魔王にして執事ゼバスの朝は、完璧にして忙しい。

 まだ夜も明けきらぬうちから、超特急で魔王としての一日の執務を片付ける。
 魔王城の執務室から王宮の執事部屋へ一瞬で転移したときには、すでに魔王の長衣から銀のモノクルに黒の執事服へと着替えていた。

 それからアルトルトの衣装部屋へ入り、今日はどの服を着せようかと吟味する。
 ちなみにアルトルトの服は、ゼバスティアが執事となってから勝手に増えていた。

 一番悩むのは、胸元のリボンとブローチの組み合わせだ。
「ううむ……昨日は新緑のリボンにイエローダイヤのブローチだったから、今日は赤にエメラルドにしよう」
 ちなみに王子の宝石も、気づけば勝手に増えている。

 衣装の一揃えを抱えてワゴンに乗せると、朝の目覚めのミルクティーを丁寧に淹れる。
 アルトルトの好みは、ミルクたっぷり・蜂蜜ほんのり控えめ。
 子供だからといって甘ければいいというものではない。なかなかに良い趣味だ。

 ゼバスティアはその蜂蜜の一滴まで完璧な味で用意する。

 それから王子の寝室へ行き、七時半きっかりに「おはようございます」と天蓋のカーテンを開ける。

「おはよう、ゼバス」

 可愛らしい挨拶に薄く微笑む。
 内心では『今日もなんて愛らしい……!』と床をごろんごろん転がりたい衝動をこらえながら。

 まずはまだ寝ぼけ顔のアルトルトの頬を、温かなタオルでぬぐう。
 その丸いほっぺに刻まれたよだれの跡まできっちりと。

 それさえも舐めちゃいたいくらいだが──それでは変態だ。
 そこは人として……いや、魔王としてぐっと堪える。

 次に、ほどよい温度になったミルクティーを恭しく差し出し、朝の支度に取りかかる。
 ふわふわ蜂蜜色の髪を丁寧にブラシで整え、寝間着の長いシャツからふりふりレースのブラウスへ着替えさせ、袖なしのジレに膝丈の半ズボン(キュロット)

 ベッドに腰かけた王子の足元にひざまずき、靴を履かせる。
 最後に胸元の大きなリボンの真ん中にブローチをつけて完了だ。

「今日の朝食はチーズオムレツにございますよ」
「それは嬉しいな!」

 アルトルトの手を引き、三つ部屋を隔てた王子専用の食堂へ。
 湯気の立つオムレツにパン、新鮮なカットフルーツが盛り付けられた食卓を見て、アルトルトの瞳が輝く。

「今日も美味しそうだ」

 席につき、まっさきにチーズオムレツを口にし、ふわふわ白いパンにかじりついて目を細めるアルトルトの様子に、ゼバスティアの頬が緩む。

「野菜も食べなければなりませんよ」
「わかってる」

 ……が、さりげなくニンジンのグラッセをフォークで遠ざけようとする動きを、ゼバスティアのモノクル越しの瞳がキラリと光る。

「ニンジンは嫌いだ。でも、ゼバスの作ったグラッセは食べられる」
「光栄にございます、殿下」

 銀のフォークでグラッセをぷすりと刺し、小さな口であーんと囓る。
 その愛らしさに、内心では鼻血を吹き出しそうになりながらも、ゼバスティアは涼しい顔で一礼した。

 ────当たり前だ。それは魔界の禁書『ニンジン嫌いのお子様でも食べられるレシピ』の逸品。
 うまかろう、うまかろう。

 しかもゼバスティア自らの手によるものだ。
 魔王城の厨房に姿を見せたとき、豚頭の料理長が「魔王様自らお料理を!?」と天地がひっくり返るほど驚いていた。

 さらには「お出来になるのですか?」などと失礼なことを口にしたため、紫の切れ長の瞳でギロリとにらみつけてやったら、泡を吹いてひっくり返った。
 とばっちりで、同じ豚頭の料理人全員が白目をむいて倒れたが、どうでもいい。

 魔王にできないことなど、ないのだ。

 その証拠に、今日の朝食も完璧だ。
 チーズオムレツは外ふわふわ、中とろとろ。
 ニンジン嫌いのお子様でも食べられるグラッセはつやつや。
 フルーツのカッティングも芸術品のように美しい。

 リンゴは当然、うさぎさんの形だ。これは譲れない。

 そのうさぎさんリンゴを囓りながら、アルトルトはぽつりと言った。

「今日も、父上はご一緒に食べてくださらないのか?」

 それは朝食ではなく、今夜の夕餉のことだ。
 ゼバスティアは表情を崩さず答える。

「残念ながら陛下は、大臣たちとの会食がおありでございます」

 アルトルトは寂しそうに、
「……そうか。父上のお仕事の邪魔をしてはならないからな」
 と健気にうなずいた。

 このあいだは政務が立て込んでいるといい、その前は外国使節との謁見。
 そして今日は大臣たちとの会食。

 ──だが、そのすべてが嘘だと、ゼバスティアは知っていた。

 そもそも王子が“一人”で食事をするための食堂が作られていること自体がおかしい。

 今夜もあの優柔不断な王は、王妃の食事の誘いを断れなかったに違いない。

 今の王妃はアルトルトの実母ではない。
 先の王妃――アルトルトの母が彼を産んで亡くなったその直後、一年の喪も明けぬうちに王宮へと図々しく上がってきた継母だ。

 空になった食器をワゴンに下げ、ゼバスティアは食堂をあとにする。
 次の間の小部屋を通り、さらにその次の間へ入った瞬間、押していたワゴンの上の食器が入れ替わる。

 オムレツにパン、サラダやフルーツが並んでいた皿が、銀のボウル一つに。
 王宮の厨房から王子に配膳される朝食は、決まっていつも不味そうな冷めたオートミールだ。

 昼は日が経ったような固いパンに、野菜くずのスープ。
 夕食も似たようなもの。

 貧民の食事ならともかく、とてもこの国の王子の食事とは思えない。

 ワゴンを受け取りに来たメイドは、空のボウルを一瞥すると無言のまま、ゼバスティアからそれを受け取っていった。

 冷めたオートミール粥など、もちろんアルトルトに出すはずがない。

 この無表情なメイドからボウルを受け取り、次の扉をくぐると同時に、指ぱっちん一つでその中身を燃やして消し去る。
 そしてワゴンの上には、アルトルトにふさわしいほかほかの朝食を。

 不味いどころか──それ以前に、“毒入り”の食事をアルトルトに食べさせるわけにはいかない。

 そう、王子アルトルトは継母である王妃に疎まれている。
 いや、はっきり言って、毎日のようにその命を狙われているのだ。