えっ、と声を上げそうになったセオラの口元へ、ジャンブールは指先を添える。
「そこで次の王の選出となったのだが、僕ら草原の民は末子相続が基本だろう? 僕もそのつもりでいた。弟が即位するものだとばかり。けれどどうやら家臣の間では、次男である僕を次期王に推す動きが出ているようなんだ」
こんな頼りなさげな男が?とセオラは思う。しかし、先ほど国境付近で彼に対し、家臣たちが平身低頭していたことを思い出すと、あながち嘘ではなさそうだ。既に彼を王と呼んでいた者もいた。
「このままでは兄弟たちが結託して僕を排斥する動きになりかねないんだよね。だからこの状況を無事に乗り切るため、僕には頼りになる仲間が必要なんだ」
「仲間……」
「そう。セオラ、君のような」
ジャンブールはセオラの手に重ねた手に力を込める。
(この男は、政争で生き抜くために私を必要としているのか)
初めての扱いに、セオラの心が震えた。頬がほんのりと熱を持つ。
「だ、だが、それならば私を妃にする必要はないだろう? 侍女として、あるいは相談役として側においてくれれば……」
「セオラ、この国の王が代々トゴス族の女を第一妃にしているのは知ってる?」
(は?)
いきなりの話の方向転換に、セオラは面食らう。
「知らんが。それが私を妃に据える話とどう関係ある?」
「大いにある。王となる者の第一妃をトゴス族とするのが慣例であるなら、ゴラウン族の君を第一妃にすることで、王の地位には興味がないという意思表示となるだろ?」
セオラの中で、膨らみかけてた気持ちが萎んだ。
「……つまり私は、お前の保身のために都合のいい存在というわけだ」
「そういう面もあるね」
あっさりと返され、セオラは僅かに苛立ちを覚えた。
「それと、セオラに第一妃でいてほしい理由は、もう一つ」
「まだあるのか」
ジャンブールに握られた手を、セオラは振りほどこうとした。しかしジャンブールは逃すまいとするように、握る手にさらに力を込める。
「僕たち兄弟は亡き父の寵姫たちを、自分の後宮へ迎え入れなくちゃならない」
他の地域では奇異な光景と思われるだろうが、この風習は草原の民にとって当然のことだった。主を失った寵姫たちは、その息子や弟等の後宮へ迎え入れられるのが通例である。
「だが寵姫たちの中に、父を殺めた人間がいるようだ」
「なんだと?」
驚愕の声を上げたセオラの口を、ジャンブールは大きな手で塞いだ。
「……ジャンブール、それは本当の話なのか?」
口を覆う手を剥がしながらセオラが問うと、ジャンブールは一つ頷いた。
「亡くなった時の父の状態を見て、医者が毒物を疑っていた。かなり言葉を濁してはいたが」
「心当たりは」
「ある」
ジャンブールの瞳に、怜悧な光が宿る。
「父の寵姫の中でも下級妃だった者の中に、父亡き後息子である僕たちの所で上級妃、あるいは皇后にならんと画策した者がいるようだ。父存命のうちから、僕に懸想してきた者もいる」
「義理の息子に懸想? そんな恥知らずがいるとは」
ジャンブールは重々しく頷き、一転悪戯っぽく笑った。
「そこでセオラの出番だ」
「私がどうした?」
「次こそ第一妃にならんと企んでいたのに、再婚する前に僕が第一妃を選んでしまった。件の寵姫はどう感じるだろうね?」
「私に憎悪を募らせるだろうな。……おい」
セオラはジャンブールの胸倉を掴み上げた。
「私が狙われるではないか。その、先王に毒を盛ったと思われる寵姫に」
「そうなるね。ひょっとしたら刺客を寄こされるかもしれない」
「こら」
「だから必要なんだよ。第一妃にはセオラのように賢く強い、簡単に折れない人が」
セオラはしばし、ジャンブールのへらへらした笑顔を睨みつけていた。やがて大きく息をつき、手を離す。
「つまり? 私を第一妃にすることで、王殺しの犯人をあぶりだしたいのだな、お前は」
「そうだね」
襟元を直しながら、ジャンブールは天幕の天窓を見上げた。
「僕が後宮に迎えた女の中に父を殺した者がいたら、どうなると思う? ただでさえ家臣たちから王に望まれ、兄弟たちから睨まれている僕だ。寵姫が父王を殺したのは僕の手引きだった、なんて言いがかりをつけられてごらん。兄弟たちは賊を討伐するという大義名分を得てしまう。それを避けたいんだよ」
ジャンブールは、はははと力なく笑う。
「ね? 色々複雑でしょ?」
「そうだな」
つまりセオラの役回りは、ジャンブールにとっての戦友であり、王位を放棄する意思表示の象徴であり、先王暗殺の犯人をあぶりだす囮というわけだ。
「だが」
セオラはベッドから立ち上がり、腰に手をやる。
「第一妃の話、私が断ると言えば?」
「君は断れないよ、セオラ」
「なぜだ」
「ゴラウンから君と一緒にここへ来た虜囚がいるよね」
ジャンブールがにんまりと笑う。
「老人や傷病者が多いようだね。きっとサンサルロで迎えても満足に働けず、厄介者扱いをされてしまうだろう。でも、君が僕の第一妃になってくれたら、彼らの生活は保障するよ。どう?」
(こいつ……!)
柔らかな物腰でへらへらしているくせに、嫌なところをしっかり押さえてくる。セオラはぐっと拳を握ると、苦々しい顔で口を開いた。
「……わかった。お前の申し出に従おう」
「やった!」
ジャンブールはぴょこんと立ち上がると、飛びつくようにセオラを抱きしめる。
「なっ! 離せ!」
「ははは、君の武勇はサンサルロにまで伝わっていた。偵察で初めて見た時から、僕は君が欲しかったんだよ!」
(偵察!?)
ひょっとして、あの森で出会った時のことを言っているのだろうか。
「道に迷ったというのは噓だったのだな」
「いいじゃないか、細かいことは」
「細かくない!」
セオラは身をよじり、無理やりジャンブールを振り払う。
「ジャンブール、こちらも一つ条件を付けさせろ」
「条件? 何かな」
「第一妃にはなろう。ただし、お前が目的を果たすまでだ」
セオラの言葉に、ジャンブールは不満そうに口を尖らせる。
「そんな剽軽な顔をしても駄目だ。全てを終えたら、あとはお前に相応しい女を第一妃に据えると誓え」
「……わかったよ」
一つ肩をすくめ、ジャンブールは表情を引き締める。
「セオラ」
「なんだ」
「改めて、僕の第一妃になってくれるね」
ジャブールの真剣な瞳に、セオラはどうにも落ち着かない気持ちになる。
「……わかった」
そっぽを向いて答えたセオラに、ジャンブールは心底嬉しそうに微笑んだ。
「そこで次の王の選出となったのだが、僕ら草原の民は末子相続が基本だろう? 僕もそのつもりでいた。弟が即位するものだとばかり。けれどどうやら家臣の間では、次男である僕を次期王に推す動きが出ているようなんだ」
こんな頼りなさげな男が?とセオラは思う。しかし、先ほど国境付近で彼に対し、家臣たちが平身低頭していたことを思い出すと、あながち嘘ではなさそうだ。既に彼を王と呼んでいた者もいた。
「このままでは兄弟たちが結託して僕を排斥する動きになりかねないんだよね。だからこの状況を無事に乗り切るため、僕には頼りになる仲間が必要なんだ」
「仲間……」
「そう。セオラ、君のような」
ジャンブールはセオラの手に重ねた手に力を込める。
(この男は、政争で生き抜くために私を必要としているのか)
初めての扱いに、セオラの心が震えた。頬がほんのりと熱を持つ。
「だ、だが、それならば私を妃にする必要はないだろう? 侍女として、あるいは相談役として側においてくれれば……」
「セオラ、この国の王が代々トゴス族の女を第一妃にしているのは知ってる?」
(は?)
いきなりの話の方向転換に、セオラは面食らう。
「知らんが。それが私を妃に据える話とどう関係ある?」
「大いにある。王となる者の第一妃をトゴス族とするのが慣例であるなら、ゴラウン族の君を第一妃にすることで、王の地位には興味がないという意思表示となるだろ?」
セオラの中で、膨らみかけてた気持ちが萎んだ。
「……つまり私は、お前の保身のために都合のいい存在というわけだ」
「そういう面もあるね」
あっさりと返され、セオラは僅かに苛立ちを覚えた。
「それと、セオラに第一妃でいてほしい理由は、もう一つ」
「まだあるのか」
ジャンブールに握られた手を、セオラは振りほどこうとした。しかしジャンブールは逃すまいとするように、握る手にさらに力を込める。
「僕たち兄弟は亡き父の寵姫たちを、自分の後宮へ迎え入れなくちゃならない」
他の地域では奇異な光景と思われるだろうが、この風習は草原の民にとって当然のことだった。主を失った寵姫たちは、その息子や弟等の後宮へ迎え入れられるのが通例である。
「だが寵姫たちの中に、父を殺めた人間がいるようだ」
「なんだと?」
驚愕の声を上げたセオラの口を、ジャンブールは大きな手で塞いだ。
「……ジャンブール、それは本当の話なのか?」
口を覆う手を剥がしながらセオラが問うと、ジャンブールは一つ頷いた。
「亡くなった時の父の状態を見て、医者が毒物を疑っていた。かなり言葉を濁してはいたが」
「心当たりは」
「ある」
ジャンブールの瞳に、怜悧な光が宿る。
「父の寵姫の中でも下級妃だった者の中に、父亡き後息子である僕たちの所で上級妃、あるいは皇后にならんと画策した者がいるようだ。父存命のうちから、僕に懸想してきた者もいる」
「義理の息子に懸想? そんな恥知らずがいるとは」
ジャンブールは重々しく頷き、一転悪戯っぽく笑った。
「そこでセオラの出番だ」
「私がどうした?」
「次こそ第一妃にならんと企んでいたのに、再婚する前に僕が第一妃を選んでしまった。件の寵姫はどう感じるだろうね?」
「私に憎悪を募らせるだろうな。……おい」
セオラはジャンブールの胸倉を掴み上げた。
「私が狙われるではないか。その、先王に毒を盛ったと思われる寵姫に」
「そうなるね。ひょっとしたら刺客を寄こされるかもしれない」
「こら」
「だから必要なんだよ。第一妃にはセオラのように賢く強い、簡単に折れない人が」
セオラはしばし、ジャンブールのへらへらした笑顔を睨みつけていた。やがて大きく息をつき、手を離す。
「つまり? 私を第一妃にすることで、王殺しの犯人をあぶりだしたいのだな、お前は」
「そうだね」
襟元を直しながら、ジャンブールは天幕の天窓を見上げた。
「僕が後宮に迎えた女の中に父を殺した者がいたら、どうなると思う? ただでさえ家臣たちから王に望まれ、兄弟たちから睨まれている僕だ。寵姫が父王を殺したのは僕の手引きだった、なんて言いがかりをつけられてごらん。兄弟たちは賊を討伐するという大義名分を得てしまう。それを避けたいんだよ」
ジャンブールは、はははと力なく笑う。
「ね? 色々複雑でしょ?」
「そうだな」
つまりセオラの役回りは、ジャンブールにとっての戦友であり、王位を放棄する意思表示の象徴であり、先王暗殺の犯人をあぶりだす囮というわけだ。
「だが」
セオラはベッドから立ち上がり、腰に手をやる。
「第一妃の話、私が断ると言えば?」
「君は断れないよ、セオラ」
「なぜだ」
「ゴラウンから君と一緒にここへ来た虜囚がいるよね」
ジャンブールがにんまりと笑う。
「老人や傷病者が多いようだね。きっとサンサルロで迎えても満足に働けず、厄介者扱いをされてしまうだろう。でも、君が僕の第一妃になってくれたら、彼らの生活は保障するよ。どう?」
(こいつ……!)
柔らかな物腰でへらへらしているくせに、嫌なところをしっかり押さえてくる。セオラはぐっと拳を握ると、苦々しい顔で口を開いた。
「……わかった。お前の申し出に従おう」
「やった!」
ジャンブールはぴょこんと立ち上がると、飛びつくようにセオラを抱きしめる。
「なっ! 離せ!」
「ははは、君の武勇はサンサルロにまで伝わっていた。偵察で初めて見た時から、僕は君が欲しかったんだよ!」
(偵察!?)
ひょっとして、あの森で出会った時のことを言っているのだろうか。
「道に迷ったというのは噓だったのだな」
「いいじゃないか、細かいことは」
「細かくない!」
セオラは身をよじり、無理やりジャンブールを振り払う。
「ジャンブール、こちらも一つ条件を付けさせろ」
「条件? 何かな」
「第一妃にはなろう。ただし、お前が目的を果たすまでだ」
セオラの言葉に、ジャンブールは不満そうに口を尖らせる。
「そんな剽軽な顔をしても駄目だ。全てを終えたら、あとはお前に相応しい女を第一妃に据えると誓え」
「……わかったよ」
一つ肩をすくめ、ジャンブールは表情を引き締める。
「セオラ」
「なんだ」
「改めて、僕の第一妃になってくれるね」
ジャブールの真剣な瞳に、セオラはどうにも落ち着かない気持ちになる。
「……わかった」
そっぽを向いて答えたセオラに、ジャンブールは心底嬉しそうに微笑んだ。



