放課後の図書室は、今日も静かだった。
カーテンが夕方の風にゆっくり揺れて、窓から差し込む光が木の床に細い帯を作る。
時計の針の音と、誰かがページをめくる小さな音。
そのくらいしか聞こえない。

柊は、窓際の定位置に座っていた。
閉館前のこの時間が好きだった。人も少なくて、静かで、どこか時間の流れがゆっくりになる。

(もう少し読んだら帰ろうかな……)

そう思って顔を上げたとき、視界の端に黒い影が動いた。
一人の男子が、両腕いっぱいに本を抱えて本棚の方へ歩いている。
制服の袖口から覗く手首が白くて細い。
背筋はまっすぐで、歩き方も静か。
けれど、その表情はどこか無愛想で――。

(……あの人、いつも金曜日にいる図書委員)

ページを閉じて、思わず声をかけていた。

「それ、運ぶの手伝いましょうか?」

振り返った彼は、一瞬だけ驚いたように目を瞬かせた。
落ち着いた色の瞳。冷たいというより、静か。
まっすぐな視線に、柊は思わず背筋を伸ばす。

「いえ、これは委員の仕事なので、先輩に手伝ってもらうわけには……」

「え、先輩?」

「白川先輩って、二年生ですよね?」

「な、なんで名前も知ってるの!?」

「貸出カードに学年と名前が書いてあるじゃないですか」

「あ、そっか……。てか一年生だったの?大人っぽいから、先輩かなって思ってた」

「……そうですか」

(声、落ち着いてるな。思ってたより話しやすいかも)

柊はくすっと笑って、首を傾げた。

「あ、名前聞いてもいい?」

「黒田律です。一年B組です」

「あ、僕は白川柊。二年A組ね。貸出カードで知ってると思うけど、一応自己紹介。よろしく」

にこっと笑うと、律がほんの一瞬だけまばたきをした。
柊はそのまま、彼が抱えていた本を半分ひょいっと持ち上げる。

「委員じゃなくても、本が好きなら手伝ってもいいでしょ?」

律の動きが止まる。
静かな瞳が、わずかに揺れた。

「……そんな決まり、ありましたっけ」

「ないけど?」

「じゃあ、勝手に手伝うってことですか」

「うん。だって重そうだったし」

にこにこと笑う柊に、律は小さく息をついた。
少し呆れたように見えたけど、拒絶の色はなかった。

「……ありがとうございます」

「素直だね」

「別に。感謝してるだけです」

「そういうところ、真面目そう」

「それしか取り柄がないので」

「そんなことないと思うけどな」

「……根拠は?」

「勘!」

にっこり笑う柊の声が、柔らかく空気を揺らす。
律は視線を逸らし、わずかに耳を赤くした。

(なんか……思ってたよりずっと、話しやすい。無口だけど、ちゃんと受け答えしてくれるし)

二人は並んで歩き出した。
夕陽が斜めに射して、本棚の隙間を金色に染めている。
その光が、律の黒髪に淡く触れていた。

「黒田くんって、いつも金曜日にいるよね」

「委員の当番なので」

「そっか。真面目なんだ」

「……それしか取り柄がないので」

「二回目だね、それ」

「事実なので」

「へぇ、意外と冗談もうまいんだ」

「……冗談のつもりはないです」

ぶっきらぼうな返しに、柊は笑った。
その笑い声が、図書室の静けさの中に柔らかく響く。

「ねえ、また今度も手伝っていい?」

律は本を並べながら、少しだけ視線を落とす。
短い沈黙のあとで、静かに言った。

「……好きにすればいいと思います」

「やった。じゃあ次も来るね」

「やったって……勝手な人ですね」

「よく言われる」

そう言って笑う柊の声が、空気をふんわりと溶かしていく。
その笑顔に釣られて、律の横顔もほんの一瞬だけ柔らかくなった。

(ちょっとクールなだけで、優しいんだな)

静かな放課後。
窓の外では風が梢を揺らし、ページをめくる音と、二人の足音がゆっくりと重なっていった。