迎えた放課後。約束どおり昇降口に向かうと、すみがすでに待っていた。住んでいるところを聞くと、どうやらうちと逆方向らしく、無理してまで一緒に帰らなくてもいいのに、どうしても俺を送っていきたいんだそうだ。
「すみって空手部だっけ? 今日の部活は?」
「顧問の先生に毎日は来なくていいって言われるんです」
「一年は普通、毎日強制参加じゃないの?」
「うちの空手部、人数多いんですよ」
「あーなるほどね」
 部員がたくさんいると、どうしても強い人と弱い人に振り分けられる。空手部の顧問は特に結果主義の先生だから、要するにすみは戦力外にされたんだろう。
「まあ、俺もよわよわだからあんまり落ち込むなよ」
「?」
「あ、でも、すみになら勝てる気がするな。なんか勝負する?」
「み、みう先輩と勝負なんてできません。それに俺もさすがに好きな人には負けませんよ」
「あ、UFO」
「え、ど、どこ……」
「えい」
「いたっ」
 背伸びをしてデコピンをすると、すみは両手でおでこを押さえていた。
「すみはでっかい体してるけど、隙が多いんだよ」
「それを言うならみう先輩のほうですよ」
「どの辺が?」
「昇降口から正門を出るまでに色んな人に手を振られて、全員に振り返してたでしょ。あれ、ほんとにやめてください。動画も撮られてたし」
「だからだよ。顔は天使なのに性格最悪って思われたくないじゃん?」
「愛想を振りまきすぎるのは良くないって話です」
「すみはもうちょい愛想を振りまいたほうがいいよ」
「俺はいいんですよ。顔、怖いって言われたこともあるんで」
「だから、前髪で顔を隠してるの?」
「はい。俺、小6の時にはすでに180センチあったんですけど、なにをしても圧があるって逃げられて……。じゃあ、なるべく笑顔でいようって頑張ったら今度は顔が怖いって言われたんです」
「そんなの気にしないで堂々としてろよ」
 俺は見た目のことで得しかしてない人生だけど、平気で傷つくことを言うやつはマジで地獄に落ちろって思ってる。
「ふっ、やっぱりみう先輩は素敵な人ですね」
「え?」
「高校に入ってすぐ、みう先輩に声をかけられたんです。『君、身長たかいなー。かっけー!』って言ってもらって一瞬で一目惚れしました」
「そ、そうなの? ごめん、全然覚えてない」
「でしょうね。でもいいんです。みう先輩にとって俺は大勢の中のひとりでも、俺にとってみう先輩はたったひとりの人ですから」
 すみのまっすぐな言葉に、ドキッとした。
 今まで告白めいたことはたくさんされてきた。距離感も近いから遊び人だと思われて、無理やり誘われたこともある。みんな俺のことが好きで、天使だって言ってくれるけど、すみ以上に真剣な人なんていなかった。
 なんだ、この気持ち。なんだ、この感覚……。
「みう先輩、顔が赤いですけど大丈夫ですか?」
 すみに顔を覗き込まれて、もっと体が熱くなった。
「だ、大丈夫だから気にしないで」
「そういうわけにはいきません。体調悪いですか? 俺、お姫様だっこできます」
「い、いい。本当に大丈夫だから早く帰ろう」
「みう先輩、しっ」
 すると、なにかを警戒してるみたいに、すみは俺の唇に人差し指を当てた。「多分、付けられてます」と小声で言われ、おそるおそる確認すると、数メートル先の電柱の影からこちらを見つめる男子の姿があった。
「もしかして、あいつは……」
「知り合いですか?」
「いや、前に一緒に写真を撮ってくださいって頼まれた気がする」
「一緒に撮ったんですか?」
「う、うん」
「はあ……」
 すみに呆れられてしまった。男子は特に近づいてくる気配はなく、一定の距離感を保っているけど、それが逆に不気味だ。
「遠回りして撒きましょう」
 そう言うと、すみは力強く手を引いた。体だけじゃなく手もでかくて、冷え性な俺とは反対に、すみの体温は湯タンポみたいにあったかい。
「まだ付いてきてますね」
 わざと角が多い道を選んでいるのに、男子はずっと追ってくる。すみの歩くペースがどんどん上がるたびに、背後から聞こえる足音も速くなっていた。
「しつこいな。俺が直接注意してきま……」
「すみ、こっち!」
 今度は俺がすみの手を引っ張った。狭い路地に踏み込み、家の影を縫うように、細い坂道を駆け上がる。小学生の頃、よく探検ごっこをして遊んでいたから秘密の道を見つけるのは得意だ。
「ハア、ハア……どう?」
「無事に撒けたみたいです」
「そっか、よかった」
 俺はこんなにも息切れしているのに、すみの呼吸は一切乱れていない。
「汗かいてますね。あそこで少し休憩しましょうか」
 すみが指さしたのは、小さなたい焼き屋さんだった。つぶ餡のたい焼きをふたつ買って、外の木製ベンチに並んで腰かけた。
「んま~!」
 紙袋に包まれたたい焼きを頭からかぶりつくと、あんこの甘さと皮の香ばしさが口いっぱいに広がった。
「たい焼き好きですか?」
「うん、好き」
「俺も好きです。今日はみう先輩と一緒だからもっと美味しく感じます」
 またさらりとそういうことを……。煽てられるのは慣れてるはずなのに、すみに言われると胸の奥がくすぐったくなる。
「すみはさ、今まで誰かと付き合ったことある?」
「ないですよ。人を好きになったのもみう先輩が初めてです」
「そっか。俺は誰かを好きになったこともないんだよな。たい焼きはめちゃくちゃ好きだけど、恋愛の好きはそれとは別物だろ。人を好きになるって、どんな感じなんだろう」
「俺が教えますよ」
「え?」
 すみはおもむろに俺の手を取って、自分の胸に当てた。口の中にあった最後のたい焼きを無意識にゴクリと飲み込む。
「これが、好きってことです」
 手のひらから伝わってくるすみの鼓動。胸の奥で響いている心臓の音は、かなり不規則だ。
「……すごい速い」
「そうですよ。みう先輩が隣にいるだけでこうなります。先輩にもこうなってほしいです」
 すみがさらに、手を胸に押し当てる。………ドクンドクン。これ、どっちの音なんだろう。俺の心臓もきっと今は熱くて速い。
「……あ、すみません。嫌がることは絶対にしないって言ったのに」
 俺が固まっていたせいで、すみが手を離した。……俺、嫌だった? ううん、嫌じゃなかった。むしろ、すみに触れている手が、心地よかった。
「俺、すみの顔が見たい」
 隣にいるのに、目が合わないことがもどかしい。
「顔は本当にダメです」
「じゃあ、笑ってみて」
「笑顔も怖いのでそれもダメです」
「んー、じゃあ、すみはどこが弱い?」
「なにがです?」
「やっぱり脇腹かな」
 そう言って手を伸ばすと、すみは目を見開いてぷるぷる身をすくめた。
「や、やめてください、くすぐったいっ」
「お前の笑顔は怖くない。だから笑え!」
「じゃあ、逆にみう先輩はどこが弱いですか?」
「ふっ、残念だけど、俺に脇腹はきかないぞ」
「ここは?」
「ひゃいっ!」
 俺はベンチの上で伸び上がり、か細い声と一緒に体をよじった。
「なるほど、首の後ろですね」
「い、いきなりやるなんて反則だろ!」
「後ろ攻めが弱いこと、俺以外にバレちゃダメですよ」
「~~っ」
 一応俺は先輩なのに、すみのほうが一枚も二枚も上手だ。