たくさん遊んだ良い子の勇者は、そのあと再びうとうとして、寝椅子ですやすやと眠る。

 そのあいだにゼバスティアは夕ご飯の仕度をした。
 魔界の厨房で仕込みまで任せておいた料理を仕上げ、ワゴンで運ぶ。

 例の無表情な王妃のメイドが運んでくる、毒入りの固いパンと野菜クズと肉のカケラ入りのスープは――受け取ったとたん、当然のように魔法で炭にした。

 今日の夕ご飯は、野菜と豆、雑穀入りのスープに白身魚のムニエル。
 副菜は芋を丹念に潰したものと、ほうれん草とマッシュルームの炒め物。

 白身魚は三歳児でも食べやすいように、しっかり骨を取ってある。
 肉ばかりではなく、お魚もとらないとだ。

「トルト様、綺麗に食べることが出来ましたね」
「ゼバスの料理はソースまでおいしいから、全部食べられる」
「ありがとうございます」

 言葉のとおり、アルトルトは焼き立てほかほかパンでソースを綺麗にぬぐって、完食した。
 料理人としてはうれしい限りだ。

「デザートはリンゴのタルトに、アイスクリームにございますよ」
「どちらも大好きだ!」

 よく学び、よく食べて、よく遊ぶ。
 本当に良い子に育っていると、ゼバスティアは目を細めた。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



「トルト様、お風呂の用意が出来ました」
「わかった」

 アルトルトの寝室についている浴室の扉の前――大きな衝立がある場所まで、ゼバスティアはついていく。

 そこから先は。
 衝立の横に立つ“浴室係”のメイドに、アルトルトを渡す。

「今日も世話になる、コレット」
「もったいないお言葉にございます、殿下」

 “コレット”はにっこりと微笑む。
「この者の名前は?」とアルトルトに訊ねられたとき、とっさにゼバスティアが考えた名だ。

 本来、この離宮の使用人はゼバスティア一人しかいない。
 コレットという風呂係のメイドなど存在しない。

 衝立の向こうに消えた二人を見届け、ゼバスティアは防音の魔法を周囲にかけた。

 ――自分のために、だ。

 衝立の向こう。
 姿は見えなくとも、アルトルトがコレットに話しかける声に混じって、衣擦れの音。

 あの、まだ幼児体型のぷにぷにの身体から布を落として……ぜ、全裸に……!

 その妄想だけで、初日、ゼバスティアは昇天しかけた。
 いや、鼻を押さえてなんとか踏みとどまったが。

 大魔王と呼ばれた歴代最強の魔王の死因が、「勇者の裸を妄想しての憤死」など――魔界末代までの恥だ!

 そもそも勇者に倒されずして死ぬなど……いや、アルトルトのまばゆき裸体を想像してぽっくりなのだから、これも勇者に殺されたことになるのか!?

 その愛らしさだけで魔王にトドメをさすとは、勇者おそるべし!

 ――いやいやいや、自分はアルトルトに倒されたりしない!

 彼が成長し、成人した折には、ただいま建設中のまっ白な聖堂にてリンゴーンするのだから!
 絶対するのだから!!

 それまでは死ねない。いや、そのあとも共に幸せになる!

 ともかく、執事となって“良い子の一日”を思い浮かべたとき、この“お風呂問題”にぶち当たったのだ。

 自分がアルトルトの服を脱がせて、アワアワで全身をくまなく洗うなんて……そんなの、まともに見られるわけがない!
 いや、それを考えるだけで危うく二度目の昇天……(以下略)。

 では、魔界の下僕に任せるか?
 即却下。

 自分以外がアルトルトの裸を見るなど、嫉妬のあまり役目を終えたその者の首を“褒美”として撥ね飛ばしそうだ。

 かくて魔界には浴室係たちの首が並び――などという暴君では自分はない。人材の浪費だ。

 そこでゼバスティアがちょちょいと創り上げたのが、“良い子のお風呂のお世話係・魔法人形”だった。

 見た目は人間のメイドにしか見えず、受け答えも表情も完璧。
 魔王の我が創ったのだから当然だ、とゼバスティアは胸を張る。



「ゼバス」
「はい、トルト様」

 遮音の魔法をかけているが、アルトルトが自分を呼ぶ声には即座に反応する。
 衝立越しに胸へ片手をあて、一礼。

 たとえお互いの姿が見えなくとも――それが完璧な執事というものだ。

「今日のお湯もいい香りだ」
「ありがとうございます」

 浴槽には毎日、お肌にいい香草の袋を入れている。魔界特製品だ。
 もちろん、アルトルトのやわやわなお肌に有害な成分など、ひとしずくもはいっていない。

 そういえば、最近は幼児の世話に忙しく、ゆっくり風呂に入っていないな……。
 今夜、アルトルトがすやすや眠ったあとにでも――と思ったところで。

「とってもいい香りだから、ゼバスもいっちょにおふろにはいらないか?」

「ぐっ!」

 ゼバスティアは思わず鼻を押さえた。
 この頃は滑舌も良くなってきたというのに、ここで“いっちょ”攻撃とは……さすが勇者!

「ゼバス?」
「た、大変光栄なお誘いですが、し、執事たるわたくしめが、トルト様と御一緒する訳にはまいりませぬっ」

「……そうか、残念だ」

 本当に残念そうなアルトルトの声に、ゼバスティアは震える声を押さえ、心の中で応じた。

 ――残念だ。我もとっても残念だ。

 しかし“いっちょにおふろ”などしたら、本当に三度目の昇天……いや、していないが……してしまう!

 「大魔王ゼバスティア、お風呂で憤死!」なんて魔界新聞の見出しに載るなどあってはならない。
 いや、鼻血多量出血死か? これはもっとはじゅかちぃ。

 そもそもなんで「お風呂がいい匂いだから執事と一緒に入ろう」と思ったのか……?
 そこは考える余裕もなく、鼻の粘膜に治癒呪文を唱えるので必死で、ころりと忘れた。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



 そして、風呂からあがったアルトルトがベッドに入ってすやすや眠ったのを確認し――
 かたわらで読み聞かせていた物語をバタンと閉じたゼバスティアは、一瞬にして魔王城へ。

「お帰りなさいませ、魔王様。お風呂になさいますか? それともお食事……わわっ! なぜ熱々のお風呂を凍らせるなど! 服のままお入りに!?」

 その氷付けの風呂を足でかち割り、執事服のままドボンとはいり、百数えたゼバスティアは――
 たまっていた執務を夜明けまで片付けたのだった。

 今日もゆっくり風呂など入っていられなかった。

 邪念で。