すみがボディーガードになってから、俺の生活はすごく安全になった。
ファンに囲まれていると助けてくれたり、写真をねだられたりすると代わりに断ってくれるし、登校中も危ないからとわざわざ迎えにきてくれる。
そして今日はすみの部活があり、終わるまで空手部が練習をしている武道場で待つことになったんだけど……。
「え、待って、聞いてない」
目の前には、畳の上で練習相手と戦っているすみの姿があった。まっすぐに伸びた拳先が、まるで光の矢のように飛ぶ。腰のひねりと連動したその一撃に、相手の体が後ろに仰け反った。すみが間髪入れずに回し蹴りを決めると、相手はたまらず畳に倒れた。
「ぐっ……やっぱり城築つえー!」
「ごめん、当たった?」
「大丈夫、大丈夫!」
「手合わせありがとう」
「こっちこそ城築とやれて自慢だわ」
倒れた相手にすみはすっと手を差し伸べ、起き上がらせていた。
え、すみってめちゃくちゃ強い感じ?
白い道着に腕を通したすみは、まるで別人みたいなオーラを放っている。声は出さず、ただその姿を見つめる。気づけば俺は、すみから目を離せなくなっていた。
「すみません、お待たせしちゃって」
誰もいなくなった武道場。斜めに差し込む夕陽が畳をオレンジ色に染め、さっきまでの熱気だけが静かに残っている。
「黒帯なんて聞いてないぞ」
自分の水筒に口をつけるすみに、ぼそりと呟いた。空手には詳しくないけど、すみの腰に結ばれている帯の色が強さの証だということは知っている。
「え、はい、聞かれてないので」
「お、俺はっ。……俺はな、お前が顧問の先生に見放されてるくらい弱いって思ってたんだ」
「ああ、もしかして部活に来なくていいって言われてることですか? 新入生の中で俺だけが空手経験者なんです。他の人たちとは練習内容が違うので、それで今は毎日は呼ばれないんですよね」
どうやらすみは小学生の頃から極真空手を習っていて、今でも空手道場に通っているそうだ。
「なんか怒ってます?」
「怒ってるんじゃなくてこれはっ」
「?」
ギャップがすごすぎて勝手に食らっているだけ。さっきまで体を動かしていたからか、すみの額にはまだ汗が滲んでいる。それがなんだか、色っぽい。
「俺にも空手教えて」
「え?」
「お前に教えてもらえれば、俺も少しは自分の身くらい守れるだろ?」
「いやです」
「なんで?」
「みう先輩は、弱いままでいいんです」
「なんでだよ、俺だってな……わっ」
ドスンっと、畳に体を打ち付けられた。
「……みう先輩は、俺が守るので一生強くならないでください」
俺のことを強く押し倒したすみが、誰よりも弱い顔をしていた。俺のことなんて簡単に組み敷くことができる大きな体。両手をがっちり掴まれているせいで、起き上がることもできない。
「やっと目が合った」
俺の上にいるすみの前髪が浮いているおかげで、ちゃんと顔を見ることができる。さっきまで殺気だって練習してたのに、今は俺が知っている優しいすみの顔だ。
「お前、すげえ綺麗な顔してるんだな」
「綺麗なのは、みう先輩でしょ」
「今まで恋人がいないなんて嘘だろ」
「本当ですよ」
「欲しくないの?」
「みう先輩だけが欲しいです」
すみは、そのまま俺のことを抱きしめた。加減を忘れたその腕は、息ができないほどずっしりとしている。
「す、すみ」
「俺、みう先輩の好みの男になりたいです。努力するので、教えてください」
耳元で囁かれた声に、背中がぞくりとした。好みの男なんていない。でも、俺のことを俺よりも好きな人がいい。
すみはきっと、おかしくなるくらい俺を大事にしてくれる。だけど、俺は貰ったぶんの愛をすみに返せるだろうか。わからない。まだ、自信がない。
「お、俺が好みなのは年上だから」
とっさに嘘をついた。
「やっぱり包容力のある大人がいいし、年は一つ、いや最低でも三つ上くらいが理想かな」
俺は、なにを言ってるんだろう。自分の口じゃないみたいにペラペラと勝手に動く。
「そう、ですか」
すみの腕から少しずつ力が抜けていき、体がゆっくり解放された。静かに俺を見下ろしているすみの顔は、とても悲しそうだった。



