ベッドに寝転がりながら、スマホの画面に写し出されている文字を指でなぞってみる。
『おやすみ』
たったそれだけの文字なのに、むずがゆくなるのはきっとスマホを使い慣れていないせいだ。
結局、受け取り拒否を拒否されて持ち帰ることになってしまった翔のおさがりのスマホには、今のところメッセージアプリと、このスマホの位置がわかるらしいアプリが入っているだけだ。これが入ってれば、落としたり、なくしたりした時に翔のスマホからこのスマホを探せるんだって。よくわからないけど世の中にはいろいろと便利な機能があるもんだ。
連絡先は父親と優一朗さんと翔が入っているだけ。今後増えることはまぁないだろう。あっても、孝太郎くらいかな? 今は持ってないけど、きっと大学生になったら買うだろうしね。
そういえば、さっきこのスマホを孝太郎に見せたら、なぜかすごく残念なものを見るような目で見られた。
俺だって、こんな施しを受けるようなこと、本当はしたくない。
翔だって俺が嫌がることをわかってやってるから。つまりこれが翔のいう「遠慮しない」ってやつの一つなんだろう。
これから身が持つのか……ちょっと自分が心配になる。
ついつい漏れるため息を噛み殺して、俺はスマホをカバンにしまった。
「ねぇ明希、これからちょっと時間ある?」
「うん? 大丈夫だけど」
明日から修学旅行ということで今日は帰りが早いし、部活も休みだ。
結局、俺は先生の計らいで、無事修学旅行に行けることになった。先生は本当にぎりぎりまで待っていてくれたのだ。ただただ申し訳なくて。もう感謝しかない。授業の準備とか雑用とか、なんでもやります。
「明日の準備は大丈夫そ?」
「うん、休みのうちに準備しておいたから大丈夫」
「そっか」
にっこりと笑った翔の笑顔は今日も優しい。でも、やっぱり前みたいにただ甘いだけじゃないから。ちょっと身構えてしまう。最近の翔は特に俺の予想を超えることをしてくる。でもさ、いくら警戒しても軽々と予想を超えてくるの、本当に勘弁してほしい。
「は、初めまして、須藤 明希、です……」
連れていかれたのは数席のカウンター席しかない小さな鉄板焼き屋さんだった。外には看板とかなかったし、そもそもお店かどうかすらよくわからなくて。中に入ってみたらカウンターの向こうに鉄板があったから、あぁ飲食店なんだなとわかったくらいだ。多分、隠れ家的なお店なのだろう。
少なくとも俺が払えるレベルの店ではないことは間違いない。久々にパトラッシュにすがりたくなる。
しかも、そこにはとんでもない美男美女がいた。年代は俺の父親と変わらないくらいだが、美女は細身のパンツスーツを着こなし、きっちりと髪を結い上げた、見るからにシゴデキな雰囲気。美男は背が高く、ノーネクタイのシャツに少しだけ着崩したスーツがとても様になっている。そんな二人の最強顔面を足して二で割ったら、超絶イケメンである翔の出来上がりだ。
つまり、この二人は翔の両親だった。
「ごめんなさいね、急に」
「ほんとだよ。俺だって二人がそろってるところ見るの久しぶりなのに」
ぶつくさ言いながら翔が俺に座るよう勧めた席は翔のお母さんの隣。カウンターだから横一直線になるわけだが、なぜ翔が端っこなのか。キョドりながらも目で翔に訴えてみても、にこってされて終わりだ。さすがの俺もちょっとわかってきたぞ。これはあれだ、わかっててわざとやってるやつ。
なんの会なのか全く分からないが、とにかくこれだけは先に、と俺は座る前に椅子の横に立ち、二人に向かって頭を下げた。
「いろいろ助けていただいたと聞きました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。本当にありがとうございました」
俺の父親から電話で翔のご両親にお礼を伝えてると聞いてはいたが、こうやって直接会えたのだ。言葉では足りないことは十分承知だが、俺にはこれくらいのことしかできない。
「明希くん、頭を上げて。あなたが謝る必要なんてないのよ」
腕に添えられた手を辿って見上げれば、青みを帯びた灰色の瞳が優しく俺を見つめていた。そうか、翔の瞳はお母さん譲りなんだな。
「そうそう、困ってる人を助けるのが俺たちの仕事なんだから。それに、こっちとしても翔に頼られるっていう貴重な体験ができたしね」
後ろからひょっこりとこちらを覗き込んだ翔のお父さんは、翔の色味を変えて、もっとシャープにしたような出で立ちで。翔が年を重ねたらこうなるんだなと思わず想像してしまうくらいに雰囲気が似ている。遺伝子ってすごい。
つい、ぶしつけに見惚れていると後ろから翔に抱えられた。最近多いなぁこれ。
「ちょっと、明希。お父さんのこと見すぎじゃない?!」
「ははっ、余裕のない男は嫌われるぞ~?」
「うるさいな、もう早く座ろうよ」
実はちょっと心配してたんだ。前に翔から親は仕事が忙しくてほとんど家にいないと聞いていたから、あまり良い関係ではないんじゃないかって。でも、この短時間でも杞憂だったってわかったから、少しほっとした。
それに、普段余裕そうな翔の子供っぽい顔が見られるのは貴重かも。キラキラ遺伝子に囲まれた陰キャ代表の俺は消し飛びそうだけどね。
お店に他の客はおらず、あまり時間がとれないという翔の両親に合わせてか、すごく手際よく料理が運ばれて来た。最初の方に出てきた、でっかいししとうみたいなやつはなぜかめちゃくちゃ甘いし、お肉は口に入れた途端消えるし、ちょっと脳が追い付かない体験ではあったけれど。ご両親の仕事の話なんかも聞かせてもらって、とても楽しい時間だった。
「今日はありがとね、明希くん」
「いえ、こちらこそありがとうございます。ご馳走にまでなってしまって……」
「いいのよ、子供は甘えなさい」
息子さんにも甘やかす宣言されてるんですよ。諏訪野家は俺をだめ人間にしたいんだろうか。
「それに、私たちもあなたには感謝してるの」
お父さんが翔の肩を組んで二人が前に歩いて行ったのをちらりと見たお母さんは、少しだけ声を落とす。
「翔から聞いてると思うけど、私たちは翔が生まれた後も仕事ばっかりで、あの子との時間を優先してこなかった。しかもあの子、割と何でもさらっとやっちゃうでしょ? だから、それに甘えてしまっていたのね。今回あなたのことで電話をもらって。それが、あの子からかかってきた初めての電話だって気が付いて愕然としたわ」
学校の事なんかは家のお手伝いさんと秘書さんがやり取りしてたんだって。確かに特殊な環境ではあるけど。翔にとってはそれが”普通”だったんだろう。それをすっ飛ばして俺を助けてくれたんだ。そう思うと、胸がギュッと絞られたように痛む。
「翔にとってあなたとの出会いはとても良いものだったんだと思うわ。だって、あんな顔の翔、初めて見たもの」
クスクスと笑いながらお母さんが指をさした方を見れば、前を歩く翔が何度もこちらを振り向いては俺を心配そうに見ている。見守られている感がすごい。とりあえず、手を振っておく。
「そうだと、いいんですが……」
ほんとに、そうであったらいい。だって俺にとっては、そうだったんだから。
俺が翔に良い影響を与えられるとはやっぱり思えないけど。でも、後ろを向いてばかりいるのはやめないとな。それこそ翔に”許して”もらえなくなってしまう。
「こんなピュアな子を……大丈夫かしら……」
「え?」
「なんでもないわ。これからも翔をよろしくね」
「はい、こちらこそ」
途中よく聞こえなかったけど、なんて言っていたんだろうか?
翔の両親はこれからまだ仕事だと言って、それぞれの職場へ戻っていった。
学校を出た時はまだ高い位置にあった太陽は随分と地上に近づき、町を赤く染めている。ちらりと横を見上げれば、色素の薄い髪が夕陽の色を含んで輝きを増していた。ただでさえ細い目がさらに細くなってしまう。
「眩しいの?」
「すっごく」
翔が、な。
”甘える”っていうのはやっぱりわからないし、できる気がしない。でも、思ってることをちゃんと話したり、相談したり、今までは俺の中にしかなかった気持ちを、ちゃんと翔に向けて出していけるようになりたい。これからは俺も一緒に『線』を超えていきたいから。
『おやすみ』
たったそれだけの文字なのに、むずがゆくなるのはきっとスマホを使い慣れていないせいだ。
結局、受け取り拒否を拒否されて持ち帰ることになってしまった翔のおさがりのスマホには、今のところメッセージアプリと、このスマホの位置がわかるらしいアプリが入っているだけだ。これが入ってれば、落としたり、なくしたりした時に翔のスマホからこのスマホを探せるんだって。よくわからないけど世の中にはいろいろと便利な機能があるもんだ。
連絡先は父親と優一朗さんと翔が入っているだけ。今後増えることはまぁないだろう。あっても、孝太郎くらいかな? 今は持ってないけど、きっと大学生になったら買うだろうしね。
そういえば、さっきこのスマホを孝太郎に見せたら、なぜかすごく残念なものを見るような目で見られた。
俺だって、こんな施しを受けるようなこと、本当はしたくない。
翔だって俺が嫌がることをわかってやってるから。つまりこれが翔のいう「遠慮しない」ってやつの一つなんだろう。
これから身が持つのか……ちょっと自分が心配になる。
ついつい漏れるため息を噛み殺して、俺はスマホをカバンにしまった。
「ねぇ明希、これからちょっと時間ある?」
「うん? 大丈夫だけど」
明日から修学旅行ということで今日は帰りが早いし、部活も休みだ。
結局、俺は先生の計らいで、無事修学旅行に行けることになった。先生は本当にぎりぎりまで待っていてくれたのだ。ただただ申し訳なくて。もう感謝しかない。授業の準備とか雑用とか、なんでもやります。
「明日の準備は大丈夫そ?」
「うん、休みのうちに準備しておいたから大丈夫」
「そっか」
にっこりと笑った翔の笑顔は今日も優しい。でも、やっぱり前みたいにただ甘いだけじゃないから。ちょっと身構えてしまう。最近の翔は特に俺の予想を超えることをしてくる。でもさ、いくら警戒しても軽々と予想を超えてくるの、本当に勘弁してほしい。
「は、初めまして、須藤 明希、です……」
連れていかれたのは数席のカウンター席しかない小さな鉄板焼き屋さんだった。外には看板とかなかったし、そもそもお店かどうかすらよくわからなくて。中に入ってみたらカウンターの向こうに鉄板があったから、あぁ飲食店なんだなとわかったくらいだ。多分、隠れ家的なお店なのだろう。
少なくとも俺が払えるレベルの店ではないことは間違いない。久々にパトラッシュにすがりたくなる。
しかも、そこにはとんでもない美男美女がいた。年代は俺の父親と変わらないくらいだが、美女は細身のパンツスーツを着こなし、きっちりと髪を結い上げた、見るからにシゴデキな雰囲気。美男は背が高く、ノーネクタイのシャツに少しだけ着崩したスーツがとても様になっている。そんな二人の最強顔面を足して二で割ったら、超絶イケメンである翔の出来上がりだ。
つまり、この二人は翔の両親だった。
「ごめんなさいね、急に」
「ほんとだよ。俺だって二人がそろってるところ見るの久しぶりなのに」
ぶつくさ言いながら翔が俺に座るよう勧めた席は翔のお母さんの隣。カウンターだから横一直線になるわけだが、なぜ翔が端っこなのか。キョドりながらも目で翔に訴えてみても、にこってされて終わりだ。さすがの俺もちょっとわかってきたぞ。これはあれだ、わかっててわざとやってるやつ。
なんの会なのか全く分からないが、とにかくこれだけは先に、と俺は座る前に椅子の横に立ち、二人に向かって頭を下げた。
「いろいろ助けていただいたと聞きました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。本当にありがとうございました」
俺の父親から電話で翔のご両親にお礼を伝えてると聞いてはいたが、こうやって直接会えたのだ。言葉では足りないことは十分承知だが、俺にはこれくらいのことしかできない。
「明希くん、頭を上げて。あなたが謝る必要なんてないのよ」
腕に添えられた手を辿って見上げれば、青みを帯びた灰色の瞳が優しく俺を見つめていた。そうか、翔の瞳はお母さん譲りなんだな。
「そうそう、困ってる人を助けるのが俺たちの仕事なんだから。それに、こっちとしても翔に頼られるっていう貴重な体験ができたしね」
後ろからひょっこりとこちらを覗き込んだ翔のお父さんは、翔の色味を変えて、もっとシャープにしたような出で立ちで。翔が年を重ねたらこうなるんだなと思わず想像してしまうくらいに雰囲気が似ている。遺伝子ってすごい。
つい、ぶしつけに見惚れていると後ろから翔に抱えられた。最近多いなぁこれ。
「ちょっと、明希。お父さんのこと見すぎじゃない?!」
「ははっ、余裕のない男は嫌われるぞ~?」
「うるさいな、もう早く座ろうよ」
実はちょっと心配してたんだ。前に翔から親は仕事が忙しくてほとんど家にいないと聞いていたから、あまり良い関係ではないんじゃないかって。でも、この短時間でも杞憂だったってわかったから、少しほっとした。
それに、普段余裕そうな翔の子供っぽい顔が見られるのは貴重かも。キラキラ遺伝子に囲まれた陰キャ代表の俺は消し飛びそうだけどね。
お店に他の客はおらず、あまり時間がとれないという翔の両親に合わせてか、すごく手際よく料理が運ばれて来た。最初の方に出てきた、でっかいししとうみたいなやつはなぜかめちゃくちゃ甘いし、お肉は口に入れた途端消えるし、ちょっと脳が追い付かない体験ではあったけれど。ご両親の仕事の話なんかも聞かせてもらって、とても楽しい時間だった。
「今日はありがとね、明希くん」
「いえ、こちらこそありがとうございます。ご馳走にまでなってしまって……」
「いいのよ、子供は甘えなさい」
息子さんにも甘やかす宣言されてるんですよ。諏訪野家は俺をだめ人間にしたいんだろうか。
「それに、私たちもあなたには感謝してるの」
お父さんが翔の肩を組んで二人が前に歩いて行ったのをちらりと見たお母さんは、少しだけ声を落とす。
「翔から聞いてると思うけど、私たちは翔が生まれた後も仕事ばっかりで、あの子との時間を優先してこなかった。しかもあの子、割と何でもさらっとやっちゃうでしょ? だから、それに甘えてしまっていたのね。今回あなたのことで電話をもらって。それが、あの子からかかってきた初めての電話だって気が付いて愕然としたわ」
学校の事なんかは家のお手伝いさんと秘書さんがやり取りしてたんだって。確かに特殊な環境ではあるけど。翔にとってはそれが”普通”だったんだろう。それをすっ飛ばして俺を助けてくれたんだ。そう思うと、胸がギュッと絞られたように痛む。
「翔にとってあなたとの出会いはとても良いものだったんだと思うわ。だって、あんな顔の翔、初めて見たもの」
クスクスと笑いながらお母さんが指をさした方を見れば、前を歩く翔が何度もこちらを振り向いては俺を心配そうに見ている。見守られている感がすごい。とりあえず、手を振っておく。
「そうだと、いいんですが……」
ほんとに、そうであったらいい。だって俺にとっては、そうだったんだから。
俺が翔に良い影響を与えられるとはやっぱり思えないけど。でも、後ろを向いてばかりいるのはやめないとな。それこそ翔に”許して”もらえなくなってしまう。
「こんなピュアな子を……大丈夫かしら……」
「え?」
「なんでもないわ。これからも翔をよろしくね」
「はい、こちらこそ」
途中よく聞こえなかったけど、なんて言っていたんだろうか?
翔の両親はこれからまだ仕事だと言って、それぞれの職場へ戻っていった。
学校を出た時はまだ高い位置にあった太陽は随分と地上に近づき、町を赤く染めている。ちらりと横を見上げれば、色素の薄い髪が夕陽の色を含んで輝きを増していた。ただでさえ細い目がさらに細くなってしまう。
「眩しいの?」
「すっごく」
翔が、な。
”甘える”っていうのはやっぱりわからないし、できる気がしない。でも、思ってることをちゃんと話したり、相談したり、今までは俺の中にしかなかった気持ちを、ちゃんと翔に向けて出していけるようになりたい。これからは俺も一緒に『線』を超えていきたいから。

