「ほら、西方から取り寄せた茶さ」
口腔内の火傷も癒えた頃、セオラは第四妃オドンチメグの天幕を訪れていた。
目的は、先王暗殺に関する情報を集めることだが、そのためには相手に気を許してもらわねばならない。もどかしく思いながらも、雑談などを繰り返し、地道に親交を深めていくほかなかった。
だがその一方で、セオラの中にはこの時間を楽しむ気持ちも生まれていた。
「良い香りだな」
グアマラルの件もあり、セオラは用心深く茶杯に口をつける。赤みがかった琥珀色の液体をゆっくりと嚥下すれば、馥郁たる香りが鼻腔を抜けて行った。
「美味い」
「ははっ、そりゃ良かった。あたしのお気に入りなんだけどさ、一人で飲むのも味気ないからねぇ」
(何と優雅な時間だ)
ゴラウンにいた頃には、味わえなかったものだ。あの頃は男に負けまいと、常に肩ひじ張っていた。男が得意とする技を意識し、それらの頂点に立ち、皆を叩き伏せることで自分を保っていた。そのたびに父親が渋い顔をしていたのは伝え聞いていたが。
だが今、セオラは初めて「女として生活する楽しみ」も理解できるようになっていた。
(ゴラウンでは上下関係しかなかったからな)
父親から冷遇されているとはいえ、セオラは族長の娘。近い年齢の娘がいても、セオラに対しては目上への礼儀を払う者のみ。肩の力を抜いて話が出来る相手と言えば、妹のニルツェツェグの他にいなかった。
しかしサンサルロでは、対等の目線で話せる相手がいる。序列はあれども同じ妃同士、配下と接する時とは別の気安さがあった。
「ところでセオラ、踏み込んだ話で悪いんだけど」
不意にオドンチメグが声を潜め、ずいっと身を乗り出してきた。
「なんだ」
「小耳に挟んだんだけどさ、セオラはここへ攫われてきたんだってね。それは本当の話かい?」
「あぁ、本当だ」
セオラの答えに、オドンチメグは小さく唸る。
「どうかしたのか?」
「恨んじゃいないのかい?」
「え?」
「あんたはここに来て間もない。だがあたしの目には、あんたが今の状況をすんなり受け入れているように見えるんだ」
オドンチメグの鋭い言葉に、セオラはぎくりとなる。
「納得はしていない。だが、……女がたった一人で何が出来る?」
「あたしは、今もここから逃げ出してやりたいと思ってる」
彼女の本心を探りたいと思っていたセオラにとって、願ってもない展開だった。
「オドンチメグは、サンサルロを恨んでいるのか」
「あぁ。サンサルロというより、先王のノランバートルをね」
一瞬の迷いもなく、オドンチメグは答えた。
「あたしは元々ヘルヘー族の出身でさ、そこに夫がいた。仲睦まじく暮らしていた。けれどある日、サンサルロの先王に攫われてここへ連れて来られた。しかも攫っておきながら、その後一切の接触は無しだ。……あたしは、面白半分に夫から引き離されただけだった」
「……」
ジャンブールから聞かされていた内容と同じだが、本人の口から聞くと重みが違った。それと同時に、オドンチメグにとって故郷は居心地の良い場所だったのだな、と感じた。
(オドンチメグは先王を恨んでいた……)
「セオラ、あんたゴラウンに夫は?」
「いない」
「そうなんだ」
第四妃は、遠い目をする。
「はは、悪いね。あたしが攫われてきたのが、ちょうどあんたぐらいの年齢だったからさ。同じ年ごろで同じような境遇で、同じように夫と引き離されていたなら、愚痴や恨み言くらい聞いてやれると思っただけなんだ。あたしだって逃げ出したいけど、一人で何かできるとは思っちゃいないさ。ただ……」
オドンチメグが棚に目をやる。そこには小物を入れる引き出しが並んでいた。
「もう一度あの人に会えるなら、あの頃のあたしの年齢に若返ってからにしたいねぇ」
セオラもオドンチメグの視線を辿り、棚に目をやる。
「あそこの引き出しがどうかしたのか?」
「ん? あぁ、あの引き出しには……」
その時、表から慌ただしい足音が近づいて来た。
「オドンチメグ様! ジャンブール様がお越しです!」
侍女の声と共に、暖簾が開き、件の人物が姿を現した。
「ジャンブール様、どうなさいました?」
「あぁ、ごめんね。こちらにセオラが来て……いた!」
ジャンブールの視線がセオラを捕らえる。
「悪いけど、ちょっと彼女に用があってね。連れて行くけどかまわないかい?」
「どうぞお好きに」
セオラは意志を確認される間もなく、ジャンブールに手を引かれ連れ出される。
天幕を出ようとした時、何気なく振り返ったセオラの目に、寂しげなオドンチメグの横顔が映った。
「オドンチメグ」
セオラの声にオドンチメグが顔を上げる。
「私も愚痴や恨み言のはけ口くらいにはなれるからな」
その言葉に、オドンチメグは微かに笑った。
口腔内の火傷も癒えた頃、セオラは第四妃オドンチメグの天幕を訪れていた。
目的は、先王暗殺に関する情報を集めることだが、そのためには相手に気を許してもらわねばならない。もどかしく思いながらも、雑談などを繰り返し、地道に親交を深めていくほかなかった。
だがその一方で、セオラの中にはこの時間を楽しむ気持ちも生まれていた。
「良い香りだな」
グアマラルの件もあり、セオラは用心深く茶杯に口をつける。赤みがかった琥珀色の液体をゆっくりと嚥下すれば、馥郁たる香りが鼻腔を抜けて行った。
「美味い」
「ははっ、そりゃ良かった。あたしのお気に入りなんだけどさ、一人で飲むのも味気ないからねぇ」
(何と優雅な時間だ)
ゴラウンにいた頃には、味わえなかったものだ。あの頃は男に負けまいと、常に肩ひじ張っていた。男が得意とする技を意識し、それらの頂点に立ち、皆を叩き伏せることで自分を保っていた。そのたびに父親が渋い顔をしていたのは伝え聞いていたが。
だが今、セオラは初めて「女として生活する楽しみ」も理解できるようになっていた。
(ゴラウンでは上下関係しかなかったからな)
父親から冷遇されているとはいえ、セオラは族長の娘。近い年齢の娘がいても、セオラに対しては目上への礼儀を払う者のみ。肩の力を抜いて話が出来る相手と言えば、妹のニルツェツェグの他にいなかった。
しかしサンサルロでは、対等の目線で話せる相手がいる。序列はあれども同じ妃同士、配下と接する時とは別の気安さがあった。
「ところでセオラ、踏み込んだ話で悪いんだけど」
不意にオドンチメグが声を潜め、ずいっと身を乗り出してきた。
「なんだ」
「小耳に挟んだんだけどさ、セオラはここへ攫われてきたんだってね。それは本当の話かい?」
「あぁ、本当だ」
セオラの答えに、オドンチメグは小さく唸る。
「どうかしたのか?」
「恨んじゃいないのかい?」
「え?」
「あんたはここに来て間もない。だがあたしの目には、あんたが今の状況をすんなり受け入れているように見えるんだ」
オドンチメグの鋭い言葉に、セオラはぎくりとなる。
「納得はしていない。だが、……女がたった一人で何が出来る?」
「あたしは、今もここから逃げ出してやりたいと思ってる」
彼女の本心を探りたいと思っていたセオラにとって、願ってもない展開だった。
「オドンチメグは、サンサルロを恨んでいるのか」
「あぁ。サンサルロというより、先王のノランバートルをね」
一瞬の迷いもなく、オドンチメグは答えた。
「あたしは元々ヘルヘー族の出身でさ、そこに夫がいた。仲睦まじく暮らしていた。けれどある日、サンサルロの先王に攫われてここへ連れて来られた。しかも攫っておきながら、その後一切の接触は無しだ。……あたしは、面白半分に夫から引き離されただけだった」
「……」
ジャンブールから聞かされていた内容と同じだが、本人の口から聞くと重みが違った。それと同時に、オドンチメグにとって故郷は居心地の良い場所だったのだな、と感じた。
(オドンチメグは先王を恨んでいた……)
「セオラ、あんたゴラウンに夫は?」
「いない」
「そうなんだ」
第四妃は、遠い目をする。
「はは、悪いね。あたしが攫われてきたのが、ちょうどあんたぐらいの年齢だったからさ。同じ年ごろで同じような境遇で、同じように夫と引き離されていたなら、愚痴や恨み言くらい聞いてやれると思っただけなんだ。あたしだって逃げ出したいけど、一人で何かできるとは思っちゃいないさ。ただ……」
オドンチメグが棚に目をやる。そこには小物を入れる引き出しが並んでいた。
「もう一度あの人に会えるなら、あの頃のあたしの年齢に若返ってからにしたいねぇ」
セオラもオドンチメグの視線を辿り、棚に目をやる。
「あそこの引き出しがどうかしたのか?」
「ん? あぁ、あの引き出しには……」
その時、表から慌ただしい足音が近づいて来た。
「オドンチメグ様! ジャンブール様がお越しです!」
侍女の声と共に、暖簾が開き、件の人物が姿を現した。
「ジャンブール様、どうなさいました?」
「あぁ、ごめんね。こちらにセオラが来て……いた!」
ジャンブールの視線がセオラを捕らえる。
「悪いけど、ちょっと彼女に用があってね。連れて行くけどかまわないかい?」
「どうぞお好きに」
セオラは意志を確認される間もなく、ジャンブールに手を引かれ連れ出される。
天幕を出ようとした時、何気なく振り返ったセオラの目に、寂しげなオドンチメグの横顔が映った。
「オドンチメグ」
セオラの声にオドンチメグが顔を上げる。
「私も愚痴や恨み言のはけ口くらいにはなれるからな」
その言葉に、オドンチメグは微かに笑った。



