ゼバスティアはあわてて、ごまかすように咳払いをコホン、コホンと二度ほどして。

「我に挑みにきたとはいえ、客は客。今日はいささか作りすぎた料理があるらしいから、食べていくがよい!」

 そう尊大に言い直した。

 アルトルトはこてんと首を傾げる。おお~その角度も愛らしいぞ。さっそく魔界の宮廷画家に……ではなくて!

「ふふふ、それともこの魔王の出す馳走は怖くて食べられぬか? 臆病者め」

「僕は臆病者ではない! それに食べ物を残すのは、よくないことだ!」

 しっかりと策にはまってくれた小さな勇者に、魔王はニッと笑う。

 パチン、と指を鳴らす。

 そこに現れたのは、ドレープとリボンとお花のクロスで飾られた巨大なテーブル。その上には、湯気の立つごちそうが並んでいた。

 中央には大きな去勢鳥の丸焼き。その詰め物は、アルトルトの大好きな米にナッツと干し葡萄だ。

 周りには、チーズ入りマッシュポテトをクリームのように絞り飾り付け、ゴロゴロと肉が入ったシチューには艶々のニンジングラッセと、緑の豆の副菜。どちらも「お子様でも食べられる」優しい味。

 もっともアルトルトはこの一年で「ゼバスのはおいしい~」と克服済みであるが。

 さらには、銀の大皿に盛られた舌平目のバターレモンソースがけ。貝殻の器のグラタン。
 大好きなものばかりに、アルトルトの瞳がキラキラと輝く。

 うんうん、とゼバスティアは心の中で満足げにうなずく。

 なにしろ、この一年、執事として仕えてきたのだ。この勇者の好みは、この魔王が一番よく知っている。

「さあ、食べるがよい!」

 尊大に言いながら、席についた小さな勇者の前へと、魔王自ら華麗な手つきでサーブをする。

 去勢鳥を素早く切り分け、中身とともに美しく盛り付ける。薔薇の形に絞られたマッシュポテトももちろん添える。これも厨房でゼバスティア自ら絞り出したものだ。

 それから、小骨などひとつも入らぬように取り分けた舌平目に、貝殻のグラタンを載せてやる。

「いただきます」

 しっかりと手を組み、目の前の食べ物に感謝する。

 良い子に育ったものだ……。腕を組んだままの尊大な態度ながら、執事ゼバスとしての気持ちになって、ひそかにジーンとなる魔王ゼバスティア。

「魔王は食べないのか?」

 傍らに立つゼバスティアを見上げて、アルトルトが言う。

 それに「我はいら……ぬ……」と答えかけた。散々味見はしている。

「このニンジンのグラッセ、ゼバスの味にそっくりだ」

 シチューのニンジンをフォークで刺して口に運ぶアルトルトの言葉に、ゼバスティアはドキリとする。まさか、バレた?

「ゼバスの料理も、この料理に負けないぐらいおいしい。おいしいけれど、ゼバスは一緒に食べてはくれない。ゼバスは執事だから……」

 使用人が主人と食卓を共にするなどあり得ない。

 しかし、その寂しげな横顔に、ゼバスティアの胸にもやもやとしたものが広がる。

 昼に“お手伝い”してもらったサンドイッチは、執事ゼバスとしてアルトルトの目の前で食べた。
 だが、それは椅子に座ったアルトルトの横で、“使用人”として立ったままだった。

 アルトルトにとって“一緒”とは、同じテーブルの席に座り、“対等に”ということなのだろう。

 父たる国王は、一度もアルトルトの住まう離宮に顔を出すことさえなかった。
 いつも「大臣との政の打ち合わせに忙しい」と。

 ゼバスティアはパチンと指を鳴らす。アルトルトの反対側に椅子を出し、そこに腰掛けた。

 そして、小さな勇者には自ら取り分けた料理を、魔法で一瞬にして自分の前に皿を出しながら言う。

「このような料理など食べ飽きているが、まあ、勇者との晩餐も一興。食べてやらぬことはない」

 そんなことを言いながら、料理を口に運ぶ。

 ――やはり魔王たる我の味は完璧! と自画自賛しながら。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



「『魔界』とはどんなところなのだ?」

 米とナッツとレーズンの詰め物を口に運びながら、アルトルトが訊ねる。

 その顔が美味しさに満ちて輝いていた。皮はパリパリ、肉はしっとり。詰め物は肉汁をたっぷり吸い込んで、まさしく絶品。

「どんなところとは?」

 ゼバスティアは問い返す。何を訊ねたいのやら。

「魔界は地獄そのもので、魔物同士、毎日殺し合っていると聞いた」

「たわけ。そんな無駄な戦いなど、我が魔王になってからは禁じた。今や部族間の争いは代表者同士の決闘のみ。それも魔王たる我の認証が必要だ」

 たしかに千年前、ゼバスティアが魔王になりたての頃は、魔王の存在など無視して部族間の抗争も絶えなかった。

 だが、それもほんの十日ほどで制圧した。絶大な力を持つ、この我、ゼバスティアが。

「なぜだ?」

 アルトルトは信じられないことを聞いたとばかり目を丸くする。

「魔族では力、暴力が全てだと聞いた。なのに魔王が争いを禁じるなんて、信じられない」

 まあ、人界ではそうだろう。アルトルトでなくとも、子どもなら皆、物心ついた頃からこう聞かされる。

『早くベッドに入らないと、極悪非道の魔王が、凶悪な魔物達を引き連れてやってきて、お前を頭からバリバリ食べてしまうよ』

 と。

「まったく、そのような児戯、人界との余計な争いを増やすだけだというのに。これも千年前に禁じたのだ」

「?」

 きょとんとした青空の瞳を見つめ、ゼバスティアは静かに言葉を続ける。

「魔族同士、毎日殺しあいなどしていては、数が減るばかりだ。ついには最後の羽虫の一匹も居なくなる。それで“魔王”を名乗っても意味がない。我ひとりの国など、虚しいだけだろう?」

「たしかに」

 アルトルトはあごに小さな拳をあて、うーんと考えこむ。その仕草も愛らしいと、ゼバスティアの切れ長の目尻がふっと下がる。

「では、魔界も人間の国と同じで、商人や職人の暮らす街があり、村があるというのか? 畑を耕し、商売に励む者たちがいるのか?」

「ほう……そう思うか。確かにその通りだ」

 紫の瞳を細めるゼバスティア。やはり勇者、四歳といえど聡い。

 ――いや、賢くて当然だ!
 なにしろ、この魔王自ら「良い子の王国の歴史」や「民の暮らし」「良い王様になるには」など、数々の本を執筆したのだから!

 我の教育、完璧! と胸を張るゼバスティア。

「たしかに、我が治める以前の千年前、魔界は混沌の地であった。そなたの言う通り、力ある者が力無き者を意味もなく虐げ、争いにすべてを費やす――まさしく地獄のような不毛の地であったわ」

 まあ、玉座に座っては百年もたたずに勇者に首を吹っ飛ばされる惰弱な歴代魔王もいたが……と、心の中でだけ付け加える。

「だが、我という魔王が“出現”してから、馬鹿共の争いなどすぐに止んだ」

 ゼバスティアは長い足を組み直し、ふんぞり返る。

 青空の瞳でじっとこちらを見る小さな勇者に、自慢げに微笑みながら。