セオラは飛び起き身なりを整える。その際に妹からもらった本を腹に括りつけた。それは身を守る目的であったのか、はたまたこれからの自身の運命を予感していたためか、セオラ自身意識していなかったけれど。
手早く支度を終え、セオラは武具を手に天幕を出た。
(何だこれは……!)
既に集落の内部まで、外敵に侵攻されているのが分かった。
(あの龍の刺繍は、サンサルロの……!)
「セオラ様ぁ!」
馬に跨ったゴラウンの男が、血相を変えて駆けこんで来る。その声に、あちこちの天幕が開き、侍女たちが顔を出した。
「すぐに森の中へお逃げください! サンサルロのやつらが……!」
だが、彼の言葉は首を射抜く矢によって断ち切られてしまう。重い音を立てて馬から落ちた集落の男を前に、侍女たちは悲鳴を上げた。
「そこの女ども!」
サンサルロの服を着た男が、闇の中から姿を現わす。セオラは弓を引こうとしたものの、すぐにその手を止めた。男の背後からも、サンサルロの兵士たちがぞろぞろと現れたからだった。彼らはゴラウンの侍女たちを捕らえ、喉元に小刀を突きつけていた。
(私がここで抵抗すれば、きっと何人かの侍女たちが犠牲になる)
弓を下ろしたセオラを見て、サンサルロ兵たちは満足気に笑った。
「女だてらに我らに盾突こうとはなかなかに勇ましい。だが、無駄な抵抗だ。さぁ、広場に集まれ」
セオラは侍女たちと共に、族長オトゴンバヤルの天幕のある場所へと引き立てられる。すでにそこには、ゴラウン族の仲間たちが集められていた。
(父上……)
うなだれて背を丸めた者たちの中には、セオラの父や母、兄弟たちの姿もあった。
(何をしているのだ、族長ともあろう者がこのように身を縮めて!)
セオラの腹の底が熱く焼ける。しかし、サンサルロ族の勇猛さはセオラも耳にしていた。先ほどの自分と同じように、犠牲を出さぬよう大人しくしたのだろうと、自らを納得させた。
(しかし妙だ)
草原の民は、他部族から女をかどわかし嫁にする風習がある。今宵もてっきり、それめあてで乗り込んできたかと思ったのだが。
(老若男女問わず集められているな……)
辺りを観察するセオラに、怒鳴り声が跳んできた。
「家族のいる者は、家族の元へ行け! おらぬものは信頼できる人間同士で固まれ!」
仕方なくセオラは、ここ数年顔も見せなかった家族の元へ赴く。オトゴンバヤルはセオラを一瞬ちらりと見やり、すぐにそっぽを向いてしまった。
「お姉様」
か細い声が夜の闇に霞む。不安げな顔つきの妹ニルツェツェグが、セオラを見上げている。
「大丈夫だ。私が守る」
セオラは幼い妹の側にしゃがむと、そのか細い肩を抱いた。
「全員そろったな!」
サンサルロ兵の胴間声が、篝火を揺らした。
「では、これからお前たちの中から人員を徴集する」
人員?とセオラは疑問に思う。嫁探し目的でないとすればサンサルロ族によるゴラウン族の征服かと思ったのだが、それも違うようだ。
だが、次に男がニタリと笑って口にしたのは、この上なく悪意に満ちた内容だった。
「それぞれの家族、もしくは集まりの中から、最も不要な人間を選んで差し出せ! さすれば、その他の者に手出しはせん」
集落がどよめいた。
(酷い!)
先程、彼らは家族で集まれと言った。家族のいない者は信頼できる者同士で集まれとも言った。
(その上でこんな惨いことを言うのか……!)
怒りに震え、セオラが立ち上がろうと腰を浮かせた時だった。何者かが、強くセオラの背を押した。
不意を突かれ、セオラは地面に倒れ伏す。振り返れば、篝火に顔を赤く染めた父親が、セオラに指を突きつけていた。
「お前だ!」
フーフーと荒い息をつきながら、オトゴンバヤルは怒鳴る。
「我が家からはセオラを出す!! さぁ、皆の者も不要な人間をさっさと出せ!! それで残りの者は助かるのだ!」
「父上!」
セオラは立ち上がり、父親の正面に立つ。
「なんだ、文句があるのか!」
セオラはさっと家族を見回す。母ツェレンと目が合ったが、彼女はただ静かに微笑むばかりであった。あの狩猟大会で、折檻を受ける娘を見捨てた時と同様に。
そんなセオラの視線が気に食わなかったのだろう。オトゴンバヤルは族長らしからぬ、キィキィとヒステリックな声を上げる。
「よもや自分の代わりに母親を差し出せとでも言うつもりか! 何という親不孝な娘だ、嘆かわしい!!」
「言ってない! 私は……」
「シドゥルグとチヌアは男だ! 男は血を繋ぐのに必要だから捨てられん。それともまさか、幼い妹のニルツェツェグを自分の代わりに犠牲にしろとでも言う気か? 何という残酷な娘に育ったのだ! 我は情けないぞ!!」
「違う!」
「じゃあ、なんだ!」
暗がりの中で怒鳴り合う族長とその娘を、サンサルロ兵たちはニヤニヤと笑って眺めている。
だが諍っていたのはこの父娘だけではなかった。広場のあちこちで似たような光景は展開されていた。
「どうして私なんだ!? 要らないと言うなら、そいつだろう!」
「お願いだよ、見捨てないでおくれ。あたしゃまだ死にたくない」
「ごめんなさい、許して! あなたに出て行ってもらうしかないの」
セオラは阿鼻叫喚の様子に歯噛みをする。たとえ今からサンサルロの連中が「冗談だった」と言い、誰も連れ去ることなく引き上げたとしても、皆の心からは互いへの信頼が失われてしまっているだろう。
「父上、あなたはこれを見て何も思わないのか」
セオラが声を震わせながら、集落の民を指し示す。
「ゴラウン族を守るのが、族長であるあなたの役目だろう。なぜ戦おうとしない? 交渉もしない? 言われるがままに民を見捨てることを選ぶのか!」
だが憤るセオラを前に、オトゴンバヤルはやれやれと肩をすくめた。
「大局の見えぬ女には分からんのだなぁ。族長は、多くの民を救うための選択をせねばならん。一家族から一人差し出しさえすれば、残りは安泰に暮らせるのだぞ? 戦って多くの犠牲者を出すよりこちらの方がいいと、少し頭を働かせばわかるはずだ」
(あぁ……)
セオラは眩暈を覚える。
(何が大局だ。その判断は、ゴラウン族の結束を失わせかねないのに……!)
「族長」
気付けば、首の太いサンサルロ兵がセオラの背後に立っていた。これまでの様子から、この男が軍の指揮官のようだった。
「この娘は要らないんだな?」
「はい、どうぞ。好きに使ってやってください」
へらへらと追従笑いをする父親に、セオラは何度目かの失望を覚える。
(たかが軍の一指揮官に過ぎぬ男に、族長ともあろう者が尻尾を振るとは……)
セオラの手から弓矢が奪われ、地面へと投げ捨てられる。
「気が強い女は悪くないが、こいつは今回必要ねぇんだ」
「要らぬ者」たちは追われる羊のように、集落から連れ出される。
「父上」
どうしても気が収まらず、セオラは振り返り父親に言い放った。
「あなたがそんなだから、ゴラウン族はここまで衰退したのだ。かつてはここも大きな国だったのに」
オトゴンバヤルがカッとなり立ち上がる。しかしサンサルロの男たちの割れるような嘲笑に包まれ、何も言い返せずただ口元をぶるぶると震わせ立ちすくむばかりだった。
手早く支度を終え、セオラは武具を手に天幕を出た。
(何だこれは……!)
既に集落の内部まで、外敵に侵攻されているのが分かった。
(あの龍の刺繍は、サンサルロの……!)
「セオラ様ぁ!」
馬に跨ったゴラウンの男が、血相を変えて駆けこんで来る。その声に、あちこちの天幕が開き、侍女たちが顔を出した。
「すぐに森の中へお逃げください! サンサルロのやつらが……!」
だが、彼の言葉は首を射抜く矢によって断ち切られてしまう。重い音を立てて馬から落ちた集落の男を前に、侍女たちは悲鳴を上げた。
「そこの女ども!」
サンサルロの服を着た男が、闇の中から姿を現わす。セオラは弓を引こうとしたものの、すぐにその手を止めた。男の背後からも、サンサルロの兵士たちがぞろぞろと現れたからだった。彼らはゴラウンの侍女たちを捕らえ、喉元に小刀を突きつけていた。
(私がここで抵抗すれば、きっと何人かの侍女たちが犠牲になる)
弓を下ろしたセオラを見て、サンサルロ兵たちは満足気に笑った。
「女だてらに我らに盾突こうとはなかなかに勇ましい。だが、無駄な抵抗だ。さぁ、広場に集まれ」
セオラは侍女たちと共に、族長オトゴンバヤルの天幕のある場所へと引き立てられる。すでにそこには、ゴラウン族の仲間たちが集められていた。
(父上……)
うなだれて背を丸めた者たちの中には、セオラの父や母、兄弟たちの姿もあった。
(何をしているのだ、族長ともあろう者がこのように身を縮めて!)
セオラの腹の底が熱く焼ける。しかし、サンサルロ族の勇猛さはセオラも耳にしていた。先ほどの自分と同じように、犠牲を出さぬよう大人しくしたのだろうと、自らを納得させた。
(しかし妙だ)
草原の民は、他部族から女をかどわかし嫁にする風習がある。今宵もてっきり、それめあてで乗り込んできたかと思ったのだが。
(老若男女問わず集められているな……)
辺りを観察するセオラに、怒鳴り声が跳んできた。
「家族のいる者は、家族の元へ行け! おらぬものは信頼できる人間同士で固まれ!」
仕方なくセオラは、ここ数年顔も見せなかった家族の元へ赴く。オトゴンバヤルはセオラを一瞬ちらりと見やり、すぐにそっぽを向いてしまった。
「お姉様」
か細い声が夜の闇に霞む。不安げな顔つきの妹ニルツェツェグが、セオラを見上げている。
「大丈夫だ。私が守る」
セオラは幼い妹の側にしゃがむと、そのか細い肩を抱いた。
「全員そろったな!」
サンサルロ兵の胴間声が、篝火を揺らした。
「では、これからお前たちの中から人員を徴集する」
人員?とセオラは疑問に思う。嫁探し目的でないとすればサンサルロ族によるゴラウン族の征服かと思ったのだが、それも違うようだ。
だが、次に男がニタリと笑って口にしたのは、この上なく悪意に満ちた内容だった。
「それぞれの家族、もしくは集まりの中から、最も不要な人間を選んで差し出せ! さすれば、その他の者に手出しはせん」
集落がどよめいた。
(酷い!)
先程、彼らは家族で集まれと言った。家族のいない者は信頼できる者同士で集まれとも言った。
(その上でこんな惨いことを言うのか……!)
怒りに震え、セオラが立ち上がろうと腰を浮かせた時だった。何者かが、強くセオラの背を押した。
不意を突かれ、セオラは地面に倒れ伏す。振り返れば、篝火に顔を赤く染めた父親が、セオラに指を突きつけていた。
「お前だ!」
フーフーと荒い息をつきながら、オトゴンバヤルは怒鳴る。
「我が家からはセオラを出す!! さぁ、皆の者も不要な人間をさっさと出せ!! それで残りの者は助かるのだ!」
「父上!」
セオラは立ち上がり、父親の正面に立つ。
「なんだ、文句があるのか!」
セオラはさっと家族を見回す。母ツェレンと目が合ったが、彼女はただ静かに微笑むばかりであった。あの狩猟大会で、折檻を受ける娘を見捨てた時と同様に。
そんなセオラの視線が気に食わなかったのだろう。オトゴンバヤルは族長らしからぬ、キィキィとヒステリックな声を上げる。
「よもや自分の代わりに母親を差し出せとでも言うつもりか! 何という親不孝な娘だ、嘆かわしい!!」
「言ってない! 私は……」
「シドゥルグとチヌアは男だ! 男は血を繋ぐのに必要だから捨てられん。それともまさか、幼い妹のニルツェツェグを自分の代わりに犠牲にしろとでも言う気か? 何という残酷な娘に育ったのだ! 我は情けないぞ!!」
「違う!」
「じゃあ、なんだ!」
暗がりの中で怒鳴り合う族長とその娘を、サンサルロ兵たちはニヤニヤと笑って眺めている。
だが諍っていたのはこの父娘だけではなかった。広場のあちこちで似たような光景は展開されていた。
「どうして私なんだ!? 要らないと言うなら、そいつだろう!」
「お願いだよ、見捨てないでおくれ。あたしゃまだ死にたくない」
「ごめんなさい、許して! あなたに出て行ってもらうしかないの」
セオラは阿鼻叫喚の様子に歯噛みをする。たとえ今からサンサルロの連中が「冗談だった」と言い、誰も連れ去ることなく引き上げたとしても、皆の心からは互いへの信頼が失われてしまっているだろう。
「父上、あなたはこれを見て何も思わないのか」
セオラが声を震わせながら、集落の民を指し示す。
「ゴラウン族を守るのが、族長であるあなたの役目だろう。なぜ戦おうとしない? 交渉もしない? 言われるがままに民を見捨てることを選ぶのか!」
だが憤るセオラを前に、オトゴンバヤルはやれやれと肩をすくめた。
「大局の見えぬ女には分からんのだなぁ。族長は、多くの民を救うための選択をせねばならん。一家族から一人差し出しさえすれば、残りは安泰に暮らせるのだぞ? 戦って多くの犠牲者を出すよりこちらの方がいいと、少し頭を働かせばわかるはずだ」
(あぁ……)
セオラは眩暈を覚える。
(何が大局だ。その判断は、ゴラウン族の結束を失わせかねないのに……!)
「族長」
気付けば、首の太いサンサルロ兵がセオラの背後に立っていた。これまでの様子から、この男が軍の指揮官のようだった。
「この娘は要らないんだな?」
「はい、どうぞ。好きに使ってやってください」
へらへらと追従笑いをする父親に、セオラは何度目かの失望を覚える。
(たかが軍の一指揮官に過ぎぬ男に、族長ともあろう者が尻尾を振るとは……)
セオラの手から弓矢が奪われ、地面へと投げ捨てられる。
「気が強い女は悪くないが、こいつは今回必要ねぇんだ」
「要らぬ者」たちは追われる羊のように、集落から連れ出される。
「父上」
どうしても気が収まらず、セオラは振り返り父親に言い放った。
「あなたがそんなだから、ゴラウン族はここまで衰退したのだ。かつてはここも大きな国だったのに」
オトゴンバヤルがカッとなり立ち上がる。しかしサンサルロの男たちの割れるような嘲笑に包まれ、何も言い返せずただ口元をぶるぶると震わせ立ちすくむばかりだった。



