だっておまえがほしいっていうから



 ◇◇◇


「ちーちゃん、電車来たよ!」

 自販機でコーヒーを買っていた俺に、由良が声をかけてくる。
 取り出した二つ目のペットボトルを手に傍へと戻れば、ちょうど停車したそのドアが開くところだった。
 持っていたペットボトルを手渡し、人の流れに沿って車内へと乗り込む。空いていた座席に並んで座ると、身を包む空調の温かさも相俟って、無意識にほっと息が漏れた。

 日没の時間は過ぎていて、窓の外はもう暗くなっていた。

「駅までお母さんが迎えに来てくれるって」

 スマホの通知に気付いた由良が、横目に俺を見やって言った。俺は小さく頷いた。
 由良は大学生になっていた。
 通っているのは俺と同じ大学、同じ学部。まさか大学まで追いかけてくるなんて思わなかったが、それも俺だけが理由じゃないと聞けば反対もできなかった。

 自分で言うのもなんだが、うちの学校は国公立だし、それなりにレベルが高い。俺は高校の先生になりたかったこともあって教育学部を選んだのだが、偶然にも由良もそうだと言い張っている。

 本当かよ。

 最初は疑ったものの、実際、単位も順調に取っているみたいだし、どうやら嘘ではないらしい。
 というか、それよりなにより信じられないのは、俺がいま、そんな由良と同……同居しているということだ。これだけは本当に予測がつかなかった。
 受ける大学を内緒だと言われた時点で、なんとなくそんな予感はしていたのだ。まぁ、まさか学部まで同じとは思わなかったが。

「乗り換えの駅が近くなったら起こすから、ちーちゃん寝てていいよ」

 込み上げた欠伸を噛み殺していると、由良がちょんちょんと自分の肩を指差してくる。もたれてどうぞということらしい。

「……まだいい」
「そう?」
「ん」

 冬休みに入り、俺は由良と一緒に帰省することにした。四年生となり、なにかと忙しくしている俺は年末ぎりぎりになると言ったのに、現在二年生で、ある程度時間のある由良はその間しっかりバイトができると、当たり前のように笑うだけだった。
 現に、昨夜も俺は遅くまで学校に残っていた。教員採用試験は無事合格し、あとは年明けに始まる研修を受けながら、赴任先の決定を待つばかりだったが、もともと厳しいと聞いていたゼミを選んだのもあって、帰宅が深夜になることも珍しくなかった。
 なんだかんだで由良と同棲……同居する生活ももうじき終わる。仮に赴任先がこの近所になったとしたらもうしばらくは続けられるだろうが、その可能性は高くはない。
 由良もそれはわかっているだろうし、だから口には出さないながらもできるだけ一緒にいられる時間を大事にしようとしているのかもしれない。

「……」

 そう思うと、とたんにいじらしく思えてきて、

「ちーちゃ……?」

 俺は不意にこつんと由良の肩へと頭を預ける。そしてそのまま目を閉じる。

「……眠くなってきた」
「あ、うん。いいよ、寝て。昨日も遅くまで頑張ってたもんね」

 いじらしい……。思うけれど、本音では俺だって同じ気持ちだと言えなくもない。
 一緒に暮らし始めて半年、由良は思った以上にしっかりしていて、家事だって臨機応変にこなしてくれている。
 それに甘えてはいけないと思いながら、結果として気がつくとうたた寝してしまっている俺をベッドに運び、そのままゆっくり休ませてくれることだって少なくなかった。
 これではどっちが上かわからない。自嘲気味にそう考えることもあるけれど、由良からすればそれもまた嬉しいことらしく、そう言われると撥ね付けきれなくなってしまうのも事実だった。

「……なんか話せよ」
「なんかって……?」
「……なんかっつったら、なんかだよ」
「そんな難しいことを……」

 眠気はあった。実際、規則的な電車の揺れや、由良の温かな体温のおかげでうとうとしかけてもいたけれど、なんとなく俺もこの時間が惜しいと思ってしまった。
 だってこうしてただじっとしているしかないなんて、ある意味貴重な時間だ。ここのところ、ともに布団に入ることはあっても俺がソッコー寝落ちしてしまうし、我慢できずに身体を重ねたところで会話をするような余力は残らないことがほとんどだった。
 だからこそよけいに思うのかもしれない。こんな時くらい、ゆっくり由良の声が聞きたい、って。

「うーん……そうだなぁ」

 由良はわずかに首を捻る。俺はかすかに呼気を揺らし、独りごちるように言った。

「――たとえば、由良くんの本当の将来の夢の話とか」
「えっ……」

 そこまで突飛な質問をしたつもりはなかったが、思いのほか由良の反応は大きかった。

「……お前……」

 俺はゆっくり視線を上げる。窺うように由良の顔を一瞥すると、由良はわかりやすく目を泳がせた。

「え、いや、なに……なに急に……?」

 そんな由良の様子に俺は目を眇め、溜息混じりに言った。

「お前……教員になりたいっての、やっぱ嘘だろ」

 なんとなくそんな気はしていた。

 別に教育学部に進んだからと言って、必ずしも教師にならなければならないというわけではない。それはわかっていたけれど、だとすると由良は本当に俺のためだけにその選択をしたのではないかと思えて居た堪れない心地にもなってくる。
 存外頑固なところもある由良だから、前もってわかっていたところで俺の言うことなんて聞かなかったに違いない。そもそも、何か言われると思っていたからこそ進路の相談はしてこなかったのかもしれない。
 だけど、本当にそうだったなら、俺としても放置はできない。

「いや、嘘じゃないよ。ちゃんと先生にはなりたいと思ってる」
「先生には……?」
「うん、ちーちゃんとは違って、狙ってるのは私立、だけど……」

 俺が無意識に溜息を重ねたせいで、由良はいいわけするように言い募る。俺は頭を浮かせて、今度はまっすぐ由良の顔を見返した。

「私立って、どういうことだ?」
「あ――なんていうか……」
「なんていうか?」
「うん……私立、だったらさ。一つのところにずっと勤められたりするでしょ……?」
「うん……?」
「そりゃ系列校にって話はあるかもしれないけど、公立よりはいろんなところに異動? っていうのは、少ないかなって……」
「まぁ、そりゃ……」

 俺は瞬き、曖昧に頷いた。
 言われている意味は理解できる。だが、どうしていま、そういう話になるのかというのがわからない。
 疑問符を浮かべる俺に、由良は続けた。

「それなら、ちーちゃんが頻繁に異動したとしても大丈夫かなって」
「んえ? 俺?」
「うん」

 由良はこくんと首を縦に振る。

「どっちもが遠いところになったらさ、通勤も大変だし……」
「……ってことは、もう受ける学校も決めてるってことかよ」
「まぁ、だいたいは……?」

 わかってきた。由良が言わんとしていることが、少しずつ輪郭を帯びてくる。
 要するに、これからもできるだけ無理のない同棲を続けるために、由良なりに考えていたということだ。
 俺が大学を卒業した時点で、一旦は終わるだろうこの生活を、少なくとも由良が就職する際にはまたどうにか取り戻そうと――そう考えているということだろう。

 なんとも気の早い話だ。

 と同時に、由良が大学を卒業するまでにはあと三年もあるというのに、すごい自信だなとも思う。だってそれまでに俺と由良が別れているという未来はまったく考えていないということだから。

「……余裕だな、てめぇ」

 俺は視線を外し、息を吐く。

「え……どういうこと?」
「どこの学校でも採用して(とって)もらえる自信があるってことだろ」

 なんてからかってはみながらも、正直なところ、俺からしても想像できる未来は一つしかなかった。
 だから一応、赴任先も最寄りの学校を希望したりしているのだ。もちろん新任でそれが通るとは限らないが、成績も悪くないとのことだから配慮してもらえる可能性もなくはないとのことだった。
 まぁ、もちろんこれは由良には言っていないけれど。

「余裕とか、自信っていうんじゃないけど……一応、俺も成績は悪くないから、頑張れるだけ頑張ろうかな、とは……」
「……ふーん?」
「え、今度はなに……?」
「いや? ……まぁ、確かにうちの由良くんは勉強できるみたいだもんな。本命の大学(学校)もA判定だったみてぇだし。……一年の頃からずっと」
「え……え、なんでそれ知って……って、あ!」

 志望校をぎりぎりまで口にしなかったから、判定の詳細なんかも聞いていなかった。それでも知ったからには気になってしまった。だからつい探りを入れてしまったのだ。どんな感じなんですかと、由良の父親(おじさん)に。そうしてこっそり教えてもらった。
 その結果、判明したのがそれだった。ふたを開けてみれば、そもそも由良は俺に勉強を教わる必要なんてなかったわけで……。

「ち、違うよ、それはちーちゃんが昔からこつこつ教えてくれてたからで……」
「ふ――ん……?」
「またそれ……!」

 焦ったように声を上擦らせる由良をよそに、俺はふたたびその肩へと頭を寄せた。そしてぽつりと呟いた。

「最初から全部お前の手のひらだったってことかよ」
「え……」

 視界の端で、由良の動きが一瞬止まった。

「そ、そんなわけないだろ、ちーちゃんがどこの大学に行くつもりかなんて、高校入ってからもしばらくは知らなかったし……!」
「……でも、どのみち俺を追いかけるつもりだったってことだろうが」
「そ、れは……」
「俺の部屋を響子さんが探してくれたのも、お前の下心(それ)があったからなのか?」

 俺が住んでいる部屋は、一人暮らしを始めたときから広かった。だから一緒に住むと決めてからも引っ越す必要はなく、そのまま由良との同棲……同居をスタートさせることができた。ちなみに、それに関してはどちらの親も特に反対はしなかった。あくまでも本人たちがそれでいいならと、その方が経済的にも助かると笑っていたくらいだった。

「それは……ごめんなさい。なかったとは言えないけど、でも、どんな部屋を紹介されるかは知らなかったから……」

 ってことは、裏を返せばどんな部屋でも一緒に住む気ではあったわけか? ワンルームでも?
 思えば溜息しか出ないけれど、今更嫌な気分になるわけでもない。強いて言うなら、仕方ねぇやつ、と呆れるを通り越して感心するだけだった。

「……重いやつ」
「うぐ……」

 それでも揶揄めかして口にすると、由良はまたなにも言えなくなってしまう。
 そんな様子がおかしくて――かわいくて、俺は密やかに破顔する。

 実際のところ、俺だって実家の部屋には家庭科部を引退するときの集合写真がしっかり飾ってあったりもする。成長してから由良と一緒に撮った写真は意外と少ない。という理由だけで大事にしているわけじゃないのは、自分でも理解して(わかって)いる。
 そんな状況で、この期に及んで抗おうとは思わない。どのみち俺はもう、ありのままのお前を受け入れるしかないのだ。

 ――だって、おまえがほしいっていうから。

 いつからかずっと由良の手のひらの上だった、なんて認めたくはないけれど、俺が自ら手のひら(そこ)に乗ったと思えばいいだけの話だと切り換える。
 俺にとってももう、由良がそばにいるのは当たり前になっているし、なくてはならない存在だというのは身に染みている。だから俺はここにいる。

「――幸せだと思うんだ」

 視線を落とした俺の横で、由良が静かに口を開く。俺はその声に黙って耳を傾ける。

「こうやって、同じ部屋(場所)から同じ故郷(場所)に帰れるってことも」

 聞き慣れた声音は柔らかく、心地いい。規則的な電車の振動にも誘われ、俺は込み上げた欠伸をひとつ漏らした。
 窓越しの由良が小さく微笑(わら)う気配がする。その手がそっと俺の頭に触れた。
 まるでよしよしと子供を撫でるみたいに。

「ね。ちーちゃんも思うでしょ。俺といて――うちの由良くんといて、幸せだって」
「……言ってろ」

 俺は一瞬間を置いてから微かに呼気を揺らし、浸るように目を閉じた。



END