俺の友人は。

「明希~! 会いたかったぁ!」

 店の外で待ち構えていたその人は、俺を見るなり唐突にとびかかってきた。その体からは鼻につくほどの酒の臭いがする。その人が付けている香水の匂いと混ざって、ひどい臭いだ。
 顔をしかめつつ引きはがすと、その人は「えぇ~ひどい~」と甘えた声を出した。

「用意してきてくれたぁ?」

 その人はずいぶんとご機嫌だった。酒のせいもあるだろうけど、金が手に入るのがよっぽど嬉しいのだろう。結局何に使うのかは知らないけど、渡した金が何に使われようがもうどうでもいい。

「あぁ」

 バイト代は銀行振込だから、先に下ろしてきてある。封筒に入れたそれをカバンから取り出すと、その人は両掌を上に向けたまま差し出してきた。

 その手に封筒を乗せようとした時だった。

「明希、そんなことしなくていいんだよ」

 耳元で聞こえた腰が砕けるような低音ボイス。封筒を持つ俺の手をつかむ腕。俺を後ろから抱きこむ大きな体。
 その温度を感じるのはもう初めてじゃない。
 振り向かなくてもそれが誰だかわかる。

「……しょ、う……なんで……」

 俺の問いかけには答えないまま、翔は俺の手から封筒を取り上げた。

「えっ明希の友達?? めっちゃイケメンじゃん!!!」

 その人は封筒よりも、翔の顔のほうに目が行ったらしい。さすがはイケメン。
 でも、翔はそれを無視して俺の両肩を掴むと、俺を真正面に向けた。

「明希、俺言ったよね。一人で我慢しないでって。ちゃんと俺に言ってって。……俺はそんなに頼りないかな?」

 その悲しみを存分に含んだ声で悟った。

「ずっと、明希から話してくれるのを待ってたけど……結局話してくれなかったね」

 翔は知っていたんだ。今、何が起こっているのかも。そして、俺の嘘も。

「もう一回だけ聞くよ。明希は、どうしたい? 俺に、どうしてほしい?」

 俺の両肩をつかむ手の力が少し強くなった。

 きっと、翔は俺が距離を置いていたことにも気づいていたんだろう。
 それでも、俺を信じて、俺を言葉を待っていてくれた。

 俺はまた、翔の気持ちを裏切った。
 そして、これが翔のくれた最後のチャンスだ。

 翔に迷惑をかけたくない。巻き込みたくない。これは俺の問題だから。
 でも、今ここで突き放したら、どうなる? 翔はまた俺を許してくれるだろうか?
 今度こそ、この友人を失うことになるんじゃないか。


 それは、嫌だな。


 迷惑をかけたくないのもホント。巻き込みたくないのもホント。
 でも、そんなの建前で、本当はこんな無様な姿を見られたくなかっただけなんじゃないか?
 呆れられ、見捨てらるのが怖かっただけじゃないのか?


 いつだったか、翔はなんであんなやつと仲良くしているんだと、誰か言っているのを聞いたことがある。
 当然の疑問だと思った。俺だって、「なんで?」って思っていたんだから。

 俺は、ボッチで陰キャで、人相も悪くて貧乏人で、全方位イケメンである翔と一ミリも共通点なんてない。一緒にいるメリットも何もない。
 こんな俺を、いつか翔も母のように突然見限るかもしれない。
 だから、いつかその日が来た時に「これは仕方のないことだ」と思えるように、また、あの時みたいに傷つかなくていいように、俺は、俺を守るために、俺と翔の間に線を引いていた。

 でも、その線を翔は軽々と飛び越えてくるから。いつしかあいまいになって、翔と一緒にいることが当たり前になってしまっていた。

 それでもやっぱり”見捨てられるかもしれない”っていう恐怖をなくすことはできなくて。
 だからまた俺はビビッて、嘘をついた。勝手に距離を置いた。

 約束、したのに。

 でも、翔は今、ここにいる。
 俺のことを考えて、俺のためにここに来てくれた。俺の手を、つかんでくれた。

 なんで忘れていたんだ。
 翔は言ってくれたじゃないか。

 『明希、俺は明希といるときが一番楽しいよ』

 その言葉を信じたい。
 俺も、俺だって、翔と一緒にいるときが、一番楽しいんだ。翔と、もっとずっとたくさん、一緒にいたいんだ。

 そう思ったら、たまらなくなって、我慢できなくなって。口から言葉が溢れ出していた。

「……翔と一緒に……修学旅行に、行きたい……」

 情けないほどに声はかすれていて。頬には冷たいなにかが伝っていく。

「うん、一緒に行こうね」

 それから? と優しい視線が促してくる。

「……たす、けて。もう、どうしたらいいか、わからないんだ……」
「うん、わかった。任せて」

 馬鹿みたいに泣いている俺に、翔は溶けるほどに優しい顔で頷く。
 そして、そっと俺の額に唇を当てた。