一軍男子と兄弟になりました



柊斗の元母親と一悶着あってから2週間。
柊斗はだんだんといつもの様子を取り戻していた。
前と変わったことと言えば────


「……なんか近くね?」


隙あらば触ってくることである。
今だって、俺は柊斗の膝の上に座らされ、後ろから抱きつかれている。そのせいで、昼休みのお弁当がなかなか食べられない。周りには塚田達もいるのに。
高野もさすがにスルーできなかったようで、「近くね?」とつっこんできた。
「触ってもいい」と言ったのは俺だが、さすがにすぐには慣れるはずもなく。
逃げようとすると、さらに力が強まる。


「……離れないでよ」


柊斗はそうつぶやいて、俺の肩に顔を埋める。
どうやら俺が大和の部屋に行ったことが相当なトラウマになったらしく、最近は少しでも離れるとこうである。


「し、柊斗?あの、お弁当食べれないから……」
「じゃあ俺が食べさせてあげる」
「や、そういうことじゃなくて……」


勘弁してほしい。心臓がもたないから。
でもそんなことしたら、柊斗が不安そうな顔をする。
俺はどうしたらいいんだろう。

ほとんど意味のないような微かな抵抗を続けていると、「日永ー」と俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
その声の方向を見ると、三好と戸山が俺たちの教室をのぞいている。
これはいい機会だと席を立とうとする俺を、柊斗が引き止める。


「あ、あの、柊斗」
「理玖、呼ばれてるよ?」
「わかってるって」


揶揄うように大和が俺に言う。
大和も柊斗が俺を離さないこと、絶対わかってるのに。


「柊斗ー、日永が困ってるぞー」


塚田が助け船を出してくれた。
ありがたくその船に乗せてもらおう。


「すぐ戻ってくるから」


諭すように柊斗に言うと、口を尖らせながらも解放してくれた。
そんな顔しないでほしい。
イケメンにそんな顔されると悪いことした気になる。
と、少し筋違いな罪悪感を抱えながら三好達の元に行く。


「ごめん、お待たせ。どしたの?」
「……日永、マジであのイケメン達と仲良いんだな」
「話しかけるのちょいビビったわ」


前まで昼休みはこの2人と食べていたが、俺と柊斗が兄弟だと残りの面々に打ち明けたことで、あの4人と食べるようになった。今はそのメンツに大和が加わっている。
この2人を都合のいいように使っているような気がして謝ったことがあったが、「なんで?日永に友達ができるのはいいことじゃん」と言ってくれたことを思い出す。
つくづくいい友達を持ったな、と感じる。


「しかも風間柊斗に抱きしめられてなかった?」
「な!どんだけ仲良いんだよ、って思った」


それは俺もそう思う、なんて考えてハッとする。
待って、俺この2人に柊斗と兄弟だってこと言ってない。
塚田たちには話したし、この2人にも言ってもいいと思うが、言うタイミングを逃していた。

今言うべきだろうか。でもこんなところで?

そんなことをぐるぐる考えていると、後ろから誰かがのしかかってきた。


「ねぇ、まだ?」


声の主は言うまでもなく。


「うお、風間柊斗」
「近くで見るとやっぱイケメンだなー」


2人がミーハーにも程があるような反応を示している。
さっきは「ビビった」とか言ってたくせに、割と通常運転だ。
そんな2人に柊斗が威嚇するような視線を送る。


「理玖に何の用?」
「え、あ!そうだ、化学の教科書借りにきたんだった。ある?」


三好が柊斗の視線をものともせずに俺に言う。
すごいな。俺だったら絶対に動けなくなるのに。


「あるけど、なんで?」
「化学の山セン、タブレット使っちゃダメ系だからさー。教科書じゃないとダメだし、持ってきてないとチェックされるし」


俺テストで取れないから忘れ物したらやばい、と本気の顔で言われる。


「わかったよ。貸し1ね」
「サンキュー日永!結婚してあげるからそれでチャラな」
「ダメ」


俺が三好に「なんでだよ」とつっこむ前に、柊斗が言う。
三好も戸山も、頭の上にハテナマークが飛んでいる。
2人は「なんでお前が言うの?」みたいな顔してるし、柊斗はやけに真剣な顔をしている。その3人の視線は最終的に俺に辿り着いた。


「……あ、じゃあ俺取ってくる」


3人から見つめられているという気まずい空気から逃げるため、急いで自分の席に戻る。


「ちゃんとリードは着けとかないとダメだよ」


机の中を探している俺に、高野が意味深な耳打ちをする。
リードってなに?犬?
と俺が困惑しているのを見て、高野はいたずらに笑って席に戻って行った。
高野はたまにこうやって意味のわからない話をしてくるのだ。「どういうこと?」って聞いても、「それは日永が考えないと面白くないじゃん?」とはぐらかされる。俺としては全然面白くないから早く教えてほしいものだ。

化学の教科書を机の中から引っ張り出し、三好達の元に戻ろうとすると。


「はーーーー!?!?!?」
「うるさい」


どうやら柊斗と話していたらしい三好の大きな声が響く。
柊斗が宥めているようだが、三好の落ち着きは取り戻せそうになさそうだ。
三好の隣にいる戸山も、声は出てないが何かに驚いている様子だった。


「どしたの?」


俺が3人の元に戻ると、三好が驚きを抑えきれないというように俺に言う。


「どしたの?じゃねぇよ!なんで言ってくれなかったんだよ!」
「え?あー……」


三好の言葉でなんとなく想像がついた。
俺は隣に立つ柊斗を見上げる。


「三好達に言ったの?俺らが兄弟だってこと」
「うん」
「あ、そう」
「え!?なんでそんなリアクション薄いの!?」


三好の慌てている様子が面白くて思わず笑ってしまう。


「ごめんごめん。2人に言うタイミング逃してて」
「言ってくれよ〜びっくりして寿命3分くらい縮んだわ〜」
「あんまびっくりしてないじゃんそれ」
「いやカップラーメン作れるから」


どうやら三好にとっては大事な3分らしい。
作れるだけで、食べることはできないんじゃ?というのは黙っておこう。


「にしても、さっきのホールド。他人じゃあんなのされないだろ、って思ってたわ」
「まぁ、兄弟だから……」


そう三好が言った何気ない言葉が、俺のどこかに引っ掛かる。

俺に優しくしてくれるのも、
いつも気にかけてくれるのも、
約束を守ってくれるのも、
俺が柊斗にとって弟だからで。

「兄弟じゃなかったらよかったのに」と言ったのは、
そんな俺が柊斗にとって足枷で、
柊斗の好きな人を想う気持ちを邪魔する存在だからで。

でも。
それなのに。


柊斗が俺を離そうとしないのはなんで?


元母親のいざこざもあったし、その不安からなのかもしれない。
でも、心の中の俺が、それを否定する。
なにか、違う理由があるんじゃないかって。


「……なが、お〜い。日永〜」
「…え、あ、ごめん。ボーッとしてた」


ぐるぐると考え込んでしまった俺を、三好の声が現実に引き戻す。


「ったく、手の焼ける弟だな〜!」
「三好の弟になったつもりはないけど」
「そうだぞ三好、日永は俺の弟だからな」
「違うって。俺の兄は柊斗だから」


冗談を言う三好と戸山にツッコミを入れながら、隣にいる柊斗に目を移すと、柊斗は既に俺の方を向いていて。
どこか悲しそうで、真剣な顔をしていた。

わからない。
柊斗が何を考えているのか。
柊斗にとって俺はどんな存在なのか。

いっそ聞いてみようか、とも思うが、俺はまだ答えを聞く準備はできていないのだ。
そんな俺を、三好がつつく。


「ひーなーが。ボーッとしすぎ!早く、ほら、化学の教科書!」
「あぁ、はい。ちゃんと返してよ」
「任せとけって」


返すだけなのに任せるも何もないと思うが、とりあえず頷いておいた。
じゃーなー、と手を振る2人を見送り、俺たちも教室に戻る。
塚田達と昼ごはんを食べる時の定位置に戻ろうとすると。


「理玖」


急に柊斗に腕を掴まれて、額に手を置かれる。
柊斗のひんやりした手で触れられてドキッとした。


「し、柊斗?なに……」
「ん?熱無いかなって。さっきボーッとしてたみたいだったから」
「だ、大丈夫だよ」
「本当に?早退する?一緒に帰ろうか」
「や、ほんと、大丈夫だから!」


どんどん近づいてくる柊斗に耐えられなくなって、強引に柊斗の腕から抜け出した。

本当に、柊斗が何を考えているのかわからない。



ーーーー



家に帰ったら両親が帰ってくる前にお風呂に入る、というのがなんとなくのルールになっていた。
今日は柊斗が先で、俺が後だ。
交代で入り、ポカポカとした温もりと共に風呂場を後にする。

リビングに戻ると、柊斗が顔に何かを塗っていた。おそらく、化粧水とかその類だ。俺はスキンケアとかあまりよく知らないからわからないけど。
なるほど。イケメンは美意識も高いんだな。などと薄っぺらいことを考えていると。


「理玖、ちょっと来て」


こちらに気づいた柊斗が、俺を手招きする。


「なに?」


首を傾げながら近づくと、「横座って」と柊斗が促してきた。
机とソファーの間というよくわからないスペースに座っている柊斗の隣に腰を下ろす。
なんだろう、と隣を見ると、柊斗が俺の顔をうかがう。


「触ってもいい?」
「え、あ、うん」


訳もわからないまま頷くと、そんな俺の頬を柊斗の手が包んだ。


「な、なに」
「化粧水出しすぎたからもらって欲しくて」
「あ、そういう……」


柊斗は微かに口角を緩めて、俺の顔に化粧水を塗り込む。
柊斗が俺を見つめている、ということに心臓が高鳴った。頬を手で挟まれているため、俺も柊斗を見つめ返すことしかできない。顔が赤くなっていないことを祈るばかりだ。

額、頬、鼻、顎と柊斗の手が移動し、やがて離れる。


「ありがと……」
「待って。まだ終わってないよ」


逃げ出すように立った俺を、柊斗が引き止める。
腰を浮かせかけて変な体勢になった。
断る理由もないので、大人しく柊斗に従う。
柊斗は化粧水とはまた別のボトルから、液体を手に出した。
その手に液体を広げて、また俺の頬を挟む。


「こ、今度はなに?」
「乳液。最近乾燥するから、スキンケアはちゃんとした方がいいよ」


そう言って、柊斗は俺の額や頬を触りだす。


「「…………」」


柊斗は真剣に塗っているし、俺も顔をあまり動かさない方がいいのかとジッとしているので、沈黙が続く。
乳液は塗り込むのに時間がかかるようで、俺の頬にもみ込む時間がやけに長く感じた。

柊斗の瞳が俺を離さない。
頬を挟まれたままずっと見つめられると、心臓の拍動が速くなっていく。
瞬きぐらいしか、柊斗から目を逸らす術はなかった。

なぜか甘い雰囲気を感じて、体が熱くなる。
そうドギマギしている俺をよそに、柊斗が徐に口を開いた。


「ねぇ、理玖」

「理玖はさ────」


柊斗が何をいうのか、何を考えているのか、表情からは全くもって読み取れない。
なのに、脳に直接届いているんじゃないかと錯覚するくらい、胸の音がうるさかった。


「俺のこと、ただの兄としてしか見てない?」
「え……?」


どういう意図で発された言葉なのかわからない。
柊斗は固まっている俺の頬を包んでいる指を微かに動かして、俺の唇を撫でる。


「……嫌だったら、止めて」


柊斗は真剣な顔でそう言うと、俺に顔を近づける。
今までにないほど近づくその顔に、瞬きすらも忘れる。
何かを考えるという行為自体を忘れるほど、俺は柊斗に目を奪われていた。

唇に、柊斗の息が掛かるのを感じる。
それでも俺はまだ、柊斗から目を離すことができなくて。
ただただ、柊斗にされるがままだった。

柊斗の唇が、俺に触れそうになったその時────


「ただいま〜」


玄関から母親の声が聞こえて、柊斗が俺の頬からパッと手を離した。


「おかえりなさい」


柊斗が何事もなかったように立ち上がって、母さんに言う。
その間、俺はずっと放心状態だった。


「理玖?どうしたの?」
「あ、や、なんでもない。おかえり」


母さんが座ったまま固まっている俺の様子をうかがう。
慌てて首を振って、どこかに行きかけた思考を取り戻す。


「今日の夜ご飯はハンバーグにしようと思ってるんだけど、どうかしら?」
「ああ、うん。いいんじゃない?」


軽く頷きながら、「じゃあ俺部屋戻る」と言って部屋に駆け戻る。階段を駆け上がったとき、「バタバタしないでよ〜」と母親に言われたけど無視だ。
扉を閉めて、ベットに飛び込む。
ずっと使っていて硬くなった枕に顔を埋める。息がしにくいけど、それどころじゃない。

ましてや、母親に言われた夜ご飯が何かなんて、頭の中には入ってこなかった。

だって、俺今────


柊斗とキスしようとした?


あのタイミングで母さんが帰ってこなかったら俺、どうなってただろう。
俺はあの時の柊斗の言葉にどう返すのが正解だったんだろう。
頭の中で消化しきれない疑問が次々と湧いてくる。

でも、それよりも。


柊斗はなんで俺にキスしようとしたんだろう。


これが、他の全てをかき消した。

もしかしたらキスをしようとしたんじゃなくて、他の何かをしようとしていたのかもしれない。
などと、筋違いな考察ばかりが頭の中をよぎる。

だって、そうしないと。


柊斗が俺のこと、好きってことになるじゃん。


いくらなんでも都合が良すぎる。
好きになった人が、クラスメイトで、家族で、兄弟で。
近くにいれる条件はもう十分と言えるほどあるのに、まだ増えるとか、前世にどんな徳を積んでも無理な話だろう。

状況が読み取れなかった俺は、そうやって現実から必死で目を背けることしかできなかった。