「セオラ姉さま?」
セオラのただならぬ様子に、イントールが気付く。セオラはイントールを天幕の奥へ避難させ、自らは懐に忍ばせた小刀の位置を確かめた。龍の文様のついた、ジャンブールからの贈り物だ。
(そう言えばここは、サンサルロの中でも最も西、アルトゥザムに近い場所だった)
以前、イントールが攫われかけていたことを思い出す。今度は軍勢で来たかと思ったが、途中でセオラは「おや」となった。音は東からのものだ。
(サンサルロの内部から?)
嘶きと共に、馬の足音が止まる。外に立っている日直番と何か揉めているようだ。
「セオラ姉さま、外で一体何が……」
「しっ」
セオラは蒼玉の耳飾りにそっと触れる。
――僕の代わりだと思って
ジャンブールが側にいるようで、心強く感じた。
小刀を構え、外の音に耳を澄ます。何かあった時に、すぐさま対応できるようにだ。
やがて足音が二つ、こちらへ近づいて来る。
(暖簾が開いたら……)
セオラが小刀の柄を握り、わずかな変化も見逃すまいと入り口を睨み据えた時だった。
「イントール、ここにいるな! 貴様を先王殺しの罪人として捕える!」
第一王子ナツァグの、ややしゃがれた声が飛んで来た。
(な……)
暖簾が乱暴に開かれる。陽光を背に受け立っていたのは、病みやつれたナツァグと、それを支える寵姫ナランゴアの姿だった。二人は、小刀を構えて迎え討たんとしていたセオラの姿にぎょっとなる。しかしセオラも、まさか第一王子に切りかかるわけにはいかず、懐にそれをしまった。
「ヒッ!」
喉から笛のような音を出し、イントールはその場に崩れ落ちる。目的の人間を見つけたナツァグは、憎々し気に顔を歪め、靴音荒く天幕内へと入って来た。
「どういうつもりか!」
セオラはイントールを庇い前に出る。
「どけ! 出しゃばるな、女!」
ナツァグは病でやせ細った体から、キィキィとした声を張り上げる。
――君なら安心して任せられるからさ。他の妃のことも頼んだよ
ジャンブールの言葉を思い出し、セオラは第一王子をぐっと睨みつけた。
「目下の者の妃に脅しをかけるとは何事だ! 地位と力の行使、それは草原の民ならば誰でも知っている禁忌のはずだ!」
セオラの迫力に、ナツァグは一瞬怯む。しかし自分を支える寵姫の手のぬくもりを感じ取り、再び怒りを漲らせる。
「黙れ! 弟の妃に対してなら礼は尽くしてやろう。だが、そ奴はただの罪人だ!」
「一体何を根拠として、イントールを罪人と謗る」
「根拠?」
目の下に色濃く隈を作ったナツァグが、帯の間から薬包を取り出す。そしてそれを床へと投げつけた。薬包が開き、ばっと中身が辺りへ散らばる。それは強壮剤として使われていたウランスールイモリの粉末、毒性のある黒い粉であった。
「これに見覚えがあるな?」
睨みつけられたイントールは、震えながらも頷く。それを見てナツァグは毒々しく笑った。
ウランスールイモリの粉に毒性があることは、ジャンブールがサンサルロを発つ前に監国ガンゾリグに伝えていた。ガンゾリグは即座に「持っている者がいれば、使わぬよう」と触れを出していた。
「……これを先王に渡したのは、貴様だそうだな」
哀れなイントールは、ただ頷くことしかできない。
「父王に毒を飲ませたと認めるな?」
フーフーと歯の間から荒い息を吐くナツァグに、イントールは初めて首を横に振った。
「し、知らなかったのです。私はただ、それで先王様を悦ばせようと……」
「黙れ! 毒を盛られて、喜ぶ人間がどこにいる!」
甲高い声で怒鳴りつけられ、イントールがビクリと身をすくめる。顔色は紙のように白く、歯をカチカチと鳴らしていた。
「話を聞いてくれ、ナツァグ殿。イントールは確かにこれを先王の為に用意した。だが」
「黙れと言うのが分からんか!」
「話を聞けと言っている!!」
セオラは腹をくくり、負けじと声を張り上げた。艶のある声がナツァグを圧倒する。
「イントールはこれを使えなかったのだ。先王の不興を買ってしまって一度たりとも。先王は薬だけをイントールから奪い取り、二度と彼女のもとを訪れることはなかったそうだ。ナツァグ殿」
「なんだ」
セオラは、ジャンブールの言葉を思い出す。
――……似ている気がするんだ。父上の時と、ね。
「あなたはこれを飲んだのだろう。その顔色、先王が亡くなられる直前と似ているそうだぞ。なぜ飲んだ。誰が飲ませた」
その言葉に、ナツァグが露骨に狼狽えナランゴアを振り返る。ナランゴアが悲し気に眉根を顰めるのを認め、慌てて彼女を抱きしめた。
「ナランゴア、お前は悪くない!」
「……ですが」
長い睫毛を伏せると、ナランゴアの双眸からはらはらと涙がこぼれ落ちる。
「私がいけなかったのです。私の不注意がナツァグ様のお体を蝕むことに……」
「……っ、女ぁ!」
ナツァグがギラついた眼差しでセオラを睨みつける。
「ナランゴアに罪はない。誰が飲ませたなど、関係ないだろう!」
セオラのただならぬ様子に、イントールが気付く。セオラはイントールを天幕の奥へ避難させ、自らは懐に忍ばせた小刀の位置を確かめた。龍の文様のついた、ジャンブールからの贈り物だ。
(そう言えばここは、サンサルロの中でも最も西、アルトゥザムに近い場所だった)
以前、イントールが攫われかけていたことを思い出す。今度は軍勢で来たかと思ったが、途中でセオラは「おや」となった。音は東からのものだ。
(サンサルロの内部から?)
嘶きと共に、馬の足音が止まる。外に立っている日直番と何か揉めているようだ。
「セオラ姉さま、外で一体何が……」
「しっ」
セオラは蒼玉の耳飾りにそっと触れる。
――僕の代わりだと思って
ジャンブールが側にいるようで、心強く感じた。
小刀を構え、外の音に耳を澄ます。何かあった時に、すぐさま対応できるようにだ。
やがて足音が二つ、こちらへ近づいて来る。
(暖簾が開いたら……)
セオラが小刀の柄を握り、わずかな変化も見逃すまいと入り口を睨み据えた時だった。
「イントール、ここにいるな! 貴様を先王殺しの罪人として捕える!」
第一王子ナツァグの、ややしゃがれた声が飛んで来た。
(な……)
暖簾が乱暴に開かれる。陽光を背に受け立っていたのは、病みやつれたナツァグと、それを支える寵姫ナランゴアの姿だった。二人は、小刀を構えて迎え討たんとしていたセオラの姿にぎょっとなる。しかしセオラも、まさか第一王子に切りかかるわけにはいかず、懐にそれをしまった。
「ヒッ!」
喉から笛のような音を出し、イントールはその場に崩れ落ちる。目的の人間を見つけたナツァグは、憎々し気に顔を歪め、靴音荒く天幕内へと入って来た。
「どういうつもりか!」
セオラはイントールを庇い前に出る。
「どけ! 出しゃばるな、女!」
ナツァグは病でやせ細った体から、キィキィとした声を張り上げる。
――君なら安心して任せられるからさ。他の妃のことも頼んだよ
ジャンブールの言葉を思い出し、セオラは第一王子をぐっと睨みつけた。
「目下の者の妃に脅しをかけるとは何事だ! 地位と力の行使、それは草原の民ならば誰でも知っている禁忌のはずだ!」
セオラの迫力に、ナツァグは一瞬怯む。しかし自分を支える寵姫の手のぬくもりを感じ取り、再び怒りを漲らせる。
「黙れ! 弟の妃に対してなら礼は尽くしてやろう。だが、そ奴はただの罪人だ!」
「一体何を根拠として、イントールを罪人と謗る」
「根拠?」
目の下に色濃く隈を作ったナツァグが、帯の間から薬包を取り出す。そしてそれを床へと投げつけた。薬包が開き、ばっと中身が辺りへ散らばる。それは強壮剤として使われていたウランスールイモリの粉末、毒性のある黒い粉であった。
「これに見覚えがあるな?」
睨みつけられたイントールは、震えながらも頷く。それを見てナツァグは毒々しく笑った。
ウランスールイモリの粉に毒性があることは、ジャンブールがサンサルロを発つ前に監国ガンゾリグに伝えていた。ガンゾリグは即座に「持っている者がいれば、使わぬよう」と触れを出していた。
「……これを先王に渡したのは、貴様だそうだな」
哀れなイントールは、ただ頷くことしかできない。
「父王に毒を飲ませたと認めるな?」
フーフーと歯の間から荒い息を吐くナツァグに、イントールは初めて首を横に振った。
「し、知らなかったのです。私はただ、それで先王様を悦ばせようと……」
「黙れ! 毒を盛られて、喜ぶ人間がどこにいる!」
甲高い声で怒鳴りつけられ、イントールがビクリと身をすくめる。顔色は紙のように白く、歯をカチカチと鳴らしていた。
「話を聞いてくれ、ナツァグ殿。イントールは確かにこれを先王の為に用意した。だが」
「黙れと言うのが分からんか!」
「話を聞けと言っている!!」
セオラは腹をくくり、負けじと声を張り上げた。艶のある声がナツァグを圧倒する。
「イントールはこれを使えなかったのだ。先王の不興を買ってしまって一度たりとも。先王は薬だけをイントールから奪い取り、二度と彼女のもとを訪れることはなかったそうだ。ナツァグ殿」
「なんだ」
セオラは、ジャンブールの言葉を思い出す。
――……似ている気がするんだ。父上の時と、ね。
「あなたはこれを飲んだのだろう。その顔色、先王が亡くなられる直前と似ているそうだぞ。なぜ飲んだ。誰が飲ませた」
その言葉に、ナツァグが露骨に狼狽えナランゴアを振り返る。ナランゴアが悲し気に眉根を顰めるのを認め、慌てて彼女を抱きしめた。
「ナランゴア、お前は悪くない!」
「……ですが」
長い睫毛を伏せると、ナランゴアの双眸からはらはらと涙がこぼれ落ちる。
「私がいけなかったのです。私の不注意がナツァグ様のお体を蝕むことに……」
「……っ、女ぁ!」
ナツァグがギラついた眼差しでセオラを睨みつける。
「ナランゴアに罪はない。誰が飲ませたなど、関係ないだろう!」



