俺の友人は。

「最近、全然明希のご飯食べてない……!」

 そう不満をあらわにすれば、明希は困ったように細い眉を下げた。

 文化祭の前まで週の半分は明希の家でご飯を食べていたのに。文化祭以降は一回も行けてない。

 明希は今、週5でバイトに入っているみたいで、残りの日は勉強しいないと、と家に行くのは断られるし、授業が終わったら速攻でいなくなる。今まで俺の部活が休みの日は絶対に一緒に帰っていたのに、それすらできていないのだ。

 明希の家は生活に余裕があるとは言えない。明希が普段からバイトをしていて、勉強もがんばって奨学生を維持していることも知ってる。修学旅行の積み立てだって、明希のバイト代からしているって言っていた。
 だから、これはただの俺のわがままで、本来友達の家で夕飯をしょっちゅう食べている方が不自然だって、わかってる。

「……ごめん」

 明希にこんなふうに悲しい顔で謝らせたらだめだって、困らせたらいけないって、わかってる。
 わかってるけど、つまらなくて、寂しくて、爆発してしまいそうなんだ。

「今日もバイト?」
「……あぁ」

 下を向いて頷く明希に、どうしても口から出そうになる不満をぐっと飲みこむ。
 もっと俺の方をちゃんと見てよ、もっと俺との時間を作ってよ、もっと俺と一緒にいてよ。
 なんて、メンヘラ彼女みたいなこと、言いたくない。言っちゃいけない。

 俺だって、明希と修学旅行に行くのを心底楽しみにしている。
 普段と違うことをするためには金がかかる。それを捻出するには明希がバイトを増やすしかない。

 それなのに俺はいつも自分のことばっかり。ほんと情けない。
 がまんだ、がまん。
 この後には楽しいイベントが待ってるんだから!
 そう、思ってたのに。


「須藤、修学旅行行かないってほんとですか?」

 ――えっ……?

「そうなんだよ……。家庭の事情って言われちゃうと、なんも言えなくてさ……」
「あんなに頑張ってるのに……何とかしてやりたいですけど、こればっかりはどうしようもないですね……」
「そうなんだよなぁ。ギリギリまで待つとは伝えたんだけど、積立金も返金してほしいって……」

 たまたま部活中に用事があって職員室のそばを通りがかった時、聞こえてきた教師たちの会話。
 それは、俺を混乱に陥れるには十分だった。むしろ、その場で教師につかみかからなかっただけ偉いと思ってほしい。

 だって、明希は修学旅行のためにバイトを頑張っていると言っていたんだ。
 それなのに、どういうこと……?

 もしかして、()()
 明希は俺に嘘をついてるの? 隠し事をしているの?
 どうして?

 約束、したのに。

 絶望にも似た怒りをそのまま明希にぶつけずに済んだのは、そのあと教室でたまたま三星くんに会ったからだった。図書委員の仕事の後、忘れ物をしてたまたま教室に戻ってきていたらしい。

「三星くん……」
「げっ」

 最初はいつもの悪態だった。でも俺はそれに反応している余裕はなくて、言葉も出てこなくて。

 「……なんかあった?」

 いつも俺に噛みついてみついてばかりの三星くんにそんな言葉をかけさせてしまうほど俺はひどい顔をしていたんだろう。
 
「……明希が、明希は……なんで……」
「明希ちゃんが、なに?」

 三星くんの冷静な声は、俺を少し落ち着かせた。息を一回吸う。
 混乱したときこそ大切なのは落ち着いて事実確認することだ。前もそうしただろう?

「明希が、修学旅行行かないって……」
「えっ?!」
「三星くんは知ってた?」
「知らない、聞いてない!」

 その驚いた顔に嘘はなさそうだ。だから、俺は三星くんに、俺が明希から聞いていたことと、さっき偶然聞いたことを話した。

「……俺も、明希ちゃんに同じこと言われた」

 修学旅行のためにバイトを増やす。そう、父親にも説明していたと。家に帰ってくる時間にも違和感がないから、疑ってもいなかったらしい。
 そうだよね。疑う理由もない。

「とりあえず、明希ちゃんが本当にバイトに行ってるか、確かめた方がいいかも」
「そうだね……そうと決まれば早速、」
「俺だけ行くから、諏訪野は来なくていいし」
「えっやだよ、俺もいく」

 なんて、押し問答をしながら、学校からそう遠くない明希のバイト先のスーパーに三星くんと二人で並び立って、いるようないないような感じで向かった。

 明希はレジではなくてバックヤードでの作業が多い。だから、スーパーについて早速見つけた最近顔見知りになった他の店員さんに話しを聞くことにした。

「あら、こんにちは、翔くん。お買い物?」
「こんにちは。明希は裏にいるかな?」
「いるわよ~呼んでくる?」
「いえ、邪魔すると悪いんで。最近、明希バイトばっかりだからちょっと寂しくなっちゃって……」

 わざとらしく目線を下げて悲しげな顔をしてみれば、俺たちの親よりもいくらか上の世代であろう女性店員さんは「あらあらぁ」と少し心配そうに、でも鼻息荒くいろいろと教えてくれた。後ろで三星くんがドン引きしていたのは見えていないことにする。

 その人の話から、明希が週五日バイトに来ていることは間違いないようだった。

「そういえば、少し前に明希くんがいるかどうか女の人に聞かれたわ! 派手な見た目でねぇ。態度も悪くって、びっくりしちゃったわ。えぇ、もちろん従業員に関することはお伝え出来ませんって言ったから安心して!」

 俺たちにはペラペラしゃべっているけど、まぁそこは普段の関係性ということで。
 必要なことは聞けたから、最後に俺たちが来たことは秘密にしてね、とくぎを刺してスーパーを後にした。

 バイトのことは嘘じゃなかった。それなら金銭的な問題はないはずだ。それなのに修学旅行にいかないのはなぜ?
 三星くんも俺も二人押し黙ったまま歩き、三星くんたちの家の前まで来たところで、ハッとしたように三星くんは俺を見た。

「……明希ちゃん、変な女に貢いでるとかないよね?!」
「それはさすがに……」

 少なくとも、文化祭の前までは明希に女性の影は見えなかった。それが急に一カ月やそこらで貢ぐほどの関係の人ができるとは、明希の性格からも考えにくい。
 でも、確かに明希のことを訪ねてきたという女性のことは気になる。

「もうちょっと調べてみるから、まだ明希には何も言わないでくれる?」
「はぁ? どうやって?」
「まぁいろいろ、と」
「こわっ」

 三星くんはぷいっと俺から顔をそむけたけど、いつもの勢いはない。やっぱり明希が心配なんだろう。
 そのまま別れの言葉も言わずにアパートの部屋に入っていった三星くんの背を見送った後、俺はスマホを取り出し、ある人に電話を掛けた。

「もしもし、急にごめん。ちょっと相談があって……」

 奇しくもそれは俺がその人に初めてした電話だったみたいだけど、それはまぁ置いておいて。


 それから少し後、

「明希、そんなことしなくていいんだよ」

 俺が明希の手を掴めたのは、本当にギリギリのところだった。