旧道沿いの小さなアンティークカフェ。定年後にじいちゃんが始めたそこは、少し前までばあちゃんと二人でのんびり営んでいた店だった。

 一年ほど前、ばあちゃんが施設に入ってからはできるときに俺が手伝っている。俺の通う高校はバイトは原則禁止の公立校で、一応名の通った進学校ではありながら、文武両道を掲げているためか、今どき珍しく部活も必須だった。それならと、もともと部活に入るつもりのなかった俺が選んだのは家庭科部。

 活動自体は週一から月二回ほど。内容は主に料理や裁縫で、課題が出たときには制作物の提出や、レシピの考案などがある。俺はそもそも家事は嫌いじゃないし、なんなら年齢のわりには得意な方だったから、ある意味入部は即決だった。放課後拘束される時間も少ないし、課題は家でやっても問題ない。

 そうして作った放課後の時間を、俺はじいちゃんの店の手伝いにあてていた。バイトをしているとバレたらまずいので、給料は手伝いに対する小遣いという名目での手渡しにしてもらっている。

 暇な時間には空いているテーブルで勉強もさせてもらって、必要ならドリンクや軽食も出してもらえる。そんな環境は俺としてもありがたかった。だって実家(いえ)ではなかなか集中できない。この春から高校三年生となった俺は受験生で、普通に進学希望で、となれば勉強はやはり必要で、なのに自宅には個室もない。なぜってひとえに兄弟が多いから。同室に割り当てられている一つ下の弟はまだ小六で、それより下の弟妹はもっと幼い。

 要は実家は戦場なのだ。家族が揃えば年長者の俺が動かないわけにはいかず、みんなが寝静まった後でやろうにも、一番下の弟に一緒に寝てとでも言われれば寝かしつけている間に一緒に寝落ちてしまう。

「迎え、何時だっけな?」
「七時」

 母親は母親で父親――自営業――の仕事も手伝っているため、三歳になったばかりの末弟は保育園に預けている。その迎えに俺が行くことも大して珍しいことではなく、じいちゃんもそのへんはわかっているので融通してくれる。
 ちなみにうちの高校は共学ではあるけれど、家庭科部(我が部)に籍のある男子は二人だけだった。うち一人は副部長でもある俺で、残りの一人は、

「ちーちゃん! 明日、抜き打ちテストがあるって!」
「それはもう抜き打ちとは言わねんだよ、由良」

 カランと無遠慮にドアベルの音を響かせ、そのまままっすぐ俺の方へと向かってきたこの男、皆本(みなもと)由良(ゆら)。由良は俺の二つ下、同じ高校の一年生、かつ、物心ついたころからのおさななじみだった。

「で、でも、実際先生がそう言って……」
「あー、そりゃサービスだな。定期考査も近いし、教えてやるから勉強してぇやつはしろってこった」
「そう、なんだ……?」

 たまにそういうことをする教師がいるのは俺も知っている。とくに数学。そのおかげで俺もよく満点に近い点がとれている。

「つうか、抜き打ちテストなら対策せずに堂々と受けろや」

 自分のことは棚に上げ、当たり前のように言ってやる。

「え、いやだよ。だって小テストでも満点とったら褒めてくれるんだよね?」
「……そりゃまぁ……」

 わずかに眉をさげる由良を横目に、ちらりと見遣った時計の針は、十七時を回ったところ。この時間は店も暇だし、保育園の迎えの時間にもまだ余裕があった。

「ちーちゃん……」

 戻した目線の先で、由良が小さく首を傾げる。由良は俺より背が高い。いや、ほんの三センチほどだけど。仕草にあわせて揺れる癖っ毛が、さながら大型犬の耳のように見えた。俺は仕方ないように息を吐いた。

「……わーったよ。そこ座れ」
「やった!」

 店の奥のテーブル席を指差すと、由良はわかりやすく破顔する。

「教科書持ってんだろうな」
「もちろんだよ」

 腰を下ろしたその席は、ある意味指定席のようなものだった。少しだけ奥まった場所にある窓際の席。意図せず半個室みたいになったそこで、こんなふうに由良の勉強を見てやることも珍しくなかった。

「いつもありがと、ちーちゃん」
「ちーちゃんはやめろ」

 何度言ってもなおらないその口癖を指摘しても、由良はまるで気にするふうもない。それどころか持っていたスクールカバンをかたわらに置くと、軽くネクタイを緩めながらいっそう嬉しそうに微笑むのだ。

 由良は昔からよく俺の後ろをついてまわっていた、わかりやすく言えば弟みたいな存在だった。