「はい。それはまじない道具のひとつで、強壮剤とその絵の二つが揃って初めて受寵の効果が発揮されると」
「二つが揃って……、か」
ジャンブールはあごに手をやり「ふむ」と小さく唸る。
「しかし、まじない道具なんて胡散臭い……いてっ」
イントールの趣味を否定しようとしたジャンブールの脛へ、セオラは素早く裏拳を叩き込む。イントール自身も好きなものを軽く扱われ、少しムッとしたのだろう。
「胡散臭くなんてありません。だってこれは『ナランゴア様も使っている』と、商人さんからお伺いしましたから」
「ナランゴアが?」
先王に続き、第一王子ナツァグからも寵愛されている妃が使っているとなれば、説得力は増す。
「なるほどね。ふんふん……」
何やら考えながら、ジャンブールは出口へ向かう。
「僕はやることが出来た。この辺でお暇するよ」
セオラも立ち上がり、彼の後を追った。
「イントール、魚の世話を頼んだよ。また来る」
「は、はい」
セオラとジャンブールは、日直番の立ち並ぶ間を抜け、馬を繋いだ柵へと向かった。
「セオラ、僕はしばらくサンサルロの地を離れる」
「えっ」
ジャンブールの口から出た思わぬ言葉に、セオラは目を見開く。
「離れる、って。どこへ行く気だ?」
「ん~、どこで見つかるか分からないから、はっきりとは言えないなぁ」
「なんだそれは」
「本当はね」
ジャンブールがぐるりと体をセオラへ向ける。
「セオラ、君を連れて行きたいよ」
セオラの心臓が跳ねる。
「つ、連れて行けばいいだろう」
「わはぁ、可愛いこと言ってくれる! 嬉しい!」
ジャンブールが両頬に手を当て、キャッキャと笑う。気恥ずかしくなったセオラは、足を蹴りつけようとしたが、それはあっさりと交わされてしまった。
「セオラを連れて行きたいよ、本当の所は。朝一番に言葉を交わすのも、夜の最後に言葉を交わすのも、いつだって君でいてほしいからさ。だけど……」
ジャンブールは真剣な眼差しをセオラへ向ける。
「君には僕の代わりに、サンサルロのこの領地を守ってほしい」
「ジャンブール……」
「君なら安心して任せられるからさ。他の妃のことも頼んだよ」
ジャンブールの甘くも深い信頼を含んだ声に、セオラは頷くしかない。
「……無事で帰って来てくれ」
「当然!」
言ったかと思うと、ジャンブールはセオラへ飛びついて来た。セオラは素早く足を引き、ジャンブールの腕を掴む。組み合い、格闘術の体勢になった第一妃の姿に、ジャンブールはおかしそうに笑う。
「君なら大丈夫だね。任せたよ」
「……あぁ。任された」
組み合った態勢を解き、二人は見つめ合う。その時ジャンブールが何かを思い出したように、ぱっと目を見開いた。
「そうだ、これ」
ジャンブールが懐から取り出したのは、銀の装飾が繊細な蒼玉の耳飾りだった。
「セオラに似合うと思って、隊商が来た時に買っておいたんだ」
「私に?」
「うん。ナツァグ兄さんとガンゾリグが競ってナランゴアに真珠の耳飾りを贈ってるの見てたらさ、僕も最愛の第一妃に似合うものを贈りたくなっちゃったんだよね」
「なんだそれは」
苦笑するセオラへ、ジャンブールは身をかがめ視線を合わせる。
「……つけてあげる」
セオラは大人しくジャンブールの言葉に従う。ジャンブールの温かな指が耳朶に触れるのをくすぐったく思いながら、こぶしを握ってそれに耐えた。やがて大きな手が離れる。ジャンブールは眩しいものを見るような目で、セオラを見た。
「綺麗だ」
「……」
「僕の代わりだと思って」
セオラは小さく頷いた。
ジャンブールが旅立って数日が経った。
セオラはイントールの天幕へ毎日足を運び、魚の様子を観察する。これもジャンブールに頼まれたことの一つだった。あの日以来、日直番がセオラを足止めすることはなくなった。
魚に変化が起きたのは、一週間を過ぎた頃のことだった。
「セオラ姉さま、これを」
イントールが差し出したのは、精力剤とされる黒い粉を入れた器だった。中では腹を見せた小魚がぷかりと浮かんでいる。
「それに引きかえ……」
顔料と黒い粉、両方を入れた方はまだ元気に泳いでいる。もっとも濁っている水であるにもかかわらずだ。
「これは、どういうことなのでしょう」
不思議そうに首を傾げるイントールとは裏腹に、セオラの顔には満足気な笑みが浮かんでいた。目は好奇心にキラキラと輝いている。
「セオラ姉さま?」
「ジャンブールと目星をつけていたんだ。この二つの毒は、それぞれ一つであれば害があるが、二つ合わせることで弱毒化、もしくは無毒化するのではないかと」
「えっ……」
「顔料の毒で眠り続けていた私の症状が和らいだのは、イントール、そなたがあの精力剤を私の口に運んでくれた日だった。それに商人が言っていたのだろう。強壮剤を使う時は必ず絵を寝床の側に掛けろと。二つが揃った時に、効果を発揮すると」
イントールはぽかんとしている。
「あぁ、つまりだ。私を助けてくれたのは、イントール、そなたに他ならない。あの精力剤を飲ませてくれたから、私はこうして生きていられるのだ。ありがとう、イントール」
イントールは身動き一つせず、セオラの言葉を聞いていた。やがてその頬に、一筋の涙が流れる。
「わ、たし……」
くしゃっと顔を歪ませ、イントールは大きくしゃくりあげた。
「セオラ姉さまを害したわけじゃなかったのですね」
「あぁ、そうなる。むしろ、命の恩人だ」
ここで顔料を吸ってしまったのが発端だが、それはイントールの責任とは言えないだろう。セオラは泣きじゃくるイントールの背をあやすように撫でながら、第二王子の太陽のように明るい笑顔を思い浮かべた。
(二つの毒を合わせることで、弱毒化、あるいは無毒化するというジャンブールの予想は当たった。イントールの軟禁を解くためにも、早くジャンブールに報告したいものだ)
早く会いたい、という気持ちが同時に湧きあがる。自身の中に生まれた思わぬ感情にセオラは一瞬ぎょっとなり、誰に聞かれているわけでもないのに辺りを見回した。
その時、波音のように迫り来る馬の足音がセオラの耳に届いた。あの日、ゴラウンの地に響いたサンサルロの軍の轟に似ている。
(何かが来る!)
「二つが揃って……、か」
ジャンブールはあごに手をやり「ふむ」と小さく唸る。
「しかし、まじない道具なんて胡散臭い……いてっ」
イントールの趣味を否定しようとしたジャンブールの脛へ、セオラは素早く裏拳を叩き込む。イントール自身も好きなものを軽く扱われ、少しムッとしたのだろう。
「胡散臭くなんてありません。だってこれは『ナランゴア様も使っている』と、商人さんからお伺いしましたから」
「ナランゴアが?」
先王に続き、第一王子ナツァグからも寵愛されている妃が使っているとなれば、説得力は増す。
「なるほどね。ふんふん……」
何やら考えながら、ジャンブールは出口へ向かう。
「僕はやることが出来た。この辺でお暇するよ」
セオラも立ち上がり、彼の後を追った。
「イントール、魚の世話を頼んだよ。また来る」
「は、はい」
セオラとジャンブールは、日直番の立ち並ぶ間を抜け、馬を繋いだ柵へと向かった。
「セオラ、僕はしばらくサンサルロの地を離れる」
「えっ」
ジャンブールの口から出た思わぬ言葉に、セオラは目を見開く。
「離れる、って。どこへ行く気だ?」
「ん~、どこで見つかるか分からないから、はっきりとは言えないなぁ」
「なんだそれは」
「本当はね」
ジャンブールがぐるりと体をセオラへ向ける。
「セオラ、君を連れて行きたいよ」
セオラの心臓が跳ねる。
「つ、連れて行けばいいだろう」
「わはぁ、可愛いこと言ってくれる! 嬉しい!」
ジャンブールが両頬に手を当て、キャッキャと笑う。気恥ずかしくなったセオラは、足を蹴りつけようとしたが、それはあっさりと交わされてしまった。
「セオラを連れて行きたいよ、本当の所は。朝一番に言葉を交わすのも、夜の最後に言葉を交わすのも、いつだって君でいてほしいからさ。だけど……」
ジャンブールは真剣な眼差しをセオラへ向ける。
「君には僕の代わりに、サンサルロのこの領地を守ってほしい」
「ジャンブール……」
「君なら安心して任せられるからさ。他の妃のことも頼んだよ」
ジャンブールの甘くも深い信頼を含んだ声に、セオラは頷くしかない。
「……無事で帰って来てくれ」
「当然!」
言ったかと思うと、ジャンブールはセオラへ飛びついて来た。セオラは素早く足を引き、ジャンブールの腕を掴む。組み合い、格闘術の体勢になった第一妃の姿に、ジャンブールはおかしそうに笑う。
「君なら大丈夫だね。任せたよ」
「……あぁ。任された」
組み合った態勢を解き、二人は見つめ合う。その時ジャンブールが何かを思い出したように、ぱっと目を見開いた。
「そうだ、これ」
ジャンブールが懐から取り出したのは、銀の装飾が繊細な蒼玉の耳飾りだった。
「セオラに似合うと思って、隊商が来た時に買っておいたんだ」
「私に?」
「うん。ナツァグ兄さんとガンゾリグが競ってナランゴアに真珠の耳飾りを贈ってるの見てたらさ、僕も最愛の第一妃に似合うものを贈りたくなっちゃったんだよね」
「なんだそれは」
苦笑するセオラへ、ジャンブールは身をかがめ視線を合わせる。
「……つけてあげる」
セオラは大人しくジャンブールの言葉に従う。ジャンブールの温かな指が耳朶に触れるのをくすぐったく思いながら、こぶしを握ってそれに耐えた。やがて大きな手が離れる。ジャンブールは眩しいものを見るような目で、セオラを見た。
「綺麗だ」
「……」
「僕の代わりだと思って」
セオラは小さく頷いた。
ジャンブールが旅立って数日が経った。
セオラはイントールの天幕へ毎日足を運び、魚の様子を観察する。これもジャンブールに頼まれたことの一つだった。あの日以来、日直番がセオラを足止めすることはなくなった。
魚に変化が起きたのは、一週間を過ぎた頃のことだった。
「セオラ姉さま、これを」
イントールが差し出したのは、精力剤とされる黒い粉を入れた器だった。中では腹を見せた小魚がぷかりと浮かんでいる。
「それに引きかえ……」
顔料と黒い粉、両方を入れた方はまだ元気に泳いでいる。もっとも濁っている水であるにもかかわらずだ。
「これは、どういうことなのでしょう」
不思議そうに首を傾げるイントールとは裏腹に、セオラの顔には満足気な笑みが浮かんでいた。目は好奇心にキラキラと輝いている。
「セオラ姉さま?」
「ジャンブールと目星をつけていたんだ。この二つの毒は、それぞれ一つであれば害があるが、二つ合わせることで弱毒化、もしくは無毒化するのではないかと」
「えっ……」
「顔料の毒で眠り続けていた私の症状が和らいだのは、イントール、そなたがあの精力剤を私の口に運んでくれた日だった。それに商人が言っていたのだろう。強壮剤を使う時は必ず絵を寝床の側に掛けろと。二つが揃った時に、効果を発揮すると」
イントールはぽかんとしている。
「あぁ、つまりだ。私を助けてくれたのは、イントール、そなたに他ならない。あの精力剤を飲ませてくれたから、私はこうして生きていられるのだ。ありがとう、イントール」
イントールは身動き一つせず、セオラの言葉を聞いていた。やがてその頬に、一筋の涙が流れる。
「わ、たし……」
くしゃっと顔を歪ませ、イントールは大きくしゃくりあげた。
「セオラ姉さまを害したわけじゃなかったのですね」
「あぁ、そうなる。むしろ、命の恩人だ」
ここで顔料を吸ってしまったのが発端だが、それはイントールの責任とは言えないだろう。セオラは泣きじゃくるイントールの背をあやすように撫でながら、第二王子の太陽のように明るい笑顔を思い浮かべた。
(二つの毒を合わせることで、弱毒化、あるいは無毒化するというジャンブールの予想は当たった。イントールの軟禁を解くためにも、早くジャンブールに報告したいものだ)
早く会いたい、という気持ちが同時に湧きあがる。自身の中に生まれた思わぬ感情にセオラは一瞬ぎょっとなり、誰に聞かれているわけでもないのに辺りを見回した。
その時、波音のように迫り来る馬の足音がセオラの耳に届いた。あの日、ゴラウンの地に響いたサンサルロの軍の轟に似ている。
(何かが来る!)



