「ふふふ、この程度の料理で腹が一杯になったなどとは言わぬであろうな?」

「もちろんだ!」

 胸を張るアルトルトの姿に、ゼバスティアはニヤリと笑う。

 好き嫌いなくよく食べるアルトルトであるが、まだまだ四歳。その小さな身体に入る量は、執事ゼバスとして承知済みだ。

 取り分けた料理も、この“本番”が入るようにしっかりと調整してある。

 ゼバスティアがパチンと指を鳴らすと、玉座の間の黄金の両開きの扉が開いた。

 カツカツと蹄の音を響かせて入ってきた子馬の姿に、アルトルトは青空の瞳をまん丸にする。

「ユニコーン?」

「見たことはなかろう?」

 アルトルトがこくりとうなずく。青銀色のたてがみに、水晶の角が輝く子馬だ。

 さらにアルトルトは、その後ろに続くものを見て「わあっ!」と声をあげた。

 それは小さなお菓子の花車。中央にはアルトルトの背丈ほどのケーキがそびえ立ち、
 その周りには色とりどりのキャンデーやマカロン、ギモーヴがお花のように飾られている。

「すべて食べられるものだぞ。荷台も車輪も飴細工で出来ている」

「すごい、すごい、すごいぞ! 王宮の宴でも見たことがない!」

「ははは、魔王城ではこんなもの日常茶飯事の、茶菓子よ」

 もちろん、そんなことはない。

 これはひと月も前からゼバスティア自ら完成図を描き、魔界でも指折りの菓子職人たちを集めて作らせたものだ。
 もちろん飾りだけでなく、味も最上級。

 新鮮な乳に卵のケーキ土台、大粒のベリー、南国の果物、極上のカカオまで揃えた逸品。

 この日のお誕生日会のために用意した極上のケーキを、アルトルトは瞳を輝かせて食べる。
 そして「あのお菓子は食べきれない」と悲しそうな顔をした。──それも計算通り。

「ふはは、このような駄菓子、好きなだけ持って行くとよい」

 と、当然用意していた黄金のリボンで飾られたカゴに、キャンデー、クッキー、ギモーヴ、マカロンを一杯に詰めてやる。

「ではさらばだ。来年こそ、お前を倒す!」

「ふはは! 楽しみにしているぞ!」

 お菓子一杯のカゴを手に、勇ましく転送陣へと向かう勇者の首根っこを、
 高笑いしていた魔王は「ちょっと待て」と掴んだ。

 もちろんそのままでは首が苦しいから、足下は魔法でふんわりと支えてだ。

「これも、菓子の車を引く以外の役目などないから、持って行け!」

 見かけは乱暴に放り投げつつ、丁寧に魔法で着地させたのは──ユニコーンの子馬の背の上。

「いいのか?」

「だから、そんな駄馬はもうここでは用がないと言っている」

 駄馬どころか、それは天上の男神をひと博打で引っかけて取り上げた、駿馬の子馬である。

 そんなことなどおくびにも出さず、ゼバスティアはいらんものだとばかり、しっしっと手を振る。

 ユニコーンの銀の瞳がこちらをギロリと睨んだが、そんなものは知らんふり。
 そしてユニコーンこそ「こんなところなどいられるか」とばかりに、小さな勇者を背にとっとっと転送陣へと向かったのだった。

   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇

 最初で最後と思われた魔王討伐から、三歳の勇者が戻ってきたとき──王宮どころか王国中が大騒ぎとなった。

 みな、怖くて口に出せずとも、継母王妃の凶行に眉を寄せ、
 幼い勇者が歴代の勇者のように、極悪非道の魔王によって儚く消えると思っていたからだ。

 だが、小さな勇者は無傷で戻ってきた。

 魔王は倒せなかったが、また一年後に再戦すると“約束”したと言って。

 人々はこれに光を見出した。

 あの魔王と“引き分け”して生きて戻ってきたなど──魔王は生きてはいるが、勇者もまた無傷。
 この小さな勇者はとてつもない力を持っているのではないか、と。

 高まる民の期待に、あの継母王妃の殺意がさらに高まり、
 毎日、毒入りの食事が届けられるきっかけともなったのだが……。

 そしてさらに一年後。

 四歳になった勇者アルトルトは、また魔王城から戻ってきた。
 カゴ一杯のお菓子と、一角獣の背にまたがって。

 魔王とはまた引き分けで、来年再戦すると彼ははきはきと答えたが、
 人々の注目を集めたのはカゴ一杯のお菓子……ではなく、伝説の聖獣である一角獣の子馬だった。

 魔王から勇者が“戦利品”として持ち帰ったのだと、王宮は王国中に触れ回った。
 アルトルトが「魔王がいらないと言った」と正直に口にしたにもかかわらず。

 また、子馬の一角獣が賢くも気難しく、アルトルト以外には懐かなかったこともあり、
 「これぞ勇者の証だ」と周囲はさらに盛り上がった。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



 そんなある日。ちょっとした事件が起こった。

 王宮の厩にて。石造りの立派なそれは、田舎の農夫ならここも貴人の館かと思うほど豪奢なものだ。

 朝食のあと、アルトルトは一角獣の子馬──リコルヌと名付けた──のいる厩に向かうのが日課になっていた。
 ゼバスティアも当然、それに従う。

 そこに突然、王妃ザビアがやってきた。

 アルトルトの存在など無視して、「これがあの一角獣ですか」とずかずかと近寄る。
 そして後ろのカイラルを振り返り──

「さあ、あなたも触れてご覧なさい」

 我が子の手を掴み、無理矢理触れさせようとした。

 大方、聖獣ユニコーンに認められたなら、カイラルも勇者の資格があるとでも風潮したかったのだろう。
 しかし、勇者とは天上の神々の神託で定められるもの。母親の意思で決められるものではない。

 突然の王妃の暴挙に、目を丸くして見ていたアルトルトが「リコルヌに不用意に触れるのは……」と声をあげたが、遅かった。

 無断で自分に手を伸ばされた無礼に、リコルヌが角を振りかざしてザビアを威嚇したのだ。

 これには当然、わがまま王妃が激怒する。
 尖った長い爪でリコルヌを指さし、「この無礼な馬を始末しなさい!」と命じた。

 だがさすが聖獣。後ろに控える従僕たちも狼狽えるばかり。

 そこに「母上」とおずおずと声をあげたのは、カイラルだった。

「気高いユニコーンに勝手に触れようとしたのです。私が悪いのです」

 「ごめんなさい」とリコルヌに頭を下げるカイラルに、リコルヌはアルトルトに向かって鼻先を押しつけた。

 それを撫でてやり、アルトルトは笑顔でカイラルに告げる。

「リコルヌはもう怒っていないって」

「よかった」

 カイラルが謝罪したことで、怒りの持って行き場を失ったザビアは、扇をみしみしと握りしめる。

「カイラル! 行きますよ!」

 ドレスの裾を翻して去っていく。

 そのあとにカイラルが従いながらも、後ろを振り返り、一瞬だけアルトルトに手を振った。
 アルトルトもまた、手を振り返す。

 あの夜会で踊って以来、カイラルは勇者である兄を密かに慕うようになった。
 ときおり王宮内で顔を合わせると、母の目を盗んで、こんなふうにこっそり手を振り合う仲となっていた。

 そしてこの事件以後、ザビアがアルトルトを射殺しそうな目で見るようになり──
 その瞳の殺意の炎が、ますます深まったことは言うまでもない。