陽気に笑ってセオラの背を軽く叩くと、ジャンブールは兄を振り返った。手にした絵巻物を掴んだまま、軽く振って見せる。
「これがセオラの言ってた毒性を消す絵巻物。ちゃんと存在してるよ。それから」
ジャンブールは入り口に向かって手招きする。暖簾の陰から、困惑した表情の商人が一人、おどおどと姿を現した。黒いひげを蓄え、この辺では見ない緑色の目をしている。目尻と鼻の横に、大きなほくろがあった。
「……ジャンブール、彼は誰だ?」
「この絵と強壮剤をイントールに売りつけた商人を、見つけてきた」
「この短期間でか!」
驚きに裏返った声を発したセオラへ、ジャンブールは悪戯っぽく白い歯を見せた。
「や、ほんと運が良かったよ」
(運だけだろうか)
ジャンブールは商人を自分の側へ呼び寄せ、イントールに近づく。
「イントール。君にこの絵と強壮剤を売ったのは、この商人で合ってるかな? もう忘れちゃった?」
イントールは呆然自失の表情のままだったが、やがて商人に焦点を合わせ一つ頷く。
「いえ。この印象的な翡翠色の瞳。その側の泣きぼくろ。鼻の側の大きなほくろ。私、覚えております。この方です」
「よしっ!」
ジャンブールが満足気にこぶしを握る。親しげに商人の肩を抱くと、顔を近づけた。帯の間から取り出した、黒い粉末の入った薬包を彼へ見せる。
「数年前に一人の下級妃にこれを大量に売りつけたと言っていたな。どういういきさつで、どんな相手に売りつけたか、もう一度ここで説明してくれるかな」
「は、はい」
緊張の隠しきれない顔つきのまま、商人は記憶を探るように目を伏せ語り始める。
「『まじないの類がとても好きな下級妃が来るから、この強壮剤をたくさん売りつけてほしい』とある方から頼まれました。その際に『ナランゴア妃もこれを使っているから、王よりあれほど愛されているのだ』と伝えるようにと。それを売り文句にすれば迷信深い彼女は確実に買うだろう、そうおっしゃっていました」
「その記憶に間違いはないかい?」
「はい、奇妙な依頼でしたし。何と言っても、それを頼んできた方のお顔がとても……」
そこで商人は目を上げる。ナツァグの側に立つ寵姫の顔を見て、眦が裂けんばかりに目を見開いた。
「……とてもお美しい方だったので。今でも忘れられないほど、お美しい方だったので」
商人はあえぐように言葉を絞り出す。その目はまっすぐに、ナランゴアを見つめていた。
「だ、そうだよ」
ジャンブールが、兄とその寵姫を見る。ナランゴアは顔をナツァグの胸へ摺り寄せ、袖で顔を覆った。
「イントールが商人から言われたことは、本当だったようだね。この強壮剤を買った流れも彼女の証言と一致する」
「でたらめだ!」
ナツァグが怒りを漲らせる。
「何年前の話だと思っている? そんなにはっきりと覚えているはずがないだろう。それにナランゴアがなぜそんな真似をする!? 商人、お前はジャンブールにそそのかされて、我が愛するナランゴアに毒殺の罪を被せようとしているのだな!」
「な、ナランゴア? そのお方が? ど、毒殺?」
商人は目をしばたかせる。
「しらばっくれるな! もういい、貴様にはこの場で引導を渡してやる」
ナツァグがふらつきながら腰の剣に手を掛ける。ヒッと悲鳴を上げた商人を背に庇い、ジャンブールが前に出た。
「どけ、ジャンブール。そこの嘘つきを、ナランゴアを貶めようとしたいかさま師を俺は許さない!」
「う、嘘ではございませぬ」
震えながらも商人は懐を探り、取り出した小さな革袋を揺すって中のものを掌へと出した。
「こ、こちらが証拠にございます。私に『ナランゴア妃が使っていると言え』と依頼したお美しい方が、その見返りとして下さったものです」
商人の手にあるものを見て、ナツァグとガンゾリグは息を飲んだ。
「こ、これは……」
「真珠の耳飾り……」
(真珠の耳飾り?)
二人のあまりの驚きようをいぶかりながら、セオラも商人の手の中を覗き込む。そして件の耳飾りを見て、息を飲んだ。
(こんなに大きな真珠、初めて見た!)
それは親指の先程もある、大粒の真珠であった。ナランゴアが普段つけているものや、先日、ガンゾリグが彼女に渡したものとは比べ物にならない大きさの。それに加え、見事な金の細工が施され、極上の逸品となっている。
「これ、親父がナランゴア義姉に贈ったものだよな?」
ガンゾリグが信じられないものを見る目をナランゴアへ向ける。
「ナランゴア義姉、本当にこれを商人に渡して、頼みごとをしたのかい?」
「……」
ナランゴアは袖で顔を覆ったまま、義弟の問いに答えない。
「なぁ、ナランゴア義姉」
「ナランゴアはそんなことをしない!」
再び第一王子は金切り声を上げた。
「これは盗まれたのだ、この商人に。ナランゴア心配するな。今すぐこの盗人を斬り捨ててやるからな?」
「……いいえ」
袖の向こうから聞こえて来たナランゴアの声は、酷く冷たいものであった。手を下ろせば、凍り付いた瞳が一同を見据えていた。
「ナランゴア!」
ナツァグが最愛の寵姫を、しゃにむに抱きしめる。
「俺は、お前の味方だ! お前が何をしていようが、俺だけはお前を愛して……」
だが、毒で弱った第一王子の体をナランゴアは冷たく突き放した。
「……あなたに愛されて、何の意味があるというのです」
「な、ナランゴア?」
「これがセオラの言ってた毒性を消す絵巻物。ちゃんと存在してるよ。それから」
ジャンブールは入り口に向かって手招きする。暖簾の陰から、困惑した表情の商人が一人、おどおどと姿を現した。黒いひげを蓄え、この辺では見ない緑色の目をしている。目尻と鼻の横に、大きなほくろがあった。
「……ジャンブール、彼は誰だ?」
「この絵と強壮剤をイントールに売りつけた商人を、見つけてきた」
「この短期間でか!」
驚きに裏返った声を発したセオラへ、ジャンブールは悪戯っぽく白い歯を見せた。
「や、ほんと運が良かったよ」
(運だけだろうか)
ジャンブールは商人を自分の側へ呼び寄せ、イントールに近づく。
「イントール。君にこの絵と強壮剤を売ったのは、この商人で合ってるかな? もう忘れちゃった?」
イントールは呆然自失の表情のままだったが、やがて商人に焦点を合わせ一つ頷く。
「いえ。この印象的な翡翠色の瞳。その側の泣きぼくろ。鼻の側の大きなほくろ。私、覚えております。この方です」
「よしっ!」
ジャンブールが満足気にこぶしを握る。親しげに商人の肩を抱くと、顔を近づけた。帯の間から取り出した、黒い粉末の入った薬包を彼へ見せる。
「数年前に一人の下級妃にこれを大量に売りつけたと言っていたな。どういういきさつで、どんな相手に売りつけたか、もう一度ここで説明してくれるかな」
「は、はい」
緊張の隠しきれない顔つきのまま、商人は記憶を探るように目を伏せ語り始める。
「『まじないの類がとても好きな下級妃が来るから、この強壮剤をたくさん売りつけてほしい』とある方から頼まれました。その際に『ナランゴア妃もこれを使っているから、王よりあれほど愛されているのだ』と伝えるようにと。それを売り文句にすれば迷信深い彼女は確実に買うだろう、そうおっしゃっていました」
「その記憶に間違いはないかい?」
「はい、奇妙な依頼でしたし。何と言っても、それを頼んできた方のお顔がとても……」
そこで商人は目を上げる。ナツァグの側に立つ寵姫の顔を見て、眦が裂けんばかりに目を見開いた。
「……とてもお美しい方だったので。今でも忘れられないほど、お美しい方だったので」
商人はあえぐように言葉を絞り出す。その目はまっすぐに、ナランゴアを見つめていた。
「だ、そうだよ」
ジャンブールが、兄とその寵姫を見る。ナランゴアは顔をナツァグの胸へ摺り寄せ、袖で顔を覆った。
「イントールが商人から言われたことは、本当だったようだね。この強壮剤を買った流れも彼女の証言と一致する」
「でたらめだ!」
ナツァグが怒りを漲らせる。
「何年前の話だと思っている? そんなにはっきりと覚えているはずがないだろう。それにナランゴアがなぜそんな真似をする!? 商人、お前はジャンブールにそそのかされて、我が愛するナランゴアに毒殺の罪を被せようとしているのだな!」
「な、ナランゴア? そのお方が? ど、毒殺?」
商人は目をしばたかせる。
「しらばっくれるな! もういい、貴様にはこの場で引導を渡してやる」
ナツァグがふらつきながら腰の剣に手を掛ける。ヒッと悲鳴を上げた商人を背に庇い、ジャンブールが前に出た。
「どけ、ジャンブール。そこの嘘つきを、ナランゴアを貶めようとしたいかさま師を俺は許さない!」
「う、嘘ではございませぬ」
震えながらも商人は懐を探り、取り出した小さな革袋を揺すって中のものを掌へと出した。
「こ、こちらが証拠にございます。私に『ナランゴア妃が使っていると言え』と依頼したお美しい方が、その見返りとして下さったものです」
商人の手にあるものを見て、ナツァグとガンゾリグは息を飲んだ。
「こ、これは……」
「真珠の耳飾り……」
(真珠の耳飾り?)
二人のあまりの驚きようをいぶかりながら、セオラも商人の手の中を覗き込む。そして件の耳飾りを見て、息を飲んだ。
(こんなに大きな真珠、初めて見た!)
それは親指の先程もある、大粒の真珠であった。ナランゴアが普段つけているものや、先日、ガンゾリグが彼女に渡したものとは比べ物にならない大きさの。それに加え、見事な金の細工が施され、極上の逸品となっている。
「これ、親父がナランゴア義姉に贈ったものだよな?」
ガンゾリグが信じられないものを見る目をナランゴアへ向ける。
「ナランゴア義姉、本当にこれを商人に渡して、頼みごとをしたのかい?」
「……」
ナランゴアは袖で顔を覆ったまま、義弟の問いに答えない。
「なぁ、ナランゴア義姉」
「ナランゴアはそんなことをしない!」
再び第一王子は金切り声を上げた。
「これは盗まれたのだ、この商人に。ナランゴア心配するな。今すぐこの盗人を斬り捨ててやるからな?」
「……いいえ」
袖の向こうから聞こえて来たナランゴアの声は、酷く冷たいものであった。手を下ろせば、凍り付いた瞳が一同を見据えていた。
「ナランゴア!」
ナツァグが最愛の寵姫を、しゃにむに抱きしめる。
「俺は、お前の味方だ! お前が何をしていようが、俺だけはお前を愛して……」
だが、毒で弱った第一王子の体をナランゴアは冷たく突き放した。
「……あなたに愛されて、何の意味があるというのです」
「な、ナランゴア?」



