開始の合図と共に乗り手が掛け声を上げ、馬たちが一斉に走り出す。
 勝負の内容は、獲物を五匹携えて元の場所に戻って来るというもの。最初に戻って来た者が五匹携えていた時点で優勝が決まり、それを知らせる狼煙と共に大会は終了ということだった。無駄な殺生は行わず、狩るのは食べる分だけ。それが草原の民の矜持であった。
 セオラとジャンブールは、普段見回っている範囲内から獲物が豊富な場所の目星をつけていた。
「テュー!」
 掛け声を上げ、ジャンブールが漆黒の馬を走らせる。セオラも負けじとその後に続いた。
「な、なんだ?」
 ガンゾリグは、すさまじい速さで皆を振り切ってゆく黒と白の馬に目を見開く。
「あれは兄貴と、その妃だよな」
 ジャンブールの乗馬の腕をよく知る弟は、そこへ遅れることなくぴったりとついていく白馬に唖然となる。草原の民の女は皆、馬を操れる。だが、ジャンブールと同等となるとそうはいない。
「すごいな……」
 ガンゾリグは素直に感嘆した後、ぐっと表情を引き締めた。



(いた!)
 目的地について間もなく、セオラは獲物を発見した。だが、弓を構え照準を合わせている隙に、隣から一本の矢が放たれる。それはまっすぐな軌道を描き、迷うことなくセオラの見つけた獲物を貫いた。
「ジャンブール!」
 セオラは不満の声を上げたが、ジャンブールは気に留める風もなく、馬に乗ったまま身を乗り出し、地に伏した兎を掴み上げる。
「卑怯者! 私がそれを狙っていたのは解っていただろう!」
「獲物は射止めた人間のもののはずだ。それともセオラは、手加減してほしいのかい?」
「ぐっ」
 刹那、セオラの耳が微かな葉擦れの音を捕らえる。振り返ると同時に獲物の姿を目でとらえ、セオラはすかさず矢を放つ。貫いた矢はその勢いで、獲物を弾き飛ばした。
「お見事」
 ジャンブールが拍手をする。セオラは苦々しい顔つきのまま馬を走らせ、地面と水平になるように身を乗り出すと、獲物を拾い上げた。
「これで一対一だね」
「……」
 セオラはジャンブールを振り切り、馬を走らせる。
「えっ、セオラ。置いて行かないでよ」
「うるさい。離れろ」
「せっかく二人きりなのに、つれな……あっ!」
 ジャンブールが新たな獲物を見つける。セオラは彼の視線と声で当たりをつけ、即座に矢を放った。狙い過たず、獲物を貫いたのはセオラの矢だった。
「セオラ~……」
「さっきの仕返しだ」
 セオラはジャンブールへ不敵に笑って見せる。それに対し、ジャンブールも面白がるような顔つきになった。
「手加減、いらないようだね?」
「当然」
 二人は同時に馬を走らせ、次の獲物へと向かった。

 セオラとジャンブールは、揃って大会本部の天幕へと帰還した。やはりというか、他の者は誰一人戻ってきていなかった。
「なんだこれは」
 審査を担当した者が困惑の声を上げる。最後の獲物には、二本の矢が刺さっていた。セオラの白い矢をへし折るように。ジャンブールの黒い矢が刺さっている。
「これは一体、何があってこんなことになられたのでしょうか」
「同じ獲物で最後の勝負をしたんだけど、一瞬の差で負けちゃってさ」
ジャンブールが悔しそうに天を仰ぐ。
「見てくれればわかるけど、先にセオラの矢が貫いたんだ。そこを、あとから放った僕の矢が追いかけたからこうなっちゃったってわけ」
「はぁ、なるほど……」
 狼煙が上がり、太鼓の音が響き渡る。勝者が決まった合図であった。
 戻って来た男たちは、勝者がセオラであることに呆然となる。はしゃいでいるのはただ一人、ジャンブールだけだ。
「さすが我が最愛の妃! 狩猟の女神! 矢をつがえた雄姿を像にして残したい!」
「やめろ、ジャンブール。恥ずかしい!」
 そこへ遅れて現れたのは、弟のガンゾリグ、そして兄のナツァグであった。ガンゾリグは五つ目の獲物を携えていたので、勝負は僅かの差だったと推測された。
「ジャンブール! お前でなく、妃が優勝しただと!?」
 ナツァグは肩を怒らせ、大股で迫ってくる。過去を思い出し、セオラの背筋がゾワリと冷えた。第一王子は証拠として置かれている日本の矢の刺さった獲物を見て、低く呻く。
「本当に、兄貴じゃないのかい?」
 ガンゾリグもまだ信じられないと言った様子だ。
「ジャンブール兄貴が先に獲物を倒しておいて、動かなくなったのを妃に射抜かせたんじゃないのか?」
「はは、先に射抜いた矢が、後から届いていた矢を傷つける方法があるというなら、やり方を教えてもらいたいもんだね」
 皆は色々と考えていたが、やがて現実を受け入れざるを得ないという結論に至る。
「勝者、セオラ(ハトゥン)!」
 審判の声に戸惑うような雰囲気はあったものの、やがて控えめながらも感嘆の声が上がる。
 この結果に釈然としない顔つきのガンゾリグに、ジャンブールは歩み寄り声をかける。
「僕もガンゾリグも、一人の女に勝てないという意味では同じだね。今回は引き分けってことでいいかな?」
「……」
 何か言いたげではあったが、ガンゾリグはただ押し黙っているだけだった。