういいって感じなんだけど、と由良は苦笑ぎみに続けた。
「ふーん……」
まぁ、それも聞かない話じゃねぇ。オクラは俺は好きだから、もったいねぇなぁなんて思うけれど、それも好き好きなのはわかっている。
「じゃあ、他に作ってみたいものは?」
間違っていた問題に補足等を書き足しながら、一方でレシピを考える。視界の端で、由良はシャーペンを持ったままの手を口元に当て、「うーん」と間延びした声を漏らした。
「作ってみたいっていうより……」
「?」
「食べてみたいものならあるかも」
俺は瞬き、顔を上げた。
「……てめぇ、また俺に作らす気かよ」
「あはは、ばれた?」
「ばれねぇわけねーだろ」
「や、冗談だよ。でも、もしちーちゃんが一緒に作ってくれたら心強いなぁ、なんて……」
「言ってろ」
あてつけるように俺は手元の問題集を閉じる。かたわらに寄せ、代わりに数学のそれを手に取ろうとして、けれどもその動きをいったん止めた。
「ちーちゃん、怒った?」
そんな俺の顔を、由良が窺うように覗き込んでくる。
別にその程度のことで怒ったりはしない。だいたい慣れてるし。
「……明後日」
「え?」
俺は改めて数学の問題集を目の前に置きながら、シャーペンの先で由良のレポート用紙をトントンと示す。
「明後日ならじいちゃん店休みにするって言ってたし、キッチン貸してもらえるよう言っとくから」
「え……え?」
「だから今日はその時作るものをまとめて、足りないものは明日お前が買い出し行ってこい」
「え、いいの?」
「ついでだから残り四つも全部考える」
実際に試作が必要だと考えれば、その方がなにかと合理的だ。
ぱあっと表情を明るくさせた由良が、背筋を伸ばしてこくこくと頷いた。
「俺、俺、ゼリー寄せっていうやつ食べたい! ……じゃなくて、作りたい!」
俺が目を眇めると、慌てて由良が訂正する。
「食べ……作れる? ちーちゃん作ったことある?」
「ゼリー寄せ……」
またそんな、日ごろ大して作らねぇようなものを……。
まぁいい。俺も作ったことがないわけじゃない。数年前、じいちゃんに教わって始めて作ったときはあまり上手く作れなかったけれど。とはいえ、そのリベンジだと思えばそれはそれで面白そうだし、由良のような初心者でも簡単に作れるようなレシピはあるはずだ。それを模索するのも楽しいかもしれない。
〝夏野菜のテリーヌ〟
俺は由良のレポート用紙にそう書き込んだ。逆さまから書いた文字はさすがに歪だったけれど、左右を間違えたりはしていない。
まるで〝待て〟をする犬のように俺をじっと見つめていた由良は、「わ、ちーちゃん器用」と妙なところで感心しながら、構わず俺が口にする材料を慌てて書きとめていく。
「っていうか、テリーヌっていうんだ……また呪文」
「オクラも入れるからな」
当たり前のように言えばその手は一瞬止まったけれど、次にはちゃんと〝オクラ〟の文字もそこに追加されていた。
俺は三年生だから、部活は八月で引退だ。由良が言っていたレシピ考案の発表会は同月後半にあり、それが最後の活動日ということになる。
それまでに学校の調理室を使える日もあるけれど、出欠は任意となっていて、もともと部員数も幽霊部員を含めて十人程度ということもあり、顔を出すやつは少なかった。
部としての課題はそれまでに夏野菜を使ったレシピを十品分考案すること。そして実際それを試作し、レポートにまとめつつ、発表会の日にはそのうちの一品を調理室で作ることになっている。顧問を含む部員でそれを実食、その日にそのまま引退式という流れだ。ちなみに三年生(俺を含めて三人、うち一人は幽霊部員だが)は受験生ということもあり、五品でいいということになっている。
まぁ、どのみち考案とは名ばかりの、既存レシピのアレンジ対決という形にはなるのだけれど。
「ちーちゃんはもうレシピ考えた?」
「あー、俺はもう普段作ってるやつを適当に……」
「ゴーヤチャンプルーとか?」
「そう、あと揚げびたしとか」
「アゲビタシ……」
夏休みに入ると、由良は平日のほとんどをじいちゃんの喫茶店で過ごすようになっていた。昼飯はそのまま店で食って(昼飯代は父親が置いていってくれているらしい)、夕方までいつものテーブルで読書をしたり勉強したりしている。俺の手が空いているときは、俺と一緒に。
「揚げ浸し……って、野菜を揚げるってこと?」
「他になにがあるんだよ」
昼飯どきがすぎ、店も暇になる時間帯だった。じいちゃんはばあちゃんの様子を見に行っていて不在。ばあちゃんの入っている施設まではここから自転車で十五分ほどのところにあって、じいちゃんはばあちゃんがそこに入所してから、週に二、三回は必ず顔を出すようにしていた。俺がいないときは店を閉めているけれど、いまは夏休みで俺がいるから開けたままにしている。まぁ、どのみち客はこないだろうけど。
「あとは今日の昼飯に出した野菜の黒酢あんかけ……」
「あれおいしかった! 苦手なピーマンもなんか甘く感じた」
「ああ、あれも揚げてあるからな。軽くだけど」
「それでてかてかしてたんだ」
それは黒酢あんがかかってたからっていうのもあると思うが。
思いながらも、「そーそー」と俺は適当に流す。
机の上には数学と英語の勉強道具。俺がいま広げているのは英語の方だ。三年になってしっかり取り組むようになってから楽しくなってきた長文問題。その正面で、由良は真っ白なレポート用紙とにらめっこをしていた。
「他には……?」
「他は……」
俺は持っていたシャーペンで大事だと思うところに線を引き、それからその端を口元に当てた。
ちょうどその時期だから、夏野菜を使った料理はこの店でも提供している。材料はご近所さんから分けてもらった家庭菜園の野菜を使うことも多いため、その日その日で日替わりランチのメニューは違ったりもする。
俺は少し考えてから、頭に浮かんだ料理名――最近自分で作ったそれを口にする。
「そうめんを使った夏野菜のカッペリーニ、ミニトマトのカプレーゼ……優斗大好きウィンナーたっぷりラタトゥイユ――そのへんはお前が使っていいぞ」
「え、ほんと? っていうか、待って待って、呪文みたいで覚えらんない」
メモろうとしていた手を止めて、由良が俺を見返してくる。
「カ……カッペリーニって、昨日食べさせてもらった冷製パスタみたいなやつだよね?」
「そう」
この店のランチは俺が作っていることもある。店主であるじいちゃんはもともと料理がうまくて、俺にいろいろ教えてくれたのもじいちゃんだった。
「そうめん余ってるしな。またなにか作れるものがあれば……」
「あれって、なに入ってたっけ。トマトとツナはわかったんだけど……、あ、あとアボカド?」
目の前のレポート用紙に、由良が思い出した順に書き出して行く。それを目で追って、俺は「きゅうり」と付け足した。
「え、きゅうり入ってたの?」
由良がきょとんと顔を上げる。俺は頷き、自分の手元に視線を戻した。残り少なくなっていた問題を解きながら、その答えを口にする。
「すりおろしてソースに入れてあった」
「そうだったの?! いや、たしかにきゅうりっぽい香りがするなぁとは思ってたんだけど……」
「ほんとかよ」
「ほんとだよ。でも、やっぱり気のせいかなぁって」
「おまえきゅうり苦手だもんな」
きらいなものには敏感ってのは末弟を見ていてもよくわかる。
俺が笑み混じりに呼気を揺らすと、由良は一瞬間を置いてから、
「でも、ちーちゃんの料理なら食べられるよ」
今回みたいに。と、ふたたび向き合ったレポート用紙に〝きゅうり、かっこすりおろす〟と書き込みながら、嬉しそうに微笑んだ。
「……そりゃよかった」
俺はちらりとその顔をみやり、やり終えた問題の答え合わせに移る。
なんていうか、優斗を見ているみたいだと思った。先日作ったチャンプルーも、優斗の嫌いなゴーヤをこれでもかというくらいに薄く切って、かつ茹ですぎくらいに茹でたもので作っていた。そこまですれば、優斗だけでなく他の弟たちも文句も言わず――むしろおいしいと言って食べてくれる。ゴーヤの苦みが好きな俺からすると正直物足りなかったが、嫌いな物でもおいしく食べてくれるならその方がいい。
「そしたら、あと四つ……」
「他に苦手な野菜ってなにがあったか?」
「苦手な野菜……オクラとか?」
「あー」
以前天ぷらにして出したときに、微妙な顔をしていたことを思い出す。それでも黙って食べていたけれど、実は苦手だったのか。
「……? っていうか、お前昔は好きだったよな? じいちゃんが作るごま和えとかクソ食ってたじゃねぇか」
だから迷わず出したのもあった。俺が目線を上げると、由良はばつが悪いようにわずかに眉を下げた。
「そう、うん。あれはほんとおいしかったよ。大好きだったし。好きすぎて家でもよく作ってもらってた。でも多分、それが原因で……」
「食いすぎて嫌いになったってやつか」
「多分……?」
嫌いっていうより、もういいって感じなんだけど、と由良は苦笑ぎみに続けた。
「ふーん……」
まぁ、それも聞かない話じゃねぇ。オクラは俺は好きだから、もったいねぇなぁなんて思うけれど、それも好き好きなのはわかっている。
「じゃあ、他に作ってみたいものは?」
間違っていた問題に補足等を書き足しながら、一方でレシピを考える。視界の端で、由良はシャーペンを持ったままの手を口元に当て、「うーん」と間延びした声を漏らした。
「作ってみたいっていうより……」
「?」
「食べてみたいものならあるかも」
俺は瞬き、顔を上げた。
「……てめぇ、また俺に作らす気かよ」
「あはは、ばれた?」
「ばれねぇわけねーだろ」
「や、冗談だよ。でも、もしちーちゃんが一緒に作ってくれたら心強いなぁ、なんて……」
「言ってろ」
あてつけるように俺は手元の問題集を閉じる。かたわらに寄せ、代わりに数学のそれを手に取ろうとして、けれどもその動きをいったん止めた。
「ちーちゃん、怒った?」
そんな俺の顔を、由良が窺うように覗き込んでくる。
別にその程度のことで怒ったりはしない。だいたい慣れてるし。
「……明後日」
「え?」
俺は改めて数学の問題集を目の前に置きながら、シャーペンの先で由良のレポート用紙をトントンと示す。
「明後日ならじいちゃん店休みにするって言ってたし、キッチン貸してもらえるよう言っとくから」
「え……え?」
「だから今日はその時作るものをまとめて、足りないものは明日お前が買い出し行ってこい」
「え、いいの?」
「ついでだから残り四つも全部考える」
実際に試作が必要だと考えれば、その方がなにかと合理的だ。
ぱあっと表情を明るくさせた由良が、背筋を伸ばしてこくこくと頷いた。
「俺、俺、ゼリー寄せっていうやつ食べたい! ……じゃなくて、作りたい!」
俺が目を眇めると、慌てて由良が訂正する。
「食べ……作れる? ちーちゃん作ったことある?」
「ゼリー寄せ……」
またそんな、日ごろ大して作らねぇようなものを……。
まぁいい。俺も作ったことがないわけじゃない。数年前、じいちゃんに教わって始めて作ったときはあまり上手く作れなかったけれど。とはいえ、そのリベンジだと思えばそれはそれで面白そうだし、由良のような初心者でも簡単に作れるようなレシピはあるはずだ。それを模索するのも楽しいかもしれない。
〝夏野菜のテリーヌ〟
俺は由良のレポート用紙にそう書き込んだ。逆さまから書いた文字はさすがに歪だったけれど、左右を間違えたりはしていない。
まるで〝待て〟をする犬のように俺をじっと見つめていた由良は、「わ、ちーちゃん器用」と妙なところで感心しながら、構わず俺が口にする材料を慌てて書きとめていく。
「っていうか、テリーヌっていうんだ……また呪文」
「オクラも入れるからな」
当たり前のように言えばその手は一瞬止まったけれど、次にはちゃんと〝オクラ〟の文字もそこに追加されていた。
