「日永、これからよろしく」


俺の前に座るイケメンがほんの微かに頬を緩めた。
その後、「あ」と何か気づいたように続ける。


「もう日永じゃないんだっけ。じゃあ、理玖。よろしく」


大した接点のないイケメンから、なぜ俺がいきなり下の名前で呼ばれているのか。話は少し前まで遡る。



ーーーー



「理玖、お母さん大事な話があるの」
「え、改まってなに?」


夕飯を母親と2人で食べていると、神妙な面持ちで母親が話し出した。


「お母さん、再婚しようかなって思ってるの」
「へー……って、え?再婚!?」


夕飯と一緒に咀嚼しそうになったその言葉を慌てて吐き出す。食べていたものが気管に入って咳き込むと、母親が水を渡してきた。一気に飲み干し、母親を見る。


「急にびっくりさせちゃったわよね」
「うん、まあ……でも、お母さんがいい人がいるって言うならいいんじゃない?」


俺が幼いときに父親が死んでから、女手一つで俺を育ててくれたのだ。その母親がそう言うなら、俺は応援したい。


「いいの?理玖に兄弟ができることになるんだけど」
「うーん。別に俺のことは気にしないでいいよ」


兄弟か。今までいたことがないからどんな感じなのかわからないな。
あまり深く考えずに兄弟について想いを馳せていると、母親は目に涙を浮かべながら「ありがとう」と笑った。


「来週なんだけど、顔合わせも兼ねてご飯に行こうって話になってるの。理玖も来て欲しくて。いい?」
「あー、うん。わかった」


今は高一から高二に上がるタイミングの春休みだ。特に予定もないので頷く。
母親はまた「ありがとう」と言いながら涙を流した。
新しい父親と兄弟、どんな人たちなんだろう。俺はそのことで頭がいっぱいだった。



ーーーー



1週間とは早いもので、すぐに約束の日になった。
母親に連れてこられた店は、至って普通のレストランだった。母親がスマホを確認すると、相手方はもう到着して席についているらしい。店内を見渡すと、優しそうな男の人がこちらに手を振っているのが見えたので、母の肩を叩いて教える。母親が顔を明るくしてそちらへ歩いて行ったので、その後をついて行った。


「ごめんなさい。遅れてしまって」
「いいよいいよ。早くついてしまっただけだから」


母親が頭を下げると、男の人はにこやかに笑ってそう返す。見るからにいい人そうで安心した。


「そちらが理玖くん、だね」
「あぁ、はい。日永理玖です。いつも母がお世話になってます」


急に視線がこちらに移されて動揺する。たどたどしく挨拶をすると、男の人はまたにこやかに笑った。


「いい子そうで安心したよ。さあ、座って」


男の人に勧められて、俺と母親は席に座る。男の人と母親が対面に座り、母親の隣に俺が座る。何気なく顔を上げて俺の前、すなわち男の人の隣に座っている人物に目を移す。


「……えっ!?風間柊斗!?」


目が合った瞬間、思いっきり叫んでしまった。周りの人には迷惑かもしれないが、許して欲しい。なぜなら、風間柊斗は、同じ学校の、知らない人はいないレベルの一軍男子だったからだ。一言で言うと顔がいい。おそらく100人中300人がイケメン、というレベルの顔だ。たしか同い年だが、一年の時は同じクラスではなかった。


「なに、理玖。柊斗くんと知り合いだったの?」
「え、あ、いや。知り合いっていうか……同じ学校で同じ学年だから知ってる、って感じ」


母親に尋ねられて、曖昧に答える。その話題性から俺は風間のことを知っているが、別のクラスで接点もない俺のことを風間は知っているわけがない。
さっきから風間がじっと見てくるが、表情の変化が少なくてなにを考えているかわからない。


「日永……理玖、だっけ。知ってるよ」
「…え?なんで?」


風間からさらっと吐き出された言葉に驚く。俺風間と同じクラスだったっけ?なんか俺話題になることした?
なにを考えているかわからないくらい表情の変化がない風間の顔を眺めながら、ぐるぐると悩んでいると、風間が口を開く。


「……一年の時、日永が図書委員やってただろ。何回か図書室で見たことあって、それで覚えた」
「あ、そゆこと……記憶力いいね」
「……まぁ」
「「……」」


気まずい……
この会話で気づいたが、俺たち2人は会話が得意ではない。これから兄弟として上手くやっていけるだろうか。


「同い年なら、どっちが兄でどっちが弟かな?」


風間のお父さんが、気を遣ってくれたのか話題を提供してくれた。


「……それ、多分俺が弟だと思います」


せっかく提供してくれた話題だが、俺は確実に自分が弟であるという自負があった。
風間が首を傾げる。


「なんで?」
「俺、誕生日が3/24で、遅い方だから。そっちは?」
「俺は11/6。俺も結構遅い方だと思ってたけど、日永はもっと遅いんだ」


俺からしてみれば、早生まれではない人は遅い方ではない。上には上がいるのだ。とりあえずこれで、風間が兄、俺が弟ということは確定した。


「仲良くなれそうでよかったわねぇ」


母親はニコニコしながら俺たちを見つめる。会話すらたどたどしい俺たちが仲良くできるかは定かではないが、まあ俺は風間に嫌悪感とかはないし、風間も俺のことを嫌っている感じではなさそうだ。


「日永、これからよろしく」


そう言って風間が手を差し出してくる。
その後、「あ」と何か気づいたように続ける。


「もう日永じゃないんだっけ。じゃあ、理玖。よろしく」
「よ、よろしく。風間」


差し出された手を握ると、ぎゅっと握り返された。
風間はどこか不貞腐れたような顔をしている。


「理玖も俺のこと名前で呼んで」
「へ?」
「あー、えっと……その、家族になるのに苗字で呼び合ってたらおかしいだろ」
「たしかに……じゃあ、柊斗」
「うん。それがいい」


俺が名前を呼ぶと、微かに笑って頷いた。表情は硬くてわかりづらいが、よく見れば読み取れる。
なんとかやっていけそうだ。


「じゃあ、明後日からうちに来るってことでいいのよね?」
「え、明後日!?」


母親の言葉を反芻する。再婚の話もそうだけど、いくらなんでも急すぎないか。しかもうちに来る、ってこれから俺の家で一緒に暮らすことになるってことだよな。


「だってもうすぐ学校も始まるでしょう?早くしないと間に合わないじゃない」
「理玖くんは一緒に住むのは嫌かい?」


柊斗のお父さんが俺の顔をうかがうように見てくる。
俺はぶんぶんと首を振った。


「いや、そういうことじゃないです。びっくりしただけで」
「よかった……」


そう言ったのは柊斗のお父さん、ではなく柊斗だった。
なんで柊斗が言うんだろう、と柊斗を見ていると、慌てて口に手を当てた。


「……忘れて」


柊斗はそう言うと、片手は口に当てたまま、反対の手で俺の頭を撫でた。撫でるだけだったら忘れられないけどな、と思いながらもそれを受け入れた。
俺が反応しないとわかると、柊斗は俺を撫でる手を止める。


「…嫌じゃないん?」
「え?」
「撫でられるの、嫌じゃない?」


撫でた後にそんなこと言われても……と苦笑する。


「別に嫌じゃないよ。それに、なんか兄弟っぽいし」


兄弟だったらこういうこともあるのかなぁ、と浅い考察をしていると、柊斗は俺を撫で続けながら言う。


「じゃあ、これからいっぱい撫でるね」
「あ、うん。お好きなだけどうぞ」


別に減るものでもないので頷く。俺の頭を撫でるだけで、なにかメリットがあるのかはわからないが、これでこのイケメンとコミュニケーションはとれるらしい。
気まずくなったら頭を差し出そう。
と、知能低めな結論に至ったところで柊斗が俺を撫でていた手を離した。


「改めて、よろしく。理玖」
「よ、よろしく」


柊斗はニコ、と頬を緩ませて俺を見る。
イケメンに耐性のない俺は少したじろぐ。


どうやら俺は、一軍男子と兄弟になったらしい。