「イントール、あの絵をジャンブールに見せるぞ」
「……え」
困惑するイントールから離れ、セオラは棚の高い位置に片づけてある絵巻物に向かって足を進める。男女の赤裸々な行為を描いた絵巻物にセオラが手を掛けた瞬間、イントールは目を見開き、顔を両手で覆った。
「いやぁああ!!」
この痩せ細った体に、まだそんな声を出す力が残っていたのかと、セオラは驚く。中に描かれているものを知るセオラには、イントールの羞恥が十分に理解できた。しかし、ここで遠慮していては事が進まない。
「イントール」
「いや! いやです! それだけは後生ですから……!」
「頼む、どうしても確認が必要なんだ。私はイントールを助けたい」
「で、ですが……!」
イントールの心情を察し、セオラはジャンブールを見た。
「ジャンブール、約束してほしい。これから絵を見せるが、イントールを嗤ったり怒ったりしないでくれ」
「了解」
「少しでもそんな素振りを見せたら、……ただじゃおかない」
「えっ、こわ」
ジャンブールに釘を刺しておいて、セオラは口元を布で覆う。ジャンブールとイントールもそれに倣った。セオラは、以前のように粉が舞い上がらぬよう注意を払いながら、ゆっくりと絵巻物を広げる。中身を見て一瞬目を見張ったジャンブールではあったが、セオラに気付かれる前にそっと平静を装った。セオラは指先で、絵の表層を擦る。
「な?」
セオラの白い指先に、色とりどりの粉が付着しているのをジャンブールは確認する。オドンチメグの所で見たのと同じものであった。ジャンブールは一つ頷きイントールを振り返る。
「イントール、これくらいの器ある? 三つ貸してほしいんだ」
突然のジャンブールの要求に、真っ赤な顔を両手で覆い縮こまっていたイントールはぴょこんと飛び上がる。先日、眠り続けるセオラの天幕で彼が見せた厳しい態度は、イントールに恐怖を刷り込んでいた。イントールは震えながら、彼が手で示した大きさの陶器を取りに行く。
「こ、こちらでよろしいでしょうか」
「うん、ちょうどいい。ありがとう。白くて見えやすいね」
「は、はい……」
ジャンブールは器を卓に並べると、馬に吊るして持って来た革袋を傾ける。中から水と小魚が滑り出し、それぞれの器の中に納まった。三つの器に満たされた水の中で小魚が泳ぎ出すと、ジャンブールはセオラに目配せした。
「……わかった」
セオラは一つ頷き、顔料の付着したままの指を器の一つへ差し入れる。水に浮かんだ顔料を溶かすように、セオラはくるくると指でかき混ぜる。間もなく、その器の中で泳いでいた魚は腹を天に向け、ぷかりと浮き上がった。
「ひっ!」
イントールがか細い悲鳴を上げる。
「死んだ、のですか?」
「そうだ」
セオラは色水の入った器を持ち上げ、イントールに見せる。
「この絵に使われている顔料には、毒性がある。私が先日倒れたのは、この絵から顔料を吸い込んでしまったのが原因と見て、ほぼ間違いないだろう」
イントールは、糸が切れたようにその場にすとんとへたり込む。
「で、ではやはり、私がセオラ姉さまを害した犯人だということに……」
口元をわななかせるイントールは、今にも気絶しそうになっている。
「イントール。今のはセオラの倒れた原因をはっきりさせただけさ。ただね」
ジャンブールは帯のすき間から薬包を取り出す。開くと中には黒い粉が入っていた。
「それは……!」
「そうだよ、イントール。君がセオラに飲ませたものと同じさ。父の遺品の中から大量に見つけた。……これにも毒性があるのは知っていたかい?」
イントールの喉から、ヒュッと笛のような音が飛び出す。第三妃は既に言葉を返す気力も失い、力なく首を横に振るだけである。
「ジャンブール、イントールを怯えさせるな」
セオラはイントールの両肩を手で包み、自分へ引き寄せる。
「セオラ、姉、さま……」
目を泳がせながら、イントールはか細い声を振り絞る。
「ごめ、なさ……。わ、私、毒だなんて、し、知らな……。元気になる、お薬、って……」
「分かっている。あの粉に、毒性があるのは事実だ。だが、そなたが私にあれを飲ませた後、私は快方に向かったんだ」
「え……」
「今日はそれを、確かめるために来た。イントール、力を貸してくれ」
セオラはジャンブールの側に戻り、小魚が泳ぐ二つの容器に目をやる。そして、ジャンブールから黒い粉――ウランスールイモリの粉を受け取ると、二つの器へと振り入れた。
「セオラ姉さま! なぜまた毒を?」
当惑するイントールの前で、セオラはゆっくりと水を掻きまわし、粉を溶かす。しかし今度は魚の弱る兆しは見られず、二つの器の中でそれぞれ元気に泳いでいる。
「……毒、なのでは?」
「あぁ、遅効性のな。すぐにどうかなるわけじゃない。それで、だ」
セオラは再び、絵巻物の表層を軽くこする。そして、器の一つにまたしても指についた顔料を溶かし込んだ。
「なぜ、このような惨い真似を……」
イントールは、先ほど色水の中ですぐ絶命した魚を思い出したのだろう。だが、不思議なことに魚は顔料を溶かした水の中で、元気に泳いだままだ。
「これは……。なぜですか? 毒を二種類も溶かし込んだのに」
「イントール、そなたにはしばらくこの二つの魚の世話をしてもらいたい」
「えっ」
「頼む」
セオラの真剣な眼差しに、戸惑いながらもイントールは頷く。そして儚く微笑んだ。
「暇をしていたので、ちょうどいいお役目です」
「ありがとう」
ジャンブールが立ち上がり、微笑み合う二人の妃の側を通り抜ける。そして、件の絵巻物を手に取ると、イントールを振り返った。
「イントール、これは僕が預かってもいいかな?」
「は、はい。ジャンブール様のお望みのままに」
「それにしても、これは随分と思い切った題材の絵だねぇ……」
「うっ……」
イントールは恥じらい、耳まで真っ赤にしてセオラの胸へ顔を押しつける。
「ジャンブール、彼女を揶揄うのはよせと言ったぞ」
「や、そうじゃないんだ。イントールの性格からして、こういうのを好んで手に入れようとはしなさそうだから、意外でさ」
「あぁ、それは……」
セオラが説明しようとしたところへ、イントールが顔を上げる。
「商人から言われたのです。強壮剤を使う時は、必ずこの絵を寝床の側に飾るように、と」
「商人から?」
「……え」
困惑するイントールから離れ、セオラは棚の高い位置に片づけてある絵巻物に向かって足を進める。男女の赤裸々な行為を描いた絵巻物にセオラが手を掛けた瞬間、イントールは目を見開き、顔を両手で覆った。
「いやぁああ!!」
この痩せ細った体に、まだそんな声を出す力が残っていたのかと、セオラは驚く。中に描かれているものを知るセオラには、イントールの羞恥が十分に理解できた。しかし、ここで遠慮していては事が進まない。
「イントール」
「いや! いやです! それだけは後生ですから……!」
「頼む、どうしても確認が必要なんだ。私はイントールを助けたい」
「で、ですが……!」
イントールの心情を察し、セオラはジャンブールを見た。
「ジャンブール、約束してほしい。これから絵を見せるが、イントールを嗤ったり怒ったりしないでくれ」
「了解」
「少しでもそんな素振りを見せたら、……ただじゃおかない」
「えっ、こわ」
ジャンブールに釘を刺しておいて、セオラは口元を布で覆う。ジャンブールとイントールもそれに倣った。セオラは、以前のように粉が舞い上がらぬよう注意を払いながら、ゆっくりと絵巻物を広げる。中身を見て一瞬目を見張ったジャンブールではあったが、セオラに気付かれる前にそっと平静を装った。セオラは指先で、絵の表層を擦る。
「な?」
セオラの白い指先に、色とりどりの粉が付着しているのをジャンブールは確認する。オドンチメグの所で見たのと同じものであった。ジャンブールは一つ頷きイントールを振り返る。
「イントール、これくらいの器ある? 三つ貸してほしいんだ」
突然のジャンブールの要求に、真っ赤な顔を両手で覆い縮こまっていたイントールはぴょこんと飛び上がる。先日、眠り続けるセオラの天幕で彼が見せた厳しい態度は、イントールに恐怖を刷り込んでいた。イントールは震えながら、彼が手で示した大きさの陶器を取りに行く。
「こ、こちらでよろしいでしょうか」
「うん、ちょうどいい。ありがとう。白くて見えやすいね」
「は、はい……」
ジャンブールは器を卓に並べると、馬に吊るして持って来た革袋を傾ける。中から水と小魚が滑り出し、それぞれの器の中に納まった。三つの器に満たされた水の中で小魚が泳ぎ出すと、ジャンブールはセオラに目配せした。
「……わかった」
セオラは一つ頷き、顔料の付着したままの指を器の一つへ差し入れる。水に浮かんだ顔料を溶かすように、セオラはくるくると指でかき混ぜる。間もなく、その器の中で泳いでいた魚は腹を天に向け、ぷかりと浮き上がった。
「ひっ!」
イントールがか細い悲鳴を上げる。
「死んだ、のですか?」
「そうだ」
セオラは色水の入った器を持ち上げ、イントールに見せる。
「この絵に使われている顔料には、毒性がある。私が先日倒れたのは、この絵から顔料を吸い込んでしまったのが原因と見て、ほぼ間違いないだろう」
イントールは、糸が切れたようにその場にすとんとへたり込む。
「で、ではやはり、私がセオラ姉さまを害した犯人だということに……」
口元をわななかせるイントールは、今にも気絶しそうになっている。
「イントール。今のはセオラの倒れた原因をはっきりさせただけさ。ただね」
ジャンブールは帯のすき間から薬包を取り出す。開くと中には黒い粉が入っていた。
「それは……!」
「そうだよ、イントール。君がセオラに飲ませたものと同じさ。父の遺品の中から大量に見つけた。……これにも毒性があるのは知っていたかい?」
イントールの喉から、ヒュッと笛のような音が飛び出す。第三妃は既に言葉を返す気力も失い、力なく首を横に振るだけである。
「ジャンブール、イントールを怯えさせるな」
セオラはイントールの両肩を手で包み、自分へ引き寄せる。
「セオラ、姉、さま……」
目を泳がせながら、イントールはか細い声を振り絞る。
「ごめ、なさ……。わ、私、毒だなんて、し、知らな……。元気になる、お薬、って……」
「分かっている。あの粉に、毒性があるのは事実だ。だが、そなたが私にあれを飲ませた後、私は快方に向かったんだ」
「え……」
「今日はそれを、確かめるために来た。イントール、力を貸してくれ」
セオラはジャンブールの側に戻り、小魚が泳ぐ二つの容器に目をやる。そして、ジャンブールから黒い粉――ウランスールイモリの粉を受け取ると、二つの器へと振り入れた。
「セオラ姉さま! なぜまた毒を?」
当惑するイントールの前で、セオラはゆっくりと水を掻きまわし、粉を溶かす。しかし今度は魚の弱る兆しは見られず、二つの器の中でそれぞれ元気に泳いでいる。
「……毒、なのでは?」
「あぁ、遅効性のな。すぐにどうかなるわけじゃない。それで、だ」
セオラは再び、絵巻物の表層を軽くこする。そして、器の一つにまたしても指についた顔料を溶かし込んだ。
「なぜ、このような惨い真似を……」
イントールは、先ほど色水の中ですぐ絶命した魚を思い出したのだろう。だが、不思議なことに魚は顔料を溶かした水の中で、元気に泳いだままだ。
「これは……。なぜですか? 毒を二種類も溶かし込んだのに」
「イントール、そなたにはしばらくこの二つの魚の世話をしてもらいたい」
「えっ」
「頼む」
セオラの真剣な眼差しに、戸惑いながらもイントールは頷く。そして儚く微笑んだ。
「暇をしていたので、ちょうどいいお役目です」
「ありがとう」
ジャンブールが立ち上がり、微笑み合う二人の妃の側を通り抜ける。そして、件の絵巻物を手に取ると、イントールを振り返った。
「イントール、これは僕が預かってもいいかな?」
「は、はい。ジャンブール様のお望みのままに」
「それにしても、これは随分と思い切った題材の絵だねぇ……」
「うっ……」
イントールは恥じらい、耳まで真っ赤にしてセオラの胸へ顔を押しつける。
「ジャンブール、彼女を揶揄うのはよせと言ったぞ」
「や、そうじゃないんだ。イントールの性格からして、こういうのを好んで手に入れようとはしなさそうだから、意外でさ」
「あぁ、それは……」
セオラが説明しようとしたところへ、イントールが顔を上げる。
「商人から言われたのです。強壮剤を使う時は、必ずこの絵を寝床の側に飾るように、と」
「商人から?」



