デュロワは、別名《隻腕公》とも呼ばれている。
 彼の右の袖口から覗く手は、銀色に輝く機械義手だ。胸に片手をあてた指の滑らかな動きから、これを作ったのは魔界のコボルト族にも匹敵する、相当な技術者だとゼバスティアは内心でうなる。

 さらにはデュロワの後ろに立つ――大きなタマネギ。
 もとい、タマネギの形の頭に、雪ダルマのような丸い胴体がくっついた、手足つきの甲冑。

 こちらも魔法人形と同じ仕組みの自動機械鎧だと、ゼバスティアは見抜いた。
 デュロワの護衛と従者を兼ねているのだろう。歴戦の騎士十人分にも劣らぬ戦闘力と見た。

 それだけの情報をゼバスティアは一瞬で見てとった。
 そして、デュロワがじっと自分を見つめていることに気づく。

 その視線にゼバスティアは内心で軽く驚きながら、胸に手をあてて恭しく一礼した。

「大叔父上、僕の執事のゼバスだ」
「……執事? 執事が夜会に?」

 デュロワの疑念はもっともだった。
 普通、使用人は宮廷舞踏会などに随伴しない。高位の王侯貴族の従者として許されるのは、騎士以上の貴族階級の者のみだ。

「特別に許してもらった。ゼバスは僕のなにもかもを世話してくれる、大切な執事だから」

 アルトルトの言葉に嘘はない。
 実際、彼は宮殿の衛兵にもそう言って、ゼバスティアを伴ったのだ。

 そして“大切な執事”という言葉に、ゼバスティアの心はふわふわと浮き、神々の国へ召されそうになった。
 ――いや、今は召されている場合ではない。

 目の前には、なおも自分を見据えるデュロワがいる。
 この大叔父は、アルトルトの言葉に「そうか」とうなずきながらも、どこか納得していない表情であった。

 ゼバスティアにとっても、これは軽い驚きだ。
 モノクルのおかげで、自分の容姿は平々凡々な執事ゼバスの姿となっている。
 さらには今宵の夜会では、そこに姿があっても他者が気にとめないよう、隠蔽の暗示魔法も併用していた。

 ――なのに、この男は自分を認識した。

「さあ、殿下。陛下とお話しにまいりましょう」
「はい、大叔父上!」

 アルトルトの肩に手を置いて、デュロワがうながす。
 王太子と大公の歩みに合わせて、挨拶のため列を成していた貴族たちが左右に分かれ、道を譲る。

 本来ならば王に挨拶すべきは、廷臣の序列第一位である大公だ。
 宰相である公爵とはいえ、ザビアの兄はそれを非礼にも飛ばしたことになる。

 そのジゾール公とすれ違うとき、デュロワはちらりと視線を送った。
 金ボタンのせり出した腹が目立つ中年太りの宰相は、決まり悪そうに目を泳がせる。

 それだけで宰相閣下が大公閣下を苦手としていることを、ゼバスティアは見抜いた。
 妹の威光を借りた姑息な官僚気質の男が、豪胆さと生き様が顔に出ている男に敵うはずもない。

「これは伯父上。お久しぶりにございます」

 パレンス王もまた、大公が前に立ち片手を胸にあてて礼をすると、とたんに視線を泳がせ、おどおどとした態度となった。
 どうもこの妻に言いなりの気弱な王も、叔父には弱いようだ。

「なかなか顔見せできぬ非礼、お許しを陛下。普段ははるか北の領地にいて、なかなか王都に出てこられませぬでな。今回はアルトルト殿下が初めて夜会にお目見えすると聞きまして……これは田舎にひっこんでいる場合ではないと、飛んでまいった次第です」

「お久しゅうございます、父上。お会いできて嬉しゅうございます!」

 デュロワの前に立つアルトルトが、はきはきと声を上げる。
 その元気な声は広間中に響き渡った。

「久しい……とは? アルトルト殿下は離宮にお暮らしと聞いていたが、父君たる陛下とは同じ宮殿の敷地におられるはず」

 デュロワが眉根を寄せてパレンスを見る。
 パレンスは「いや、その、これは叔父上……」としどろもどろに言いよどむが。

「父上は御政務でいつもお忙しいのです。晩餐はいつも、政のご相談のため宰相や大臣たちととっておられるとお聞きしています」

 アルトルトが、そんな父を助けるように、またはきはきと言った。

「ほう、宰相と?」

 今度は傍らにいた宰相ジゾール公爵が、デュロワの鋭い眼光でギロリと横目に見られ、冷や汗をかく。
 取り出したハンカチで、いささか後退した額をふきながら。

「陛下におかれましては、大変ご政務熱心にございまして……」

「なるほど。それで宰相である公を引き連れて、王妃や第二王子同伴のオペラ観劇中も“政の相談”をしていたわけか?」

 “王妃”“第二王子”という言葉に、今度は王妃ザビアがギロリと大公を見る。
 そこには後ろめたさなど微塵もなく、「それがどうしたの?」という表情。

「オペラ?」とアルトルトが首をかしげる。
 デュロワがその長身を屈めて、優しく問う。

「殿下は王都の黄金の劇場で、オペラをご覧になったことは?」
「ありません。お婆様が“オペラは夜やるもので、良い子はもう寝ている時間だから、まだ早い”と」

 ――亡き王太后の言葉がもっともである。
 たしかにオペラの終幕時間など、良い子はベッドに入っていなければいけない時間だ。

 だが、それを聞いても王妃ザビアは涼しい顔。
 というより「こんな会話、いつまで続くの?」とばかりに、つまらなさげに扇をひらひら動かしてそっぽを向いている。

「たしかに良い子は夜更かしせず寝るのが仕事ですな。ならば――昼間に劇団員を招き、オペレッタを私と観るなど、いかがです?」

「大叔父上と!? それは楽しみだ!」

 アルトルトはニコニコと上機嫌だが、大公が身を起こして視線を向けると、パレンス王と宰相は真っ青だ。

 毎夜の“政務の晩餐”が真っ赤な嘘。
 オペラ座で観劇をしていたのが丸わかりだからだ。しかもアルトルト抜きで、第二王子カイラルまで伴って。

「たしかに私が昨日王都に着いたときにも、数日前のオペラ座での“お出まし”は大評判でしたな。なにしろ――王妃が舞台上の歌姫より輝いておられたと。まるであの黄金のシャンデリアを逆さにしたような、まばゆいお姿だったとか」

 この言葉に、厚化粧で塗り固めた王妃の顔がぴきりと凍りつく。
 その白粉にヒビが入る幻影を、ゼバスティアは見て心の中でぷっと吹き出した。もちろん顔は執事らしく涼しいままだが。

 ――大シャンデリアを逆さにした姿、とは。よく言ったものだ。
 本日の王妃もまた、膨らんだスカートにギラギラとした宝石を散りばめ、まるで小山の上に乗ったよう。
 揺れる燭台の光よりもまばゆいことは確かだ。

「まあまあ、大公閣下も。そのような馬鹿げた噂をお耳にするためだけに、凍えるような北の辺境より、わざわざ王都にいらしたのですか?」

 ザビアの声には、“あんなクソ田舎から”という嫌味が滲んでいた。
 そしてさらに、唇の端を吊り上げて――。

「それに、滅多にこの宮殿にお顔をお見せにならない理由もわかりますわ。
 魔王に敗れ、片腕を失って敗走した、先代勇者様」