パレンス王は悍ましいとばかりに頭を抱えていた。
 ザビアもまた、扇で自分の顔を隠している。

 だが――ゼバスティアの“魔王の目”はごまかせない。

 その毒々しい紅で彩られた唇の端には、うっすらと笑み。
 まるで勝ち誇るように。

 デュロワが倒れた娘の傍らに膝をつき、首筋に指を当てる。

「……死んだ」

 そう短く告げ、肩から羽織っていたマントを外し、
 娘の亡骸にそっとかけた。

 ゼバスティアはその様子を見届け、
 アルトルトの前に立ち、身体で亡骸を隠す。

 そして膝をつき、まだこわばったままの小さな顔を覗き込んだ。

「ご立派にございました、トルト様。
 そのお覚悟を邪魔するような真似をして……申し訳ありません」

「ううん。ゼバスは僕を守ろうとしてくれたんだろう? ありがとう」

 小さく震える声。
 それでもアルトルトは、しっかりとゼバスティアを見上げた。

 そのやり取りを横目に、デュロワが立ち上がり、
 なおも頭を抱えるパレンスに声を飛ばす。

「陛下! 危急の事態です。気を確かに!」

 肩を掴んで揺さぶると、パレンスは「ひぃっ!」と情けない悲鳴を上げた。

「お、叔父上……」

「王太子、それも世界の希望たる勇者の命を狙う者が、
 この王宮の奥深くに潜んでいたのです。これは由々しき事態です」

「そ、そうだな……」

「娘は“王家への恨み”と申しておりました」

「わ、私には覚えなどないぞ!」

「もちろん、陛下はなにもなさっていないでしょう」

 ――“そこで震えていることしか出来ない無能王だからな”。
 ゼバスティアは無言のまま、そう心の中で呟いた。

 デュロワは続ける。

「長い王家の歴史。光あるところに、闇もまた積もるもの。
 この娘一人だけでは済まぬやもしれません」

「そ、それは大変だ! 私の命も狙われているのか!?」

 ガタガタと震えだすパレンス。
 殺されかけたのは我が子だというのに――自分の心配か。

 ゼバスティアは深くため息をついた。

「いえ、陛下。狙われたのはアルトルト殿下にございます」

「う、うん、そうだな……」

 言い聞かせるようにデュロワが告げると、王はこくこくと頷く。

「まずは王太子殿下のお命を守ることが第一。
 それには、どこに刺客が潜んでいるかわからぬこの王宮を離れるのが最善。
 ひとまず我が領地にお連れしたい」

「お、叔父上のところへ!?
 王太子にして勇者を、この王宮から出すというのか!」

 確かに、王位継承者を王宮から遠ざけるなど前代未聞。
 だが――命の危険を前に体裁を気にしてどうする。

「今は殿下のお命を第一にお考えください」

「…………」

 デュロワは、未だ扇で顔を隠すザビアをちらりと見た。
 バレンスの視線が泳ぐ。迷い、怯え、そして理解。

 ようやく――気づいたのだろう。

 この妻が、継子アルトルトにどれほどの憎悪を抱いているかを。

 だが、メイドが“自分一人の犯行”として死んだ以上、
 ザビアを罪に問う証拠はない。

 ならば今、やるべきことはひとつ。

 アルトルトを、この毒の宮から遠ざけることだ。

「……わかった。王太子を叔父上に預けよう」

「わたくしは反対ですわ!」

 ザビアの声が響く。
 先ほどまでの怯えた仕草はどこへやら、勢いを取り戻していた。

「王太子殿下を王宮から出すなんて外聞が悪い!
 護衛の数を増やし、この離宮を固めればいいだけのこと。
 “手違い”のあった厨房にもキツく命じて、きちんとした食事を届けさせますわ」

 ――その“きちんとした食事”が、また毒入りでなければよいが。

 ゼバスティアは赤く塗られた唇の動きを無言で見つめる。

「良い案とは言えませんな」

 デュロワが低く言った。

「いくら警備を厚くしても、人が多く広い王宮です。
 どんな穴があるかわからない。
 食事とて、毒味を増やしたところで、遅効性なら意味がない」

「まあ、大公におかれてはそれほどまでに、
 王太子殿下を“お手元”に置きたいと?
 また、あなたの黒髪の頭に“星の輝き”を載せたいと、
 馬鹿な者たちが騒ぎ立てておりましたわね」

 星の輝き――つまり“王冠”のことだ。

 ザビアのチクリとした嫌味に、
 パレンスの肩がびくりと跳ねた。

 かつて、年若く頼りないパレンスより、
 元勇者のデュロワを王にと望む声があった。
 それを今さら蒸し返すとは。

「心外ですな。私の頭には、その星の輝きとやらは重すぎる。
 陛下にこそ、ふさわしい」

 穏やかに微笑むデュロワ。
 パレンスは安堵の息を吐いた。

「とにかく、私は反対です!
 たかが毒殺騒ぎで、王太子が逃げるなど風聞が悪い!」

 ――“たかが”、か。

 ゼバスティアは目を細めた。

 ここまで反対するとは予想外だ。
 アルトルトが王宮を離れれば、世間は“失脚”と見る。
 それでさえ彼女にとっては痛快なはずなのに。

 なぜ、そこまで執着する?

 デュロワもまた思案顔で顎に手をやる。

 ゼバスティアは静かに一歩前へ出た。

「僭越ながら、その執事めに一つ案がございます」

「許す、申してみよ」

 「使用人は黙りなさい!」というザビアの声を遮るように、
 デュロワが告げる。

「ありがとうございます」

 ゼバスティアは胸に手を当て、深く一礼した。

「トルト様は“謎のご病気”にかかられたことにして、
 その療養のため大公領へ向かわれる――ということにしてはいかがでしょう」

「謎の病気?」

「ええ。伝染る病かもしれず、
 陛下や第二王子様に差し障りがあってはならぬ、と」

 “第二王子”という言葉に、ザビアの瞳がギラリと光る。

 ゼバスティアは見逃さなかった。

「謎の病とはいえ、殿下が病弱だと噂され、
 王位継承に不安が残るかもしれませぬ。
 ですが、お命には代えられません」

「……そうだな。それがよい!」

 デュロワが大きく頷く。

「アルトルト殿下は空気の良い我が北の領地で静養。
 完治の見込みは定かでなく、王都に戻せば健康に不安あり――
 そう発表すればよい」

「えええ、たしかにそれは!
 王位継承にも影響しそうな事態ですわね!」

 ザビアの声が、弾む。
 明らかに喜色を帯びていた。

 ――まったく、わかりやすい女だ。

「王太子が病を患うなど、王家にとっても憂い。
 けれど“謎の病”なら仕方ありませんわね。
 健やかであるべき王子にとっては……不名誉ですけど」

 扇で口を隠したまま、意地悪く笑う。

 ゼバスティアはその笑みを見下ろし、
 静かに心の中で呟いた。

 ――“勝ったのはこちらだ”。