ある休日。家には俺と柊斗しかおらず、俺たちもそれぞれの部屋でくつろいでいた。
ピンポーン、とインターホンが鳴ったので部屋から出る。階段から降りようとすると、隣の部屋から柊斗が出てきた。
「俺が出るからいいよ」
「そう?」
柊斗を手で制止して、階段を降りる。
玄関のドアを開けると、人が立っていた。
「理玖!」
「……なに?茜」
茜が俺の家に訪ねてくる時はろくなことがない。
嫌な予感がして、顔を引き攣らせる。
「バイトしない?絵のモデルになって!」
「断る」
そうくると思ってた。
茜は趣味で漫画を描いている。ジャンルは言わずもがな、BLの類いだ。俺は昔から何かとこれのモデルになることに付き合わされている。
「お願い!やっぱ3次元で見ないといいアイデアが浮かばないの!」
「知らないよ…彼氏いるんでしょ?えっと…成川くん、だっけ。成川くんに頼みなよ」
「成川くんも呼んでるよ?でももう1人いないと無理なの!」
どうやら成川くんはもう招集されているらしい。
彼はそれでいいのだろうか。
「あわよくば理玖の義理の兄の柊斗くんも手伝って欲しい」
「ダメに決まってるでしょ。ていうか2人でいいんじゃないの?」
「成川くんも絵描く人だから。理玖と柊斗くんが手伝ってくれたら成川くんも描けるじゃん」
成川くんもどうやら茜と同じらしい。腐男子、って言うんだっけ。
とにかく、と話を切り替える。
「ダメだよ、俺はまだしも柊斗は」
「俺がなに?」
「うわっ!?柊斗!?」
いつのまにか柊斗が俺の後ろに立っていた。
茜が目を輝かせている。
まずい、と思った俺は柊斗の背中を押して部屋の中に戻らせる。
「柊斗、悪いことは言わない。部屋に戻って」
「なんで?」
「なんでも!」
微動だにしない柊斗の背中を押していると、後ろから茜が柊斗に呼びかけた。
「柊斗くん!理玖借りますね!」
「え、なんで?」
柊斗はくるっと振り返り、背中を押していた俺の手をぎゅっと握った。軽くいなされたようで悔しい。
「絵のモデルになってもらうんです!こういうの」
茜はどこからか一冊の本を取り出した。
その表紙には1人の男がもう1人の男に押し倒されている様子が描かれていた。
「これを、理玖が?」
「はい!わたしの彼氏と」
「ダメ」
茜の彼氏、という単語がでた瞬間、柊斗が首を横に振った。茜の目の奥がギラリと光る。
「じゃあ、柊斗くんがやってくれません?理玖と」
「俺と理玖が?これを?」
「はい!」
俺は慌てて2人の間に入る。
柊斗を巻き込むなんて、茜はなに考えてるんだ。
柊斗を見て、謝罪の意をこめて手を合わせる。
「柊斗、ごめん。断っていいからね」
「いいよ。俺これやる」
「は?」
柊斗は俺に見向きもしないで頷いた。
茜はやったー!と飛び跳ねている。
「ちょっと柊斗!?なに考えてんの」
「理玖を1人では行かせらんないよ。俺、理玖の兄だし」
「お兄ちゃんとかは今関係ないでしょ!」
騒ぐ俺の頭を、柊斗は軽くポンポンと撫でる。
聞く耳を持たないつもりだ。
「バイト代も出すからさ〜。ね?」
茜はウキウキとした表情で俺の腕を引いた。
されるがままに、斜め前の茜の家に招き入れられる。
茜の部屋に入ると、成川くんが座っていた。
「あ、理玖くんだ。久しぶり」
「成川くん……久しぶり」
俺は既に疲れていて、返すだけで精一杯だった。
成川くんは俺の後ろを見て、首を傾げた。
「だれ?」
「俺の義理の兄の風間柊斗。柊斗、こっちは茜の彼氏の成川真くんね」
「ども……」
柊斗は軽く頭を下げ、俺の腕をぐっと引き寄せた。どうやら人見知りが発動しているらしい。
「義兄弟か……次の新刊はそれだな」
成川くんがどこかで聞いたことのあるようなセリフを呟いたのは、聞かなかったことにする。
「じゃあ、理玖と柊斗くん。さっそくお願いしまーす!」
茜がワクワクとした様子で俺と柊斗をベットに座らせる。
「なにしたらいいの?」
柊斗が聞くと、茜はニヤリと笑った。
嫌な予感しかしない。今からでも入れる保険はあるだろうか。
「柊斗くんが、理玖を押し倒してる感じで!」
だろうな、と俺は頭を抱えた。
今まで何度か付き合わされていたので、傾向は分かっていた。
「わ、わかった」
柊斗はぎこちなく俺の方に向く。
じっと見つめられると、心臓の鼓動が速くなる。
「……理玖、いい?」
柊斗のその言葉に、俺はグッと息を飲み、覚悟を決めて頷いた。
何度かこの手のモデルはやらされてきたはずなのに、妙にドキドキして落ち着かない。
柊斗の手が伸びてきて、俺の肩に触れる。
感覚が敏感になっていたのか、触れられた肩がビクッと震えた。
「大丈夫?」
「う、うん」
柊斗は俺のペースに合わせてくれているようだ。
俺の肩を掴んだ柊斗の力が強くなる。
その力に従うように、俺は体を後ろへ預けた。
柊斗が俺に覆い被さるような体勢になる。
俺の心臓は、バクバクと今まで感じたことのないほどに波打っていた。
「最高ー!じゃあ理玖は自分の顔の横に手が来るように、腕曲げて!」
茜の声でハッとする。そう言えば茜と成川くんに見られてるんだった。さらに顔が熱くなっていく。
茜の注文通りにすると、次は柊斗に注文が入った。
「柊斗くんは理玖の手首を掴んで!」
それを受けて柊斗は俺の手首を掴んだ。
「理玖、痛くない?」
「ん……痛くない」
恥ずかしくてぎこちない返答になってしまったが許して欲しい。
柊斗の手首を掴んでいる力が強くなった。顔赤いけど、体勢がキツいのかもしれないな。
「……なんか、ダメなもん見てる気がする」
「わかる」
成川くんと茜のそんな会話も気にならないほど、俺はいっぱいいっぱいだった。
「じゃあ、そのままちょっと止まってて〜!!」
成川くんと茜はスケッチブックかなにかに絵を描き始めた。
どれだけ時間が経ったのだろうか。
2人は集中したら喋らなくなるので、時計の秒針の音だけが部屋に響く。
それよりも速く、心臓が音を立てて動いている。
柊斗にバレないかヒヤヒヤして、目を逸らした。
柊斗の整った顔は、ずっとなんて見てられないしな。
「……理玖、なんで目逸らすの?」
「へっ」
「俺のことちゃんと見てて」
「は、はぃ……」
手首を掴まれているので、顔を隠すこともできず、目を逸らすことも禁じられた俺の顔は、りんごに引けを取らないほど赤くなっているだろう。
そんなかっこいいセリフを向けられるのが俺で申し訳ない。
これ以上柊斗を見ていると、どうにかなりそうだったので、話題を逸らす。
「し、柊斗、その体勢キツくない?ちょっと……」
俺がそう言って、体を少し動かした瞬間。
「うわっ」
柊斗がバランスを崩した。
今まで浮かせていた柊斗の体が、俺の体に密着する。
おまけに顔も、鼻先がくっついてしまうほど近くなった。
柊斗のかすかに漏れ出る息が顔にかかる。
「「………っっ!!」」
成川くんと茜な声にならない悲鳴をあげていたが、そんなのどうでもいい。
「ごめん!!」
俺は急いで柊斗の下から這いずり出た。
柊斗も体を起こして、片手を顔に当て、はぁーっと大きく息を吐いた。
もしかして怒ってる……?
「柊斗、なんか怒ってる?」
「……ちょ、ちょっと待って。脳みそが追いついてないから」
どういうこと?と首を傾げていると、柊斗が俺の頭をくしゃっと撫でた。
「怒ってないよ。ちょっとびっくりしただけ」
「ほんとに?」
「ん。大丈夫だから、あんま見ないで…」
柊斗は俺の頭を乱暴に撫でる。そのおかげで、柊斗の顔を見ることはできない。
柊斗の顔を茜がうかがう。
「柊斗くん。まだできそう?」
「……ちょっとムリ。また今度にして」
「りょ〜かぁ〜い!」
柊斗の言葉でモデルはここで終わりとなった。
茜はいつもは途中で終わるとぶつぶつ文句を言ってくるのに、今回はなぜかすごく上機嫌だ。
「はーい、バイト代!」
そう言って俺と柊斗に渡されたのは、駅前に新しくできたとウワサのアイスクリーム屋の商品券だった。
1つの単価が高いので、まあこれくらいが妥当だろう、と文句を言わず受け取った。
「2人で食べてねー!」
さっきから茜のテンションが妙に高い。
縋るように成川くんに目線を送ると、成川くんはニコッと笑う。
「いいもの見せてもらったからねぇ」
と、よくわからないコメントを残した。
居心地の悪さを感じたので、柊斗の服の袖をくいと引っ張る。
「柊斗、そろそろ帰ろ?」
「……うん。そうだね」
柊斗は何かをグッと堪えた後、そう頷いた。
「また来てねーー!!」
近年稀に見るほどに上機嫌な茜と、朗らかに笑う成川くんに見送られながら家を出る。
「なんか疲れたぁ……」
俺が大きく息を吐いて呟くと、「俺も」と柊斗が首を縦に振る。
「柊斗、かっこいいからずっと見てるだけで疲れる」
俺が本音をこぼすと、柊斗が驚いたように俺の顔を見る。
「俺、かっこいい?」
「え?うん。かっこいいよ」
「そっか」
何を今更、と当然のように頷くと、柊斗はなぜか嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、俺の心臓が鼓動を速めたのは、言うまでもないだろう。


