「それでジャンブール、いきなり何の用だ」
「あぁ、それがさ。弟のガンゾリグが狩猟大会を開こうと言い出したんだよ」
 狩猟大会と聞いて、セオラの心が強張る。かつて故郷で優勝したものの、女であることを理由に皆の前で父親から辱められたことを思い出した。
「……それが何だというのだ。勝手にやればいいだろう」
「いや、良くないよ。まだ次の王が決まってないこの時期に、家臣を前に兄弟同士で競うなんて危険すぎる。全く、ガンゾリグのやつ……」
「……そうだな。ガンゾリグの弓の腕は、お前より上なのか?」
「いや、僕の方が得意だな」
 慣例ならば、炉の主(すえっこ)であるガンゾリグが次の王になる流れだ。しかし、臣下の間ではジャンブールを推す空気が濃厚となっている。ガンゾリグもそれを察しているのだろう。
「僕が弓を得意としていることは、皆知っている。ガンゾリグとしては、そんな僕に勝つことで、自分が王となる正当性を皆に知らしめたいのだろうね」
「自殺行為ではないか」
 野心のないジャンブールとしては、公に実力を見せつけるような行為は避けたかった。
「普通に弟君に勝ちを譲るのではまずいのか? お前が本気を出さねばいい」
「それがさぁ、そう言うところにはやたら敏感なんだよ、ガンゾリグのやつ」
「なら、仮病でも使って大会に出なければいい」
「監国命令でね。絶対に参加しろ、逃げることは許さない、とのことだ」
 セオラはうんざりした顔つきになる。
(次期王と目されている者が、なんと軽はずみな)
「ガンゾリグの面子は潰せない。かと言って手を抜けば、それはそれで馬鹿にされたと憤る」
「面倒くさい弟君だな」
「そこで君の手を借りたい」
(は?)
 セオラが顔を上げる。ジャンブールの瞳はキラキラと輝いていた。
「私が、何を?」
「セオラ、狩猟大会に参加して優勝してよ」
 唐突な申し出に、セオラは呆気にとられる。だがすぐさま眉根に皺をよせ、厳しい顔つきとなった。
「私はこの間、お前と勝負をして負けた人間だぞ」
「でも紙一重だった。次の勝負で僕が勝てる保証はない」
「紙一重とはいえ勝ちは勝ち、負けは負けだ」
「へぇ、じゃあセオラは、今後絶対僕に勝てないと思ってるんだ?」
 その言い草に、セオラはかちんとくる。
「は?」
 すごむセオラへ、ジャンブールはにこやかに微笑み返す。
「セオラはずっと僕に負け続けると思ってるんだね。がっかりだなぁ」
「安い挑発だ。だが」
 セオラの胸に、負けん気がむくむくと頭をもたげる。
「そこまで言うなら、やってやろう。ジャンブール、国中の者の前で赤っ恥かいて泣き言言うなよ?」
 冷静であろうと努めているが、漏れ出る闘志が隠し切れないセオラを、ジャンブールは好ましく見つめる。
「それでこそ、僕の第一妃だ」
(仮初の、だがな)
 この時のセオラは、なぜかこの言葉を口に出せなかった。



 狩猟大会当日。
 セオラの登場に参加者たちはどよめいた。
「ジャンブール兄貴(アハ)
 監国ガンゾリグが駆け寄ってくる。
「妃を参加させたいって、どういうことだよ」
 呆れたように、ガンゾリグはセオラを見る。
「今日の大会は、女が楽しめるような生ぬるいものじゃないぞ?」
 その言葉に、セオラの記憶がチリッと焼ける。口を開きかけたセオラの前に、ジャンブールが出た。
「まぁまぁまぁ、そう言うなってガンゾリグ。セオラは弓の腕もすごいんだ。実のところ、僕はそこに惚れ込んだんだからね」
(また適当なことを言う)
 じとっとしたセオラの目線を軽く受け流すジャンブールへ、また別の人物が近づいて来た。
「ジャンブール、ここは男の勝負の場だ。女は観覧席に置いてこい」
 神経質そうな顔立ちの男が、じろりとセオラを睨む。
(ジャンブールにぞんざいな口調で命令できる人物と言えば、現時点で一人しかいないな)
 セオラの推測通り、男はサンサルロ第一王子のナツァグであった。
(気のせいか? 顔色が優れないようだが)
 ナツァグの冷ややかな言葉に対し、ジャンブールはへらりと緊張感のない笑みを返す。
「えー、セオラの弓を射る時の姿って本当にきれいなんだよ。まさに狩猟の女神って感じでさ。今日はそれを心行くまで堪能できると思って、楽しみにしてたんだから。彼女の同行を許可してよ」
「駄目だ。他の妃の所へ戻してこい」
「ふ~ん、それじゃ僕も今日はやめとこっかな」
「何だと?」
 ジャンブールの思わぬ返事に、ナツァグは眉間に皺を寄せる。ジャンブールは少し口を尖らせ、拗ねたように続けた。
「僕は、セオラの弓を引く姿を楽しみにしていたんだ。彼女を連れてけないってのなら、二人きりで別の場所で狩りをしてくるさ」
「そんなの許さないぞ、兄貴!」
 今回の主催者であるガンゾリグが、ずかずかと入り込んできた。そして、ビッと人差し指をジャンブールへ突きつけた。
「オレはこの大会でジャンブール兄貴に勝ってみせると心に誓ったんだ。逃げるなんて認めないからな!」
「でも、僕はセオラと離れたくないんだよねぇ。セオラがこの大会に出ないなら、僕も出たくないなぁ」
(まるで駄々っ子ではないか)
 普段にも増して緊張感のないジャンブールの言動に、セオラもつい呆れてしまった。
 ナツァグが忌々し気に舌打ちする。セオラは先ほどから気になっていたことを口にした。
「ナツァグ殿」
「……」
 無言のまま睨みつけてくるナツァグに、セオラは臆せず言葉を続ける。
「顔色がすぐれないように見える。今日は無理をしない方が良いのではないですか?」
「貴様に指図されるいわれはない」
 ナツァグの威圧するような態度に、セオラもこれ以上何も言えなくなる。だがセオラの目には、ナツァグの肌が生気を失い黒ずんでいるように映っていた。
 その間にもジャンブールと言い合っていたガンゾリグだが、ついに根負けしたようだった。
「わかったよ! じゃあ、セオラ妃の参加を特別に許す。これでいいよね?」
 ジャンブールが無邪気に「やったぁ」と返す。苦虫をかみつぶしたような顔つきのナツァグは、吐き捨てるように続けた。
「勝手にしろ。だが後で、『妃の面倒を見ていたから負けた』なんて、みっともない言い訳をするなよ、ジャンブール!」
「了解!」
 皆が去っていくと、ジャンブールはにやりと不敵な笑みを浮かべる。
「よし。あとはセオラが優勝してくれればいい」
「本当に……」
 セオラの胸の奥に、ザラりとした不快感が湧きあがる。
「女が優勝してもいいのだろうか?」
 皆の前で尻を打ち据えられた痛みと屈辱、耳を打った嘲笑が忘れられない。
 だが、そんなセオラの肩をジャンブールはぐっと抱き寄せた。
「いっちょ、かましてやってくれよセオラ。思い切ってね。あ、でも僕も本気で行くからよろしく」
「お前は私に勝ってほしいのか、そうでないのか、どっちなんだ」
「ははは」
 陽気に笑うジャンブールに、セオラも苦笑するほかなかった。