「先代勇者」でゼバスティアは思い出した。
たしかに黒衣のこの男は、アルトルトの前に戦った──先代勇者である。
どうりで、目眩ましの魔法がきかなかったはずだ。
先代とはいえ、勇者の目を持つ者ならば。
しかし、対戦した勇者、それもつい最近戦った先代を今まで気づかなかったのは……
あのときはひげ面ではなかったし、若かったし……というのは言い訳になる。
アルトルトの前に百七人もいたのだ。
数の多さに、そりゃ忘れる。
黒梟の宰相が横にいたら「繰り返しますが先代勇者ですぞ?」と言われそうだが──
ようするに、アルトルト以外の勇者なんて、それまでの魔王ゼバスティアにはどうでもいいことだったのだ。
とはいえ、思い出してみれば鮮明に記憶は残っている。
つまりは、なかなかに強かった。
ゼバスティアが自ら魔剣を持ち、その右腕を切り落とすほどには、だ。
その他の勇者どもは多少の傷はあれど、五体無事に魔王城からたたき出している。
──そう、魔王ゼバスティアは勇者を退けはすれど、一人も殺していない。
それで極悪非道の魔王とは、ひどい評判ではある。
だが、畏れられなくてなにが魔王か!
生き残った勇者達の行方?
そんなもの知らん。ただ、二度と自分に再戦を挑む者はいなかった。
目の前にいる隻腕の大公もしかり。
王妃の言葉に、広間の空気は凍りついた。
横にいる王パレンスも同様、その顔色は青を通り越して紙のように白い。
いくら王妃であっても、大公──それも先代勇者に対して、あまりにも失礼な暴言だった。
これをどう取り繕うべきか。宰相である兄のジゾール公も、口を開きかけては閉じるばかり。
そこに、「ははははは!」と高らかに笑い声が響きわたった。
敗北勇者と揶揄された当の大公デュロワだ。
彼は豪快な声で凍りついた空気を吹き飛ばし、後ろからアルトルトの肩に手を置く。
「確かに私は魔王に破れた。
だからこそ、この勇者が魔王と“引き分け”、さらには来年の再戦を誓ったことを誇らしく思う」
自らの敗北を認め、アルトルトこそ希望であると堂々と告げた、大公の見事な返しだった。
デュロワの大笑いにきょとんとしていた人々は、次にハッとした表情になる。
意地悪な王妃から疎まれている王子──だが、彼こそが勇者であり、王国どころか世界の希望の星。
「私は信じている。この小さき勇者こそ、魔王という闇をうち払い、見事凱旋することを。
そして、その頭上に星の冠をかかげることをだ」
星の冠。それはこの王国の王冠の名称である。
そこで廷臣達は気づく。
いかに冷遇されていようとも、彼は王太子であり勇者。
魔王を打ち破ったならば、彼が王になるのは当然。
誰もそれに口出しなどできまい。
いかに継母王妃ザビアが権勢を誇ろうとも、それは覆らない。
魔王を倒した勇者王子が、王にならぬはずがないのだ。
「さあ、殿下、あちらで美味しいお菓子をいただきましょう」
「はい、叔父上!」
デュロワにうながされ、アルトルトは広間奥の一角へ。
王子だけに許された椅子にちょこんと座り、デュロワがまるで専属侍従のように皿を差し出す。
「おいし~」
小さなタルトに色とりどりのマカロンを頬張り、ご機嫌なアルトルト。
その様子を、廷臣たちはちらちらと見ていた。
やがて、王と王妃への形式的な挨拶を終えると、次々とアルトルトの列へと向かう。
当然、王妃ザビアは面白くない。
彼女は列が子爵の番に移るのを見計らい、「音楽を!」と命じた。
穏やかな前奏曲が、軽快なワルツへと変わる。
ザビアの鋭い視線にうながされ、パレンス王は彼女の手を取って広間中央へ。
王と王妃のダンスに、アルトルトのもとへ集っていた貴族達も「失礼いたします」と腰を折り、踊りの列へと加わる。
王と王妃が広間を四分の一回ったのをきっかけに、高位貴族が踊り始めるのがしきたりだ。
呆然としたのは、まだ踊りにも加われず、挨拶もできずに残された子爵以下の者達。
これでは「拝謁する価値もない」と言われたも同然である。
階級と体面を重んじる貴族にとって、これほどの侮辱はない。
顔を真っ赤にして怒りを露わにする者もいた。
「大叔父上は踊らないのか?」
「さて、私には最初のダンスを踊るパートナーがおりませぬからなぁ」
横でアルトルトにお代わりの茶を煎れながら、ゼバスティアは二人の会話を聞く。
たしかにこの美丈夫の大公には妻がいない。
領地は北の辺境──冬は雪に閉ざされるとはいえ、鉱山に肥沃な黒土の大地。
農業も牧畜も豊か。
さらに王に次ぐ地位をもち、壮年になってもこの美貌。
ご婦人方の視線が絶えないのも当然だ。
これで独身とは、王家の七不思議のひとつに数えられるのも無理はない。
「では、この独り身のさびしい私と踊っていただけますかな? 殿下」
「ひとりみ? うん、僕も今は一人だから、大叔父上と踊りたい!」
「ではいきましょう」
──いや、そういう意味の“ひとり”じゃない!
ゼバスティアは声に出せないツッコミを心中で叫んだ。
が、今はしがない執事ゼバス。
ダンディな髭の大公様に、小さなお手々を取られて広間中央に出て行く主を、見送るしかない。
髭、髭がいいのか!?
なぜ自分に髭を生やさなかったのか!?
と後悔しても遅い。
翌日、そっこーで顔に髭をつけた執事ゼバスの姿に、アルトルトは「おはよう」も忘れてじっと見つめ──
「ゼバスは髭がないほうがいい!」
と断言され、あわてて付け髭をバリッと剥がすハメになるゼバスティアだった。
そして今。
大公に両手を取られ、身を屈めた彼と笑いあいながらくるくる回るアルトルトの姿を、ゼバスティアはぎりぎりと嫉妬の眼差しで見つめていた。
隣に立つ大公の護衛──タマネギ騎士、もとい機械甲冑が、きゅるきゅると不思議な音を立てていたが、それすら耳に入らなかった。
