本日も朝には、あの無表情なメイドが毒入りの不味そうなオートミール粥、
 昼には葛野菜のスープに固いパン(もちろん毒入り)を届けてきた。

 もちろん、そんなものはゼバスティアの指パッチンで燃えあがり、
 代わりに輝ける料理が現れるのが日課である。

 ちなみに今日の“本当”の朝食は──
 三段重ねの黄金のパンケーキ・ソーセージ添え。
 数種の色とりどりの豆を使った温かなサラダに、
 新鮮なベリーのヨーグルト蜂蜜がけ。

 昼は、いつもの“二人で作る”ふわふわパン。
 白身魚のフライ、半熟目玉焼き、チーズ、レタス、紫タマネギ、ラディッシュを挟んだ盛り盛りサンド。
 それに冷たいジャガイモのスープだ。

「今日もゼバスは立ったままなのか?」

「アルトルト様のお作りになったサンドイッチは大変美味しいですよ」

「僕は好きな具を挟んだだけだ」

「それでもです」

 いつものやりとり。

 食堂の窓から見える緑の芝生の庭には、小鳥が遊び、本当に穏やかな日だった。

 ──穏やか。

 その言葉が自分の中に浮かんだことに、ゼバスティアはふっと笑みをこぼした。
 魔王である自分が、穏やかな日々を良いと思うなど。

「今日のデザートはプラムのプディングにございますよ」

「ゼバスのプディングはなんでも大好きだ。クリームをたっぷりつけてくれ」

「かしこまりました」

 アルトルトとこんな日々が、長く続けば──と思ってしまう。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



 午前の剣の稽古を終えたアルトルトが、サンドを口いっぱいに頬張り、
 口の端についたケチャップをゼバスティアがぬぐいぬぐいしていた、
 そんな和やかな午後のことだった。

 執事ゼバスとして仕えて一年。
 一度もこの離宮を訪れたことのなかった王妃ザビアが、ついにやってきた。

「まったく、いくら王太子、勇者アルトルト殿下とはいえ。
 王妃たるわたくしの出迎えもないなんて、どういうことなのかしら?」

 いきなり居室に現れた彼女は、嫌みたらしく赤い毒々しい紅を塗った唇を開いた。

 一児を産んだとはいえ、あの馬鹿王……もといパレンス王を虜にした美貌はまだ健在。
 若く、十分に美しいと言えるだろう。

 しかしゼバスティアから見れば──厚化粧のアバズレである。

 とはいえ、そんな感情などおくびにも出さず、
 主人であるアルトルトが口を開く前に、執事ゼバスは胸に手を当てて優雅に腰を折った。

「申し訳ありません。殿下の執事として、大切なお客様のご来訪に気付かず失礼いたしました」

「まったくよ」

「ええ、この国で最も高貴でいらっしゃるご夫人が、
 まさか先触れの使いもなく、下町の奥方が隣家を訪ねるようにお気軽にいらっしゃるなど、思いもよりませんでした」

 これには、勝ち誇ったように笑みを浮かべていたザビアの顔が、ぴきんとこわばった。

 高貴な王族同士、たとえ同じ王宮の敷地内でも訪問には作法がある。
 要するに──“先触れもなく訪ねるなど、庶民の振る舞いでは?”という、最上級の皮肉である。

「ええ、もちろん王妃様は殿下のご母堂様にあらせられる。
 そのような仲に先触れなど不要という、温かなお心……この執事ゼバス、感動いたしました」

 ご母堂(継母)ザビアは、続けざまの美辞麗句に「そ、そうね」としか返せなかった。
 口先だけと分かっていても、“優しい母親”と立てられれば反論もできまい。

 毎日、義理の息子に毒を盛っている時点で、温かさどころか魔界の氷の洞窟並みに冷えているのは確かだが。

「殿下、今日は殿下に贈り物があってまいりましたの」

 ザビアは、勧められもしないのに、さっさと椅子に腰を下ろした。
 小卓を挟み、アルトルトも遅れて腰掛ける。

 さて──王妃と王太子、どちらが上か? というのは微妙な問題だ。
 だがこの場合、“王太子の離宮”を訪れた客である王妃が、勧められてから座るのが礼儀。

 ……まあ、そんな礼儀など、王妃様の頭にはカケラもないだろうが。

 ゼバスティアは無表情でお茶を用意しながら、王妃の従僕が開く小さな包みを横目で確認する。

「この頃、城下で評判のリンゴのパイなのですのよ」

 たしかにそれは小さな円形のパイだった。
 飴色の照りがあり、毎朝のオートミールや固いパンより、遥かに美味しそうに見える。

 ──その分、仕込まれた毒も遅効性ではなく、一口で昇天級の代物だとゼバスティアは即座に見抜いた。

 まったく、天人殺しの毒などどこで手に入れたやら。

 さて、どうしたものか?

 二人に茶を出しながら、ゼバスティアは思案する。
 王妃の侍従は箱ごと、小さなパイをずいっとアルトルトの前へ。
 皿にも盛らずに「そのまま食べろ」と言わんばかりだ。

 毒入りなのは明白。
 しかし、いつものように別の料理に入れ替えることはできない。

 王妃は「さあ、めしあがれ」と猫なで声を出しながら、
 毒入りパイをアルトルトが食べるのを見届けようと爛々と目を光らせている。

 扇で隠した口許の、嫌らしい笑みも隠しきれていない。

 魔法で仕掛けられた毒など、ゼバスティアには簡単に消せる。
 だが、こんなものをアルトルトに食べさせるのは、どうにも口惜しい。

「ありがとうございます、母上」

 アルトルトはにっこり笑って礼を言い、そして続けた。

「では、母上も、このおいしいパイを一緒に食べましょう」