危機が去った途端、サンサルロの男たちは怒りを爆発させた。藪からセオラを引きずり出し、胸倉を掴み上げる。
「お前たちには囮の役目を命じておいたはずだ! なぜ勝手な真似をした。俺たちを殺す気か!」
セオラはふてぶてしく笑って見せるや、サンサルロ兵の腕を掴んだ。
「お前たちの策より私の作戦の方が、犠牲が少ないと思ったからな。事実そうだっただろう?」
言いながらセオラは相手の腕を捻って重心を崩し、その場へひっくり返した。
「……え?」
地に背をつけた者のみならず、周囲のサンサルロ兵も皆、呆然と立ちすくんでいる。
小国の美しい姫の細腕によって、屈強な男が苦も無く転がされてしまった事実が、受け入れられないのだろう。
その中で真っ先に我に返ったのは、指揮官らしき首の太い男であった。
「貴様ぁっ!」
割れ鐘のような声に兵士たちも我に返る。そして各々怒りをあらわにして、セオラへと飛び掛かった。
「セオラ様っ!」
虜囚たちの間から悲鳴が上がる。
セオラは機敏に身を翻し、一人、また一人とサンサルロ兵を掴み投げていったが、いかんせん多勢に無勢。ついには複数の手によってその身を捕らえられ、地へと押さえつけられてしまった。
固い砂利に肌を傷つけられ苦痛に顔を歪めながらも、セオラは指揮官らしき男を睨む。
猪首の男は重々しい足取りでセオラに迫ると、湾刀の先をセオラの喉元へ突きつけた。憎々し気に口端を吊り上げながら。
「ゴラウンの族長の娘、セオラ。お前の見目は悪くない。いい手土産になると思ったが、女だてらに生意気が過ぎる。残念だが、ここで首を落してやる」
ゴラウンの虜囚たちが絶望の声を上げた。草原の民にとって地に血を流す死とは、生まれ変わることを許されず、この世に悪霊としてとどまることを意味する。貴人にとって侮辱とも言える処刑法であった。
「待て」
「なんだ。今更泣き言か?」
怒りを漲らせる男へ、セオラは落ち着いた口調で告げた。
「違う。私のことは殺せばいい。ただゴラウンの者たちは、私の命令に逆らえなかっただけだ。サンサルロへ迎え入れてやってくれ」
セオラの言葉に、指揮官は毒気を抜かれた顔つきになる。やがて身を反らして笑うと、「いいだろう」と答えた。
「セオラ様!」
「姫様ぁ!」
ゴラウンの仲間に向けて、セオラは微笑んで見せる。
(この世界にはうんざりした)
例え実力を示しても、女であるというだけで厄災のように扱われる。
(……解放してくれ)
覚悟を決め、長い睫毛を伏せた時だった。
「勝手なことをするな、バル」
よく通る若々しい声が、その場の空気を震わせた。
「ジャンブール様!」
バタバタと慌ただしく、自分の周りから人の気配が遠のくのをセオラは感じ取る。
(ジャンブール?)
目を開けば、そこには落ち着いたオレンジ色の袖からのぞく武骨な手があった。
「お前は……!」
手の主に見覚えがあった。セオラはそれへ捕まり、ゆっくりと身を起こす。
「あの時の、国境を越えて来た迷子の日直番か?」
牡鹿のように身軽に森の中を駆け抜けていった後ろ姿は、今でもありありと思い出せる。
だがそこへ、胴間声が飛んで来た。
「無礼者っ!」
先程、セオラを殺そうとした猪首の男だった。
「ジャンプール王に向かって日直番とは何事だっ! この御方は……!」
「黙れ、バル。僕は王になるつもりはない」
「っ! しかし……」
「それから、誰がこんな真似をしろと言った? 今は特に、他族と揉め事を起こさぬよう厳しく申しつけておいたはずだ」
青年の口から発せられた静かな怒りの声に、バルと呼ばれた男はへつらうように笑う。
「そ、それは。ジャンブール様の領地を少しでも広げておこうと思いまして、忠臣として出来るだけのことを……」
「命令もなく、二度とこんな真似をするな」
主の言葉に、バルはぐっと唇を噛み言葉を止めた。
「……王、なのか? サンサルロの?」
セオラの問いに、ジャンブールは困ったように笑い、首を横に振った。
「違うよ。まぁ、君と同じだね。族長の子って意味で」
(サンサルロの王子……)
サンサルロは大国だ。ゴラウンとは比べ物にならない。その上族長の息子となれば、将来は国を背負って立つ者の一人と言うことになる。
(同じなものか)
族長の姫に生まれながら、父親から冷遇され続けたことを思い出し、胸が悪くなった。
その時、不意に体が軽々と浮き上がる。
「えっ?」
視界一面にオレンジ色の衣に包まれた広い胸。セオラはジャンブールの腕の中へ抱え上げられていた。
「何をする、下ろせ!」
「君は怪我をしている」
そう言って、ジャンブールは傷ついたセオラの頬に唇を寄せる。セオラは息を飲み身を固くした。
ジャンブールは青毛の馬の所まで進んでゆくと、セオラを乗せる。続けてその後ろに自分もひらりと跨った。
「お前たち」
ジャンブールは振り返り、サンサルロ兵たちへ言葉を放つ。
「そこのゴラウンの者らを連れて帰れ。足の悪い者もいるようだから、決して急かすな。乱暴を働いたり怒鳴りつけたりすれば罰を与える。いいな?」
「かしこまりました!」
恭しく跪くサンサルロの男たちを残し、漆黒の馬は軽やかに駆け出した。
「待て、ジャンブール!」
馬に乗せられたセオラは、遠のいていく仲間たちの姿を振り返る。
「私も仲間たちと一緒に歩いていく」
「それは許可できないなぁ。君はさっき、バルたちからこっぴどくやられていたからね。一刻も早く治療をしなくては」
「私は平気だ。だが、あの者らの中には年老いて十分に歩けぬ者もいる。馬に乗せるなら、そちらが先だ」
「バルたちにはしっかり言いつけておいた。足の悪い者を馬に乗せるのは、彼らがやるだろう。まさか僕の命令に逆らいはしないさ」
穏やかな表情と口調ではあるが、自信を漂わせたジャンプールの物言いに、セオラの胸の奥がチリッと痛んだ。
「ん? どうかしたの?」
「……なんでもない」
「ならいい」
二人を乗せた馬は、飛ぶように草原を駆け抜けた。
「お前たちには囮の役目を命じておいたはずだ! なぜ勝手な真似をした。俺たちを殺す気か!」
セオラはふてぶてしく笑って見せるや、サンサルロ兵の腕を掴んだ。
「お前たちの策より私の作戦の方が、犠牲が少ないと思ったからな。事実そうだっただろう?」
言いながらセオラは相手の腕を捻って重心を崩し、その場へひっくり返した。
「……え?」
地に背をつけた者のみならず、周囲のサンサルロ兵も皆、呆然と立ちすくんでいる。
小国の美しい姫の細腕によって、屈強な男が苦も無く転がされてしまった事実が、受け入れられないのだろう。
その中で真っ先に我に返ったのは、指揮官らしき首の太い男であった。
「貴様ぁっ!」
割れ鐘のような声に兵士たちも我に返る。そして各々怒りをあらわにして、セオラへと飛び掛かった。
「セオラ様っ!」
虜囚たちの間から悲鳴が上がる。
セオラは機敏に身を翻し、一人、また一人とサンサルロ兵を掴み投げていったが、いかんせん多勢に無勢。ついには複数の手によってその身を捕らえられ、地へと押さえつけられてしまった。
固い砂利に肌を傷つけられ苦痛に顔を歪めながらも、セオラは指揮官らしき男を睨む。
猪首の男は重々しい足取りでセオラに迫ると、湾刀の先をセオラの喉元へ突きつけた。憎々し気に口端を吊り上げながら。
「ゴラウンの族長の娘、セオラ。お前の見目は悪くない。いい手土産になると思ったが、女だてらに生意気が過ぎる。残念だが、ここで首を落してやる」
ゴラウンの虜囚たちが絶望の声を上げた。草原の民にとって地に血を流す死とは、生まれ変わることを許されず、この世に悪霊としてとどまることを意味する。貴人にとって侮辱とも言える処刑法であった。
「待て」
「なんだ。今更泣き言か?」
怒りを漲らせる男へ、セオラは落ち着いた口調で告げた。
「違う。私のことは殺せばいい。ただゴラウンの者たちは、私の命令に逆らえなかっただけだ。サンサルロへ迎え入れてやってくれ」
セオラの言葉に、指揮官は毒気を抜かれた顔つきになる。やがて身を反らして笑うと、「いいだろう」と答えた。
「セオラ様!」
「姫様ぁ!」
ゴラウンの仲間に向けて、セオラは微笑んで見せる。
(この世界にはうんざりした)
例え実力を示しても、女であるというだけで厄災のように扱われる。
(……解放してくれ)
覚悟を決め、長い睫毛を伏せた時だった。
「勝手なことをするな、バル」
よく通る若々しい声が、その場の空気を震わせた。
「ジャンブール様!」
バタバタと慌ただしく、自分の周りから人の気配が遠のくのをセオラは感じ取る。
(ジャンブール?)
目を開けば、そこには落ち着いたオレンジ色の袖からのぞく武骨な手があった。
「お前は……!」
手の主に見覚えがあった。セオラはそれへ捕まり、ゆっくりと身を起こす。
「あの時の、国境を越えて来た迷子の日直番か?」
牡鹿のように身軽に森の中を駆け抜けていった後ろ姿は、今でもありありと思い出せる。
だがそこへ、胴間声が飛んで来た。
「無礼者っ!」
先程、セオラを殺そうとした猪首の男だった。
「ジャンプール王に向かって日直番とは何事だっ! この御方は……!」
「黙れ、バル。僕は王になるつもりはない」
「っ! しかし……」
「それから、誰がこんな真似をしろと言った? 今は特に、他族と揉め事を起こさぬよう厳しく申しつけておいたはずだ」
青年の口から発せられた静かな怒りの声に、バルと呼ばれた男はへつらうように笑う。
「そ、それは。ジャンブール様の領地を少しでも広げておこうと思いまして、忠臣として出来るだけのことを……」
「命令もなく、二度とこんな真似をするな」
主の言葉に、バルはぐっと唇を噛み言葉を止めた。
「……王、なのか? サンサルロの?」
セオラの問いに、ジャンブールは困ったように笑い、首を横に振った。
「違うよ。まぁ、君と同じだね。族長の子って意味で」
(サンサルロの王子……)
サンサルロは大国だ。ゴラウンとは比べ物にならない。その上族長の息子となれば、将来は国を背負って立つ者の一人と言うことになる。
(同じなものか)
族長の姫に生まれながら、父親から冷遇され続けたことを思い出し、胸が悪くなった。
その時、不意に体が軽々と浮き上がる。
「えっ?」
視界一面にオレンジ色の衣に包まれた広い胸。セオラはジャンブールの腕の中へ抱え上げられていた。
「何をする、下ろせ!」
「君は怪我をしている」
そう言って、ジャンブールは傷ついたセオラの頬に唇を寄せる。セオラは息を飲み身を固くした。
ジャンブールは青毛の馬の所まで進んでゆくと、セオラを乗せる。続けてその後ろに自分もひらりと跨った。
「お前たち」
ジャンブールは振り返り、サンサルロ兵たちへ言葉を放つ。
「そこのゴラウンの者らを連れて帰れ。足の悪い者もいるようだから、決して急かすな。乱暴を働いたり怒鳴りつけたりすれば罰を与える。いいな?」
「かしこまりました!」
恭しく跪くサンサルロの男たちを残し、漆黒の馬は軽やかに駆け出した。
「待て、ジャンブール!」
馬に乗せられたセオラは、遠のいていく仲間たちの姿を振り返る。
「私も仲間たちと一緒に歩いていく」
「それは許可できないなぁ。君はさっき、バルたちからこっぴどくやられていたからね。一刻も早く治療をしなくては」
「私は平気だ。だが、あの者らの中には年老いて十分に歩けぬ者もいる。馬に乗せるなら、そちらが先だ」
「バルたちにはしっかり言いつけておいた。足の悪い者を馬に乗せるのは、彼らがやるだろう。まさか僕の命令に逆らいはしないさ」
穏やかな表情と口調ではあるが、自信を漂わせたジャンプールの物言いに、セオラの胸の奥がチリッと痛んだ。
「ん? どうかしたの?」
「……なんでもない」
「ならいい」
二人を乗せた馬は、飛ぶように草原を駆け抜けた。



