「あれは本気で挑んだ結果なのか?」
 自分の天幕へ戻ると、セオラはジャンブールを問い詰めた。
「あれって?」
「最後の獲物だ。本当ならお前は、私より先に射抜くことが出来たのではないか? 最初の予定通り、私を勝たせるために最後に手を抜いたのか?」
「冗談でしょ」
 ジャンブールは、侍女の運んで来た馬乳酒(アイラグ)をくいと飲み干す。
「小手先の技で、あんな風に君の矢を僕の矢で折ることなんかできないよ。一瞬の差が勝敗を分けたのは間違いないね」
「……本当か?」
「あれを狙ってやったと思ってるのなら、それは君が余程僕を高く評価してくれているってことだね。嬉しいよ、セオラ」
「やめろ、迫るな」
 耳元で囁こうとしたジャンブールを、セオラは邪険に押しのける。ジャンブールは特に気を悪くした様子もなく、いつものようにへらりと笑っていた。
 だが、急にその顔からふざけた様子が消える。
「嘘は言ってないよ、セオラ」
 誠実さの伝わってくる声に、セオラは顔を上げた。
「言っただろう。前の時も紙一重だったって。次に勝負したら、僕が勝てる保証はない、って」
 真面目で柔らかな眼差しが、セオラを真っ直ぐに見ていた。
「それが今日、証明されただけさ。僕は本気で君と勝負した、そして負けた。君は素晴らしい射手(メルゲン)だ」
「ジャンブール……」
 胸の奥がきゅっと締め付けられ、セオラは戸惑う。そんな自分の気持ちを気付かれたくなくて、セオラはわざと大声を上げた。
「それはともかく、お前は私を優勝させるため参加させたんじゃないのか? だが大会の最中、それが感じられないことが幾度もあったぞ。私が三匹、お前が四匹めを射抜いた時には、もう勝てないと思った。優勝してほしいというのは、一体何だったんだ」
「やー、セオラなら僕が本気出しても大丈夫だと思って」
「まったく大丈夫じゃなかったぞ!」
「でもセオラ、わざと勝ちを譲られるの嫌いでしょ?」
 ジャンブールの言葉にセオラはぐっと黙る。
「……それは、嫌いだ」
「だと思った。セオラはさ、本気で勝負に出た僕に勝ったんだよ。それが事実だ」
「ジャンブール……」
 なぜかセオラの胸は先ほどよりも締め付けられる。不覚にも涙が出そうになった時だった。
「セオラ様! ガンゾリグ様のお越しです」
 ホランの慌てた声が外から聞こえて来た。
 セオラとジャンブールは天幕の外へと出る。そして目の前の光景に、セオラはひやりとした。天幕の前には、サンサルロの炉の主(すえっこ)が数名の家臣を引き連れ立っていた。
「ガンゾリグ、どうしたんだいきなり」
「狩猟大会の件で、ちょっとな」
 その言葉に、セオラの頭の奥がキンと凍り付く。五年前に父の主催した狩猟大会で、手厳しく𠮟咤され、屈辱を味わったことがまざまざと甦った。
――女が男に恥をかかせるとは何事だ! この痴れ者が!
 あの日の言葉が生々しく耳の奥で響く。ガンゾリグがむっつりとした顔つきをしていることにも、一層恐怖を覚えた。
(この家臣たちに、私を捕らえさせるつもりか? どうする?)
 ジャンブールとガンゾリグの間ではっきりとした優劣をつけないための作戦であったが、これは失敗だったのではなかろうかと、セオラは唾を飲む。相手は次の王が決まるまで実質国の頂点である監国だ。女ごときに恥をかかされたと怒り狂っているとすれば、皆の前に引き出され、鞭を受ける可能性も考えられた。
(ひょっとすると、衣服まで剥がされて……)
 セオラはぐっと拳を握りしめ、腹の底に力を入れる。
(もう、私はあの時の非力な娘ではない)
 一対一の格闘術(ブフ)でセオラに勝てる男は、そうそういなかった。
(相手が複数人とは言え、大人しくやられてたまるか。全力で抵抗してやる)
 覚悟を決め、セオラは身構える。
「セオラ義姉(アガ)、ひとつ聞きたい」
「……私に答えられることなら」
 ガンゾリクはセオラの目を射抜くように見た。
「ゴラウンの女とは、皆、セオラ義姉のように狩りの腕に優れているのか?」
(え……?)
 思いがけない言葉に、セオラは一瞬何を質問されたか理解できなかった。
「え……っと?」
 ガンゾリグはくしゃっと破顔する。
「今日のセオラ義姉は素晴らしかった! 見事な腕前にオレは感動した!」
「そ、それは、どうも……」
「もしもゴラウンの女が全てセオラ義姉のような射手(メルゲン)ばかりなら、オレもゴラウンから妃を迎えたい、そう思ったのだ」
 ガンゾリグは目を輝かせ頬を紅潮させ、興奮したように両の拳を振っている。義弟の言葉が、セオラの脳にようやくじわりと染み入ってきた。
「そうだな。サンサルロの女と同様、皆一通りは馬も操れるし、弓矢も使える。だが、私と同じくらいかと問われれば、それは……いないかもしれん」
「そうなのか!?」
 ガンゾリグは「ぐぁーっ!」と叫びながら頭を抱え、のけぞった。
「セオラ義姉と同じくらいの弓の腕を持つ妃を、オレも迎えたかった!」
「こ、光栄だ」
「セオラ義姉を妃に迎えられたらいいのになぁ」
 無邪気なガンゾリグの言葉に、セオラはぎくりとなる。ジャンブールを振り返ると、笑顔が固まっていた。その空気に気付くことなく、ガンゾリグは言葉を続ける。
「まぁ、兄上に何かあった時はオレがセオラ義姉を迎え入れることになるから、その時は来てくれよな!」
(大丈夫か、これ)
 ガンゾリグの言葉は単純に、セオラを気に入ったということ、そして草原の民の倣いとして、目上の者が亡くなった時はその妃を目下の者が受け入れること、そのことを言っているだけなのだろう。だが聞きようによってそれは、兄の命を狙うという宣戦布告だと誤解されかねないものだった。事実、家臣たちも顔を引きつらせ互いに目配せしている。
(どうすればいいのだ、この空気……)
 不意にセオラは背後から抱きしめられた
「やらん!」
 逞しい腕がセオラを縛め、朗々とした声が耳を打つ。
「セオラは最上の妃だ。誰にも譲らん!」
「じゃ、ジャンブール!?」
 それに対し、からっとした笑いが返って来た。
「はははは、ならば仕方ねぇな!」
「そうだ、諦めろ。はっはっは!」
 ガンゾリグの邪気のない笑い声に、ジャンブールも朗らかな笑いを重ねる。家臣たちも互いに様子を伺いつつ、やがて主たちに倣った。

 この一件は図らずもジャンブールの優秀さと寛容さ、一方でガンゾリグの短慮っぷりをより一層家臣たちに印象付けることとなってしまった。
 またしても、次の王にジャンブールを推す人間が増える結果となったのは皮肉なものである。