ゼバスティアがアルトルトの執事として王宮に潜り込み、毎日楽しくお世話したり、お世話したり――その足下に跪いて絹の靴下をはかせ、靴を履かせることに幸福を感じたりしていた。

 い、いや! 我は勇者を監視しているのだ!

 ……ともあれ、そんな生活も半年ほど。

 離宮に珍しく使者がやってきた。
 三日後の舞踏会に出席せよという“命令”だ。王の使いである以上、王太子といえど拒否権はない。

 祖母である王太后が生きていたなら、「三歳の子供を夜会に出すなどまだ早い」と断固拒否しただろう。

「アルトルト様、夜会に出られたことは?」
「ない。昼間の式典なら、お婆様と一緒に出たことがある」

 アルトルトははっきりと答えた。
 お婆様と一緒に――つまり、王太后が常に彼の傍にいたのだ。

 あの継母王妃ザビアや、その取り巻きの悪意からアルトルトを守るために。
 実の父パレンスが頼りにならないのは、この王宮に半年もいれば痛いほどわかる。

 なにしろ、彼は王妃ザビアの言いなりだ。
 妻が不機嫌そうに扇を“ぱちり”と鳴らすだけで、びくびくと顔色をうかがうのだから。

 「王妃の影の侍従長」――そんな不名誉なあだ名が王宮内どころか世間でもささやかれているほどである。

 ともかく、王の命とあれば舞踏会の準備をしなければならない。

 衣装部屋に行き、ゼバスティアは「ふむ」と顎に手をあてた。
 白い手袋の指でくいと片眼鏡《モノクル》の位置を直し、見渡す。

 部屋にはゼバスティアがあつらえたアルトルトの衣装がずらりと並んでいた。
 シャツ、ジレ、ズボン《キュロット》、胸元を飾るリボンにブローチ。

 毎日その足下にひざまずいて履かせる、絹の靴下に靴。
 いずれも魔界の職人に作らせた逸品ばかりだ。

 だが、いかに高品質でも“普段着”のままというわけにはいかない。
 夜会となれば、盛装でなければならぬ。

 一応、“おうかがい”を立ててみることにする。

「コレット、あとは任せます」
「はい」

 魔法人形のメイド・コレットにアルトルトの世話と警護を任せ、ゼバスティアは離宮から王妃のいる本宮殿へと向かった。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



「夜会とはいえ“身内だけの気楽な”もの。王太子殿下におかれては“そのまま”お越しくださいとのことです」

 王妃付きの従僕が、鼻につくほど偉そうにそう告げた。
 ただ服装を訊いただけで散々待たされた末に、この回答である。

 ゼバスティアは「わかりました」とだけ返し、王宮の使用人用通路から裏庭へ抜けた。
 離宮への裏道を歩きながら、胸元から懐中時計を取り出す。

 ぱちりと銀の蓋を開けると――そこは魔鏡になっており、映し出されたのは、ゴテゴテと飾り立てられた金ぴかの閨房《プドワール》。

 「おほほほほ!」と高笑いする女の姿があった。

 その“普段着”とやらは、肘が置けるほど膨らんだパニエ付きのドレス。
 レースに宝石、リボンをこれでもかと飾りつけ、高々と結い上げた髪には真珠がびっしり。

 そして頬紅真っ赤、おしろい厚化粧。

 ――これがこの国の王妃とは、情けない。

 見るたびにそう思う。
 意地悪な継母、王妃ザビアである。

「“普段着”でいいと伝えたのね? この国の王太子であり勇者が、大勢の臣下の前に着たきりの姿で出てくるなんて」

 楽しげに、香木の扇で口許を隠しながら、真っ赤な唇をゆがめる。

「そんなみすぼらしい長兄がいたならば、我がカイラルの愛らしくも聡明な姿が、余計に引き立つことでしょう」

 ぱちりと扇を閉じ、彼女がそれで指したのは――椅子に座り、足をぶらぶらさせる子供。

 父パレンスにそっくりの茶色の髪に茶色の瞳。

 アルトルトの金髪と青空の瞳は、“聖女”と讃えられた母ヴェリデ譲りだ。

 自分に似ている第二王子のほうを、父王パレンスはより気に入っている――というのが宮中の噂。
 だが、気に入るもなにも、ザビアの顔色ばかりうかがっているあの侍従王に、意思などあるものか。

 さらに、王は「自分に似ていない兄よりも弟を王位につかせたい」と望んでいる――そんな噂話まである。

 誰が流したか、まるわかりだ。

 “聖女”と呼ばれ民に愛された王妃を母に持ち、神々に選ばれた勇者たる“王太子”アルトルトを退け、弟を王位につけたいなどと望むのは、王妃ザビアとその取り巻きくらいのものだろう。

「さあ、三日後の夜会に向けて、このわたくしの身を飾るドレスに宝石にリボンに――それにカイラルだって、立派に飾らないといけないわ。なにしろ、みすぼらしい兄に対して輝かしい弟ですもの」

 やれやれ。

 計画した夜会の主役は“輝かしい弟”だというのに、まず自分のドレスと宝石選びとは。

 懐中時計の蓋をぱちりと閉じ、ゼバスティアは口の端をつり上げた。

 ――そちらがそういうお考えならば。

 十分な“返礼”をしてさしあげなければならない。