うわ、デカ。
ドアを開けた時、まず最初に思ったことはそれだった。
「……五瓶です。しばらくご厄介になります、よろしくお願いします」
名前は今まで知らなかったけど、こいつのことはずいぶん前から知っていた。半年前の春に入学してきた新入生たちの中でもひときわ目立っていたからだ。とにかく背が高くて身体がデカく、立ってるだけで周りを威圧するこの雰囲気。
「あ、えっと……二年の小高です。よろしくね」
しかし、上級生としては怖気づいていられないのだ。空を仰ぐようにそいつの顔を見上げながら、できるだけフレンドリーに笑いかけてみせる。
「はあ」
「そんなかしこまんなくていいよ。災難だったな、荷物はそれで全部?」
「はい」
おれの気遣いは伝わっているのかいないのか、そいつは無表情で答えながらこくりと頷いた。
この高校は全寮制の男子校で、寮は全部で三棟ある。そのうちのひとつである第三寮で、二日前にかなり派手な漏水事故があった。詳しいことは聞いていないが、どうやら老朽化した水道管がかなりの広範囲で破損したらしく、特に被害の大きかった場所付近の部屋では備え付けの家具や布団がもう使い物にならない状態にまでずぶ濡れになってしまったようだ。
業者による修理工事にかかる期間は二週間から三週間、その間、三寮にいた生徒たちはそれぞれ他の寮の空き部屋での仮住まいを余儀なくされることになった。しかし、そもそも全ての寮に空いている部屋などほとんどなく、三寮から追いやられた生徒たちの大半は第一寮・第二寮にいる奴らの部屋に相部屋という形で居候することになり、誰と誰が同室になるのかは教師たちによって無作為に割り振られた。
無作為とは言っても、昨日のうちに全校生徒へ通達された部屋割りの一覧を見るにどうやら名字の五十音順で割り振られただけのようだ。できるだけ三寮の生徒が上級生と相部屋になるよう配慮したらしき形跡は見られるけど、あまりに急なことだから学校側も焦って決めてしまったのだろうと思われる。
『うわ、小高の同室相手ってあいつだろ? あのデカい一年』
『ついてねえなあ、ご愁傷様〜』
部屋割りを見たクラスメイト達がからかいつつもおれに同情的な言葉をかけてきた理由は、今まさにおれの目の前にいるこいつにあった。
ぬぼーっと立ってるだけで周りから距離をとられる、このバカデカい図体。いつも無表情で近寄りがたく、伸び放題の黒い髪に隠れて外からは目がよく見えないせいか、どこを見ているのか全く分からない。
どう見ても社交的な性格ではないから友達はいないらしく、かと言っていじめられているというわけでもなく(そもそもこいつをいじめるような度胸のある奴はいないだろう)、いつも一人でぼんやりとどこか遠くを眺めているところをよく見かける。
名前は知らなくてもその異様な佇まいは一度見たら忘れられない、そういう奴はおれだけではないと思う。とにかくデカくて目立つ一年としてこいつは学校内で有名だった。
そんな奴と今日から三週間、相部屋で共同生活を送ることになろうとは。
しかし、こいつにこんな近くでお目にかかるのはこれが初めてのことだ。改めて見てもやっぱりとんでもなくデカい。おれがどんなに背伸びしても指先ですら届かないドアの上枠を、こいつの頭はあっさりと超えてしまっている。頭を少し下げて暖簾をくぐるように部屋に入ると、五瓶は静かにドアを閉めた。
「あ、布団はこれ使ってね。荷物はそのへんに置いていいよ」
デカいからと気後れしている場合ではない。一応おれの方が先輩なのだから、こういう時は率先して部屋の中を案内しなくては。
この学校の寮は全室一人部屋で、部屋の広さも一人で使用することを前提に作られているため二人で生活するには少し狭い。しかも五瓶はこのデカさだから、もしこいつの同室相手が標準的な身長の男子高校生だったらかなり窮屈な生活を強いられることになっていたはずだ。
その点、おれが同室相手として組まれたのは五瓶にとって不幸中の幸いだったのではないだろうか。標準より低い身長のせいでいつも友達から小動物みたいな扱いを受けていじられているようなおれでなきゃ、こいつの同室相手は務まらないだろう。おれとしては非常に不本意ではあるけど。
「悪いんだけど、寝る時は床に布団敷いてそこで寝てくれるかな。三寮の奴らはみんなそうしてると思うんだけど、ベッドひとつしかないから」
「はあ……」
またしても気の抜けた返事で返されてしまう。事情が事情だから仕方ないとは言え、おれだって自分だけがベッドを使って五瓶には床で就寝させることに多少の申し訳ない気持ちはあるのに、どうも五瓶には伝わっていないようだ。
でも、五瓶がおれの提案に気分を害しているような印象は受けなかった。前髪にほとんど隠れて表情がよく見えないのに、何故か不思議とそれだけは分かる。もしかしてこいつ、ただ単に思ってることが顔に出にくい性質なだけで、無口で無表情なのも機嫌が悪いとか怒ってるってわけじゃないのかな。
「多分、全体の間取りはどの寮も同じような感じだから大丈夫だと思うんだけど、もし何か分からないこととかあったら聞いてな。あ、食堂とか風呂の場所は分かる?」
「はい、それは知ってます。ありがとうございます」
五瓶はぺこりと頭を下げた。無愛想だけど、さっきからおれの質問に対して受け答えはちゃんとしてくれてるんだよな。
今日こいつが来るまではどうなることかと不安だったけど、なんか思ってたよりもずっと礼儀正しくていい奴なのかもしれない。
*
三寮の生徒たちがここでの仮住まいを始めた日の夜は、食堂も共同浴場もいつもの倍以上の混雑ぶりを見せていた。一応、事前に寮の管理人から食事と入浴の時間は混み合う時間を避けるようにと注意喚起がなされてはいたものの、強制ではなくあくまで生徒たちの配慮に委ねるという何とも頼りない勧告に留まっていたため、現場はほぼ無法地帯みたいな状況になっている。
「あーもう、最悪。三寮の奴らが来たせいで全然ゆっくりできなかった」
「明日から学年で利用時間分けられるらしいよ、さっき先輩が話し込んでんの聞いちゃった」
「うわっ、絶対反対なんだけど! 風呂くらい好きな時間に入りてえ~」
「三週間もこんな生活とか、刑務所みたいじゃん。なんで三寮の奴らのせいでオレらがこんな思いしなきゃいけないんだよ」
いつもより早く入浴を切り上げて部屋に戻る途中、共同浴場で居合わせた同じクラスの友達が散々不満を漏らしていた。食堂や浴場でも同じようなことをぼやく声があちらこちらから聞こえていた。
なんかこれって、あまり良くない傾向かもしれない。この状態が続くと、三寮の生徒と他の寮の生徒たちとの間で軋轢が生じてしまうんじゃないか。
「ま、まあでも、仕方ないじゃん? 三寮の奴らだって好きでこっち来てるわけじゃないんだしさ」
この雰囲気を少しでも変えたくて、自分でもかなり無理があるとは思ったけどそんなふうに言ってみた。
「いやいや小高、この件に関してはお前がいちばん怒っていいはずだろ」
「そーだよ。ただでさえ狭いのにあのクソデカ一年と三週間も相部屋とか、オレだったら真っ先に抗議するわ」
「それにあの一年、なんか怖いんだよなあ。何考えてんのか分かんないしさ。いきなりキレて暴れたりしたら、小高じゃ絶対敵わないだろ」
しかし、どうやら逆効果だったらしい。二年の中で最もチビなおれが学校内で最もデカい五瓶と同室になったのを、友達はまだ本気で心配しているようだ。その気持ちはありがたいけど、おれはそこまで五瓶との相部屋に不満があるわけじゃないんだけどな。
「確かに部屋は狭くなるけど……別に、悪い奴ではないみたいだし」
あいつ、周りから誤解されてるんだろうな。
デカいし怖いし無口で無表情だけど、話すと実は意外と礼儀正しくてしっかりした奴なのに。みんなが知らないだけなんだ。
「……同情するわ、小高」
「三週間、何事もなくいられるといいな。生き延びろよ」
友達はみんなおれを憐れむような目で見て、それぞれの部屋に戻っていった。
ドアを開けた時、まず最初に思ったことはそれだった。
「……五瓶です。しばらくご厄介になります、よろしくお願いします」
名前は今まで知らなかったけど、こいつのことはずいぶん前から知っていた。半年前の春に入学してきた新入生たちの中でもひときわ目立っていたからだ。とにかく背が高くて身体がデカく、立ってるだけで周りを威圧するこの雰囲気。
「あ、えっと……二年の小高です。よろしくね」
しかし、上級生としては怖気づいていられないのだ。空を仰ぐようにそいつの顔を見上げながら、できるだけフレンドリーに笑いかけてみせる。
「はあ」
「そんなかしこまんなくていいよ。災難だったな、荷物はそれで全部?」
「はい」
おれの気遣いは伝わっているのかいないのか、そいつは無表情で答えながらこくりと頷いた。
この高校は全寮制の男子校で、寮は全部で三棟ある。そのうちのひとつである第三寮で、二日前にかなり派手な漏水事故があった。詳しいことは聞いていないが、どうやら老朽化した水道管がかなりの広範囲で破損したらしく、特に被害の大きかった場所付近の部屋では備え付けの家具や布団がもう使い物にならない状態にまでずぶ濡れになってしまったようだ。
業者による修理工事にかかる期間は二週間から三週間、その間、三寮にいた生徒たちはそれぞれ他の寮の空き部屋での仮住まいを余儀なくされることになった。しかし、そもそも全ての寮に空いている部屋などほとんどなく、三寮から追いやられた生徒たちの大半は第一寮・第二寮にいる奴らの部屋に相部屋という形で居候することになり、誰と誰が同室になるのかは教師たちによって無作為に割り振られた。
無作為とは言っても、昨日のうちに全校生徒へ通達された部屋割りの一覧を見るにどうやら名字の五十音順で割り振られただけのようだ。できるだけ三寮の生徒が上級生と相部屋になるよう配慮したらしき形跡は見られるけど、あまりに急なことだから学校側も焦って決めてしまったのだろうと思われる。
『うわ、小高の同室相手ってあいつだろ? あのデカい一年』
『ついてねえなあ、ご愁傷様〜』
部屋割りを見たクラスメイト達がからかいつつもおれに同情的な言葉をかけてきた理由は、今まさにおれの目の前にいるこいつにあった。
ぬぼーっと立ってるだけで周りから距離をとられる、このバカデカい図体。いつも無表情で近寄りがたく、伸び放題の黒い髪に隠れて外からは目がよく見えないせいか、どこを見ているのか全く分からない。
どう見ても社交的な性格ではないから友達はいないらしく、かと言っていじめられているというわけでもなく(そもそもこいつをいじめるような度胸のある奴はいないだろう)、いつも一人でぼんやりとどこか遠くを眺めているところをよく見かける。
名前は知らなくてもその異様な佇まいは一度見たら忘れられない、そういう奴はおれだけではないと思う。とにかくデカくて目立つ一年としてこいつは学校内で有名だった。
そんな奴と今日から三週間、相部屋で共同生活を送ることになろうとは。
しかし、こいつにこんな近くでお目にかかるのはこれが初めてのことだ。改めて見てもやっぱりとんでもなくデカい。おれがどんなに背伸びしても指先ですら届かないドアの上枠を、こいつの頭はあっさりと超えてしまっている。頭を少し下げて暖簾をくぐるように部屋に入ると、五瓶は静かにドアを閉めた。
「あ、布団はこれ使ってね。荷物はそのへんに置いていいよ」
デカいからと気後れしている場合ではない。一応おれの方が先輩なのだから、こういう時は率先して部屋の中を案内しなくては。
この学校の寮は全室一人部屋で、部屋の広さも一人で使用することを前提に作られているため二人で生活するには少し狭い。しかも五瓶はこのデカさだから、もしこいつの同室相手が標準的な身長の男子高校生だったらかなり窮屈な生活を強いられることになっていたはずだ。
その点、おれが同室相手として組まれたのは五瓶にとって不幸中の幸いだったのではないだろうか。標準より低い身長のせいでいつも友達から小動物みたいな扱いを受けていじられているようなおれでなきゃ、こいつの同室相手は務まらないだろう。おれとしては非常に不本意ではあるけど。
「悪いんだけど、寝る時は床に布団敷いてそこで寝てくれるかな。三寮の奴らはみんなそうしてると思うんだけど、ベッドひとつしかないから」
「はあ……」
またしても気の抜けた返事で返されてしまう。事情が事情だから仕方ないとは言え、おれだって自分だけがベッドを使って五瓶には床で就寝させることに多少の申し訳ない気持ちはあるのに、どうも五瓶には伝わっていないようだ。
でも、五瓶がおれの提案に気分を害しているような印象は受けなかった。前髪にほとんど隠れて表情がよく見えないのに、何故か不思議とそれだけは分かる。もしかしてこいつ、ただ単に思ってることが顔に出にくい性質なだけで、無口で無表情なのも機嫌が悪いとか怒ってるってわけじゃないのかな。
「多分、全体の間取りはどの寮も同じような感じだから大丈夫だと思うんだけど、もし何か分からないこととかあったら聞いてな。あ、食堂とか風呂の場所は分かる?」
「はい、それは知ってます。ありがとうございます」
五瓶はぺこりと頭を下げた。無愛想だけど、さっきからおれの質問に対して受け答えはちゃんとしてくれてるんだよな。
今日こいつが来るまではどうなることかと不安だったけど、なんか思ってたよりもずっと礼儀正しくていい奴なのかもしれない。
*
三寮の生徒たちがここでの仮住まいを始めた日の夜は、食堂も共同浴場もいつもの倍以上の混雑ぶりを見せていた。一応、事前に寮の管理人から食事と入浴の時間は混み合う時間を避けるようにと注意喚起がなされてはいたものの、強制ではなくあくまで生徒たちの配慮に委ねるという何とも頼りない勧告に留まっていたため、現場はほぼ無法地帯みたいな状況になっている。
「あーもう、最悪。三寮の奴らが来たせいで全然ゆっくりできなかった」
「明日から学年で利用時間分けられるらしいよ、さっき先輩が話し込んでんの聞いちゃった」
「うわっ、絶対反対なんだけど! 風呂くらい好きな時間に入りてえ~」
「三週間もこんな生活とか、刑務所みたいじゃん。なんで三寮の奴らのせいでオレらがこんな思いしなきゃいけないんだよ」
いつもより早く入浴を切り上げて部屋に戻る途中、共同浴場で居合わせた同じクラスの友達が散々不満を漏らしていた。食堂や浴場でも同じようなことをぼやく声があちらこちらから聞こえていた。
なんかこれって、あまり良くない傾向かもしれない。この状態が続くと、三寮の生徒と他の寮の生徒たちとの間で軋轢が生じてしまうんじゃないか。
「ま、まあでも、仕方ないじゃん? 三寮の奴らだって好きでこっち来てるわけじゃないんだしさ」
この雰囲気を少しでも変えたくて、自分でもかなり無理があるとは思ったけどそんなふうに言ってみた。
「いやいや小高、この件に関してはお前がいちばん怒っていいはずだろ」
「そーだよ。ただでさえ狭いのにあのクソデカ一年と三週間も相部屋とか、オレだったら真っ先に抗議するわ」
「それにあの一年、なんか怖いんだよなあ。何考えてんのか分かんないしさ。いきなりキレて暴れたりしたら、小高じゃ絶対敵わないだろ」
しかし、どうやら逆効果だったらしい。二年の中で最もチビなおれが学校内で最もデカい五瓶と同室になったのを、友達はまだ本気で心配しているようだ。その気持ちはありがたいけど、おれはそこまで五瓶との相部屋に不満があるわけじゃないんだけどな。
「確かに部屋は狭くなるけど……別に、悪い奴ではないみたいだし」
あいつ、周りから誤解されてるんだろうな。
デカいし怖いし無口で無表情だけど、話すと実は意外と礼儀正しくてしっかりした奴なのに。みんなが知らないだけなんだ。
「……同情するわ、小高」
「三週間、何事もなくいられるといいな。生き延びろよ」
友達はみんなおれを憐れむような目で見て、それぞれの部屋に戻っていった。


