「いや、でも! 家臣が信頼を置いているのはジャンブール兄貴だ。オレは正直なところ、王位にそこまで執着はないし。そりゃ、炉の主なんだから順当にいけばオレなんだろうなとは思うけど。だけど家臣たちはジャンブール兄貴こそふさわしいって……」
「その、『家臣が信頼を置いている』僕が、ガンゾリグが王になるのが国のためになると認めてるんだ。皆の前で宣言もする」
ジャンブールは白い歯を見せ、ガンゾリグの両肩をぽんぽんと叩く。
「心配をするな、僕が全力で君を支える。自信をもって王座についてくれ、ガンゾリグ」
「兄貴……」
ガンゾリグはしばしの間「オレにやれんのかなぁ」と呻きつつ頭の後ろをガリガリと掻いていた。だがやがて、大きく息をひとつつくと、覚悟の決まった顔つきで頷いた。
ガンゾリグが天幕から出ていくと、セオラは妹からもらった本を棚から取り出した。
「生地黄に飴、烏鶏……」
ぶつぶつと口の中で繰り返し、天幕から出て行こうとする。
「どこへ行くんだい。セオラ」
「食医の所へ行って、材料をもらってくる」
「材料? 何の?」
セオラは一度戻って来ると、ジャンブールへ本を見せる。そこには「気力を失い、食べ物も喉を通らない病人へ食べさせる」と説明のある料理の作り方が書かれていた。
「ひょっとして兄さんの為に作るつもり? 君の優しい心は嬉しく思うけど、兄さんが素直に口に運ぶとは思えないよ」
「……だけど、放っておけない。ジャンブールの身内だからな」
セオラの言葉に、ジャンブールは目を見開く。そして、へにゃっと相好を崩した。
「えー、もう。セオラ、これだから好き!」
ジャンブールはすっくと立ち上がると、セオラの手を取った。
「僕も一緒に行く。それで、一緒に作る」
「い、いい。一人で行ける。それから、その手を放せ」
「なんでぇ?」
「もう、睦まじいふりをして、先王殺しの犯人をあぶりだす必要もなくなっただろう」
「そうだね」
ニコニコと笑いながら、ジャンブールからはつないだ手をほどかない。
「僕は軽く掴んでいるだけだからさ。セオラ、どうしても嫌なら振りほどいていいよ」
「お前という奴は……」
眉根に皺を寄せたセオラであったが、その手を振り払うことができなかった。
「ナツァグ兄さん、入るよ」
鍋を手にしたジャンブールがナランゴアのものだった天幕を訪れると、そこは暗く静まり返っていた。起き上がる気力すら失ったナツァグは、主が姿を消したナランゴアの天幕から移動できずにいた。
医者が側に控えているが、本人が看病を拒絶しているのだろう。染みを作った床や陶器の破片などが、彼の抵抗を物語っていた。
「……何しに来た」
落ちくぼんだ目が、どろりとジャンブールを見る。そしてセオラの姿が視界に入ると、ますます不快そうな表情となった。
「セオラが兄さんの為に作ったんだ。少しでも食べてみない?」
ジャンブールが煮込んだ烏鶏の入った鍋を近づける。ナツァグは以前のように払いのけようとしたが、力を失った手は鍋を掠るように当たっただけで、コンと情けない音を立てるにとどまった。
「借りるぞ」
セオラが食器を取り出し、鍋の中からスープを取る。そしてスプーンで掬い、ナツァグの口元へ持って行った。
「いらん」
掠れた声でそれだけ言って目を閉じ、そっぽを向こうとしたナツァグだったが、セオラはその痩せた顎を強引に掴んで振り向かせる。
「ちょ、セオラ!?」
「勝手に絶望して、逃げようとするな」
スプーンに半分ほどのスープを、洞のようにぽっかり開いた口へとセオラは流し込む。それはするりとナツァグの中に滑り込み、ゴクリと喉を鳴らした。
「き、さま……!」
「お前が惚れた女に裏切られ傷心中だということは知っている。だが、そんなの関係ない。お前は間抜けにもあの女に踊らされ、罪のないイントールを処刑しようとした。その事実から逃げるな」
セオラはナツァグの舌から伝わせるように、再び口腔内へスープを流し込む。ナツァグは抵抗するように身じろぎするが、セオラは意に介さない。
「セオラ、ちょいちょいちょい! 僕の兄だから助けたいとか、そう言う流れでここに来たはずだよね?」
「勿論だ」
「いや、今の君の行動!」
「助ける、そして死なせない。イントールに謝ってもらわねばならんからな」
セオラは滋養溢れるスープを、ナツァグの口へと少しずつ流し入れる。
器に三分の一ほどのスープが、ナツァグの胃の腑へ収まった頃だろうか。ナツァグの手がセオラの持っているスプーンを弱々しくも弾いた。
「ふざ、けるな、女……」
軽く咳き込みながら、ナツァグが身を起こす。セオラを睨みつけて。その様子に医者が驚き腰を浮かした。
「ナツァグ様が、起き上がられた……」
ナツァグはジャンブールを振り返ると「それを寄こせ」と低く唸る。困惑しながらジャンブールが自ら手にした鍋に目をやると、ナツァグはギラギラした目で頷いた。
「重いから、食べるのはちょっとずつだよ」
ジャンブールはセオラから器を受け取り、ほろほろと崩した烏鶏の身を僅かばかりスープへと入れる。舌先で押せば蕩けるほど煮込んだ烏鶏ではあったが、数日間ほぼ飲まず食わずのナツァグにとっては、少々厳しいだろうと判断してのことだった。しかしナツァグはジャンブールから器を奪い取ると、スープと共に肉も口へ流し込む。そして、肉食獣のような目つきでセオラを睨んだまま、口内のものをゆっくりと咀嚼した。やがて嚥下したことが喉の動きで伝わる。
「……あぁ、生きてやるさ、お望みどおりに。そしてイントールとやらにも謝ってやろう。だがな」
セオラとナツァグは互いに睨み合う。視線を外した方が負けとばかりに。
「貴様が俺にしたことや暴言は、忘れてやらんからな。覚えておけ。医者!」
「は、はい」
側で様子を見守っていた医者は、ナツァグから急に呼びつけられびくりと身をすくめる。
「俺を治せ。元通り、動けるようになるようにだ」
「かしこまりました」
互いに視線をぶつけ合ったままの兄と妃の姿に、ジャンブールは困ったように笑う。
「えぇと……。出来れば穏便にね。次期王となるガンゾリグを支えていく仲間なんだから」
「その、『家臣が信頼を置いている』僕が、ガンゾリグが王になるのが国のためになると認めてるんだ。皆の前で宣言もする」
ジャンブールは白い歯を見せ、ガンゾリグの両肩をぽんぽんと叩く。
「心配をするな、僕が全力で君を支える。自信をもって王座についてくれ、ガンゾリグ」
「兄貴……」
ガンゾリグはしばしの間「オレにやれんのかなぁ」と呻きつつ頭の後ろをガリガリと掻いていた。だがやがて、大きく息をひとつつくと、覚悟の決まった顔つきで頷いた。
ガンゾリグが天幕から出ていくと、セオラは妹からもらった本を棚から取り出した。
「生地黄に飴、烏鶏……」
ぶつぶつと口の中で繰り返し、天幕から出て行こうとする。
「どこへ行くんだい。セオラ」
「食医の所へ行って、材料をもらってくる」
「材料? 何の?」
セオラは一度戻って来ると、ジャンブールへ本を見せる。そこには「気力を失い、食べ物も喉を通らない病人へ食べさせる」と説明のある料理の作り方が書かれていた。
「ひょっとして兄さんの為に作るつもり? 君の優しい心は嬉しく思うけど、兄さんが素直に口に運ぶとは思えないよ」
「……だけど、放っておけない。ジャンブールの身内だからな」
セオラの言葉に、ジャンブールは目を見開く。そして、へにゃっと相好を崩した。
「えー、もう。セオラ、これだから好き!」
ジャンブールはすっくと立ち上がると、セオラの手を取った。
「僕も一緒に行く。それで、一緒に作る」
「い、いい。一人で行ける。それから、その手を放せ」
「なんでぇ?」
「もう、睦まじいふりをして、先王殺しの犯人をあぶりだす必要もなくなっただろう」
「そうだね」
ニコニコと笑いながら、ジャンブールからはつないだ手をほどかない。
「僕は軽く掴んでいるだけだからさ。セオラ、どうしても嫌なら振りほどいていいよ」
「お前という奴は……」
眉根に皺を寄せたセオラであったが、その手を振り払うことができなかった。
「ナツァグ兄さん、入るよ」
鍋を手にしたジャンブールがナランゴアのものだった天幕を訪れると、そこは暗く静まり返っていた。起き上がる気力すら失ったナツァグは、主が姿を消したナランゴアの天幕から移動できずにいた。
医者が側に控えているが、本人が看病を拒絶しているのだろう。染みを作った床や陶器の破片などが、彼の抵抗を物語っていた。
「……何しに来た」
落ちくぼんだ目が、どろりとジャンブールを見る。そしてセオラの姿が視界に入ると、ますます不快そうな表情となった。
「セオラが兄さんの為に作ったんだ。少しでも食べてみない?」
ジャンブールが煮込んだ烏鶏の入った鍋を近づける。ナツァグは以前のように払いのけようとしたが、力を失った手は鍋を掠るように当たっただけで、コンと情けない音を立てるにとどまった。
「借りるぞ」
セオラが食器を取り出し、鍋の中からスープを取る。そしてスプーンで掬い、ナツァグの口元へ持って行った。
「いらん」
掠れた声でそれだけ言って目を閉じ、そっぽを向こうとしたナツァグだったが、セオラはその痩せた顎を強引に掴んで振り向かせる。
「ちょ、セオラ!?」
「勝手に絶望して、逃げようとするな」
スプーンに半分ほどのスープを、洞のようにぽっかり開いた口へとセオラは流し込む。それはするりとナツァグの中に滑り込み、ゴクリと喉を鳴らした。
「き、さま……!」
「お前が惚れた女に裏切られ傷心中だということは知っている。だが、そんなの関係ない。お前は間抜けにもあの女に踊らされ、罪のないイントールを処刑しようとした。その事実から逃げるな」
セオラはナツァグの舌から伝わせるように、再び口腔内へスープを流し込む。ナツァグは抵抗するように身じろぎするが、セオラは意に介さない。
「セオラ、ちょいちょいちょい! 僕の兄だから助けたいとか、そう言う流れでここに来たはずだよね?」
「勿論だ」
「いや、今の君の行動!」
「助ける、そして死なせない。イントールに謝ってもらわねばならんからな」
セオラは滋養溢れるスープを、ナツァグの口へと少しずつ流し入れる。
器に三分の一ほどのスープが、ナツァグの胃の腑へ収まった頃だろうか。ナツァグの手がセオラの持っているスプーンを弱々しくも弾いた。
「ふざ、けるな、女……」
軽く咳き込みながら、ナツァグが身を起こす。セオラを睨みつけて。その様子に医者が驚き腰を浮かした。
「ナツァグ様が、起き上がられた……」
ナツァグはジャンブールを振り返ると「それを寄こせ」と低く唸る。困惑しながらジャンブールが自ら手にした鍋に目をやると、ナツァグはギラギラした目で頷いた。
「重いから、食べるのはちょっとずつだよ」
ジャンブールはセオラから器を受け取り、ほろほろと崩した烏鶏の身を僅かばかりスープへと入れる。舌先で押せば蕩けるほど煮込んだ烏鶏ではあったが、数日間ほぼ飲まず食わずのナツァグにとっては、少々厳しいだろうと判断してのことだった。しかしナツァグはジャンブールから器を奪い取ると、スープと共に肉も口へ流し込む。そして、肉食獣のような目つきでセオラを睨んだまま、口内のものをゆっくりと咀嚼した。やがて嚥下したことが喉の動きで伝わる。
「……あぁ、生きてやるさ、お望みどおりに。そしてイントールとやらにも謝ってやろう。だがな」
セオラとナツァグは互いに睨み合う。視線を外した方が負けとばかりに。
「貴様が俺にしたことや暴言は、忘れてやらんからな。覚えておけ。医者!」
「は、はい」
側で様子を見守っていた医者は、ナツァグから急に呼びつけられびくりと身をすくめる。
「俺を治せ。元通り、動けるようになるようにだ」
「かしこまりました」
互いに視線をぶつけ合ったままの兄と妃の姿に、ジャンブールは困ったように笑う。
「えぇと……。出来れば穏便にね。次期王となるガンゾリグを支えていく仲間なんだから」



