「確かにサラントヤは(あれ)と違って大人しい顔立ちよ。あまり目立つ容姿じゃない。だけど、だけど……!」
 ナランゴアは、ダンッと一つ足を踏み鳴らす。
「吾の宝なの! あんなゴミのような扱いをされていい子じゃない……!」
 悲痛なナランゴアの声が、微かに震えた。
(妹が……、奴隷に……)
 セオラの頭に、妹ニルツェツェグの顔が浮かぶ。もしも妹が同じ目に合ったらと思うと、胸が痛んだ。
「吾は幾度も幾度も頼んだわ。妹を連れ戻してほしいと、吾と共にいさせてほしいと。けれどノランバートルは薄笑いを浮かべるばかりで。『妹想いの優しい娘だ』とだけ言って、吾を(ねや)へと引きずり込むの。最愛の寵姫? ふざけないでよ! あいつは吾を愛してなんかいなかった。ただ気の向いた時に好きなように愛玩していただけ。吾の望みなんて、これっぽっちも聞いてくれない。妹を取り返してくれる気なんて欠片もない!」
 ナランゴアは、足元で腰を抜かしたようになっているナツァグを冷ややかに見下ろす。
「そして、あなたも同じだった」
「そ、それは……」
 ナツァグが泣きそうな声を上げる。
「し、仕方がないだろう? 父上が家臣に与えたものだ。俺が今更取り上げるわけには……」
「ものじゃない!」
「ひっ!」
「吾の妹は、ものじゃない!」
 澄んだ雫が、ナランゴアの頬を伝い、床へと落ちた。
「だから、あなたももういらないと思ったのよ、ナツァグ。あなたさえ死んでくれれば草原の民の習わしに則り、次はジャンブールかガンゾリグに嫁げる。そして彼らなら、きっと妹を何とかしてくれるって……」
 確かに性格を考えると、ジャンブールなら知略を凝らし、ガンゾリグであれば多少の無茶をしてもナランゴアの妹を取り戻してくれそうではある。
「先王とナツァグ殿の命を狙った理由は分かった」
 感情を昂らせるナランゴアへ、セオラは冷静な声をかける。涙をたたえ輝くナランゴアの双眸を、こんな時だがセオラは美しいと感じた。
「イントールを巻き込む必要はなかったはずだ。完全に逆恨みだろう」
「えぇ、そうよ。ただの八つ当たり。だけど顔を見るたび腹立たしかったわ。顔立ちも、性格も、妹のサラントヤに似ているのに、なぜこの子は奴隷じゃないんだろう、って」
 ナランゴアは、はじけるように笑い出した。
「思い通りに行きすぎて、おかしかったわ。イントールにあの強壮剤を買わせ、それからノランバートルをけしかけたの。たまには別の妃を抱いてやってくださいな、吾が恨まれてしまいますと甘えて見せてね。そして渋る彼をイントールの天幕へ無理矢理行かせたの。案の定すぐに戻って来たわ。みだりがましい絵のせいで、その気になれなかったと言いわけしてね。そしてイントールの所から奪って来た薬を使い始めた。吾の狙い通りに」
「ナランゴア。お前はあの黒い粉末に毒性があると知っていたのだな」
「そうよ。だってウランスールイモリは、吾たちタス族の土地に生息し、吾たちが干して粉末にして売っていたものだもの」
 不意に糸が切れたように、ナランゴアはその場に崩れ落ちる。
「ナランゴア義姉(アガ)!」
「……もういい」
 差し伸べられたガンゾリグの手を、ナランゴアは冷たくはねのける。
「何年、気に染まぬ男に身をゆだねてきたことか。吾はただ、大切なサラントヤと一緒にいたかっただけなのに……」
 大きく息をつき、ナランゴアは肩を落とす。
「疲れた……」
ジャンブールが親衛隊(ケシクテン)へ合図を送る。ナランゴアはうなだれたまま、天幕の外へと引き立てられて行った。
「ジャンブール。ナランゴアはどうなる」
「先王殺しに、第一王子殺害未遂だ。無罪とはいかないさ」
「そう、だな……」
 その場には、ナツァグの慟哭だけが残された。



「……私はナランゴアを哀れに思う」
 白馬に跨り草原を行くセオラは、ポツリとこぼした。隣には漆黒の馬を操るジャンブールがいる。
 ナランゴアが捕縛されてから数日が経過していた。今もまだ、彼女は天幕の一つに捕らえられている。入れ替わるようにイントールの軟禁は解かれた。
「一国の王と王子の殺害を企んだ彼女が、許されるわけがない。それは理解している。だが、妹を取り戻したい一心であれだけのことをしたと思うと……」
 セオラは大きく息をつく。
「もし私が彼女の立場なら、やはり居ても立ってもいられないと思うからな」
「セオラも?」
「あぁ。もしもあの日、バルたちの手で捕虜になったのが私でなく、妹のニルツェツェグだったなら、私は単身でもサンサルロに乗り込み戦を挑んだだろう」
 カポカポと小気味の良い馬の足音が続く。
「そうならなくてよかったよ」
 ジャンブールが静かな声で返す。
「君とは敵対したくない」


 二人の着いた先は、ガンゾリグの領内の端だった。