サンサルロの集落へ到着すると、セオラは天幕の一つへと案内され、そこで治療を受けることとなった。
 服を脱ぐよう促され、セオラはそれに従う。
(おっと)
 帯を解こうとして、腹に括りつけておいた本を思い出す。妹のニルツェツェグから贈られた、毒物に関するものだ。
 それをそっと台の上へ置く。全てをゴラウンに残してきたと思ったが、妹からの贈り物だけは持ち出せたことに安堵を覚えた。
「セオラ様、どうぞこちらを」
 治療を終えたセオラに、侍女が清潔な空色の衣服を差し出してきた。
(なんだこれは……)
 それは一目で高級品だと分かる、豪奢な刺繍がほどこされた逸品だった。
(虜囚には過ぎたるものだ)
「こんな立派なものは受け取れん。私の元の服を返してくれ」
「あなた様のお召し物は、既に洗濯係へ渡しました。こちらはジャンプール様がセオラ様のためにと、手ずから選ばれたお召し物にございます」
(一体、何のために?)
 侍女は神妙な面持ちのまま、ずいと衣を差し出してくる。
「どうぞお召しを。でなければ私が叱られてしまいます」
 そう言われては、断ることも出来ない。
 セオラは渋々、その滑らかな肌触りの仕立ての良い服へ、腕を通す。すると侍女は続けて、重たげに揺れる金銀の髪飾りを差し出してきた。

 身支度をすっかり終えると、セオラはジャンブールの天幕へと案内された。
「へぇ」
 鮮やかな空色の衣に身を包み、金銀で飾り立てられたセオラを見て、ジャンブールは目を輝かせる。そして柔らかく口元をほころばせた。
「うん、すごくきれいだ」
「……」
「空色は、絶対セオラに合うと思ったんだ。けれどここまで似合うなんてね」
 セオラは表情を硬くしたまま、はしゃぐジャンブールを見返している。
「あれ? その服、気に入らなかった? 別の色が好き?」
「いや。大変ありがたいと思っている」
「それならいいけど。どうしたの、怖い顔をして」
「私をどうするつもりだ」
 セオラの言葉に、ジャンブールはきょとんとなる。
「どう、って?」
「私はサンサルロの虜囚となった。この地において私は、奴隷のようなものだろう。なのにこんなきらびやかな服を与えて」
 セオラはギッとジャンブールを睨みつける。
「わかったぞ。皆で慰み者にする気だな?」
「えぇえええ、しないしない!」
 慌てたようにジャンブールは両手を大きく振った。
「まぁ、でも」
 ジャンブールはすぐにいたずらっぽい目線をセオラへ寄こす。
「ちょっとお願いを聞いてもらおうかな、とは思ってる」
「願い?」
 眉間に皺を寄せたセオラへ、ジャンブールはにこやかな微笑みを返す。
「うん。君には僕の後宮(オルド)で第一妃になってもらおうかな、って」
(第一妃だと? しかし、そういうことか……)
 セオラは大きく息をつく。草原の民の間では、妻にする女を略奪することが日常茶飯事だ。
「なら、私だけを攫えばよかったのだ。私ならゴラウンには何の未練もない。抵抗など一切せず大人しくかどわかされてやった。なぜ関係ない者までゴラウンから連れ出した。しかも、命を脅かすような真似までして」
「誤解があるようだけど」
 ジャンブールはセオラの手を引きベッドへと腰かけさせる。 
「僕が君を妃に求めるのと、今回のバルによるゴラウン襲撃の件は別物だ。あれはバルによる勝手な暴走。信じてほしいと言っても難しいかもしれないけれど、僕の知らないところで行われたことだった。……ごめんね、辛い思いをさせた」
 ジャンブールの言葉に、セオラはふんと鼻で笑う。
「別に辛くなどない。私自身はあのクソ親父から解放されて清々している」
「クソ親父?」
「お前の所のバルはゴラウン族に『身内の中から要らぬ人間を一人差し出せ』と言ったのだ。そしてオトゴンバヤルが不要と判断し、放り出した人間が私だ」
「……」
 ジャンブールは返す言葉が見つからず口をつぐむ。しかしセオラは、からからと陽気に笑った。
「つまり私を第一妃にしても、お前に得はない。それどころか小国の不要物である私を第一妃などにすれば、お前の名に傷がつこう。わかったら、第一妃にはもっとましな別の女を……」
「いや、僕の第一妃は君しか考えられない」
 ジャンブールの確信を持った声音に、セオラは小さく息を飲む。そして小声で「物好きめ」と吐き捨てた。
「しかし酷いな」
「何がだ」
「君の父親の、君に対する仕打ちだ」
「だからそれは気にしていないと……」
 セオラの手に、ジャンブールの大きな手が重なる。
「僕が許せないんだ。君がどう思っていようと」
 ピリ、と胸の奥が痛む。長年気付かないふりをしてきた感情、それを包み込む膜がほころびてしまいそうで、セオラは動揺した。
「なぜ、私を第一妃に望む」
「僕には必要なんだ。セオラのように賢くて強く、腕の立つ人が」
 ジャンプールの言葉に、セオラの心臓が一つ跳ねた。
「強くて、腕の立つ?」
「そう」
 言ってジャンブールはセオラを引き寄せると、更に声を潜めた。
「サンサルロは今、内部情勢が微妙でね。実は先日、王である父が亡くなった」