「頼み事? セオラが僕に相談?」
「イントールが彼女の天幕を、私の天幕群の中に移動させたいそうだ」
「えぇ……」
 本来ありえないことだ。天幕群は、主を中心に侍従たちのものが周囲を取り巻くように構成されている。よって妃同士の天幕はかなり離れており、日常的に顔を合わせることはまずない。わざわざ訪ねて行かない限りは。妃同士の余計な諍いを防ぐためにも、この距離感は大切だった。
「あのさ、イントール。セオラの天幕群に入るってことは、セオラの下級妃になるって意味に周囲から捉えられちゃうよ? 第三妃がそれじゃ、他の者が混乱するとは思わないかい」
「願ってもないことです。むしろセオラ姉さま付きの下級妃になりとうございます」
「なぜそこまで」
 ジャンブールが、「どうする?」といった顔でセオラを見る。セオラは小首をかしげ、やがて一つ頷いた。
「今日、あんな恐ろしい目に遭ったばかりだ。すぐに西の天幕群へ戻れというのも酷だろう。少しの間くらい、私の側に置いてやってもいいんじゃないか?」
「セオ……」
「セオラ姉さま!」
 イントールが嬉しそうに、セオラの首っ玉へ齧りつく。
「嬉しゅうございます。私、セオラ姉さまのお役に立ちますわ」
「いや、我らは妃同士。そこまでする必要は……」
「いいえ、私がそうしたいのでございます。是非させてください」
 二人の様子を見ながら、ジャンブールはぼそりと独り言ちる。
「なんか、僕より距離が近いんだけど、君たち……」


 その日は空いている近くの天幕へイントールを泊らせることにし、セオラは一息ついた。
「よし」
 中央の柱の側でぐっと拳を固めたセオラへ、ジャンブールは寝床から拗ねた顔を向ける。
「そんなにイントールと一緒にいられるのが嬉しい?」
「親しくなれば、情報も引き出しやすいだろう」
「え?」
「先王の死について、探れと言ったのはお前だが」
 思いの外冷静なセオラの言動に、ジャンブールは感心したように「へぇ」という。
「あれだけ懐かれたら、やりにくく感じたりしない?」
「多少は申し訳ない気分になるが、それが私の役目だからな」
 セオラが振り返る。先ほどまで寝床にいたはずのジャンブールが、すぐ背後に立っていた。
「なんだ」
 驚きながらも、セオラは迎撃態勢に入る。その様子にジャンブールは小さく吹いた。
「投げないでよ。僕は敵じゃないんだから」
「……不埒な真似をしたら、容赦はしない」
「イントールは君にベタベタしていたよ? あれは不埒じゃないのかい?」
「女同士だ。おかしなことを言うな」
 ジャンブールが半歩距離を詰めてくる。
「僕も、あれくらいは許してほしいなぁ」
「ジャンブール……」
「イントールだけ狡いよ。僕もセオラに甘えたい」
「子どもか」
 呆れながらも、セオラは不快を感じなかった。
「……少し、だけなら」
「本当?」
「少しだけだぞ」
「うん、少しだけ。やった」
 言ってジャンブールは躊躇なくセオラを抱きしめる。
(な……)
 ジャンブールは「甘えたい」と言っていたが、体格の差のため、セオラは完全に彼に包まれる形となる。
(広い胸だ。それに、なんて逞しい腕だろう。温かい……)
 ここへ連れて来られた日を思い出す。ジャンブールの漆黒の馬に二人で乗り、草の海原を駆けた。セオラの引き締まった体を完全に覆ってしまうほどの、がっしりした骨格。二倍もありそうな太い腕が、セオラを包み込み守ってくれているようだった。
(だめだ、弱くなる……)
 体の奥からぐずぐずと崩れてしまいそうなほどの安心感。これまでずっと張りつめてきたものが、溶かされてしまいそうだ。
(そんな自分も悪くない、そう考えてしまいそうだ)
 セオラはぐっと腕を突っ張り、ジャンブールを遠ざける。
「もう終わり?」
「……終りだ」
「顔赤いよ」
「!?」
 ジャンブールの武骨な指が、セオラの頬をつつく。更に顔の熱を上げたセオラは、照れ隠しにジャンブールの両腕を掴んだ。
「うおっと!」
 危うく重心を崩されそうになったジャンブールが、巧みに踏みとどまる。
「あっぶな、また投げられるところだった」
 へらへらと笑っているが、セオラがいくら力を込めてもジャンブールはびくともしない。悔しさでセオラは上目遣いで睨む。それに対しジャンブールは力の抜けるような笑顔を返してきた。
「今日は、イントールを助けてくれてありがとう」
「別に……」
「あんなことが出来る妃は、君しかいないよ。セオラ、君がいてくれてよかった」
 セオラはぐっと奥歯を噛みしめる。
「私は、私の役目を果たしただけだ。戦える妃をお前は必要としたのだろう」
「期待以上だよ」
 その言葉に、セオラの心がちりっと焼かれる。
(私はこの武力でもってジャンブールに必要とされている。それを失えば、彼にとって無用の存在となりはしないか)
 弱くなるわけにはいかない。セオラは改めて心を引き締めた。