「これは前菜かな?」

 パレンスが狼狽えて訊ねる。

「いえ、これがアルトルト様の毎日の晩餐にございます」

 ゼバスは執事らしく、うやうやしく答えた。
 本来なら、王に問われてもいないのに執事が口を開くのは不作法だ。
 だが、ゼバスティアはあえて無視して続ける。

「ちなみにご昼食もパンとスープのみ。
 ご朝食はオートミールの小さなボウル一つにございます」

「なんと!」

 大仰に驚いてみせたのはデュロワだった。
 隣のパレンスをぎろりと睨む。

「昼と晩はこんな固くて小さなパン一個に、
 覗きこめば目玉が映りそうな野菜クズのスープ。
 朝はオートミールのみとは……。
 先ほど陛下の前にあった肉の山とは、えらい違いですな」

「い、いやこれは叔父上、私も知らぬことでして……!」

 冷や汗をたらたら流しながら、パレンスは狼狽の声を上げた。

「ザビア! これはどういうことだ!?
 子供たちの養育はすべてそなたに任せてあるはず!」

「わたくしは知りませんわ。
 それは王宮の大厨房より直接届けられるもの。
 なにか手違いでもあったのでしょう」

 顔色一つ変えず、涼しい声。
 だが、その嘘は――浅い。

「王妃様におかれては、
 このお食事は“大厨房より直接届けられるもの”だと?」

 デュロワが言葉尻を逃さず捉える。

「ええ、子供たちには栄養あるものをと伝えました。
 それがどうしてこうなったやら」

「それで? 料理人が勝手にしたことだと?
 あなたには関わりがないと?」

「そう繰り返し申し上げているはず。しつこいですよ!」

 ザビアが苛立ちを隠さず、扇をパチンと閉じる。

 そのとき――

 開け放たれた食堂の扉から、二つの影が現れた。

 一つはデュロワの護衛の魔法鎧。
 タマネギ頭に丸い胴体の鋼鉄の甲冑。

 その前に突き出されるように立たされているのは――
 無表情なメイドだった。

 ザビアの顔色が、すうっと白くなる。

「このメイドが、毎日アルトルト殿下の食事を届けていたという。
 そうだな? 殿下の執事ゼバスよ」

「はい。王妃様付きのメイドだとお聞きしております」

 ゼバスティアは胸に手を当て、うやうやしく答える。

「わたくしは知らないわ! そんなメイドなど見たこともない!」

 ザビアの声が尖る。

 デュロワは静かに告げた。

「王妃付きか否か、調べればすぐに分かることです」

「どちらにしても、わたくしはそんな娘など知りません!」

「お知りにならないのならば――
 私がこの娘をどうしようと、ご関係はありませんな?」

 デュロワがスープの皿を手に取り、
 それをメイドの前に突き出す。

「このスープを、呑み干せ」

「…………」

 娘は沈黙したままだ。

 デュロワの声が低く響く。

「なに、遅効性の毒だ。すぐには死にはせん」

「ど、毒だと!」

 叫んだのはパレンスだった。
 驚愕の表情で、隣の王妃を見る。

 いくら継子をよく思っていないとはいえ、
 まさか毒まで――と、想像すらしていなかったらしい。

「わたくしは何も知りません! 本当に知りません!」

 ザビアは繰り返す。
 「知らない」「知らない」――
 その言葉しか知らぬかのように。

 ついには扇を突き出し、メイドを指す。

「その娘が勝手にしたこと! わたくしは無関係です!」

 ――一介のメイドが、
 王太子に毒を盛るなど“勝手に出来る”はずがない。

 だが。

「王妃様は本当にお知りになりません。
 すべて、わたくし一人がしたこと」

 娘が口を開いた。

 ゼバスティアも、デュロワもわずかに目を見開く。

「まことか?」

 デュロワの問いに、娘は淡々と頷く。

「王太子暗殺は国家反逆罪。主犯なら死刑だ。
 だが命じられたのなら、命は助かる。どうなのだ?」

「いいえ。すべて、わたくしがいたしました」

 その顔は微塵も揺れず、声には一片の感情もなかった。

「なんのためにだ!?
 そなたには幼き殿下を害する理由などあるまい!」

 デュロワの怒号が響く。

 獅子のような咆哮に、パレンスは「ひぇ」と首をすくめ、
 ザビアも「キャア!」と悲鳴を上げた。

 だが、メイドは怯まない。

 そのまっすぐな瞳で、デュロワを見返す。

「――王家への恨み!」

 そう叫んで、首に下げていた銀のロケットを取り出すと、
 その中身を飲み込んだ。

 次の瞬間、彼女の口から――血があふれた。

 ゼバスティアはとっさにアルトルトの目を覆う。

「トルト様!」

「僕は、この者の最後を見届けねばならない!」

 小さな手が、白手袋を押しのける。

 アルトルトの顔はこわばっていた。
 だが、血を吐き苦しむ娘の姿から目をそらさなかった。

 そこには――
 勇者としての覚悟。
 いや、この国の未来を背負う王子としての光が、確かに宿っていた。