朝、夜と昼の寒暖差が次第に大きくなり、肌寒さを感じるようになった。
耳元で鳴り響くアラームを止め、名残惜しく思いながらも布団から出る。
部屋のドアを開けると、ちょうど隣の部屋から柊斗が出てきた。
「おはよう」
「はよ」
軽い挨拶を交わした後、階段を降り、ダイニングに行くと、母さんが朝ごはんの準備をしていた。
「おはよ」
「はよございます」
俺と柊斗が声をかけると「おはよう〜」と伸びた声で返される。
柊斗のお父さんである守さんにも挨拶をしようと、いつもの定位置を見ると、そこには守さんの姿がなかった。
「あれ、守さんは?」
母さんに聞くとにっこり笑って返された。
「守さん、出張なんだって。なんでも、大事な商談らしくて。何日か泊まりで行ってるの」
「あ、そうなんだ」
この家の大黒柱である守さんには頑張って欲しいものだ。
そんなことを考えながら朝ごはんを食べ、準備を終える。
母さんに「いってきます」と声をかけて家を出る。
「……さむ」
愚痴を呟いていると、ちょうど正面の家のドアも開いた。
「あ、理玖。おはよ」
「おはよ、大和」
「寒くない?」
「寒い」
大和と軽い会話をしていると、目の前が真っ暗になる。
「うわっ」
一瞬何が起きたかわからなかったが、そこから感じられる温もりから、誰かの手であることがわかった。
その手に力が入り、グイッと引き寄せられる。
「な、なに?柊斗」
「別に」
俺の後から家を出てきたらしい柊斗の不機嫌な声が、頭上から降ってくる。
その手にもう一度グッと力が入った後、ゆっくりと離れた。
外の明るさに目が慣れるまで眉を顰める。
「早く行こ」
柊斗は俺の腕を掴んで歩き出す。
それに引かれるがままに歩くと、大和がため息をつく。
「風間、強引じゃない?」
「…誰のせいだと思ってんだよ」
「誰だろうなぁ〜」
「まじうざい」
「うざくて結構」
いつものように柊斗と大和の口喧嘩が始まる。
この2人の喧嘩の原因は俺だ。なんでかはわかんないけど。
ふと考える。
この2人の間に俺がいなければ、2人は喧嘩なんてしないだろう。
これも、柊斗のあの発言の理由なのかもしれない。
「兄弟じゃなかったら良かったのに」
その言葉の真意を考えたら、俺が柊斗から離れるべきなのに。俺はまだ、柊斗の優しさに甘えている。
沈んだ気持ちを抱えながらしばらく歩いていると、学校が見えた。
正門に向かっていると、ふと柊斗が俺の腕を掴んで立ち止まる。
「柊斗?」
柊斗は俺の呼びかけが聞こえていないのか、正門の方向をじっと見つめている。
「柊斗」
柊斗をもう一度呼びながら、柊斗の見てる方向に視線を移そうとすると。
「理玖、片桐、裏門から入ろ」
どこか焦ったような声で柊斗が言う。
「え?」
「なんで?正門見えてるけど」
「いいから!!」
俺と大和の言葉を遮るように柊斗が声を上げる。
今までで聞いたことのないような大きな声だった。
「……ごめん。でも、お願い」
我に返っても真剣に言う柊斗に、「わかった」と頷いた。
「なんかあったの?」
「…………なんでもない」
裏門に向かっている途中に聞いたけど、はぐらかされた。
絶対になにかあるが、これ以上は踏み込むな、というオーラを感じて口をつぐんだ。
ーーーー
その日の柊斗は、心ここに在らず、という感じで様子がおかしかった。
高野や大和がちょっかいをかけても反応しないし、話しかけても上の空だった。
まるで、他に考え事をしているようだった。
放課後になり、帰ろうと席を立つ。
柊斗と大和とはいつも一緒に帰っているので、柊斗の元へ歩く。
「柊斗、帰ろ」
「……ごめん。しばらく一緒に帰れない」
「えっ、なんで」
俯いて神妙に放たれたその言葉に、眉を顰める。
俺の隣に来た大和も、柊斗の様子を伺っているようだった。
「…………委員会。ちょっとの間忙しくなりそうだから、先帰ってて」
「俺、待てるよ」
「いい。先帰れ」
いつもは委員会で残る時でも一緒に帰っているのに、いきなり突き放されたような感覚がする。
命令するような口調も、柊斗から聞いたことはなかった。
「理玖、行こ」
大和が俺の腕を引く。
「で、でも……」
戸惑う俺の後ろで、柊斗が立ち上がる。
また喧嘩が始まるのかと危惧するが、今回はそうではなかった。
「片桐」
「……なに?」
「理玖を頼んだ」
「は?」
柊斗は大和にそう言うと、俺たちの隣を通り過ぎて教室を出て行った。
「あいつなに?急に態度変わったけど」
「わかんない」
どうやら大和も困惑しているらしい。
2人で柊斗が出て行ったドアを見つめていると、塚田たちがこちらに来た。
「今日の柊斗、なんか様子おかしかったよな」
塚田の言葉に頷く。
流石に全員柊斗の異変には気付いているようだ。
「前もあったよね、こんなこと」
「今回も、それ?」
椎谷の言葉を受けた高野の言葉に、俺と大和を除いた3人の雰囲気がピリッと張り詰める。
「なんか知ってんの」
「まあ……まだそれと決まったわけじゃないけど」
大和が聞くと、椎谷が歯切れ悪く答える。
なにかはわからないが、よくないことなのはわかった。
「とりあえず、日永と片桐は先帰ってろ。柊斗は一旦俺らに任せて」
塚田はそう言って、口角を微かに上げた。いつもと違う塚田の笑顔に、ことの重大さが現れている気がした。
「俺もなにかできることない……か」
言いかけて、自分で結論が出る。
これまで散々柊斗に迷惑かけているんだから、俺はこれ以上なにもしないほうがいいだろう。
「わかった。じゃあ俺ら帰るわ」
黙った俺を見かねたのか、大和が重い雰囲気を断つように言う。
「行こう、理玖」
「……うん。じゃあ、また…明日。柊斗のこと、頼んだ」
そうみんなに言うと、全員が真剣な顔で頷いた。
後ろ髪を引かれる思いをしながらも、俺と大和は教室を出た。
ーーーー
正門に向かいながら、口を開く。
「……柊斗、どうしたんだろう」
「…………さぁ」
軽く返しながらも、頭では考えているのだろうと、大和の様子から予想できた。
正門を出ると、ツンとした人工的な匂いが鼻をかすめる。
うわ、甘……
香水の匂いだろうか。風に乗ってやってくるその匂いに、少し気分が悪くなる。
だが、その匂いはどんどん強くなっていく。
「ねぇ、あなた達」
声をかけてきたのは、その匂いの元だった。
閑静な住宅地の中に佇む学校には合わない、真っ赤な服を着た、目つきの悪い金髪の女性だった。
見た限り、俺の母親と同い年くらいだ。
「風間柊斗って知らない?この学校の2年……、だったかしら?」
知っている名前にどう返答するべきがわからず固まっていると、俺とその女性の間に大和が立つ。
「知りません。仮に知ってても、他人の個人情報は教えられません」
きっぱり言う大和に、その女性は張り付けたような笑みを浮かべる。
「他人じゃないわ。私は柊斗の母親よ」
「は?」
思わず声が出てしまう。
今の柊斗の母親は、俺の母さんになっているはずだ。
混乱していると、柊斗の母親だと名乗った女性が俺にずいっと近づいた。
「なにか知ってるの?」
「い、いえ」
慌てて首を振る。
これ以上ボロを出すまいと俯くと、大和が俺の腕を引っ張り、自分の背中に隠した。
「じゃあ、俺たちはこれで」
大和はそう言うとズカズカと歩き出す。
俺も小走りで大和に追いついた。
しばらくいつもより速いスピードで歩いた後、大和が後ろを確認する。
ついてきていないことを確かめ、スピードを緩めた。
なんとなく、近づいてはいけない人だと頭の中で警告が響いていた。
「風間の……元母親?」
大和がポツリと呟く。
たしかに、そうとしか考えられない。
俺と柊斗との間では、前の家庭の話はタブーだった。
だから今まで、柊斗の前の母親の話なんて聞いたことがなかった。
片親になる状況は主に2つだろう。
俺のように親が死んでしまった時。
そして、親が離婚してしまった時。
この状況から察するに、柊斗は多分後者だ。
見た目で判断するわけではないが、あの女性がいい母親だったとは思えない。
「聞いたことないの、風間の元母親の話」
「……なかった。なんとなく、その話避けてたから」
「…そっか」
大和は小さくつぶやいて少し考える。
「……待ち伏せされてたんかな」
「えっ?」
「今日の朝。風間が正門避けてたじゃん」
「あ」
今朝のことを思い出す。確かに、そういうことなら柊斗が正門を避けてたことも説明がつく。
放課後も待ち伏せされていたくらいなら、朝に待ち伏せされていてもおかしくない。
あと味が悪い話だと感じながら歩いていると、家に着いた。
大和に手を振って別れる。
「理玖も気をつけなよ」
「うん。わかった」
大和の言葉に素直に頷く。
柊斗に迷惑をかけないために、最低限できることをしよう。
ーーーー
数日が経った。
柊斗と一緒に登下校することは無くなり、昼ごはんを食べる時も、柊斗は1人どこかに行ってしまう。
塚田や椎谷、高野が引き止めても無理だった。
柊斗を除いた5人での昼休みでも、暗い雰囲気に包まれる。
「俺らに任せろ、って言ってたけどどうなの?」
大和が塚田達に聞くと、みんな首を横に振った。
「前よりもひどい。俺らじゃなんとも」
「あの、さ……前には、何があったの?」
ずっと気になっていたことを聞く。
3人は、少し口籠る。
椎谷がはぁーっと息を吐いて、立ち上がる。
「場所、変えよう」
全員が同意して立ち上がり、教室を移動する。
俺たちが入った教室は、俺と柊斗がみんなに兄弟であることを明かしたのと同じ場所だ。特別教室棟にある、唯一の普通の教室。
それぞれなんとなくの距離を保って、椅子に座った。
椎谷は全員が座ったのを確認して、口を開いた。
「本当は風間自身が言わないといけない話だけど、多分あいつ言わないだろうから話すよ」
その前置きに頷く。
背筋を伸ばして、椎谷の話に耳を傾けた。
「あいつの元母親、とにかく酷い人でさ。いや、母親なんて言えないか」
「ギャンブル、浮気は当たり前。家のお金全部ホストに使うような、そんな母親」
「もちろん風間のことなんて、ちっとも気にかけてなくて。小学校とか中学校とかの行事とかにも来たことないって、風間が言ってた」
「風間のお父さんは仕事で忙しくて、なかなか風間との時間作れてなかったから、その状況気づいてなかったんだって。風間も母親に口止めされてたらしいし」
「ある時風間が結構な熱出したんだけど、元母親は病院にも連れて行かずに、家に1人で置いて遊びに行ったらしくて。仕事から帰ってきたお父さんが、熱出した風間に気付いて、結局病院まで搬送されるくらいの大事になった」
「それがきっかけで、風間が中学1年の時に離婚したんだ」
ここまでが、風間の母親の話。と椎谷が言う。
思っていたよりも壮絶な話に、息が詰まる。
「去年の今頃、風間の元母親が学校で待ち伏せして、風間にお金せびりにきたんだ」
「風間はトラウマになってたんだけど、父さんに迷惑かけたくないから言わないってずっと悩んでて」
「学校が終わるまで、図書室で時間潰して、裏門から走って帰る、みたいなこと繰り返してた」
「でも、あの母親が一回学校の中まで入ってきたんだよね」
衝撃的な言葉に息を呑む。
トラウマの相手が、近づいてくるなんてどれだけ苦痛だろうか。
「それも大事になったんだけど、結局、厳重注意って形になって終わった」
そんな感じ、と椎谷が締めくくる。
いつのまにか息を止めていたようで、はぁーっと深呼吸をする。
俺の知らないところで、そんなことが起きていたのか、と胸が痛くなる。
「あの時話聞き出すの大変だったよなぁ」
「うん、ほんとに」
塚田が腕を組みながら言う言葉に、高野が同意する。
「風間の父親は?」
高野がこちらを見て首を傾げる。
俺は首を横に振った。
「今出張で。家にいなくて」
あー、と塚田が頭を抱える。
タイミングが悪すぎる。
多分みんなが思ったことだろう。
「ともかく、風間のことも気にかけつつ、様子見するくらいしか、俺たちにはできないね」
椎谷がパンと手を叩く。
全員が黙って頷いた。
柊斗に拒絶されていては、なにもすることができない。
俺たちが勝手に柊斗の元母親に接触しても、柊斗の負担になるだけだろう。
俺はどこまでも無力だと、心の底から思う。
できることなんて、ないのかもしれない。
昼休みのざわめきが、やけに遠く感じた。
ーーーー
その日の放課後、教室を出ようとする頃には柊斗はいなくて、気になりつつも大和と2人で学校を出る。
塚田達に、「2人も一応裏門から帰りな」と言われたので裏門から帰ることになった。
なんとなく話す気にならなくて、黙って2人で歩いた。
しばらく歩き、家の近所まで着くと。
「理玖」
「な、なに」
急な大和の真剣な声に、体がこわばる。
「つけられてる」
「えっ」
「とりあえず俺の家まで走って」
そう言って大和は走り出す。
そのあとを追うと、パタパタと後ろから俺たちを追いかける足音が聞こえてきた。
背筋が冷えるのを感じながらスピードを上げて走る。
追ってくる相手は、あまり足は速くないようだが、ギリギリ振り切れないような距離感だ。
頭でなにも考えられなくなっていく。
走っているはずなのに、前に進んでいないような気すらする。
いつもより道のりが長く感じながら走り続け、なだれるように大和の家に転がり込んだ。
玄関に座って息を整える。
大和が鍵をかけたのを確認すると、体の力が抜けていく。
同じように座って息を整えている大和に聞く。
「追いかけてきたのって、柊斗の元母親?」
「……多分そう。気づいてよかった」
大和の言葉に、ホッと胸を撫で下ろす。
大和は息を吐いてゆっくり立ち上がる。
「俺の部屋来て。あの人がどっか行くまでここで待機ね」
「わかった」
大人しく頷き、俺も立ち上がる。
2人で2階にある大和の部屋に入ると、大和は窓を警戒しながら覗き込む。大和の部屋の窓からは、ちょうど俺の家が見えるのだ。
「……まだいるな」
険しい表情で大和が呟く。
俺も同じように窓を覗くと、あの時と同じ赤い服を着た元母親が俺の家の前に立っていた。
「理玖のお母さんは?」
「今は仕事だと思う」
「なら大丈夫。問題は風間だな……」
大和はそう言って考え込む。
俺はスマホを取り出して、高野とのトーク画面を開いた。
「一応高野達に言ったほうがいいよね」
「うん。できれば本人に言うのが一番だけど……あいつ俺らが知ってるって知ったらもっと突き放すだろうから」
大和はため息をつきながら言う。
事情を知っている塚田達でさえ、柊斗は突き放しているのだから、俺たちが知ってるとなったらどれだけになるかわからない。
高野に『家の前に元母親がいる』と送ると、すぐに既読がついた。
『マジ?風間、今さっき1人で走って帰った。塚田が話しかけたら、ほっとけ、って』
トーク画面を大和に見せると、顔を顰めた。
かなりまずい状況だろう。
『日永は?大丈夫?』
『今大和の部屋に避難してるから大丈夫』
『そう。気をつけて。今塚田達が電話かけてるけど出ないらしい』
「俺も一応かけてみる」
トーク画面を見ながら大和が言う。
でも、思った通り、電話には出なかった。
俺もかけてみるが、結果は変わらない。
「……このままだと、遭遇する」
大和の小さな呟きは、嫌な方向に昇華された。
ずっと窓の外を警戒していた大和が、「あ」と小さく声を出す。
慌てて俺も窓を覗くと。
「なんか、言い争ってない……?」
帰ってきたであろう柊斗と元母親が言い争っている。
柊斗の顔色はこの上なく悪い。
そんなことお構いなし、といったように元母親が責める。
控えめに言って見ていられなかった。
「俺、柊斗のとこに……!」
「待って」
走って柊斗の元に行こうとした俺を、大和が止める。
「なに…!」
「行かないほうがいい」
「っ、なんで」
「今行ったら、あいつがしてること、全部無駄になる」
「……風間に、迷惑かけたくないでしょ」
大和の言葉に押し黙る。
柊斗が俺を含めた全員を突き放しているのは、俺たちを巻き込みたくないからだろう。
それを知っているから、余計にもどかしい。
「あの母親がどっか行くまでの間だけ、ここにいて。風間とはそのあと、話せばいいから」
ね?と大和に諭される。
不貞腐れながら頷き、窓の外に目を移した。
あまり時間はたっていなかったのかもしれないが、俺からしたらひどく長く感じた。
柊斗と元母親の口論が終わり、柊斗が家の中に入っていく。
柊斗の元母親も、家から離れていった。
俺は急いで大和の部屋を出る。
今度は大和は何も言わなかった。
ーーーー
家のドアを開け、「ただいま」も言わずそのまま柊斗の部屋がある2階まで階段を駆け上る。
「柊斗!」
柊斗の部屋のドアを勢いよく開けて中に入る。
ノックもせず急に開けたのに、柊斗は大して驚かなかった。感情が薄れているのか、驚く気力も無くなっているのか、どちらかはわからないが、いつもと違うということだけは明白だった。
「……理玖」
柊斗はそう呟くと、ゆっくりと俺に近づく。
柊斗が何を考えているのかわからなくて、自分の体が強張っているのがわかった。
柊斗の手が俺に触れたかと思うと、強引に腕を引かれて抱きしめられる。
まるで、存在を確認されているような、そんな触り方だった。
その力はどんどん強くなっていく。
「どこ行ってたの、俺に黙って」
いつもの柊斗からは聞いたことのない、温度のない声に背筋が冷える。
答えたいのに、うまく声が出せない。
「…え、と、大和のとこ」
「……は?」
俺を抱きしめていた柊斗が俺から離れた。
柊斗の低く割れた声だけが、俺たちの間に落ちる。
柊斗の中で何かがぷつりと切れた音がして、その恐怖で柊斗の顔が見れない。
俺が柊斗から距離を置こうと、一歩下がった瞬間、壁まで一気に腕を引かれる。
ドンッ
肩が壁にぶつかり、そこからじわじわと痛みが広がっていく。
柊斗はそんなことお構いなしに、俺の手首を掴んで壁に押し当てた。
「前、約束したよな?あいつに触らせないって」
鋭い視線に、何も言えなくなる。
何を言ってもダメな気がする。
柊斗の求めている言葉が、俺にはわからなかった。
何も言わない俺を見て、柊斗は俺の手首を掴む力をさらに強めた。
「答えろよ」
いつもとはまるで別人のような柊斗に、逃げようと身を捩るが、手が離れない。
普段の優しさを知っているがゆえに、余計に怖かった。
そのまま、腰を抱えられるようにして、ぐいっとベットに落とされる。
「……し、柊斗?」
手首を押さえられて、柊斗の体重がのしかかる。
何が起きているかわからなくて唖然としていると、柊斗が俺の首筋に顔を近づける。
柊斗の息が首にかかり、ゾワゾワとした感覚が身体中に広がる。
「や…やめ……」
「俺がいない間に片桐のとこでこんなことしてたくせに?」
発されるたびに鋭さが増す柊斗の言葉に、まるで刺されたような感覚に陥る。
ずっと柊斗と目が合わない。
「し、してな……」
「嘘」
柊斗はそう吐き捨てて、また俺の首筋に顔を近づけた。
柊斗の息が、やけに荒い。
息が触れるたび、背中が勝手に跳ねる。
柊斗が俺の手首を掴む力がさらに増す。
体に力を込めて抵抗しようとするが、柊斗は俺を逃さない。
「や、やだっ」
怖い。嫌だ。なんで。
俺の頭はこれでいっぱいだった。
目頭が熱い。視界がぼやける。
声を出さなきゃと思うのに、息だけが震えて喉から漏れた。
柊斗が何を考えているのかわからない。
俺が柊斗に対して何もできないのも苦しい。
────俺の声は、柊斗に届かない?
「……っ、柊斗っ!」
いつのまにか浅くなっていた呼吸のわずかな隙間に、柊斗の名前を叫ぶ。
温かいような、冷たいような涙が伝っていくのを感じた。
一瞬、時が止まる。
そして、柊斗の俺の手首を掴む力が弱まった。
「あ………ご、ごめ…違っ……」
柊斗はそういうと、パッと手を離す。
そのまま後ずさるようにして、ベットから落ち、床に座り込んだ。
そして、柊斗は手をまるで自分のものではないもののように見下ろした。
その手は、微かに震えている。
「大丈夫」とか「平気」とか言えたらよかった。
でも、体が思うように動かない。
その言葉を堰き止めるように、喉が締め付けられる。
呼吸をするのに精一杯で、吐く息すらも揺れた。
いつのまにか、ポロポロと涙が溢れる。
出したいのは、言葉なのに。
反比例するように涙が出てきて、どうすればいいかわからない。
怖かった。 でもそれだけじゃない。 優しいはずの柊斗が、ここまで追い詰められていたことの方が、よっぽど胸に刺さった。
助けられない自分が悔しくて仕方なかった。
柊斗はグッと唇を噛み締めて立ち上がり、机の上にあった何かを手に取った。
俺がそれが何かを見る前に、柊斗は部屋を飛び出した。
待って、と声を出したいのに、嗚咽に阻まれて出てこない。自分の無力さに腹が立ってくる。
まだ震える手で目元を拭い、柊斗の後を追うように部屋を出た。
階段を降りるが、一階には誰にもいない。
玄関を見ると、柊斗の靴がなかった。
家から出て行った?
その事実が頭の中に入ってきた瞬間、心臓が嫌に音を立てる。
今なにが起こってるのかすらわからない。
混乱している頭のまま、靴を履き家を出る。
柊斗はどっちに行ったのかと左右方向を見ていると、正面の家のドアも開く。
「理玖?さっき部屋から風間が家から飛び出したの見えて、急いで出てきたんだけど……」
大和はそう言いながら俺の表情を見て、眉を顰めた。
「どした?なんかあった?」
「なん……でもない……」
大和と顔を合わせて感情が誘発されたからなのか、自分の声が震えすぎてなんの説得力もない。
自分でもそう思うくらいだから、大和をごまかせるはずもなかった。
「なにがあったの?」
「……おれのことより…っ柊斗のとこ、はやくいかないと」
今は自分よりも、柊斗のことが気がかりだ。
1人であの母親の元に行っているのかも。
またひどいことをされていたらどうしよう。
いろんな感情が重なり合って、俺の頭と心はぐちゃぐちゃだった。
ただ今は、柊斗のところに行かないと。
その一心で走り出そうとした。
が、その手を大和が掴んだ。
「理玖、ちゃんと話して」
「俺は、理玖がそんな顔してるのを見過ごすなんてしたくない。理玖だって……風間に、そんな顔見せたくないでしょ?」
大和の諭すような声に、じわじわと体の内側から感情が沸く。
目頭が熱くなって、俯いた。
「で、でも……柊斗が…」
「風間は学校方面に走ってった。まだ学校にいた塚田達にさっき連絡した。風間のいきそうな場所も見当ついてるって。だから、あっちは一旦塚田達に任せよ」
「……俺はっ」
「理玖」
俺の言葉を遮って、大和が真剣に言う。
混乱している頭に、スッと入ってきた。
「落ち着いて。大丈夫だから」
俺の不安を取り除くようにかけられる言葉に、目に溜まっていた涙がこぼれ落ちた。
「一旦俺の部屋来る?」
「……い、かない」
「わかった。じゃあここで話そ」
大和はそういうと俺の腕を引いた。
大和の家の前にある階段に腰掛けて、呼吸を整える。
「ゆっくりでいいから、何があったか話して」
大和に誘導されるように、口を開いた。
ーーーー
一部始終を話し終え、はぁーっと息を吐いた。
話しているうちに少し落ち着いた。
ずっと体に力が入っていたようで、深呼吸をすると体が重く感じる。
「理玖は、大丈夫?」
「え?」
「……押し倒されたりとか、してたでしょ」
大和はそう言って、俺の手首に目を向けた。
柊斗に掴まれた痕がまだ残っている。
「……その時は怖かったけど…でも、俺のせいだから」
「は?」
「柊斗がああなったの、俺のせいなんだよ」
俺が柊斗を不安にさせてしまったから。
なんの支えにもなれなかったから。
「んなわけない。それは100%あいつのせい」
大和は半分呆れた声で言う。
スッと立ち上がり、俺を見た。
「勝手に俺ら突き放して、1人でどうにかしようとした挙句、抱えきれなくなって暴発。どう考えたら理玖のせいになんの」
少し怒気が含まれたその言葉は、俺に向けられているようで、柊斗に向けられていた。
「理玖もそう思わない?自分勝手だって」
「……思う。もっと柊斗に頼って欲しい。柊斗は俺を守ろうとしてくれてたのかもしれないけど、俺はただ守られるなんて嫌だ」
足に力を込めて立ち上がる。
柊斗のところに行って、伝えないと。
柊斗はもう、1人じゃないってこと。
「行けそう?」
「うん。行く」
大和の言葉に力強く頷いた。
「じゃあ一つ、理玖にして欲しいことが────」
ーーーー
柊斗が向かった場所に見当がついている、と言った塚田達からメッセージが届く。
送られてきた場所は、学校から少し離れた場所にある、小さな公園だった。
大和と急いでそこへ向かう。
塚田達もまだ向かっている途中らしく、全員に緊張が走る。
「あ、あれ塚田じゃない?」
走りながら大和が指をさす。目を向けると、塚田達もこちらに気づいたようだった。
「日永、片桐!」
「もうすぐつく」
塚田と高野と合流する。
高野が的確に道を案内してくれるので、それに沿って向かう。
「てか、なんでここってわかるの?」
「柊斗が唯一あの母親に連れて行ってもらった場所なんだと」
大和の質問に塚田が答える。
そんな思い出の場所が、こんなことで使われてしまうことに、悲しくなる。
「風間、何する気なんだろ」
「……なんかを、持って行ってたのは見た」
「なんかって?」
「わかんない」
高野は「なんだろ」と考えながら走っている様子だった。
でも多分、渡したらダメなものだろう。そんな気がする。
「見えた!」
塚田が声を上げる。
全員なんとなくスピードを上げ、公園の柵を乗り越える。
「柊斗!」
その姿が見えた瞬間、叫んでいた。
柊斗はこちらを向いて、目を見開いていた。
「…………りく、なんで」
呆然として、消えそうな声で俺の名前を呼ぶ柊斗に心が痛んだ。
そんな俺たちの間に、何かが立ちはだかる。
「なに?こんなに引き連れて。家族水入らずで話してるんだから、邪魔しないでよ〜」
赤い服を身に纏った元母親は、気分が悪くなりそうな香水の匂いを引き連れて、張り付いた笑みを浮かべていた。
周りは暗くなっていたが、街灯の微かな光が、その赤い唇を照らした。
「って、あれ?あなた、日永理玖くん?」
急に名前を呼ばれて驚く。
なんで俺の名前が知られているのだろう。
「柊斗の義理の兄弟かなにかかしら?朝家の近くで待ち伏せしてたら、柊斗と同じ家から出てきたからびっくりしちゃった」
俺たちの関係性までバレていた。
ならいっそ、振り切ったほうがいい。
「そうです。俺たちの両親が再婚して、家族になりました。今の柊斗の母親は、あなたじゃないです。だから、これ以上柊斗に近づかないでください」
柊斗が俺を守ろうとしてくれたように、俺だって柊斗を守りたい。
元母親から目を逸らさずに、キッパリと言う。
「いいわよ」
案外サラッと言われて呆気に取られる。
だが、元母親はさらに口角を上げこう付け足した。
「もう柊斗からお金もらったし」
「は?」
俺、大和、塚田、高野は一斉に柊斗を見る。
柊斗はバツの悪そうに目を逸らした。
元母親の手には、通帳が握られている。
おそらく柊斗が持って行ったものはこれだったのだろう。
「おいなにしてんだよ柊斗!」
塚田が声を上げるが、柊斗は俯いたままだった。
「お前がこんなことする必要なんてな…」
「じゃあ誰が!」
高野が発した言葉を遮って、柊斗が叫ぶ。
俺を含めた全員が、息を呑んだ。
「じゃあ誰がっ……この家守るんだよ……」
だんだん語尾が小さくなっていく。
柊斗の声は震えていた。
「……っ、今父さん出張でいないし……俺が、理玖と理玖のお母さんを…家族を、守らないといけないって……っ」
柊斗は自立心も、責任感も強い。
おそらく、幼少期に育った環境からだろう。
だからこそ、「守らないといけない」と、自分を追い詰めてしまう。
一緒に過ごす中で、柊斗がこれほど家族のことを考えて行動してくれているのか、見てきたはずなのに。
俺はいつも守られてばっかりで。
面倒をかけてばっかりで。
柊斗が頼れなくて当然だ。
こんな俺のことを、誰が頼りにしたいだろう。
自分に腹が立って、手を握りしめた。
「じゃあ、そういうことだから〜」
柊斗の元母親は、泣いている柊斗に目もくれず、俺たちの隣を通り過ぎた。
何か言わないと。この人を止めないと。
そう思っているのに、体が動かない。
なんていえばいい?どうしたらいい?
頭の中はそれでいっぱいで、考える余裕なんてなかった。
その時。
「待ちなさい」
俺たちの後ろから、厳かで落ち着いていて、それでいて怒気を孕んでいるような声が響く。
俺には聞き覚えのある声だった。
「守さん?」
その声の主の名前を呼び、振り返ると、いつものような柔らかな雰囲気を一切感じさせない「父親」の姿がそこにはあった。
その隣に椎谷と、俺の母親がいる。
大和に『理玖たちの親に連絡して』と言われたので俺が連絡し、椎谷が守さんと俺の母親をここまで連れてきてくれたのだ。
「あら、守。久しぶりね〜」
「離婚する時に言ったはずだ。2度と、俺たちの前に現れないと」
「そうだったかしら?忘れちゃったわ」
守さんの圧に微動だにしない元母親に、怒りを通り越して呆れる。
「縁を切った子供に、金をせびるなど、大人のやっていいことじゃない」
「君のことだから、柊斗に『お金を払わなかったら、今の家族がどうなるか分かってるのか』とか言って脅したんだろう」
「せーかい。さすが元夫!なんでもお見通しね〜。理玖くんのことちらつかせたら、すぐお金渡してくれたわ」
そう言って元母親は俺を見て君の悪い笑みを浮かべた。
守さんは俺の前に立って、元母親を見据える。
「それは立派な犯罪だ。それに、ここへ来る途中に椎谷くんに聞いたが、前に一度学校にも入ったそうだな」
「あー!そんなこともあったっけ?結局柊斗には会えなくて残念だったなぁ」
俺は唇を噛み締めた。
この人は柊斗の苦しみを何一つわかっていないのだと。
「あなた、本当に母親だったの?信じられないわ」
黙って聞いていた俺の母親も、流石に耐えられなかったようで、この世のものではない、というふうな目で柊斗の元母親を捉えた。
「は?あんたに言われる筋合いないけど」
「私は柊斗くんの母親です。血は繋がっていないけど、実の息子のように大切に思ってる。悪いけど、私はあなたより、柊斗くんを愛している自信がある」
キッパリと言う母さんに、元母親の目の奥が揺らいだのがわかった。
母さんは柊斗の元に歩み寄り、優しく笑った。
「柊斗くん。気遣いができて優しくて、家族や理玖のこといつも考えてくれて、本当に自慢の息子よ」
「でもね。まだ慣れないかもしれないけれど、私はあなたの母親だから、もっと甘えて、頼ってくれていいのよ」
「息子が困っている時に助けるのが、親の役目なんだから」
母さんは柊斗の背中をさすって笑いかけた。
柊斗の肩が震えている。母さんがハンカチを渡しているのが見えた。
「それ、返しなさい。警察を呼ぶぞ」
守さんの腹に響くような低音が、柊斗の元母親を捕らえた。
柊斗の元母親はキッと全員を睨んだ後、手に持っていた通帳を守さんに投げつけた。
「もう知らないわ!勝手に家族ごっこでもやってなさいよ!」
そんなセリフを吐き捨てて、柊斗の元母親は走り去っていった。
張り詰めていた緊張が、解けていくのを感じた。
「みんな、迷惑かけてすまないね。車で家まで送るから、うちへ来なさい」
守さんがそう言い、みんなもホッとした様子で動き出した。
塚田、椎谷、高野が柊斗の元に駆け寄る。
「柊斗頑張ったなー」
「俺たちのこと頼っていいからね」
「今更迷惑かけるからとかないし」
3人はわらわらと柊斗を囲む。
「……うん、ありがと」と微笑む柊斗に、安心する。
全員で公園を出て、俺たちの家に向かう。
塚田達は柊斗を囲んで、驚くほどいつも通りに会話を繰り広げている。おそらく3人なりの気遣いなのだろう。
その会話を聞き流していると、隣にいた大和が俺の肩を叩いた。
「理玖、今日俺の家泊まる?」
重い雰囲気を出さないように気を使っているのか、言葉が妙に軽かった。
柊斗の元母親問題は解決したと言ってもいいかもしれないが、まだ俺と柊斗の間に会話はないままだった。
それを見越して、大和は声をかけてくれたのだろう。
「ううん、大丈夫。ちゃんと話すから」
「そっか。またなんかあったら言って」
「うん。ありがと」
ちゃんと柊斗と話したい。
朝に校門に柊斗の元母親が待ち伏せしていた日から、まともに柊斗と話をしていないから。
そう決心を固めていると家に着く。
大和と別れ、残りのみんなに目を向ける。
守さんが車を出して塚田、椎谷、高野を送るそうなので、俺と柊斗も同乗しようとしたが、「2人は疲れてるだろうから」と断られた。
結局、守さんと、うちの母親、そして3人が車に乗り、俺と柊斗は家に帰ることになった。
「知らないけど、なんかあったでしょ。多分」
高野は俺にそう耳打ちして、車に乗り込んで行った。
「仲直りしろよ」的なニュアンスだろうか。
高野も大和も、下手したら全員、なにかを察する能力が高いなと思う。
みんなを乗せた車を見送って、家に入った。
ーーーー
手を洗い、ソファーに座ると、体がどっと重くなった。
思っていたよりも疲れていたと感じる。
息を吐いて背もたれに全体重を預けていると、さらにソファーが沈んだ。
振動が隣から感じられて、体を起こすと、隣に柊斗が座っていた。
「……理玖」
小さな、そしてどこか泣きそうな声で柊斗は俺を呼ぶ。
「本当にごめん。今日のこと」
「俺、理玖に酷いことした。怖がらせて、傷つけた。ほんと、ごめん」
柊斗が頭を下げる。
柊斗はそれ以上、言葉を紡がなかった。
「元母親が来て、頭がいっぱいだった」とか、言い訳は色々あるのに。
もっと言い訳をしてくれていいのに。
全部、受け止める覚悟が俺にはあるのに、なにも言わない。
どこまでも、柊斗は自分を責めてしまうのだと実感する。
「柊斗」
俺が呼ぶと、柊斗の体がピクリと動いた。
「……確かに怖かった。でもそれは、いつもの柊斗じゃなかったからで。俺は……柊斗に触られるの嫌じゃない」
「柊斗が、色々抱え込んでるのも知ってたし。俺が、頼りにならないのもわかってた」
「だから、そんなに謝んないで」
俺は自分の手を柊斗の手に重ねた。
俺の思いは、柊斗に届いているだろうか。
確かめたくて、柊斗にグッと身を寄せる。
柊斗の首元に顔を埋めて、背中に腕を回した。
「俺、怒ってないし、傷ついてもないから。安心してよ」
柊斗は微動だにせず、固まっているようだった。
まだ自責の念に苛まれている柊斗に、少し思案する。
雰囲気を明るくするために、冗談を言うことにした。
「……まあ、ぎゅってしてくれないと、傷つくかもしんないけど?」
少しイタズラにそう笑うと、おそるおそる柊斗が俺の背中に腕を回した。
久しぶりに感じたような気がするその優しさに、安心する。
「……ごめん、理玖」
「謝んのなし。いつもの柊斗に戻ってよ」
「……うん」
柊斗の腕が、ぎごちなく俺の背中に回されたまま、時間がゆっくり流れた。
柊斗の胸元に頬を寄せたまま、俺は目を閉じる。
さっきまで荒れていた鼓動が、少しずつ緩んでいくのがわかった。
肩に、ぽつ、ぽつ、と温かいものが落ちてくる感覚がある。 柊斗が、ようやく安心できて、張りつめていた何かが緩んだのだとわかった。
そっと背中を撫でると、柊斗は俺の服を弱い力でつまんで離さなかった。
「……理玖」
俺を呼ぶ声が、少し掠れている。
「ここ……いて」
縋るようなその声に、胸がキュッと締め付けられた。
「うん」
そう答えて、俺はさらに腕に力を込めた。
俺は何もできないから、せめてこれだけでも。
柊斗の息が、俺の首元に静かに触れる。
鼻を啜る音と、微かな呼吸の音だけが部屋に響いた。
やがて柊斗は、俺の肩に額を押し付けるようにして、小さく息を吐いた。
「……ありがと」
柊斗はそう言って俺から離れた。
柊斗の温かさが、まだ体に残っていて今更ながらドキドキする。
そんな俺をじっと柊斗が見つめていた。
「……また、理玖に触ってもいい?」
おずおずと言う柊斗は、俺の存在を確かめるように、俺の手に指を絡めた。
柊斗にとって、触る=存在の確認、なのかもしれない。
まだ不安は拭いきれていないようだから、俺は大人しく頷く。
柊斗はホッとしたように息を吐き、ソファーの背もたれに身を預けた。
そのまま目を閉じて眠る体勢に入る。
「柊斗、寝るならお風呂入ったら?」
「ん……ちょっとだけ」
そう言って柊斗は俺に寄りかかってきた。
手は、まだ繋がれたままだ。
やがて、規則正しい寝息が聞こえてくる。
柊斗の顔が疲れているように見える。
もしかしたら眠れていなかったのかもしれない。
そんなことを考えながら、繋がれている手の指で柊斗の手を撫でる。
無意識なのか、柊斗がその手をまた、ギュッと握った。


