一つだけの花束

 一人で家に帰る途中、花屋に寄った。
あのとき、見たラベンダーがずいぶん綺麗だったから、家に飾ろうと思ったのだ。
「あの。ラベンダーあります?」
大きい店の中から探すのは大変だ。近くにいた店員に聞いてみた。
「ここですよ。ラベンダーって綺麗ですよねぇ。お家に飾るんですか?」
親切に教えてくれたが、私はこの人の話し方に嫌気がさした。
愛想笑い。明らかに笑い方がおかしかった。誰かに操られたような笑い方。
「…あ、はい。ありがとうございます」
私がそう言った次の瞬間、その人は私の首を掴もうとしてきた。
殺される。私の人間としての本能が言った気がした。
でも、私はやはり強かった。
「何ですか。」
ギリギリでその店員の手をつかんだ。そして、振り払った。その人は呆然とした目で私を見つめている。
「あの…違います。後ろのペットボトルを取ろうとしただけで」
その人の目線の先には、コンビニブランドの紅茶のペットボトルがあった。
私のことを殺そうとした訳ではないらしい。私の勘違いだったのか。
「…すみません」
気まずくて、その場を離れた。せっかく、花屋に入ったのに、ラベンダーを買い忘れてしまった。
今日は不運だ。買い物も面倒くさいから、家にあったカップラーメンでいいや。
何もかもが面倒くさく感じてしまい、そのまま電車で家に帰ることにした。
日曜日の電車は混んでいる。ドアが閉まるギリギリで電車に入った。満員電車だった。
臭いおじさん、やけに香水の匂いが強い女性、うるさい女子高生。
最悪なパターンだが、この電車を過ぎると20分後になってしまう。しょうがないので乗った。
そして、電車が加速しだした次の瞬間だった。
「キキーッ‼」
電車のブレーキ音がして、耳をふさいだ。衝撃がついてきて、体が少しだけ浮いた。
「バンッ‼」
鈍い音が聞こえる。何かが電車にぶつかったような音。しかも、近い。
「きゃ~」
甲高い悲鳴が耳元から響く。何があったか分からず、ただじっとしていると、車掌からアナウンスがあった。
車掌は咳ばらいをして、言う。
「…え~、先ほどの衝突音ですが、只今、人身事故に遭遇しました。レール上に避難するのは危険ですので、しばらくお待ちください。」
言いづらそうな口調で、車掌が言う。自殺だろうか。
だんだんと脳が蘇ってきた。そして、私にとって、都合の悪いことに気づいた。
この電車は、死体の処理が終わるまで動けない。
ふと、横の窓を見つめた。耳元で悲鳴があった理由が分かった。窓に、血がこびりついている。
この下に、人間の遺体がある、ということなのか。じゃあ、私はいつになったら家に帰れるのか。
ぼんやりと考えて居たら、また倒れそうになった。でも、今度は浮いた、というより…
だんだんと床に近づいてゆくような感覚だ。視線がこちらに向くのを感じた。
二回目の悲鳴が聞こえて、私は目をつぶった。暗くて、何も見えなかった。