(きっと『第一妃でいても構わない』という言い方がまずかったのだ)
 馬を走らせながら、セオラは今朝のジャンブールの反応について考える。
(考えてもみろ。大国サンサルロの王子の第一妃だぞ。グアマラルを見ればわかるだろう。この地位を喉から手が出るほど欲しがっている者は、星の数ほどいる。それを『構わない』とは、我ながら自惚れたものだ)
 馬の上で風を受けていると、自然と考えがまとまっていく。
(ゴラウンの民が世話になっておきながら、私は随分と傲慢な態度をとってしまった。せめて最初のやり取りで決めた、私の役割を果たそう)
 役割の一つは、先王暗殺の犯人捜しだ。セオラはこの日、第三妃イントールから話を聞こうと決めた。

 サンサルロの西の端にあるイントールの天幕群。セオラは、最も大きな天幕を探す。そこが妃のいる場所だからだ。
(あれが一番大きい天幕で合ってるな?)
 暖簾(ハーラガ)が侍従たちの天幕同様白いので、ぱっと見分かりにくい。だが、キラキラと陽光を跳ね返す金の刺繍が、そこが妃の住まいだと控えめに主張していた。
(本人も儚い印象だったが、何も天幕まで地味にしなくとも……)
 そんなことを思いながら馬を停める柵を探していた時だった。セオラの肌がビリッと危険を察した。
(何だ?)
 馬に乗ったまま辺りを見回す。やがて、くぐもった悲鳴が耳に届いた。
(あっちか!)
 天幕群の中でも更に西のはずれへ、セオラは馬を急がせる。
 そこに、女を攫おうとしている男たちの姿があった。
「んんーっ!」
 弱々しくももがいているのは、白い衣を身に纏った第三妃イントール。彼女を捕らえているのは、服に縦に四本線の銀の縫い取りがあるアルトゥザム兵だった。
(イントールを攫う気か)
 足元には日傘が転がり、すぐ側には傘持ち(スクルチ)やその他侍従たちが倒れていた。
「貴様ら、何をしている!」
 高らかに鳴る蹄の音に、アルトゥザム兵は一瞬ぎょっとなる。しかし白い馬に跨り駆けつけてきたのが若い娘だと気付くと、表情を変えた。にたりと笑う顔つきは、捕食者のそれである。イントールと共にセオラも連れて行こうと考えたのだ。
 アルトゥザム兵は馬を射殺さんとセオラに向けて矢をつがえる。しかしセオラは巧みな手綱さばきで、それらの全ての矢を躱しきった。
「な、なんだ、この女……!」
 アルトゥザム兵の間に動揺が広がる。セオラは勢いよく駆ける馬の上に立つと、すぐさま飛び降りアルトゥザム兵へ蹴りを食らわせた。
「ぐあっ!?」
 着地をするやいなや、セオラは即座にぐるりと方向を変え、背後にいた男に組み付いていく。不意を突かれたアルトゥザム兵は、あっけなくセオラにひっくり返され、脳天から地面に叩きつけられた。
 セオラの足を掠めるように、アルトゥザム兵の矢が地面を穿つ。すかさずセオラはそれを掴んで抜き取ると、射手の眼球に向かって投げつけた。と、同時に地を蹴り、射手から弓矢を奪う。即座に身を反転させ、襲い来ようとしたアルトゥザム兵たちへ確実に矢を射かけた。
「くそっ、撤収だ!」
 イントールを放り出し、アルトゥザム兵たちが馬に飛び乗り逃げていく。セオラはぐったりと倒れたままのイントールに駆け寄った。背に手を添え、そっと抱き起す。
「イントール! 大丈夫か? しっかりしろ!」
「……セオラ、様」
 イントールは弱々しく瞼を開く。その顔は死人のように真っ白で、体はがくがくと小刻みに震えていた。
「あ、わ、わたし……」
「大丈夫だ、イントール。アルトゥザムのやつらは追い払った」
「あ……」
 イントールがセオラにしっかとしがみつく。そして子どものように声を上げて泣き始めた。
「わ、私、あの者たちに、連れて行かれそうに……、無理矢理に……。こ、怖い! いやぁああ……!」
「あぁ、恐ろしかっただろうな。もうあいつらはいない、心配するな」
 セオラはイントールが落ち着くまで、その小さく頼りない背をあやすように撫で続けた。


「そんなことがあったんだ」
 夜、天幕へ戻って来たジャンブールはセオラから報告を受け、顔をしかめた。
「西はアルトゥザムに最も近い場所。だから警備の者も多く配置していたんだけど、隙を突かれちゃったね」
 妻にする女を別の部族から攫うのは、草原の民にとって珍しいことではない。実際、第四妃オドンチメグも、先王がヘルヘー族から攫ってきた経緯がある。
「気晴らしをしたかったのは分かるが、少し足を延ばし過ぎたな。今後、西方面への散歩はやめておくといい。分かったな、イントール」
「はい、セオラ姉さま」
 ジャンブールの目の前には、第一妃セオラにうっとりと甘えかかる第三妃イントールの姿があった。
「……えぇ、と? この状況を説明してくれるかな、セオラ」
「あぁ。昼間、悪漢に襲われたばかりだろう。イントールがすっかり怯えてしまって、私の側から離れんのだ」
 気遣いを込めた瞳で第三妃を見るセオラだが、一方イントールの目には少し違う感情が宿っている。
「セオラ姉さま、素敵でした。かどわかされかけ気の遠くなっていた私が目を開くと、そこにはセオラ姉さまの凛々しいお姿。あぁ、私を気遣ってくださる優しくも麗しい瞳。西に目を向ければ逃げてゆく狼藉者たちの姿がありました。セオラお姉様が、千切っては投げ千切っては投げと、あの者らを退けたのだと侍従たちから聞き、私、心から感動いたしましたの」
「……はは。すごいだろうセオラは」
 ジャンブールは苦々しく笑う。親愛というには熱と甘さがこめられ過ぎた眼差しを、イントールはセオラへ向けている。彼女にとってセオラは、かどわかしから救ってくれた英雄であるのだから、無理からぬことだが。一方セオラは、イントールが注ぐ視線の意味をあまり理解していないようだ。
「それでだな、ジャンブール。イントールから頼みごとがあるらしい。私が勝手に許可するわけにもいかないので、お前に相談したいのだ」