時間はゆっくり流れているようで、割と早い。
俺たちはあっという間に1学期を終え、夏休みに入っていた。
「みんなで花火しよーぜ!」
塚田のそんな一言で、ある日の夕方、俺たちは海に来ている。水平線に太陽が沈み始め、海はオレンジに染まっている。大きく息を吸い込むと、海の独特な匂いが肺を満たした。
「海とか久しぶり」
俺の隣でそう呟くのは大和だ。いつのまにか大和も、柊斗たち4人衆に馴染んでいる。イケメン同士で共鳴でもしているのだろうか。
「俺も久しぶり」
大和の言葉に同意すると、大和は「あ」と何かを思い出したように声を出す。
「昔一緒に行ったとき、理玖迷子になったんだっけ」
「思い出させないでよ……」
「あれからしばらく俺から離れなかったよね」
「ちょ、まじ、静かにして!」
大和は俺の幼少期の黒歴史を大量に知っている。こんなところで全員に知られたくない。特に高野には。
慌てて大和の口を手で押さえようとするが、軽く避けられた上に手を掴まれた。
「いいじゃん、可愛かったし」
「そういう問題じゃないって!」
大和に掴まれた手をブンブンと振って対抗していると、腕を引かれた。
「……いい加減離せば?」
「急になに?別にお前に関係ないじゃん」
俺の腕を引いたのは柊斗だ。相変わらずこの2人は犬猿の仲で、今もすでに喧嘩が始まっている。
大和がきて間もない時は、高野を除いた全員で止めていたが、最近はもう日常と化しているので誰も反応しない。
俺は2人の間に挟まれながら、他の3人に目を向ける。
「なあ!新!入ろ!海!な!」
「いやだわ。服濡らしたくないし」
テンションMAXで騒いでいる塚田と、それを冷たくあしらう高野は通常運転だ。塚田は高野を誘うことを諦めて、一人で波打ち際まで走って行った。つくづく塚田は犬みたいだと感じる。
「あんまり遠いとこ行かないでよー?」
そんな塚田に、母親のように声をかけるのは椎谷だ。このクセの強い面々をまとめ上げているのだから、相当な強者だと思う。
「日永も来てー!」
波打ち際から大声で呼ばれる。
柊斗と大和の間から抜け出す最大の契機だと思い、一歩踏み出そうとすると。
「うわっ」
一歩目で砂浜に足がとられてもつれる。
一瞬死を覚悟するが、俺が砂浜にダイブすることはなかった。
「大丈夫?」
隣にいた柊斗が咄嗟に腕を掴んでくれたからだ。反射神経からなにまでイケメンすぎるな、と感心する。
心臓が脈打っているのは、多分転びそうになったからだろう。
「だ、大丈夫。ありがと」
「……うん。気をつけてね」
柊斗はそういうと、俺の頭を撫でる。
前まではなんとも思わなかったのに、最近は妙に落ち着かない。
俺はまともに顔も見れないまま、塚田のもとへ走った。
「日永、なんか顔赤くね?」
「……夕日でそう見えるんじゃない?」
苦し紛れの言い訳と共に、しゃがんで海水を手で掬う。
これ以上追及はされたくない。
その一心で、俺は水を塚田にかける。
「うわっ、日永そういうことすんの?!じゃあ俺も容赦しないし!」
塚田が思ったよりも食いついてきて俺は一歩後ずさる。
塚田が水を掬い出したので、慌てて走り出す。
「ちょ、逃げんのなし!」
「そんなルールないだろ」
塚田の反発に返答しながら俺は走り続ける。
この際高野のところに塚田を連れて行って巻き込もう。いつも野次馬をしている仕返しだ。
俺は高野の下に一直線で駆け寄る。
「高野!」
「うわ、こないでよ」
「塚田、高野が入るってー!」
「言ってない」
後ろにいる塚田にそう声をかけると、「まじ!?」と嬉しそうな声が聞こえた。よし、なんとか成功したようだ。
「お前らももちろん入るよな?」
塚田は、逃がさない、というように柊斗、大和、椎谷に目を向ける。
3人は苦笑しながらも、「なにすんの?」と興味を示した。
「鬼ごっこ!鬼は交代で、10分経った時点で鬼だったやつがお菓子買ってくる!」
塚田が嬉々として提案する。いつのまにかちゃんとしたゲーム性を兼ね備えていて少し笑ってしまう。
「やっぱお菓子ないと始まらないからな〜」
花火をする、という目的を塚田は覚えているのだろうか。お菓子が目的になっている気がする。
「よし、じゃあじゃんけんで最初の鬼決めよ!」
塚田が拳を突き出し、全員で輪になる。高野が「だる」と小さく呟いていた。
じゃーんけーん、と間延びした掛け声の後、一斉に手を出す。
「まじか……」
絶望の声を出したのは、紛れもなく俺だ。
俺が出した手はグー。他の全員がパーだった。
「え、仕組んだ?」
「仕組んでないわ」
一応確認するが、高野にバッサリと斬られた。どうやら俺の運が悪かっただけらしい。
「じゃあ10数えるから、みんな逃げて」
ため息をつきながらそう言うと、全員が一斉に散らばる。10を律儀にカウントした後、俺は走り出した。
ーーーー
結果を言うと、俺の負けだ。時間終了のギリギリで高野が俺をタッチし、そのまま負けた。高野は許さない。
「じゃあ日永はお菓子ね」
「……わかった」
不貞腐れながら1人300円ずつ回収する。
高野は「だる」とか言ってたくせに一番楽しそうな顔をしていたのを俺は忘れない。
ため息をつきながら、この近くにコンビニは……とスマホを取り出して調べていると、大和が俺と肩を組む。
「この辺あんま来ないでしょ?1人で行ける?」
「あー……あんま自信ないかも……」
歯切れの悪い返答をすると、大和が俺の頬を突きながら「じゃあ」と続けた。
「俺が一緒に……」
「俺が行く」
大和の言葉を遮ったのは柊斗だ。
驚いてきょとんとしていると、柊斗が俺の顔をうかがう。
「……前、約束したから。覚えてる?」
じっと見つめられて、思わず視線を逸らす。確かに、俺が前に迷子になったときにそんなお願いをした。
「っ、うん。した」
「じゃあ俺でいいよね」
俺が頷くと、食い気味で柊斗が言う。
柊斗は「行ってくる」と俺の腕を引いて大和と引き離し、歩き出した。
塚田たちが「いってらー」と言う声が後ろから聞こえた。
ーーーー
海水浴場から出て、海沿いの道を歩く。
薄暗くなってきた辺りに、なぜか少しドキドキした。
「前にお願いしたこと、覚えててくれたんだ」
「……そりゃあ、まあ」
俺の言葉に柊斗は頷く。
少し間のある反応に、微かな違和感を感じた。
これは今日だけじゃない。
最近の柊斗はどこか控えめで、俺の顔色をうかがっているようで、少しぎこちない。
俺が歩き続けている横で、柊斗が歩みを止めた。
「柊斗?」
どうしたんだろう、と振り向くと、柊斗は真剣で、それでいてなにかに縋るような表情を浮かべていた。
「……あいつにベタベタ触らせんのやめたら?」
「え?」
「…っ、だから、片桐に触らせるのやめたらって」
柊斗の真剣な瞳に、目が離せなくなる。
「それって、どういう……?」
脈絡のない柊斗の言葉に、俺は答えを求める。
俺は何にこんなに期待してるんだろう。
「……理玖が、誰かに触られてんのやだ」
消え入りそうな声で言った柊斗は、ゆっくりと俺の手を取った。俺の左手を、ぎゅっと両手で包み込む。
「……だから、お願い」
グッと俯いた柊斗の顔に、影がかかる。
前髪の隙間から見える瞳が揺れていて、何も言えなくなる。「なんで?」って聞きたいのに、俺が欲しい答えが返ってこない気がして、なかなか踏み出せない。
知らないままでいいと思っている自分が、まだ心の内の多くを占めていた。
「…わかった」
結局、言えたのはそれだけだった。
ーーーー
「おー、遅かったなー」
「お前ら注文多すぎ」
俺と柊斗がみんなの元に戻ると同時に、柊斗が塚田たちに文句をこぼす。
「よし、じゃあ花火始めよーぜ!」
俺たちが買ってきた炭酸飲料を一口飲んだ塚田は、ニコニコとして手持ち花火の封を開ける。
「え、あれあるじゃん。打ち上げるやつ」
高野はお菓子を食べながら塚田の手元を覗き込んで呟く。打ち上げるやつ、というのは筒状の簡易的な打ち上げ花火のことだろう。
「それは最後!」
塚田はそう言いながら、一人一本ずつ花火を渡していく。
ろうそくに火をつけ、そこから火をもらって花火をつけると、ボォっと音を立てながら、緑色の火花が散った。
「おぉ……すご」
思わず感嘆の声を漏らすと、高野に笑われた。
悪かったな、語彙力なくて。
「やば!これ色変わる!健人動画撮って!」
「ちょっと待って」
「早く!終わっちゃう!やばい!柊斗!」
「なんで俺?」
塚田はずっと騒いでいて、椎谷は慣れたように対応する。柊斗は塚田にツッコミを入れながら近づき、大和は椎谷とスマホをのぞきながらなにやら話していた。
そんな4人を眺めていると、高野が俺の隣に来た。
「さっきなんかあった?」
「えっ?」
「なんか風間がいつもと違う気がする」
高野はそう小声で言うとちらっと柊斗の方を見た。
高野は意外と他人の機微に敏感だ。そんな高野に隠し事をするのは酷な話だろう。
「……大和に触らせるなって、言われた」
「なんで?」
高野の純粋な疑問に押し黙る。
多分柊斗はこう思っているんだろうと、自分で当たりをつけた。
「……わかんないけど、俺が……弟だからじゃない?」
柊斗が俺がどこかに行く時に着いてきてくれるのも、風邪をひいたら看病してくれるのも、いつも優しく気にかけてくれるのも、全部、俺が弟だから。
今日の話だって、多分そうだ。大和との距離の近さを心配してたのだろう。ただ、それだけだ。
心臓がズキズキと痛むのを無視して、俺は高野を見る。
「…高野は、なんでだと思う?」
「なんでだろうね」
いつかに聞いた高野の言葉は、花火のたてる微かな音と共に消えていった。
ーーーー
筒状の花火に火をつけると、パチパチと音がして花火が打ち上がる。
「うお、すげー!」
俺の背丈かそれ以上まで打ち上がった花火は、それなりの迫力がある。塚田が喜びの声を上げた。
みんな笑顔でそれを見つめている中で、俺は目を逸らした。
キラキラとした綺麗な火花や、日が暮れて、すっかり深い藍色に染まった海の中に浮かんでいる星が、俺の曇った心を際立たせているようだった。
大和が俺の顔をのぞきこむ。
「理玖、何考えてんの?」
「……わかんない」
自分が何をしたいのか、何を考えているのかもわからない。ましてや、柊斗が何を考えているかなんて、わかるわけない。
でも、なんでこんなに、辛いのだろうか。
俺が黙ると、大和はため息をついた。
「わかんないままにするよりも、自分の心に素直になったほうが案外楽だよ」
その言葉が、妙に自分の中に響いた。
ーーーー
「もう終わった……早すぎじゃね?また今度しよ!」
塚田がそう言い放ち、残念そうに空を見上げる。
それにつられるように空を見ると、微かな煙だけが残っていた。
みんなで片付けをして、帰路に着く。
塚田、椎谷を先頭に駅まで歩いていく。俺の隣は柊斗だ。
なにを言えば良いのかわからなくて口をつぐむ。今までどんな話してたっけ。
「……理玖」
「な、なに」
突然柊斗に名前を呼ばれて驚く。
柊斗は何か言いかけて口を閉じた。少し考えた後、もう一度口を開く。
「……今日は、楽しかったね」
微かに頬を緩めて笑う柊斗に、俺の心臓はそれだけで脈うつ。
「うん」
俺は頷く。
そうするとまた、柊斗は笑う。
『わかんないままにするよりも、自分の心に素直になったほうが案外楽だよ』
大和の言葉が頭の中に反響する。
今までずっと避けてきた。
知らないふりをしてきた。
でももう、それでも辛いなら。
素直になったほうがいいのかもしれない。
俺は、柊斗のことが好きだ。
兄弟とか、クラスメイトとかじゃなく、恋愛的な意味で。
柊斗は俺のこと、弟としか見てないから。
だから俺は、ずっと知らないふりをしていた。
好きになったらダメだと、心のどこかで思っていたから。
自分が辛くなるって知ってたから。
誰か教えて欲しい。
この気持ちを、俺はどうしたら止められる?


