夏休みが終わり少し経った。学校に植えられている木の葉は、青々しさが少しおさまってきたように感じる。
暑くもなく寒くもない。このくらいの時期が俺は一番好きだ。


「理玖、多分15分くらいで戻ってくる。待ってて」


放課後。俺にそう言ったのは柊斗だ。今日は家族でご飯を食べに行くので、目的地まで柊斗と一緒に行くことになっている。
「どこかに行くときは一緒に行ってほしい」という俺の言葉を律儀に守ってくれている。そんなところにも心臓が脈うつのは、自分が単純だからだろうか。

委員会に行こうとする柊斗の言葉に頷くと、柊斗は微かに頬を緩めて教室から出ていった。


「じゃあ俺は帰るね」


隣でガタッと立ち上がったのは大和だ。いつもは家が近い、俺、柊斗、大和の3人で帰っているのだが、今日は例外だ。
大和に「また明日」と手を振り見送る。
そんな俺の元に塚田がやってきた。


「あれ、日永帰らんの?」
「うん」
「え、なに?風間とデート?」


座っている俺の頭上からそう言ったのは高野だ。
「家族でご飯行くだけ」と返す。
塚田、椎谷、高野も見送っていると、教室からほとんどのクラスメイトがいなくなっていた。
残っているのは俺と一軍女子3人だ。
一軍女子3人は、どこからともなくお菓子を取り出し、机を合わせている。


「女子会だ女子会」
「え、これ美味しいやつじゃん。どこで買ったの」
「駅前のスーパーに普通にあったよ」


どうやら女子会が始まるらしい。
教室にはその3人と俺しかいないから、なんとなく居心地が悪くなる。
教室で柊斗を待っておくつもりだったが、場所を移動しようか。などと考えていると。


「日永くんも話そーよ」
「……え、俺?」


1人がこちらを見て手招きする。
これ、どう返すのが正解なんだろうか。


「……女子会、なんでしょ。俺、男だよ」


自分でも意味不明な返しすぎて、穴があったら入りたい。こういう時にさらっと返せるあのイケメンたちは、つくづく凄いと思う。


「日永くんは姫ポジだから大丈夫!」
「ひ、姫?」
「ほら、早く〜」


困惑していると背中を押される。そのまま女子たちの机まで連れてこられ、席に座らされた。


「はい、好きなように食べていいから!」
「あ、ども…」


チョコのお菓子を渡されたので、袋を開けて口に放り込む。咀嚼していると、1人が口を開いた。


「姫ポジの日永くん的には誰が推し?」
「姫ポジってなに?」


姫ポジとか推しとか、急にわからない単語を羅列しないでほしい。


「あのイケメン5人組に結構甘やかされてるじゃん」
「俺が?」
「自覚ないんだ」


どうやら甘やかされるポジションのことを姫ポジと言うらしい。全くそんなことを考えたことなかったので心外だ。


「特に風間くんと片桐くんね!」
「あの2人はやばい」
「塚田くんと椎谷くんは面倒見がいい、って感じだけど、風間くんと片桐くんはなんというか世話焼き?」


俺を放って3人が盛り上がる。
高野の名前は今のところ出てきていない。


「で、日永くん的には誰が推し?」
「推しって?」
「え〜?そう言われると難しいね」


3人が考えている間、チョコのお菓子を一つ口に入れる。
1人がパンと手を叩いて挙手する。


「応援したい!って感じの人かな。ほら、アイドルとか見てる感情と似てる」
「なるほど?」


なんとなくだけど、わかった気がする。
その上で、あの中から選ぶとなると難しい。


「みんないいやつだから、特にこの人とかはないかも」
「じゃあ箱推しだ」
「箱……?まあ、そんな感じ」


理解するのを諦める。とりあえず話を合わせておこう。


「わたしは片桐くんかなー!普通にかっこいい」
「私は高野くん!」
「え〜?迷うけど椎谷くんかなぁ」


女子の中でも結構分かれてるんだな。
まあ、そりゃそうか。全員個性強めだから好みは分かれそうだ。

止まらない彼女たちの話を8割くらい聞き流していると、「そうだ!」と1人が声を上げる。


「日永くんってさ、好きな人いないの?」
「えっ」
「日永くんの周りって結構恋愛にドライな感じじゃん?日永くんはどうなんだろうって思って」


確かに、あの5人から恋愛の話とか聞いたことがない。
単に興味がないのか、モテすぎて感覚が麻痺してるのか。勘だけど後者っぽいな。


「いるの?好きな人」
「えっ…と、いや、なんというか……」
「絶対いるじゃん」
「なんか、日永くんが甘やかされる理由がわかった気がする」


歯切れの悪い返答しかできない俺に、隠すことなんてできるわけもなかった。
3人がキラキラと目を輝かせている。
なんとなく嫌な予感がする。茜がモデルを頼んでくる時と同じ感じだ。


「誰?」
「同じクラス?」
「先輩?後輩?」
「い、いや、言わないよ」


これ以上ボロを出すわけにはいかない。
問い詰めてくる3人に、俺は首を横に振り続ける。


「じゃあ、その人のどんなところが好き?」
「どんなとこ…?」
「ほらほら早くー」


これは何か言わないとこの話終わらないな。
首を横に振るのを諦め、腕を組んで考える。


「……いつも気にかけてくれたり、助けてくれたりするとことか、約束守ってくれるとことか、一緒にいると安心するとこ?」


言い切ってハッとする。
俺はなんでこんなに真面目に答えてるんだ。
恥ずかしくなって俯く。


「めっちゃ好きじゃん」
「日永くんってやっぱ姫ポジだよね」
「誰なのか気になりすぎるんだけど」


3人が口々につぶやく。
熱が集中した顔を手であおいで冷ましていると。


「告白とかしないの?」


1人の言葉に、グッと押し黙る。
考えを巡らせて、口を開いた。


「…………しない。気まずくなるの嫌だし。それに……好きになったら、ダメな人だから」


クラスメイト、友達、家族、兄弟。
これ以上、柊斗と繋がっていいわけがない。
それに何より、柊斗は俺のことを弟としてしか見ていないから。
この気持ちは隠しておかなきゃいけないんだ。
キュッと口を結んだ俺に、3人はなにかを考え出す。


「好きになったらダメな人?誰だろ」
「あっ!もしかして……」


ひらめいた、と言わんばかりに1人が声を上げる。
もしかしてバレた?
そうビクビクしながら固唾を飲み込む。


「体育のゴリ先?」
「違うわ」


咄嗟に突っ込んでしまった。
ゴリ先、とはこの学校の体育教師である武岡先生の愛称だ。ガタイがいいため、そう呼ばれている。


「だって、禁断の恋と言ったら教師と生徒じゃん?」
「だとしてもゴリ先はない」
「どうせならあの社会の若い先生とかにしなよ」
「あー!あの先生イケメンだよね」
「サッカーできるらしいよ」
「まじ?カッコ良すぎじゃん」


話が急カーブしていくのを俺はそのままにする。
いつのまにか社会の先生の話になっていた。
話が逸れて良かったとホッとしていると。


「何話してんの?」
「うわっ!?」


頬を手で挟まれたかと思うと、そのまま真上を向かされた。
1人の人物が俺を見下ろしている。


「あ、風間くん!」


ドキドキしている俺の横で、女子が名前を呼ぶ。
柊斗はこの状況が飲み込めない、というように眉を顰めている。


「日永くんの好きな人の話してたの!」
「え、ちょっと!言わないでよ」
「さっきもめっちゃ惚気てたし」
「まじで!ダメだって!」


なんでよりにもよって当の本人に言っちゃうんだ。
慌てて3人を止めていると、またグイッと上を向かされた。


「……誰?」


いつになく真剣な表情に、何も言えなくなる。


「同じクラス?他のクラスか、先輩後輩もありえるか」

「ねぇ、誰?」


逃がさない、と言っているような、それでいて不安そうな瞳にたじろぐ。
俺はどう返すのが正解なんだ。


「風間くんは好きな人いないのー?」


俺がぐるぐる考えているのを見かねたのか、1人が柊斗に聞く。
ありがとう、今度お菓子でも渡そう。
そんな呑気なことを考えていると。


「…………いる」
「いるの!?」


静かに頷いた柊斗に驚いてそのまま立ち上がる。
女子も驚いて唖然としているようだった。


「……誰?」


おそるおそる聞くと、柊斗はじっと俺を見つめる。


「……言わない」


俺が言わないんだったら、柊斗も言う筋合いはない。
そんなことわかっているはずなのに、胸の中がモヤモヤする。
ちょっとした沈黙の後、柊斗はカバンを持って教室から出て行ってしまった。
俺はその場で立ち尽くしていたが、3人の視線を感じて我にかえる。


「……あ、じゃあ、俺も行くね。また明日」
「うん、またね!風間くんと仲良くねー!」
「頑張ってー!」
「好きな人と進展したら教えてねー!」


柊斗の後を追って教室を出る俺に、女子たちが声をかける。
廊下に出ると、柊斗は既に歩き出していた。
遠ざかっていく柊斗の背中に、妙に悲しくなる。


「待って、柊斗」


そう声をかけると止まってくれる。
小さな優しさに、やっぱり好きだと再認識する。
小走りで追いつくと、柊斗は俺を見てグッと唇を噛み締めた。


「……兄弟じゃなかったらよかったのに」


柊斗の口からこぼれ落ちたその言葉に固まる。

どういう意味で言ったのか。
答え合わせをしたいのに、返ってくる答えが怖くて聞けない。

柊斗が言いたいことは多分、こういうことだろう。

俺と兄弟じゃなかったら、柊斗の好きな人ともっと一緒にいれるのに。
でも柊斗は優しいから、いつも迷惑かける俺のことほっとけなくて。
兄弟なんて足枷のせいで、俺を気にかけなくちゃいけないから。

「理玖なんかと、兄弟じゃなかったら良かったのに」って。


「……ごめ」

ピロン


俺が謝ろうと口を開いたと同時に、柊斗のスマホが鳴る。


「父さんたち待ってるって。早く行こ」
「……うん」


結局謝ることもできなくて、俺はただ柊斗についていくだけだった。
少し前を歩く柊斗との距離が、やけに遠く感じた。