一軍男子と兄弟になりました



「理玖」


柊斗は俺の名前を呼んで、俺の頬に触れた。


「な、なに?」


困惑して尋ねると、柊斗はふわっと笑う。


「俺さ、理玖のことが────」


柊斗の顔がどんどん近づいてきて、心臓がバクバクと波打つ。
そんな俺を、聞き馴染みのある声が呼ぶ。


「……く、りく、理玖、起きて」


うるさいなぁ、今いいとこなのに。と眉を顰めていると、体を揺さぶられる。


「理玖、学校遅刻する」


がっこう……ちこく……
その2つの単語によって、現実に引き戻された。

ガバッと飛び起きる。
夢か……と、すこし残念に思いながら、近くに人の気配を感じた。
横を向くと、夢に出てきた人物がそこにはいた。


「うわっ!?柊斗!?」
「おはよ」


夢の中ドキドキが今も継続しているのを感じながら、「お、おはよ」と返す。
そんな俺をみて微かに笑い、柊斗が手を伸ばしてくる。
夢のことを思い出して、思わずぎゅっと目を瞑る。


「ふふ、寝癖ついてる」


そう言って柊斗は俺の頭を撫でた。
体の強張りを感じながら、なんとなく目を逸らす。
たまたま時計が目に入ったので、時刻を確認する。


「……は?8時18分?」


まだ寝ぼけているのかと思って目を擦るが、事実は変わらない。
じわじわと絶望感が俺の中で広がっていく。


「やばいじゃん!柊斗、こんなことしてる場合じゃない!」
「俺言ったよ?遅刻するって」


うわ〜!と頭を抱える。
SHRが始まるのはあと17分後。俺の家から学校までは、約10分。今すぐにでも家を出ないといけない時間だ。
柊斗を見ると、制服に着替えていて準備万全のようだ。


「柊斗は先に学校行ってて!今から頑張って準備する!」
「手伝わなくていい?」
「大丈夫!柊斗も早く行かないと遅刻するよ!」


危機感のない柊斗の背中を押して俺の部屋から出し、階段を駆け降りて準備に取り掛かる。


「あ、今日傘持っていきなよ。あと体育あるから体操服忘れないでね」


バタバタとしながら顔を洗う俺の後ろで、柊斗が言ってくれる。


「わかった!ありがと」


顔を拭きながら答えて、髪を軽くとかす。クセのない毛質なので助かった。
歯を磨きながら柊斗が家を出るのを見送り、磨き終わると急いで自室に戻る。
制服に着替えてカバンに筆箱やノートを詰め込む。
そういえば今日体育ある、って柊斗が言ってたな、と思い出し体操服もカバンに入れる。


「よし!終わり!」


1人でそう宣言して、部屋を出て階段を駆け降りる。


「行ってきます!」
「行ってらっしゃい〜」


母親の見送りの声を背中で聞きながら玄関を出る。
スマホで時計を確認すると8時28分。SHRまであと7分だ。走ればギリギリ間に合う時間なので、俺はスマホをカバンに戻して走り出す。
部活も入ってない帰宅部の俺には、少し酷だが仕方ない。

そう息を切らしながら走っていると、頭に冷たいものがかかる感覚がする。
まさか、と思い空を見上げると、ポツポツと雨が降り始めた。
柊斗に傘を持っていけ、って言われてたの忘れてた……と落ち込むのも束の間、家に取りに帰ってしまうと確実に間に合わないので諦める。

雨は徐々に強くなっていき、土砂降りと言っても差し支えないほどになっていた。



ーーーー



学校に着いた頃には、全身びしょ濡れで、まるでプールに飛び込んだかのようだった。
チャイムが鳴る少し前に教室に駆け込むと、どうしたどうした、と塚田、椎谷、高野、そして柊斗が寄ってきた。


「どしたん日永。びしょ濡れじゃん!」
「傘忘れた……家出た時は降ってなかったから……」
「まじか!さっき雨めちゃくちゃ降ってたぞ!?」


せっかく柊斗が言ってくれたのに申し訳ない、と柊斗に目を移すと、スタスタと自分の席に戻っていった。
怒らせてしまったかもしれない。
そうビクビクしていると、柊斗が戻ってきた。


「SHRが終わったら着替えなよ」


そう言いながら、俺の頭にふわりとタオルをかけてくれた。
そのままわしゃわしゃと頭を拭かれる。


「あ、ありがと」


胸が高鳴り、まともに目を見れないまま言うと、「全然いいよ」と返してくれた。


「おっ、やさし〜ねぇ風間ク〜ン」
「黙れ高野」


相変わらず柊斗は高野に当たりが強い。
そんな2人を見ているとチャイムが鳴る。


「おーし、みんな席につけー」


担任が入ってきたので、みんな自分の席に戻る。
挨拶をして、みんなが座ると担任が話し出す。
担任の話長いんだよなぁ、と心の中で呟く。


「はっ、くしゅ」


くしゃみをしてしまい、何人かの視線が俺に向く。
申し訳なくなりながら身震いをする。
雨で体が冷えてきた。
寒さと格闘しながら、SHRが終わるまで耐える。
いつもはすぐに感じられるSHRが長く感じた。



ーーーー



SHRが終わり、更衣室に向かう。
今日体育があって助かった。体操服がなかったら、雨で濡れた服のまま一日を過ごさないといけないところだった。
そう安堵したのも束の間、俺はある事実に気づく。


「長袖忘れた……」


急いで準備したから長袖を入れるのを忘れていた。
体が冷えているのに、半袖はどうかと思うが、濡れている服よりはましだと結論付け、半袖の体操服に着替る。

教室に戻ると、柊斗がギョッとした目でこちらを見て駆け寄ってきた。


「り……日永、長袖は?」
「忘れた……今日ほんとになにもかもダメかも」


自嘲するように笑うと、柊斗は「ちょっと待ってて」と自席に戻った後、長袖のジャージを持ってきた。


「俺の着ていいよ」
「えっ!?いや、悪いよ。大丈夫」
「日永が寒そうにしてるのいやだから、着て欲しい」


柊斗は俺の言葉も聞かず、俺に自分のジャージを着させる。柊斗がジッ、とチャックを上まであげた。同じ柔軟剤を使っているはずなのに、柊斗の匂いがする。


「ちゃんと着てて。いい?」
「う、うん。わかった。ありがと」


大人しく頷くと、ポンと頭を撫でられた。
それだけで顔が熱くなる俺は単純なのだろう。
そんな俺の顔を高野がのぞき込んだ。


「日永、顔赤いよ?」
「うるさい高野」
「あれ、日永も俺に当たり強い感じ?」


俺は火照る顔を手で仰ぐ。
体は冷たいのに顔が熱いままだった。



ーーーー



「三好、戸山ー」
「おーす、日永ー。って、えっ!?なにその格好」


いつものように昼休みに別のクラスの三好と戸山のところへ行くと、2人は驚いた表情で俺を見た。
事情を説明すると、「そりゃ災難だったなぁ」と同情された。


「で、風間のジャージを着てる理由は?」
「あー……長袖忘れた、って言ったら貸してくれた」
「えっ、あの風間が!?」


戸山の質問に答えると三好が声をあげる。
そんなに驚くほどのことだろうか。


「そんなに驚くことでもないだろ。し……風間優しいし」
「そうなん?なんかもっとクールな感じかと思ってた」


確かに、ほとんど接点のない2人からしてみれば、そうかもしれない。


「日永も一軍の仲間入りだなぁ」
「そんなんじゃないって」


そう言いながら弁当箱を開ける。
でも、なぜか食欲が湧かなかったので蓋を閉じた。


「食わんの?」
「なんか食欲ない」


戸山に答えながら柊斗から借りたジャージに顔を埋める。
長袖を借りたはずなのに、体は冷たいままだ。
ギュッと体を縮めて体温を保っていると急激に眠気に襲われる。眠気と格闘しながら船を漕いでいると、三好が俺の様子をうかがう。


「日永、眠い?」
「うん……」


目を閉じながら曖昧に答えると、「起こすから寝てていーよ」と言われたので、体の力を抜く。

もう少しで意識が離れる、といったところで教室が騒がしくなった。
頭がキンキンするのでやめて欲しいものだ。


「あれ、日永寝てんの?」


頭上から降ってきたのは高野の声だ。初めは高野が俺を迎えに来ることに驚いたが、毎日続くとさすがに慣れる。


「おきてる……」


かろうじてそう答え、目を開ける。
そんな俺を見て高野はフッと笑う。


「めっちゃ不機嫌じゃん。眉間に皺よってるよ」


別に機嫌が悪いわけではない。ただ周りの声が頭に響いて不快なだけだ。


「じゃ、日永もらって帰りまーす」


高野が三好と戸山に言うと、2人は「うちの子をよろしくお願いします」「いい子でね」と好き勝手に返す。
重い腰を上げ、高野についていく。


「日永、眠いのはわかるけどあんまり不機嫌でいられると俺が風間に怒られる」
「……別にいいじゃん」
「うわ、ひど」


高野の小言に適当に返していると教室についた。
柊斗たちはいつもの場所でいつもの配置で座っている。
ということは今日も柊斗が隣か。
柊斗の隣に行って座ると、柊斗が俺の顔をのぞき込んだ。


「どした?なんか高野にされた?」


否定するのも面倒だったので黙って頷くと、柊斗がすごい形相で高野を睨んだ。


「おい高野。いい度胸だな」
「日永が寝てるの起こしただけだって。風間クンそんなに短気だと、好きな子に嫌われるよー?」
「余計なお世話」


俺を挟んで柊斗と高野が言い合いを始め、寝たいのに寝れないという最悪なコンディションが完成した。

結局そのまま昼休みを終え、一睡もできないまま午後の授業を迎えたのだった。



ーーーー



午後の最後の授業は体育だ。
今日は体育館でバスケをするそうなので、移動しなければならない。
ぞろぞろと教室を出て行くクラスメイトに続き、部屋を出ようと席を立つと、足元がふらついた。
眠気とともに倦怠感や寒気が襲ってくる。

うわ……風邪ひいたかも……

冷えた体で割と長い時間過ごしてしまったし、着替えたと言っても薄いジャージなので体温を取り戻すには向いていない。昼に食欲がなかったのも、風邪の予兆だったのかもしれない。
早退してもいいが、残り1時間なのでなんとか耐えよう。
そう思い、教室を出た。



ーーーー



準備体操を終え、ドリブルやフォームの確認行ったあと、5対5の試合をすることになった。
試合に出る10人以外は待機なので助かった。
俺は体育館の壁に背を預けて座り、観戦の姿勢に入る。今は塚田と高野が試合に出ているようだ。
しばらく2人を眺めていると、隣に誰かが座った。


「り…日永、なんか疲れてる?」
「え?」


柊斗は俺の顔をのぞくと、心配そうに言う。


「顔色良くないよ。保健室一緒に……」


柊斗がそう言いかけたところで、ピーっとホイッスルが鳴る。どうやら試合が終わったようだ。


「交代ーー!」


先生の声でみんなが動き出す。俺や柊斗を含め、待機していた人は試合に出るため、コートに入る。
間髪入れずに試合が始まり、ボールや人が入り乱れる。
俺はというと、なんとかボールを追うので精一杯だった。
これだけ耐えれば終わりだと自分に言い聞かせ、ほとんど気力だけで体を動かす。
ちらっとタイマーを見ると、あと6分残っていた。
全部で8分だから、まだ2分しか経ってないのか。
軽く絶望を感じる。
俺はあと6分やり通すほどの体力も気力も残っていない。

俺の体はそこで何かが途切れたように減速した。
止まった途端、目眩がする。

あ、これほんとにヤバいやつだ。

本能的にそう理解し、どうにか足を動かそうとするが、足元がふらつく。

誰か肩貸してくれないかなぁ、などと呑気に考えていると、ガシッと肩を掴まれた。


「理玖!?」
「……あれ?柊斗?」


いつのまにか柊斗が俺の元に来ていたらしい。
わけがわからずぼぉっと突っ立っていると、椎谷や塚田、高野も集まってきた。


「え?今名前呼んだ?」
「お互いに呼んでたよな?」
「どういうこと?」


3人が困惑した表情で俺と柊斗を交互に見ている。
ただ、俺は立っているのも限界だったので、申し訳なさを感じながら口を開く。


「……とりあえず…座っていい?」


俺の言葉に真っ先に動いたのが柊斗だった。
俺の肩を支えて、体育館の壁際まで誘導してくれる。


「熱ある?」
「たぶん……?」


風邪なんて滅多に引かないからわからない。
曖昧に頷くと、柊斗の手が伸びてくる。
手は額に当てたあと、するりと首まで移動してきた。
首に手が触れた時に、ビクッと肩が震えたのは内緒だ。


「今日の雨?」
「そ…かも……まだ寒いから」
「寒い?」


俺は柊斗の言葉に首を縦に振り、隣に座る柊斗に身を寄せた。触れたところから柊斗の体温か伝わってきて心地いい。


「……もうすぐ授業終わるけど、ここにいる?それとも保健室行く?」
「……ここいる」


なんとなくだが、今横になったらもっと悪化しそうだ。


「日永、水買ってきた!飲める?」
「うん。ありがと……塚田」


パタパタと帰ってきた塚田に、ペットボトルの水を渡される。少しずつ飲んでいると、椎谷が口を開いた。


「日永、家は?1人で帰れる?」
「俺が一緒に帰る」


答えたのは俺ではなく、柊斗だった。
高野が怪訝そうに柊斗に言う。


「家知ってんの?」
「知ってる」
「…どういう関係?」
「兄弟」
「は?」


高野が驚いた声を発したところで、授業終了のチャイムが鳴る。


「理玖、帰ろ。立てる?」


柊斗の手を取って立ち上がる。柊斗はその手を離すことなく、むしろグッと握って歩き出した。
俺が転けないようにしてくれているのか、と浅い考察をしながらついていく。
荷物を持ち、俺と柊斗は体操服のまま、学校を出たのだった。



ーーーー



家に着くと、俺は服を着替えさせられ、ベットに入れられた。


「……ベットで寝たらもっと悪化しそうでやだ」
「文句いわない」
「……柊斗のいじわる」
「…ほら、早く寝る」


柊斗はそう言いながら、いつのまにか準備していた体温計を俺の脇に挿す。
しばらくすると、ピピっと音が鳴ったので、柊斗が確認する。


「熱高くなってるんじゃない?38.4度」
「ベットで寝るから悪化する……」
「関係ないよ」


俺の自論を一蹴し、俺の額に冷えピタを貼る。
ひんやりとした感覚が額から広がる。
テキパキとタオルやスポーツドリンクなどを準備する柊斗を見ながらふと口を開く。


「俺、今日の朝からついてない」
「たしかに。寝坊するし、雨に降られるし」


「あと、俺たちが兄弟ってこと、高野たちにバレた」


俺がそう言った途端、柊斗が手を止める。


「まあ、いつかはバレることだから。全然いいよ。俺が理玖の名前呼んじゃったからだし。理玖は気にしないで」


柊斗が俺の額を撫でる。
熱と痛みを持った額に、柊斗の優しさが染み渡っていく。
俺はこの優しさに、甘えてばっかりだ。


「ごめんね。朝から迷惑かけて」
「いいよ。俺、理玖のお兄ちゃんだし」
「……え」


何気なく返された柊斗のその言葉が、唐突に胸の奥に引っかかる。
なぜか不安に駆られて、グッと唇を噛み締めた。


「……柊斗が俺にいろいろしてくれるのは、俺が柊斗の弟だから?」
「…………うん、そうだよ」


頷く柊斗に、ズキっと胸が痛む。
当たり前のことなのに、なぜか苦しくて。
俺は布団を被って、胸の痛みが引くのを待つことしかできなかった。