真夏の始まりを告げる、風鈴の音。

暑さでゆるんだ空気の中、『ほっと一息』に一通の封筒が届いた。



マスターが封を切ると、中にはTV局のロゴと、番組企画書。



「地方の熱狂的ファンに愛される喫茶店特集で、ぜひ取り上げたい」



取材日:〇月〇日

放送予定:ゴールデン帯



キリコがひとこと。



「……あー、来たね。地上波」



ナナミは目を輝かせる。



「ってことは、テレビ映る!?てことは全国に私たちの顔が!!」



「映りたすぎて逆にアホみたいなテンションなってるで」



リカが笑い、マコがTシャツの襟元を整える。



「ちょっと待って、私ヘアカラー行ってからにして!」



その盛り上がりの陰で、マスターの表情は曇っていた。



テレビに映るということは、他の誰かの目にも入るということ。



この静かな喫茶店のバランスが、

ついに、大きく揺れ始める。




テレビ取材から数日後。

『ほっと一息』に、ひとりの客が訪れた。



黒のスーツ、足元は革靴。異様なほど整った銀髪と、眼光鋭い男。



「こちら、キンタマーニカフェ……で間違いないですか?」



声をかけたのは、ナギサ。だが彼女はなぜか少し身体をこわばらせた。



「……あれ、どこかで……」



彼は名刺を差し出す。



名刺に書かれていた名:白石 燈真

株式会社PRIDE WORKS

芸能・イベント事業部プロデューサー



「実は……あなた方に興味がありまして」



彼は言った。



「KINTAMANIというインパクト、ビジュアル、人数、そしてなにより……すでにファンが存在している。この時点で、あなたたちは素材として申し分ない。ウチでプロデュースを受けてみませんか?」



メンバー全員、硬直。



キリコが先に立ち上がる。



「……スカウトってこと?」



「そう取ってもらって構いません」



イオリがキリコの袖をつかむ。



「わ、わたしたち……芸能人になるってことですか?」



「可能性の話です。ただ、条件がある。今のような自由で緩い体制では動けない。つまり……」



「誰をセンターにするか、決めてください」



一瞬、空気が凍った。



ナナミがうめいた。



「……選ぶの?8人の中からひとり?」



「選ばれた者には、スポットライトが当たる。選ばれなかった者には、残る場所すらないかもしれません」



マコが椅子を蹴るように立ち上がる。



「ふざけんなよ。なに様だよ、あんた」



白石は笑った。



「私は現実です。仲良しごっこでは超えられないライン、見せてあげますよ」



そして彼は静かに名刺をカウンターに置き、去っていった。




その夜、休憩スペース。



誰も口を開かなかった。



重たい沈黙。誰も選ばれることを口にしない。

でも……心のどこかで、ざわつきが広がっていた。



タマエが低い声で言った。



「……あたしは、どうでもいいよ。そういう世界、もう懲りた」



キリコが目を見開いた。



「……元芸能?」



「ちょっとだけ。ガチじゃないけど。あそこはね、光の量と同じだけ、影も濃くなる」



アヤネが唇を噛む。



「でも……本当は、みんな、少しは憧れてるでしょ?」



イオリはうつむき、何も言わなかった。



その時、マスターが入ってきた。



「やるか、やらないか。最後に決めるのは……お前たちだ」




その頃、別の場所では。



「どうだった? 餌は撒けたか?」



白石がスマホ越しに言うと、女性の声が返る。



「撒いたよ。あの子たち、動き出すよ。絶対に」



「特にセンター候補を煽ったのは正解だったな。分裂させれば、崩すのは簡単だ」



画面には、祈るように空を見上げるイオリの姿が映っていた。



「やらされるくらいなら、自分たちで決めろ」



いつになく低いトーンのマスターが、店の中央にみんなを集めて言った。



「その男の話、オレは気に食わねぇ。けど、お前らが何かを掴むチャンスだと思うなら……好きにすればいい。ただし、そのかわり、ちゃんと選べ。文句が出ないように、みんなで、だ」



ナナミが息を呑む。



「選ぶって……誰がセンターになるかってこと?」



「そうだ。自分たちで立候補するなり、推薦するなり、話し合って決めろ。裏でこそこそ言われて決まるより、ずっとマシだろ」



キリコが目を閉じ、腕を組んだ。



「……面白くはないけど、納得できる」



アヤネがそっと手を挙げた。



「じゃあ……仮に誰も選ばれなかったら?」



「それでもいいさ。その時は、全員で断るって選択肢もある」



この言葉に、イオリの肩がほんの少し、震えた。



「わたし、向いてないです……」



休憩室の片隅。イオリは、マコにぽつりとこぼした。



「センターとか、無理だし。プレッシャー、耐えられない。なのに、なんで……みんなわたしの名前、出すのかな……」



マコは笑わずに答えた。



「……それだけ、みんながイオリを見てたってことよ。泣き虫で、おどおどしてて、守ってあげたくなるくせに、気がつけば、誰よりも真面目に、全力でこの店にいたから」



イオリは唇を噛んだ。



「……でも、わたしが選ばれたら、誰かは選ばれないんですよね」



「そう」



「だったら……嫌です。そんなの、嫌」



マコはそっと背中を撫でた。



「それでも、何かを掴みたいと思ったら……その痛みからは、逃げられないよ」




翌日。



開店前の会議で、ついに立候補者が出た。



「私、出るよ」



キリコだった。



「……元々、そういう現場にいたこともあるし。冷静に考えて、外に出る役目が必要なら、私が担ってもいい」



空気が凍った。



ナナミが言った。



「……本気?キリコさんが?」



「冗談で立つわけないでしょ。中途半端が一番ダサい」



すると次に、イオリの隣にいたアヤネが、おずおずと手を挙げた。



「わたしも……自分で名乗りをあげるなんて、ありえないって思ってたけど。でも、このままだと、イオリちゃんが押し出される気がして。……それが嫌だから。出ます」



二人目。



続いて、誰かが立ち上がろうとしたその時。



「ちょっと待った!」



タマエが立ち上がった。



「推薦していい? わたし、イオリに入れる。本人がどう思ってるか知らないけど……この店がここまで来たの、イオリの空気があったからだと思う」



ナギサも手を挙げた。



「わたしも……イオリちゃん、だな」



リカがうなずいた。



「意見分かれるな。でも……面白くなってきたじゃん」




閉店後。



イオリは、人気のないカウンターでひとりでいた。



そこへ、キリコがコーヒーを持ってきて、無言で隣に座る。



「……本当はね。あたし、イオリの方が向いてるって思ってるよ」



「……じゃあ、なんで立候補したんですか」



「誰かが、手を挙げるってことの意味を、示したかったんだよ。『私なんて……』って誰もが引いてたら、白石みたいなやつに全部持ってかれる。それがムカついた」



「……キリコさん」



「だから、勝ちたい。イオリに。そして、負けても文句は言わない。選んだのは、みんなだから」



イオリはしばらく黙っていたが、小さく笑った。



「……じゃあ、わたしも逃げない」



「おっ、やるね」



その夜、ふたりの影は並んで月の下に溶けていた。




投票用紙が集まり、マスターの手元に置かれた。



見届け人は全員。



結果は、こうだった。



イオリ:4票

(タマエ、ナギサ、リカ、アヤネ)



キリコ:3票

(ナナミ、マコ、本人)



白票:1票

(本人拒否・記名なし)



「……というわけで、イオリ。お前が選ばれた」



マスターがそう言った瞬間、イオリは泣き崩れた。



でも、誰も馬鹿にしなかった。



キリコは立ち上がり、拍手した。



「……堂々としてなさい。センターってのは、そういうもんだから」



そして他のメンバーたちも、ひとり、またひとりと拍手を重ねた。



イオリは涙の中で、小さく頭を下げた。



「……がんばります」



それは、小さな一歩だったけれど。



その日はキンタマーニカフェの歴史を大きく動かす一歩だった。




収録当日を前夜に控え、ほっと一息は異様な緊張感に包まれていた。



夜の商店街に、ポスター貼り、スタッフが機材を運び込み、足場をセッティングしている。

看板娘たちも、控え室で衣装やメイクを最終チェックしながら、言葉少なに顔を見合わせていた。



キリコは鏡の前で唇を噛みながら、リップを濃く整えた。



マコはスニーカーを履き替えつつ、手の震えを隠すように袖を引っ張っていた。



ナナミは楽しみそうな笑みを浮かべているのに、目はどこか軋んでいた。



アヤネはバッグからノートを取り出し、詩を小さく書き綴っていた。



ナギサは部屋の隅でライトの光を確認して、光の当たり具合を計算していた。



リカはごく普通にスマホを触っていたが、それが妙にぎこちない。



ン子はカメラの角度を想定しながらレンズアングルの資料をじっと見つめていた。



イオリは、手のひらをじっと見つめていた。自分の名前、“センター”、選ばれた重みを感じながら。



マスターがゆっくりと控室に入ってきた。



「みんな。明日はしっかりな。だけど、力んじゃだめだ。どんな結果であれ、お前たちらしさを見せてこい」



その言葉に、各々が小さくうなずいた。

だが、誰かの内側に、ほのかな痛みが灯っていた。




朝、スタジオ。テレビ局スタッフ、照明、カメラ、セット。

見慣れない機材がずらりと並び、白いライトが天井からぶら下がる。



地方の喫茶店特集という企画名が書かれた看板を背に、セットが組まれていた。

観客席も用意され、少数の招待客が座っている。



看板娘たちはスタジオ裏から順に登場。

厚い幕を引くと、そこは別世界だった。

普通の喫茶店の空間だったはずが、照明が当たると神々しいまでの舞台に変わる。



イオリは足が震える。

キリコがすっと隣に来て、肩を叩く。



「大丈夫。お前ならできる」



微笑むが、キリコ自身の眼の奥にも緊張があった。



カメラの前、マスターも看板娘たちの後ろに立つ。

ディレクターの合図で、撮影開始。



番組は、まず一人ひとりの紹介。

看板娘たちは自己紹介をし、それぞれがほっと一息への想い看板娘になった理由を語った。



キリコは「静かに支える存在でいたい」



マコは「料理で人を笑顔にしたくて」



ナナミは「この店が好きだから」



アヤネは「言葉で心を伝えたくて」



ナギサは「癒やしになりたくて」



リカは「誰かの支えになりたくて」



ン子は「戦略とか考えるの好きだから」



そしてイオリは声を震わせながら答えた。



「私は……看板娘という言葉が重くて、怖かったです。でも、みなさんと一緒にこのキンタマーニという名前を背負いたくて、ここにいます」



その言葉に、カメラがイオリをじっと映す。

撮影スタッフも息を飲む。



続いて、ミニライブコーナー。

曲は、前に桐生と歌ったデュエット曲「キンタマーニの誓い」の改訂版。

伴奏はピアノとアコースティックギター。

ステージライトが当たり、イオリはマイクを手にする。



胸がつまるような声で、彼女は歌い始めた。

音が震え、見えない涙を拭いながら。

でも、歌ううちに、声は力を帯びていった。



曲が終わると、画面が静まり、拍手が起きた。

収録は順調に進んでいく。



だが、裏側では。




収録が進むあいだ、キリコは舞台袖でじっと見つめていた。

表情には笑みがあるが、その目には影が落ちていた。



マコは、モニター越しに自分の姿を見つめながら、唇を固く結んでいた。

ナナミは手を膝に押しつけ、かすかに震えていた。



アヤネは楽屋でノートを開き、小さく詩を書き始めていた。



「影の縁に立つわたし」



ナギサとリカとン子は、撮影合間の休憩で、控え室の隅でひそひそと話していた。



リカが呟く。



「……やっぱり選ばれないって、痛いな」



ナギサが頷く。



「でも、これで終わりじゃないって思いたい」



ン子が静かに言った。



「私たちにも、輝く場所があるはずだよ」



その言葉は、小さな灯火のように、闇の中で震えていた。




夜。収録を終えて、スタジオを出ると、白石 燈真が出口に立っていた。

スーツを整え、眠くもない目で、出演者を見送っていた。



イオリがふと目を合わす。

白石がゆっくり近づいてくる。



「お疲れさま、看板娘さんたち」



その声は低く、冷たいが、どこか甘さも帯びていた。



「センター、おめでとう。まあ……選ばれなかった子たちも、それぞれに素材だと思ってるから」



素材という言葉が、闇の棘になって胸を刺す。



「わたしたちも、素材ですか?」



リカが鋭く言った。

白石は片眉を上げた。



「いいんだよ、表舞台に出るかどうかは後からでも。その覚悟を持ってるなら、ウチに話しを持っていくこともできるよ」



白石は、軽く会釈して足を止めず、闇に消えるように立ち去った。




次の日の朝、ほっと一息の店内は、いつもより静かだった。

昨日の録画日、テレビ映像になる興奮とは裏腹に、各自に宿る重さが漂っていた。



マスターが扉を開けると、全員が手を止めて見つめる。



「昨日、みんなよくやった」



マスターは一つ一つ目を見て言った。



「今日から、また普通の毎日が始まる。けど、これまでと同じじゃない。光と影、表と裏、選ぶことと選ばれないこと。その中で、自分たちがどう歩くか。それを見せてくれ」



イオリが深く息を吸い込む。

選ばれた者としての責任。

そして、選ばれなかった者たちの視線。



彼女たちは、揺れながらも前を向く決意を、新たに胸に刻んだ。




10月も終わりに差し掛かる頃、ほっと一息の営業終了後、珍しくみんながそろっていた夜。



リカが唐突に言った。



「なんか、最近ずっと仕事モードすぎない?温泉とか行きたくね?」



「行きたい!!」



「即答かよ」



「もう温泉とか、何ヶ月入ってないんだろ……」



「ここの風呂、湯気しか出んからな」



誰からともなく賛同の声が上がり、気づけば決行が決まっていた。



温泉旅行。



メンバーは看板娘8人全員。



マスターは「オレは店番でいいよ〜」と残留決定。



行き先は、隣県の山あいにある有名な温泉郷「湯月」

風情ある旅館と、街道沿いの食べ歩きスポットで知られている観光地だ。




出発は朝9時。観光バスを1台チャーター。

普段は制服姿で接客している彼女たちも、今日はラフな私服スタイル。



ナナミはオーバーサイズのパーカーにキャップ。



マコは白のワンピースにサンダル、完全にリゾート感。



キリコはシンプルな黒のタートルネックにジーンズ。



イオリはくすんだピンクのニットワンピ、緊張と期待が顔に出まくり。



ナギサはふわもこパーカー、口にはグミ。



リカはレザージャケットにミニスカ、荷物はでかい。



アヤネはブックトートに文庫本を5冊。



ン子はスポーツタイプのジャージでノートPCを膝に置いていた。



車内ではハイテンション組(ナナミ、マコ、ナギサ、イオリ)がしりとり開始。



「温泉〜せんたっき!〜きつね!〜ネバネバ!」



「ネバネバは料理名じゃないって!」



「いや、納豆とかあるじゃん」



「ネバネバはジャンル!」



一方で、ぐったり組(キリコ、アヤネ、リカ、ン子)は後方座席で静かに眠気と戦っていた。



「あいつら、うるせぇ……」



「まぁまぁ……ナナミにテンション下げろは無理だって」



「こういうとき、団体行動って疲れますよね……」



「わたし、もうちょっとで戦略資料まとまる……」




昼すぎ、ようやく目的地の湯月温泉に到着。



まずは老舗旅館「月影楼」に荷物を預ける。

チェックインはまだだったので、すぐ近くの商店街で腹ごしらえ。



食べ歩きが始まると、マコの食欲が止まらない。



「やば!この湯葉コロッケ、外サクサク中とろっ!」



「この団子も最高っすよ、リカさん」



「まって、金箔乗ってんじゃん……ナナミ、撮って!映え確定!」



「えっ、あたしの団子の方が丸い!」



— 結局、全員、団子・ソフトクリーム・焼きたてせんべいなど、4、5品をペロリ。



「歩きながら食べるって、幸せの象徴だよね」



ナギサがぽつりとつぶやくと、全員が頷いた。




午後3時。ようやくチェックイン。



部屋は二間続きの和室。8人でゴロゴロできるほど広く、畳の香りが旅気分を盛り上げる。



「温泉入ろ!温泉温泉!」



「待って待って、順番とか決めよーよ!」



結局、2人ずつのグループで時間をずらして入ることに。



温泉ペア・ハイライト



ペア①:ナナミとイオリ



湯けむりの中、肩まで浸かってるイオリ。



「はぁ〜〜……生き返る……」



「イオリちゃん、最近色々あったもんね〜、桐生のこととか」



「うぅ……なんか、いま幸せなのに、また崩れたら怖いなって……」



「そんときゃ、あたしらで支えるってば」



ナナミが頭をぽん、と叩いた。イオリ、少し泣きそうになる。



ペア②:キリコとマコ



静かに肩まで浸かって、外の景色を眺める二人。



「久々にこういうのも、悪くないね」



「でもさ、テレビ出てから……なんかちょっと、私ら変わったよな」



「そうだね」



「戻れないんかな、普通の日常に」



「戻んなくていいんじゃない?進めばいいんだよ、あたしららしく」



キリコが目を伏せて、ふっと笑った。



ペア③:アヤネとン子



浴槽の端でひそひそ。



「肌にいい成分、チェックしました?湯のpHとか」



「ン子さん……温泉でも情報収集って……」



「常に戦略です」



「私は、今日はもう、本のことも忘れて、ぼんやりしたい……」



「それも戦略……癒やしという名の……」



「うるさいですよ」

「すみません」




ペア④:リカとナギサ



笑いが絶えないコンビ。



「背中流して〜」



「お、お前!それ私のセリフ!」



「ほら〜ちゃんとこすって〜〜〜」



「ぬるぬるすんだよ!」



「……あれ?温泉の泡じゃない?」



「お前がさわってんだよ!!」



洗い場がコント劇場状態。あとで他のお客さんに怒られかける。




「夜ごはんは旅館の懐石!楽しみ〜」

「その前に、部屋飲みすっか」



「てか、花火って今夜じゃなかったっけ?」



「えっ、ほんと?旅館のベランダから見えるらしいよ!」



「嘘!?え、待って、ベスポジ誰の部屋!?」



「ここ!ここ!」



ワイワイ騒ぐ中、ベランダの向こうで、ポン……と音が鳴る。



「あ、あれ……?」



「まさか、もう始まってる!?」



みんな一斉に浴衣のままベランダに走り出す。



その様子は、まるで青春のワンシーンだった。




花火の余韻がまだ部屋に残る中、皆は部屋に戻って浴衣を整えた。

部屋の中央にはすでに、目にも鮮やかな懐石料理が並べられている。



季節の八寸、鮎の塩焼き、松茸の土瓶蒸し、地元牛の陶板焼き……。



「うっわ、マジかよこれ、なんかもう正座しなきゃいけない気がする」



「いただきますの声、小さくない?もっと気持ち込めて!」



「イオリちゃんがテンパってるwww」



わいわい賑やかに食事が始まったが、少しずつ会話は落ち着き、しっとりした空気へと変わっていく。



ふと、ナギサがぽつりと呟いた。



「……あたし、こういうの、初めてかも」



皆が箸を止めて彼女を見た。



「前の職場、保育園の飲み会って、保護者抜きだと変な空気になるし。ちゃんと友達と旅行来て、温泉入って、みんなでごはん食べて……なんか、夢みたい」



「ナギサ……」



「……泣くなって。ほら、土瓶蒸し冷めるから」



「リカさんそれ言う!?優しくして!?」



そこから少しずつ、看板娘たちは日頃言えなかったことを話し始めた。



「……わたし、今でこそ笑って料理してるけど、昔は料理人の親父に頭押さえつけられて、毎日泣いてた」



マコが言った。



「それでも、ここでうまいって言ってもらえるの、幸せだなって」



アヤネは。



「最初は接客とか怖くて、目も合わせられなかったけど……名前で呼んでもらえるようになってから、わたし、ちょっとずつ、自分になれた気がします」

 

リカ。



「元ヤンって言われてるけど、ほんとにただの反抗期こじらせただけでさ……今、こうして妹分がいっぱいいるみたいで、毎日がありがたくてしょうがない」



キリコ。



「私は……うん。昔、表舞台の人間見てたから、裏で支える立場にいた方が楽だった。でも、今は違う。この店は、ちゃんと私がいていいって思える場所だから」



誰も茶化さない。

誰も「重い」と言わない。

それが、彼女たちの強さだった。




少し間をおいて、ン子が珍しく自分の話を始めた。



「……私、ずっと普通の居場所がなかったんです」



皆が静かに耳を傾ける。



「優等生って言われたり、空気読めないって嫌われたり……だから、役割がもらえる場所が、居場所になってた。この店では、私、ちゃんと名前で呼ばれてる。ン子って、あだ名だけど……なんか、あったかいです」



イオリが、その手をぎゅっと握った。



「わたし、ン子さんのファンです。変な言葉使うけど、ちゃんと優しい」



「……ううっ……イオリちゃん……泣かせるの、禁止……ぐすっ……」




食後、皆はそれぞれのペースで風呂に入り直し、部屋に戻ってきたころには夜10時を回っていた。



リカが買ってきた地ビールを開け、ナナミとマコがトランプを始める。



ふと、キリコがベランダに出て、誰かを呼ぶ。



「イオリ。ちょっと、来な」



小さな音で花火がポン、と鳴る。今夜2度目の打ち上げだ。



イオリは、少し迷って、キリコの隣に並ぶ。



「……あのね。桐生くんと、ちゃんと話したの」



「うん」



「わたし、なんで好きって言われて、泣いたのかなって……多分、信じられなかったんだよね。でも、信じていいって……あの人、ちゃんと伝えてくれた」



キリコは黙ってうなずいた。



「わたし、初めて恋する自分を、好きになれたかも」



「……それが、答えなんじゃない?」



イオリが、にっこり笑う。その笑顔は、どこか大人びて見えた。




翌朝。

旅館の朝ごはんをたいらげ、バスに乗り込む看板娘たち。

帰り道は、みんな少し眠そうで、でも顔には満ち足りた空気があった。



「また来たいな」



「次は夏も良くない?」



「やだ〜、私その前に水着ダイエット始めないと!」



「どーせまた団子5本食べるくせに!」



ワイワイ騒ぐ車内。

それは、ただの旅行の帰り道かもしれないけれど、彼女たちにとっては何かが確かに変わった、そんな時間だった。




温泉旅行から戻った翌日。

ほっと一息は、いつも通りに営業していた。



でも、誰も気づかないくらいの、静かな変化があった。



マコは、料理にひとつ新しいスパイスを加えた。



アヤネは、今日から少しだけ声を大きくした。



キリコは、休憩中にイオリの手を握って「頑張ったな」と言った。



ナナミは、「また行こうな!」と皆に明るく声をかけた。



リカは、店の片隅にあった古い花瓶に、こっそり新しい花を飾った。



ン子は、SNSに「#旅の気づき」とだけ投稿した。



ナギサは、何度も写真を見返して「楽しかった〜」とつぶやいた。



そしてイオリは、カウンター越しに桐生の姿を見つけると、小さく手を振った。



今日もまた、扉が開き、客が入り、コーヒーの香りが満ちる。



看板娘たちは、それぞれの場所で笑っていた。



物語は続く。




温泉旅行から帰って数日。

町は秋の終わりを迎え、少しずつ肌寒くなってきた。ほっと一息では、ハロウィン明けの気だるさと、冬支度の空気が、入り混じっていた。




その日もカウンターには常連がちらほら。

けれど、看板娘たちの表情には、ほんの少しだけ、曇りがあった。



「……なあ、なんか今日、みんな静かじゃね?」



常連の祐介が言った。マスターはそれに答えず、コーヒーを丁寧に淹れていた。



「……ちょっと、ひと悶着あってね」



「え、また?誰と誰?」



マスターは苦笑いして、窓の外を指差した。



外は雨。

そして、そこにはベンチに座るナギサとアヤネの姿。




ことの発端は、昨日のシフトの中で起きた。



ナギサがイオリに気を使って、ドリンクの注文を代わってあげた。

すると、そのまま提供ミスが発生。

アヤネの作ったラテアートが、テーブルに出される前に混ざってしまっていた。



「あの……これ、ちょっと絵が……」



それを受けた客の一言に、アヤネが少しだけピリついた。



「作り直します。すみません」



「ご、ごめんねアヤネさん、わたしが運ぶつもりじゃなくて……」



その場では収まったものの、心の中にわだかまりが残っていた。



「……ちゃんと声かけてから動いてほしい」



「……うん、ごめんなさい」



その後の空気は、どこかぎこちなくなった。




雨の中、二人は無言でベンチに座っていた。



「……なんか、わたし、また空回りしちゃって」



「そんなこと、言ってない」



アヤネはポケットから手帳を取り出して、ページをぱらぱらとめくった。



「……ごめん、私こそ。つい、感情的になってた」



「アヤネさん……」



「誰かのために動いてるって、わかってるのに、私……自分のことばっかりだった」



「わたし、何もできないから、誰かの助けたいを止めちゃだめって思ってて……」



風が吹き、二人の傘が少し揺れた。



アヤネがそっと、ナギサの手を握る。



「……ありがとう。あの時、動いてくれて」



「うん……ありがとう、怒ってくれて」



雨の音の中で、二人の影が少しだけ近づいた。




その頃、店内の空気はやや落ち着きを取り戻していた。



「おっ、戻ってきた」



「ナギサ〜!おかえりっ」



ナナミが駆け寄ると、ナギサは照れたように笑った。



「ただいま〜。雨、止んだよ」



「アヤネも……?」



「……ちゃんと話せたよ」



「それならよかった!」



マコがドリンクを用意しながら言った。



「てか、ちょうどいいタイミングで特製あったかメロンソーダできたとこ」



「……なにそれ、矛盾してない?」



「湯気立つメロンソーダ。逆に映えるって話題なんだから」



全員がくすっと笑う。

そんな空気が、またほっと一息を日常へと戻してくれる。




閉店後、カウンターに全員集合。

まかないはリカ特製のドライカレー。ちょっと辛め、でも甘みがじわっと残る味。



「……あたしさ」



ン子がぽつりと口を開いた。



「この店が、いつかなくなったらって、時々考える」



「……ン子?」



「もちろん、嫌って意味じゃない。むしろ……好きすぎて。怖くなるの」



誰も冗談にしない。

マスターも、片隅でコーヒーをすするだけだった。



「でも、今日みたいな日があるとさ……こういうのが、一生続けばいいのにって思っちゃう」



ナナミが、おかわりのご飯をよそいながら笑った。



「じゃあ、続けよう。誰かがやめても、形が変わっても。思い出じゃなくて、今を続けようよ」



「……それって、すごくナナミちゃんらしい」



「ちょっと泣きそう」



「いや〜、泣くにはこのカレー辛すぎるわ」



その夜の星空は、雲の向こうで大きく光っていた。