顔合わせの日から数日後、あっという間に始業式の日になった。俺と柊斗は今日から高校2年だ。柊斗は俺の家で暮らし始め、まだお互いぎこちないが、なんとかやっている。

準備をすべて終え、玄関に向かう。
今日、柊斗は俺の家に来て初めて学校に行くのでそれまでの道案内のため、一緒に行くことになっている。
とはいえ、徒歩で行ける距離にあるので、迷うことはないように思う。


「柊斗ー、先出とくー」


まだ準備をしている柊斗に声をかけてドアを開ける。
家を出ると、ちょうど斜め前の家のドアも開いた。


「あ、理玖!おはよう」


笑顔で話しかけてきたこの女子は、俺と別の学校に通っている同い年で幼なじみの桜木茜だ。かれこれ十数年の付き合いになる。


「おはよう」


俺が返すと、茜はねぇねぇ、と俺を見つめる。


「この前引っ越し業者の車止まってたけど、理玖引っ越しするの?」


引っ越し業者の車……あぁ、あの日か。柊斗とそのお父さんが俺の家に来た日に荷物を運び入れるため、引っ越しの業者を呼んでいたのだ。そのことを言っているのだろう。


「しないよ」
「ほんとに?じゃあなんで…」
「理玖」


茜の言葉の途中で、いつのまにか家から出てきた柊斗が俺と肩を組んだ。耳元で名前を呼ばれてくすぐったいので、慌てて手で耳を覆う。


「びっ…くりした。耳元で喋らないでよ」
「ごめんごめん。……で、誰?」


柊斗は茜に目を移した。緊張しているのか、少し目つきが鋭かった。


「あ、えっと…」
「桜木茜です!理玖の斜め前の家に住んでます!名前なんですか?今理玖の家から出てきてましたよね!?理玖とどういう関係なんですか!?」


俺が紹介しようとしたのを遮って、畳み掛けるように茜がに言う。その勢いに気押されたのか、柊斗が若干引いてる。
無理もない。なぜなら茜は生粋の腐女子だからだ。昔から、俺が家に誰かを呼んだり仲良くしたりしていると、どういう関係か、と問い詰める。俺としては迷惑がかかるからやめてほしいのだが。


「茜、柊斗が困ってるから」


ため息をついて茜を宥める。柊斗が俺の肩に回した手の力が強まった。


「ごめん柊斗。茜は俺の幼なじみだよ。茜、こっちは風間柊斗。俺の義理の兄、って言ったら良いのかな」


2人の間に立ってそれぞれを紹介する。
義理の兄、と言うと茜は目を輝かせた。


「義兄弟か……次の新刊はそれにしようかな…」


ぼそっと言った茜のつぶやきは聞かないことにする。
柊斗は大丈夫かな、と目をやると、思ったより至近距離に顔があってびっくりする。


「理玖」
「な、なに…?」


息が当たるし、茜が口に手を当ててまばたき無しで俺たちを見ているから離れてほしいのだが、肩に手を回されている手前それもできない。
柊斗はまた俺に顔を近づけて、耳元で囁く。


「幼なじみって本当?」
「ほっ、ほんとだって。耳、くすぐったいからやめてよ…」


身をよじって柊斗の腕から逃げ出す。
柊斗は一体なに考えているんだ……


「ごちそうさまでした……」


茜は両手を合わせて天を仰いでいる。
天への感謝が終わったかと思うと、茜は柊斗に目線を移す。


「柊斗くん、でしたよね?私は理玖になんの感情もないので安心してください!私、彼氏いるんで!!」


なんで急に彼氏の話になったのかわからないが、柊斗が「そうなんだ」と謎に納得したのでまあいいか。


「じゃ、私はおじゃまなのでここで失礼しますね!2人でごゆっくり愛を育んで下さ〜い」


茜はよく分からない捨て台詞を残して、スキップで去っていった。俺はまだしも、柊斗を茜の妄想に引き込むのはやめて頂きたいものだ。


「そろそろ俺らも行こ」


柊斗が歩き出したので、それについていく。


「柊斗って前は電車通学だったよね?」


特に話すこともなかったので、無難な話題を引っ張り出す。俺の質問に柊斗は頷いた。


「電車で1時間。結構遠かったから、理玖の家から学校近くて嬉しい」


数日間一緒に過ごしてきて気づいたのは、柊斗が朝に弱いということだ。学校までの時間がかかればかかるほど、早く家を出ないといけなかったので骨が折れただろう。
ちなみに俺の家から学校は徒歩で10分程度だ。

そう他愛もない話をしていると、あっという間に学校に着いた。まだ早い時間だからか、生徒は少なかった。
入り口に貼ってあるクラス表を確認する。
2年4組の欄に俺の名前があった。載っていたのは「日永理玖」という名前だ。風間のお父さんと俺のお母さんが結婚したので、俺の苗字は「風間」になっているのだが、学校では今まで通り「日永」で通すことにしたのだ。
自分の名前だけ確認して、隣にいる柊斗に目を向ける。


「俺は2年4組だった。柊斗は?」
「俺も2年4組だ」
「マジか。じゃあ同級生だ」
「うん」


あまり表情には出していないが、柊斗の嬉しそうな雰囲気が感じ取れた。とりあえず同じクラスに知っている人がいるというので、俺もホッとした。
柊斗は同じクラスの他のメンバーも確認しているようなので、教室の場所を確認して先に向かおうとすると、柊斗に腕を掴まれた。
さっきとは打って変わってどこが焦っている様子だった。


「理玖。俺たちが兄弟、ってことはみんなに内緒な。絶対」
「え、なんで……」


俺が聞く前に柊斗は先に教室に向かっていった。
たしかに、柊斗みたいな一軍のやつは俺みたいな目立たないやつと兄弟、って思われなくないよな。
少し胸がズキっとしたけど、仕方のないことだと自分に言い聞かせた。



ーーーー



教室に入ると、10人くらいの人がすでに来ているようだった。先に着いていた柊斗は自分の席に座ってスマホをいじっていた。俺も黒板に貼ってある座席表を確認して、自分の席につく。
特にすることもないので、机に突っ伏した。

次に顔を上げた時には割とほとんどの人が教室に来ていた。周りを見渡すが、柊斗以外話したことのある人がいないみたいだった。去年同じクラスだった人も、数える限り2人しかいない上、まともに話したこともなかった。
俺この先大丈夫かな……と未来に不安を抱いたところで、ガラッと教室のドアが開く。
同時に、女子が黄色い声を上げる。
無理もない。入ってきたのは、確か柊斗と仲が良かった一軍男子たちだったからだ。学校内で知らない人はいないだろう。確か名前が、塚田大輝、椎谷健人、高野新。知っているのは名前だけで、顔と名前は一致しない。
そのうちの1人が柊斗をみつけるや否や柊斗に駆け寄った。まるで犬みたいだ。


「柊斗ー!今年もおれと同じクラスなのにそんなシケてる面すんなよー」
「朝からうるせーよ、塚田」


柊斗が鬱陶しそうに手を振る。なるほど、犬みたいなやつが塚田大輝だ。
1人がその隣を通過して、柊斗の斜め後ろの席に座ると、足を組んでスマホをいじり始めた。ヘッドフォンをつけ、完全に外部との接触を遮断したようだ。


「新も喋ろーぜー。なに聴いてんのー?」


塚田が俗にいうダル絡みをする。どうやらそのヘッドフォンをつけているのが高野新のようだ。どこか関わりづらい雰囲気を感じる。
高野は機嫌が悪そうに無言で自分のヘッドフォンを塚田につけ、スマホの側面のボタンを押した。


「うっさ!!」


高野は音量ボタンを押して音量を最大まで上げたらしい。ヘッドフォンをすぐに外した塚田を見て高野は悪い顔で笑っている。


「高野ー、あんまり塚田をいじめるなよ〜?」


キャンキャンと高野を威嚇する塚田と、そんな塚田を煽る高野の間に残りの1人が立った。消去法で名前は椎谷健人だ。見るからに優しい、という雰囲気が醸し出ている。どうやらこのグループのクッション剤のような役割を果たしているらしかった。
と、思わずその4人組を見ていたが、それは周りの人たちも同じのようだ。なぜか目を惹くカリスマ性、のようなものでもあるのだろうか。

そんなことを考えていると、教室の前のドアが開き、先生が入ってきた。
先生の自己紹介から諸々の連絡を済ませた後、放送で始業式が行われる。俺としては体育館まで行く手間が省けるので嬉しい。
始業式が終わると、HRが始まった。
配布物が配られた後、生徒それぞれの自己紹介が始まる。
自己紹介と言っても、名前と何か一言言うくらいだ。


「風間柊斗です。よろしく」


柊斗がそう言っただけで、軽く悲鳴はあがるのだから、つくづくイケメンは怖い。
その後も、椎谷、高野、塚田の時には少し教室が騒がしくなった。顔が良いとここまでになるのか、と感心していると俺の番が回ってきた。


「日永理玖です。よろしくお願いします」


それだけ言って席に座る。特に誰も気にも留めないだろう、と思いながら辺りを見渡すと、柊斗、椎谷、高野、塚田と目が合った。

え、なに?俺なんか変なこと言った?

自分が言ったことを思い返すが、とくに思い当たる節はない。
ビクビクしながら、柊斗を見ると、フイと目を逸らされた。首を傾げながら目線を前に戻す途中で、塚田とも目が合った。
塚田は俺と目が合うと、ニカっと笑った。

一軍男子、何考えてるか分からない。
俺が感じたのは恐怖だけだった。



ーーーー



HRが終わり、みんなが一斉に動き出す。今日はこれが終わったら帰宅できるので、帰りにどこかに寄る人も多いようだ。
俺は特に予定もないので帰ろうと席を立つと、後ろから肩を叩かれた。


「ねーねー。日永くんだよねー!あ、おれ塚田大輝!大ちゃんって呼んで!」


茜ばりに喋るスピードが速くて気押される。
というか、なんで塚田が俺に話しかけてるんだ?
やっぱり俺さっきの自己紹介で変なこと言った?
助けを求めるように柊斗に視線を向けると、頭を抱えていた。俺と塚田が話すことで、なにかマズイものでもあるのだろうか。


「塚田やめてあげて。日永が困ってるから」


考えこんで何も言わない俺とずっと話しかけてくる塚田の間に椎谷が立った。


「へー。君がウワサの日永理玖くんかー」


高野が俺のつま先から頭まで、じっと見つめる。
俺は耐えきれなくなって高野に言う。


「ウワサってなに?悪いタイプのやつ?」
「違う違う。こっちの話。日永くんは気にしなくていーよ」


高野が安心しろ、という風に言ってくるが、全然安心できない。むしろ一軍男子の中で話されているウワサは、俺からしてみれば怖い以外のなにものでもない。
もしかしたら今日の朝、柊斗に「兄弟ってことは内緒」と言われたこともそれに関係するのかもしれない。


「お前らもうそこまでにしとけよ。り……日永は帰ろうとしてんだから」


柊斗が助け船を出してくれた。
途中で理玖って言いかけてたけど。


「引き止めてごめん。帰っていいよ。気をつけてね」
「あ、うん」


柊斗が他の面々が何か言う前に俺を帰らせる。
たしかに、俺と柊斗が話していたらいつボロが出るかわからない。そこまでして俺との関係を隠したいのか、と少し悲しくなった。


「じゃあ、し…風間、また明日。ほかのみんなも」
「おーす!また明日!」
「またね」


俺が手を振ると、塚田と椎谷は手を振りかえしてくれた。


「へ〜?風間クンって好きな子には優し〜んだ〜?」
「黙れ高野。土に埋めるぞ」
「こわ〜。日永くんには頑張って逃げてほしいわー」


柊斗と高野が何やら小声で話しているが、俺には聞こえない。
少し気がかりだが、俺は教室を後にした。



ーーーー



家に帰り、制服のジャケットとズボンを脱ぐ。動きにくいし、制服にシワがつくのでいつも帰ったらすぐに脱ぐのだ。自分の部屋に行き、制服をハンガーに掛け、部屋着をクローゼットから取り出す。
それに着替える前に、お風呂に入ってしまおう。
そう思い立って、俺はお風呂場に向かう。
お風呂場の外は脱衣所と洗面台になっていて、脱衣所の端に洗濯カゴがあるので、制服のシャツと下着を放りこむ。洗濯カゴの横にある洗濯機の上に着替えを置いて、準備万端だ。

シャワーで済ませてお風呂から出ると、玄関から家のドアが開く音がした。「ただいま」という柊斗の声が聞こえてくる。
帰ってきたんだ、と思いながらバスタオルで体を拭いていると、脱衣所の扉が開く。


「!?」
「あ、柊斗。おかえり」


柊斗は俺を見るや否やバッと視線を逸らした。
どうしたんだろう、と首を傾げる。


「柊斗、どうかした?あ、手洗うのか。ごめん邪魔して」


バスタオルを首にかけながら、俺から目を逸らし続ける柊斗に言う。柊斗は片手で顔を覆ってしまった。


「ちょ……一旦服着て……」
「あぁごめん」


別に男同士だから気にすることもないとは思うが、急だったからびっくりしたのだろう。
俺は大人しく頷いて、着替えに手をかけた。
柊斗はそれをみて脱衣所の扉を閉めた。
下着を着て、上下セットのスウェットを着る。


「あれ?」


なんかいつもより大きい気がする。
ズボンもずり下がってくるし……
一度ズボンを脱いで確認すると、サイズが俺がいつも使っているのと違った。どうやら柊斗のものを間違えて持ってきてしまったらしい。
柊斗に俺のを持ってきてもらおう。
そう思い立ち、脱衣所の扉を開けて柊斗に声をかける。ズボンは履いていないが、下着と上のスウェットは着ているので大丈夫だろう。


「柊斗〜」
「着替え終わった……って、は?」
「ごめん、柊斗のやつ間違えて持ってきちゃった。俺のやつが柊斗のところにあると思うから持ってきてくれない?」


既に脱いでいたズボンを先に渡し、上に着ていたスウェットも脱ごうと手をかける。


「ち、ち、ちょっと。なにしてんの」
「え?柊斗のやつだから脱いで渡そうと思って。あ、俺が着た後嫌だった?」
「嫌じゃないけど、問題はそこじゃない」


柊斗の発言の意図が分からなくて、脱ごうとしていた手を止める。
思考を張り巡らせて、一つ思いつく。


「あ、ちゃんと下は履いてるから安心して」


上のスウェットのせいで下着がちょうど隠れていたので、ペラっと捲って着ているアピールをする。


「だっ…なっ、やめなよ」


柊斗は口をモゴモゴさせながら、俺が捲っていた服を元に戻す。


「……理玖のやつ取ってくるから、上は脱がないで。今だけはこのズボン履いといて。わかった?」
「え〜……まあ、わかった」


家には俺たちしかいないのに、なんでそんなことするのかわからないが、柊斗が必死の形相で俺に言うので首を縦に振るしかなかった。
柊斗が俺の部屋着を持ってきてくれている短い間だけ、サイズの合わないズボンとスウェットを着て待つ。
数分後、俺の部屋着を持ってきた柊斗が戻ってきた。


「はい、これ理玖の」
「ありがと。助かった」


俺は着替えを受け取ると、早速ズボンを脱ぐ。


「待て待て待て待て」
「なに?」


柊斗はまだ俺に何かあるのかと少し不機嫌になる。
柊斗ははぁっと大きくため息をついた。


「着替えるんだったら、ちゃんと脱衣所で着替えて」
「柊斗しかいないからいいじゃん」
「ダメに決まってんだろ」


さっきからなにを考えているか分からない柊斗に口を尖らせると、グイグイと背中を押されて脱衣所に入れられた。


「なんなんだよもう……」


ぶつぶつ言いながら着替えを終え、脱衣所を出た。
柊斗は俺が出てくるのを待っていたようで、俺を見ると、ずいっと近づいてきた。


「理玖、着替えは脱衣所か自分の部屋でして。そんで、その時はちゃんと鍵かけといて」
「なんでよ」
「なんでも。家族としてのルール」
「え〜……」
「返事は?」
「……はい」


柊斗がそこまで言うなら仕方ない。理由ははぐらかされたけど。義理といえど兄なので大人しく従ってあげよう。
少し不貞腐れながら柊斗を見つめていると、クシャッと頭を撫でられた。


「早く髪の毛乾かしな。風邪引くよ」


そう言って微かに微笑む柊斗にたじろぐ。もう反抗する気も起きない。
いつになったらこのイケメンに慣れるのだろうか。

こうして、俺の高校2年の生活が幕を開けたのだった。