一旦落ち着いて考える必要があった。それに襲い来る男たちと戦いながら駆け回り続けたことで、体力も限界に達していた。
 セオラは幹が太い樹の上へと這い上る。そして枝がしっかりしているのを確認し、寄り添うように身を預けた。
(少し休もう。チヌアは無事に二人を連れて国へ戻れただろうか)
 この地の木の葉はあまり生い茂っていない。陽が昇れば呆気なく見つかってしまうだろう。だが、夜間ならば少しの間しのげそうであった。
(私も岩山を越えてゴラウン側へ逃げるのがいいだろうか。だがその場合、アルトゥザムが本格的にゴラウンを潰しに来る可能性が高い。今なら夜の闇に紛れられるかもしれんが、ニルツェツェグたちを逃がすためにかなり遠ざかってしまった。となれば森を抜けることになるか……)
 セオラは真っ黒な森に目をやる。踏み込めば、方角が全く分からなくなりそうだった。
(そうだ、どこかでアルトゥザムの女の服を調達して、それを着て出ていくのはどうだろう。この手が一番安全かもしれない。でもどこで手に入れれば……)
 セオラはそこまで考えてはっと息を飲む。こちらへ近づいてくる足音が複数聞こえたのだ。セオラは木の枝にぴったりと身を寄せ、その一部となったように擬態する。
「いたか?」
「いや」
 男たちはセオラの足元で情報交換を始めた。
(早くどこかへ行ってしまえ)
 セオラは息を殺し、ただ彼らが立ち去るのを待つしかなかった。



 セオラが意識を取り戻したのは、朝日が瞼を射した時だった。
(しまった!)
 樹上で息を殺したまま、眠ってしまったらしい。セオラの全身から血の気が引く。この地の木は身を隠せるほど葉が茂っていない。このままここにいれば、すぐに誰かに見つかってしまうだろう。
(夜の間に、女の服を調達しておくべきだった)
 後悔したが既に遅い。セオラが身に纏う、龍を模した刺繍を施した空色の服は、嫌でもアルトゥザムの人の目を引くことだろう。
(もうじき、当直番(ケプテウル)日直番(トルカウト)が入れ替わる時刻だ)
 夜間警備に比べ、昼間の警備はその八倍もの人員が割かれている。そんな彼らの目を盗み、ここから抜け出すなど絶望的だった。
(私はこのままここで囚われてしまうのか……)
 虜囚となった女がどんな目に遭うかはよく知っている。後宮で出会った女たちからも、生々しい体験談を聞かされた。オドンチメグやナランゴア・サラントヤ姉妹の顔が脳裏をかすめた。
(いっそ、処刑をしてくれればいい。それなら私は)
 頭に浮かんだのは、オレンジ色(オルバルシャル)上衣(デール)を着た、輝くような笑顔の美丈夫。
(最期までジャンブールの妃でいられる……)
 まるで太陽の化身のような第二王子を想い、ぐっと奥歯を噛みしめた時だった。
 サンサルロに繋がる東側から、波音のようなものが聞こえて来た。
(これは、馬の轟……!)
 目を凝らせば、はるか向こうに土煙が舞い上がっているのが見える。恫喝のようなものも入り混じっていた。微かに「サンサルロの襲撃だ!」という悲鳴が聞こえて来た。
(サンサルロの? まさか……!)
 続けてセオラの耳に届いたのは。
「セオラーーー!!」
 自分を呼ぶ、力強くも甘い声。それを耳にした瞬間、反射的にセオラの両目から涙が噴き出した。
(な、なんだこれは)
 自分の体に起きた現象に、セオラは戸惑う。しかしすぐに袖で目元をぬぐうと、次にやるべきことを考えた。
(ジャンブールはサンサルロ兵を率いて私を助けに来た。一刻も早く合流しなくては、サンサルロの民が戦いで傷つくだろう。なんとかして、ジャンブールの元へ行かなくては)
 その時、足元をアルトゥザム兵が馬に乗って駆け抜けるのが見えた。セオラは迷うことなく最も丈夫そうな馬を見極め、その背へ飛び乗る。そして驚く乗り手の首を絞め上げ、馬から投げ落とした。
 異変に気づいた数人が振り返る。そこへ向けてセオラは躊躇せず矢を射かけた。
「うわっ!」
「いつの間に!」
 自分たちの仲間がいるはずの場所へ、見知らぬ女がいたことに男たちが声を上げる。
「こいつがまさか、昨夜の闖入者か!」
 サンサルロ兵を迎え撃とうとしていた男たちが、狙いをセオラへと変える。だがセオラは馬の速度を上げ、彼らからの攻撃を矢と小刀で叩き伏せた。
「ジャンブール!!」
 セオラはあらん限りの声を張り上げる。
「私はここだ!」
「セオラ!」
 まだ遠いジャンブールの声の方角へ、セオラは馬を急がせる。それぞれ追いすがる敵を打ち払いながら。やがて互いの目に、相手の姿が映った。
「セオラ!」
「ジャンブール!」
 その時、セオラの乗っていた馬に矢が射かけられた。馬はガクリと膝を折り、その場に崩れ落ちる。セオラは大地へと投げ出された。
「こっちだ!」
 ジャンブールがセオラへ手を伸ばす。セオラはすぐさま立ち上がり、迷うことなくその手を取った。
 ふわりと浮き上がるように、セオラはジャンブールの漆黒の馬へと引き上げられる。
「セオラは確保した、撤退しろ!」