俺の友人は。

 先に帰ってきたのは三星くんだった。

「おかえり、三星くん」

 顔を合わせれば、今日も相変わらずめちゃくちゃ嫌そうな顔。それでも、「なんでまたいるんだよ!」とは言われなくなった。これもちょっとした進歩? かな。

「……明希ちゃんは?」
「牛乳買いに行ったよ」

 聞いた癖に興味なさそうに三星くんは「ふーん」と和室へと入っていく。野菜を切り終わった俺は手を洗って、そのあとを追いかけた。

「なんでこっち来るんだよ!」
「準備終わったし、明希帰ってくるまで本貸してもらおうかなって」

 盛大な舌打ちをしながら、三星くんは本を見繕い始めた。
 三星くんは俺に対してめちゃくちゃ塩対応ではあるが、無視はしない。そういうところ、優しいなって思う。
 そうして選んでくれた本を俺に手渡そうとしたところで、ぴたりと三星くんは手を止めた。

「そういえば、今日俺に舌打ちしたよね」

 今日学校で、明希の手を握っていた俺の手を三星くんにはたき落とされた時、確かに俺は苛立ちを感じた。『邪魔をされた』と思ってしまったから。
 つい出てしまった舌打ちに、明希が気が付かなかったことだけはよかったけど、気を付けないと。
 俺を優しい人だと思ってくれている明希に、幻滅されたくない。
 三星くんにはもうばれちゃってるっぽいけどね。
 それでも、素直に認める気はないから、「そうだっけ?」と、とぼけて首を傾げれば、三星くんはまたまた猛烈に嫌そうな顔をして、手渡そうとしてくれていた本を引っ込めてしまった。

「そういう態度のやつには貸さない」
「せっかく選んでくれたのに?」
「はぁ? 別におまえのために選んだんじゃないし! あっ!」

 俺に背を向けた三星くんが手に持っていた本をひょいっと奪い取る。表紙にはスーツを着た男が二人。サラリーマンものかな?
 今まで三星くんが貸してくれたのは、大学生とか、異世界とか、今回のやつみたいに社会人同士の話ばっかりで、高校生が主人公のものはなかった。
 部屋に積みあがってる本の中にはそれっぽいものがあるから、無意識なのか、あえてなのかはわからないけど、きっと物語の世界と現実がリンクしないように俺たちと境遇が近いものを避けてるんだろう。

「返して!」

 奪い返されないように頭上に本を持ち上げれば、イライラと足を踏み鳴らしながら、三星くんは俺をにらみ上げてくる。それがまるで不機嫌な猫が尻尾で床をタンタンと叩いているようで、思わず笑いが漏れた。

「ほんと嫌なやつ! ほんとキライ!」
「俺は三星くんのこと好きだよ」
「それが好きな相手に取る態度なわけ?! 小学生かよ」

 別に意地悪をしているつもりはないんだけど。でも、俺が何をしても気に食わない三星くんにとってはそう感じるんだろう。それに、気を抜いた『本当の俺』の情緒は確かに小学生レベルだと思う。

 あの日、図書室で涙をこぼした三星くんに俺の心は確かに動かされた。
 その時芽生えた想いを大切に育てていけば、いつか大きく花開いたかもしれない。
 でも、俺はそうしなかった。幼稚な俺の心は”これ以上”を求めなかったし、それよりももっと大切なものがあったから。

 この想いはこの先渡すことも、受けとってもらえることもない。俺の心の中でこのままいつか枯れていく。
 そうわかっていても、まだ手放したくはないんだ。その()()()がくるまで、このまま胸にしまっておかせてほしい。

「ごめんね」
 俺の自己満足に明希も、三星くんも巻き込んで。

「悪いと思ってない謝罪なんて、カレーのジャガイモくらいいらないんだよ!」
「ジャガイモ嫌いなの?」
「違うし、カレーに入ってるのが嫌なだけだし」

 ドロドロになるのが嫌とか、カレーの舌触りが悪くなるとか、何やらこだわりがある様子。ぶつぶつと文句を言う様子に、俺は思わず大きな声をあげて笑ってしまった。
 それにまた三星くんは「ムカつく!」と俺に背を向けて、いつも本を読んでいる定位置に戻っていった。

 こんなふうに笑ったのはいつぶりだろう。いや、もしかしたら初めてかもしれない。
 三星くんといるとこうやって知らない自分がたくさん出てくる。だからこそ俺は()()()()()んだ。

 自分勝手で、幼稚な俺はやっぱり自分のことしか考えられなくて。
 後からになってからしか、自分の愚かさには気が付けなかった。

 うっすらと目に浮かんだ涙をぬぐっていると、カタリと廊下側から物音がした。

「わっ、びっくりした!おかえり~……明希?」

 そこにはエコバックを持った明希がぼうっと佇んでいた。その顔からは表情が抜け落ちている。

「明希、どうかした? 具合悪い?」

 もう一度声をかけ、近くに寄ると、明希はハッとして、何事もなかったように笑顔を作った。

「悪い、大丈夫。さすがにちょっと疲れたかも」

 ははっ、と力なく明希は笑いながら、俺に背を向けた。
 今日の明希は、俺のために大きな声を出してくれたり、バスケ部の模擬店を手伝ってくれたり、確かになれないことをたくさんしていた。疲れても仕方がない。
 そのあとも明希は少しぎこちなかったけれど『疲れているせい』。そうとしか思っていなかった。


「……翔、これからしばらくの間バイトを増やそうと思って」

 明希がそう言いだしたのは俺を見送るために玄関ドアの外まで出てきてくれた時だった。

「そうなの? なんか欲しいものでもあるとか?」

 再来月には明希の誕生日がある。もし欲しいものがあるなら俺が買ってあげたい。そう目を輝かせた俺から明希は目をそらす。

「いや、もうすぐ修学旅行だろ? 小遣い稼ぎたいなって」
「そうじゃん! 修学旅行じゃん!!」

 文化祭は終わってしまったけど、まだ高校生活最大のイベントである修学旅行が残っている。予定では沖縄に三泊四日。時期的には明希の誕生日の少し前だ。

 まだまだ楽しいイベントがたくさんある。たくさん、明希と過ごそう。
 楽しい想像ばかりが頭を占めて、帰り道で思わずスキップをしちゃうような俺は、ほんと脳内お花畑の、救いようのない浮かれポンチだった。